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極光よ、真直なれ  作者: 風雷
10/12

第六話「 明 」(前)

 僕らが走って向かう先、そこに黒く巨大な<門扉キューブ>はあった。日が落ちて真っ暗闇の中、それは鈍く黒光りしていた。内部から何かの光が漏れ出ているようにも見えた。

 <門扉>の真下に、その男はいた。


「ガモーネ!」

「来たか……おや、華棟木は死んだか? それに、チカ。裏切り者め……」


 僕は右手に持った<直剣(カトラス)>を構える。正直、使い方などわからない。

 ガモーネの左右には十数本の鉄骨が地面に垂直に立っていた。彼がそのうちの一つを指揮杖で叩くと、鉄骨が浮き、僕らに向けて照準を定めた。


「ほう、それが華棟木(かむなぎ)の形見か?」

「お前の弱点はわかってる。自分が持てる様な軽いものは、動かせない」


 僕の言葉が多少頭に来たのだろう。ガモーネは口元をひきつらせた。


「小僧に遅れをとるほど間抜けではない。その折れた剣で何ができる?」


 投擲。僕は飛びのいて鉄骨を避ける。しかし僕にはフィーナほどの運動能力はない。すかさず投げ込まれた第二撃をかわずほどの余裕はなかった。

 細長い、銀色の閃光が僕の眼前で炸裂した。


「何をやってるの! きちんと戦って!」


 僕を窮地から救ったのは、<竜の翼(エーテル)>だ。フィーナの呪縛から解き放たれた堺は、以前と同じように割けたスカートを剣刃に変えていた。


「いい? 私の言うとおりにして!」

「調子にのるなよ、娼婦しょうふ上がりが!」


 木琴を打つような場違いな音色、ガモーネは全ての鉄骨を指揮杖で叩き、僕と堺に向けて投げつけた。


「起きろ、眠れるものよ。<石心アパティア>よ! 夜も昼もなく小賢しく走り回るネズミに、静かな眠りこそ真理であることを説いてやれ!」


 僕が先ほどと同じように一つ目の鉄骨を避けようとすると、チカが大声で怒鳴った。


「避けないで! 正面から叩き落すのよ!」


 思わず体が硬直し、僕は完全に逃げ出す機を逸した。

 鉄骨は目前に迫っている。

 思い出した。フィーナの台詞。


「獣のようにーー吠え立てよ!」


 宣言の通り、僕は、<直剣(カトラス)>でもって迫り来る鉄骨を穿った。

 耳に悪い音を立てて、火花が連続して散った。次の瞬間、僕は、砕け散った鉄骨を見ていた。


「今よ!」


 僕は堺の命ずるままに、<直剣>を構えて、地面すれすれに薙いだ。

 小石の混じった土埃がガモーネに向かって吹き付けた。


「うぉっ!」


 以前と全く同じ形、周囲の鉄骨が次々と落ちてゆく。ガモーネの指揮杖に小石でも当たったのだろう。僕たちはそれを封じることに成功した。

 土煙が晴れた頃、僕は<竜の翼>に貫かれたガモーネを見た。剣刃が引き抜かれ、彼は力なく倒れた。

 駆け寄ると、倒れていたのはガモーネではなく教師橘だった。


「殺したの?」

「いいえ、まだ生きてるわ」

「ガモーネは?」

「わからない。多分、死んだと思うけど……」

「そう……」

「悪いことは言わないから、そういうのやめて」

「どういうの?」

「私たち、これからもう一人、殺しに行くのよ?」

「瑞奈は助けられないのか?」

「無理よ」

「僕とフィーナの時は僕だけ助かった。でも、彼女がダメな理由って何?」

「あなたと華棟木様の<存在重複>には無理があった。あなたが男で、彼女が女ということもあったけど、存在としての……そうね。質が違ったの。互いに分かり合い、連なることはあっても、決して重ならないもの。それが、あなたと華棟木様」

「そんな……」

「落ち込んでも無駄よ。これは、どうしようもないこと。私だって同じ。私の何処までが堺密で、何処からがチカなのか、あなたにはわからないでしょう? 私にも、もうわからないのよ。<完全存在重複>であるロール様と瑞奈春過なら、もうどちらの名で呼んでもおかしくないくらい。それほどに近しく、同じなの。二人は……いいえ。最初から一人なのだもの。当然よ」


 堺は口をきつく結んだ。彼女は僕に覚悟を勧めている。


「わかった」

「じゃあ<門扉>を破って。<直剣>で門を開くのよ」


 僕は、手に持った<直剣>を<門扉>に衝き立てた。

 <門扉>に小さなヒビが入り、中から光が溢れた。それはいつの間にか僕らを飲み込んだ。




 空。上にも空。下にも空。僕と堺は、天が何処で地が何処なのか全くわからない空間に放り出された。


「何だよここはぁぁぁぁ!」


 落ちている。確実に、僕は落ちている。


「<根幹世界>よ。全ての世界に通ずる場所。最も少ない記号で表せる場所」


 僕は堺の手をつかんだ。このまま落ちていって、僕達は何処に行くのか。

 地表。それは確かにあった。光の中に、それは広がっていた。

 地表は水と白い模様で満たされていた。僕が下面に見た空は、上面の空を反射したものだった。

 大地一面に描かれた白い模様。それは、曼荼羅まんだら模様とかフラクタル図形とか呼ばれるものに近かった。無限に広がり、無限に閉じてゆく。

 ある海岸線を拡大するといつの間にかその中の海岸が最初見たものと同じように広がっていて、何度もループしてしまう騙し絵のような動画を見たことがあるが、それに近い感覚だった。


「綺麗なケルト模様……」


 堺はのん気にも感想を口にしているが、大地が見えた以上、僕達はそれへの激突を食い止めなければ、死ぬ。

 浮いた。そう思ったのは、堺が後ろから僕の腰に手を回してからだ。振り向くと、なにやら翼のようなものが見える。<竜の翼(エーテル)>を開いて、羽の代わりにしているのか。

 地表すれすれに飛びながら、僕は地面が水と白い模様だけで構成されていることを知った。

 堺は地表に<竜の翼>のひとつを伸ばし、白い模様に触れた。衝撃でそれは吹き飛んだが、堺は剣先についた白い粉を舐め取ると、


「塩ね。そして、これが全ての並行世界を兼ねているのよ」


 と短く言い、僕にも味見を勧めた。


(塩っぺぇ……)


 舌で剣刃の先に触れると塩の欠片が口の中に入り、涙ぐましい辛さとともに溶けた。

 瞬間、ひとつの光景が僕の頭の中で弾けた。

 武載市前のショッピングモール。これは、僕たちの街。僕は天空からそれを見下ろしている。

 街のいたる所に<門扉キューブ>があり、それらは静かに開くと、周囲のあらゆるものを呑み込んだ。

 武載駅、路上を歩く人、上空を翔ける飛行機、走行中の列車、塾帰りの学生、冷房に涼みながらゲームを楽しむ子供――それらの全てが一瞬で呑み込まれる。

 彼らは<門扉>の中に消える間際、真っ白な何かに変異した。

 だ。この世界で無限の模様を形作る塩。それが、<門扉>に吸い込まれ、<大門ダイモン>より出でて、ロールが造り上げた塩の塔に降り注ぐ。

 理解した。僕が今、噛みしめた塩こそ、この世界での存在そのものなのだ。ここは、全ての存在を、水と、空気と、塩だけで表現する世界。全ての根幹たる塩原なのだ。

 強烈な辛味が、僕を正気に戻した。

 全てが自然の芸術といえるこの空間で、一つだけ明らかな人工物があった。塩で作られた螺旋状に高くそびえる塔。それは大地の中央にそびえ立っていた。

 その頂上には巨大な光の立方体キューブがあり、あるいは太陽のように地表を照らしていた。


「恐らくあれが<大門ダイモン>よ。<根幹世界>の中心にある門。全ての世界の全てを取り込み、そして発する門」

「あれが……」


 燦々(さんさん)と輝く立方体。それが全ての善を発し、善の還るところ――<大門>だった。


「恐らくロール様は、並行世界から芯世界へ、大量の<うつろわざる神(トヘーゲモニコン)>を移そうとしている。ここでは塩の山を移し変えるだけで、それがかなうわ」

「それを止めればいいってことか……」


 <大門>のすぐ傍に、彼女はいた。


「ロール……」

「行くわよ。覚悟はできてる? まだなら今すぐして頂戴」


 堺と僕は、地表に降り立った。




 無限に広がる塩原。僕と堺は塔の上に降り立った。地面を踏むと、さくり――と霜を踏んだような音が鳴った。


「ガモーネを倒してきたのか……」


 少し離れた場所にいるはずなのに、ロールの声はよく聞き取れた。風もなく、僕達以外に音を立てる者は、この世界にはいない。


「あれは、元々戦うためによこしたのではなかったからな。よく働いてくれた」

「ロール……お前の友人は死んだよ」


 ロールはその時初めて、振り向いて僕を見た。


「……そうか。惜しい人を亡くした」

「自分で殺しておいて、よく言う」

「小僧に宿縁など説いてもわかるまい……」

「宿縁だって? 運命だって言うのかよ! 大勢の人間を巻き込んでおいて! 一体何人殺して! 何人消したんだ!」

「理不尽な死など、珍しくもない。そこら中に溢れていることに対して、ごちゃごちゃ騒ぐな、見苦しい。儂が間違っているというのなら、お前の力量で証明して見せろ!」


 ロールが僕たちに向かって手を翳す。


「<竜の翼(エーテル)>」


 堺は反射的に僕の腰に手を回し、その場から緊急回避した。先ほどまで僕のいた場所に、ロールの背後から三本の剣刃が伸びていた。


「わっ!」


 僕は反射的に<直剣(カトラス)>でそれを防ぐ。ロールの剣刃が弾かれ地に落ちる。


「ほう、防いだか? だがやはり、お前のような下郎に<真直のいなほ>は使いこなせないようだな」


 竜は自分より高く飛ぶものを許さない。

 まるでそれを証明するかのように、ロールは次々と僕目掛けて、かつてチカが見せたような幾本もの剣刃を伸ばす。


「危ない!」


 見かねた堺がバランスを崩した僕を抱きかかえる。僕たちは踏みしめたばかりの地面を早々に飛び立たなければならなかった。

 しばらく逃げていると、天空で何かが光った。以前、フィーナを一撃で叩き伏せた破壊の光。幾万もの剣刃が、僕に向かって降り注いだ。


「堺!」


 堺は縦横無尽に空を駆け巡ってこれらから逃げおおせた。頭上から光が落ちる度に、塩で描かれた地面の模様が破壊され、小さなクレーターを作った。


「チカよ! 儂が唯一憐れんだ娘よ!」


 怖気。

 翼。堺と全く同じ――いや、それ以上に雄大な翼が、僕たちを遮った。ロールは、たった一度の跳躍で僕たちの背後に回り込んだ。

 光。頭上から幾千もの光の筋が落ちてきた。

 雨を避けきる鳥はいない。

 堺にとってそれは、宿命付けられた時間が来たに過ぎなかった。剣刃の一つが堺の羽に直撃し、車輪無しで緊急着陸する飛行機のように、僕と堺は美しいケルト模様の中に落ちた。

 最中、刃の一つが堺の背を斬りつけるのが見えた。


「ぐぁァッ!」


 落ちる。僕は、堺の頭をつかみ、自分の胸に押し付けた。そしてそのまま、右肩を怒らせて塩の山に突っ込んだ。激突間際に堺の<竜の翼(エーテル)>が僕の体を覆った。


(痛ぇ……)


 体が痺れる。堺のお陰で一命を取り留めたが、衝撃に目が眩み、指一本動かせない。

 堺は僕に覆いかぶさるようにして倒れていた。


「ハァッ……ハァッ!」


 鼻先から滲んだ汗の粒が、僕の頬に落ちた。

 堺の疲労の色が濃い。元からして<竜の翼>は彼女に使いこなせる代物ではない。ロールが分け与えたのが一部であったとしても、堺にはその力の更に一部を引き出すのでやっとなのだ。


「ハァッ……ハァッ……竜よ! ……竜……よ!」


 制服のスカートが割け、剣刃となってロールを襲う。だが、圧倒的な力量差を埋めるには至らない。無常にもそれらは全て叩き落とされ、堺はロールの接近を止めることができなかった。

 ロールは堺の正面に立つと、息を散らして反抗を試みるかつての侍女を憐れむように声を落とした。


「チカよ……何故儂に刃向かう?」


 答えようによっては生かしてやるといった温情は微塵も感じられない、冷え切った声。それは、処刑される罪人から最後の言葉を聞き取る執行者のそれであった。


「――ッ……ハァッ……」

「お前を拾い、地べたを這いずりまわる生活から開放したのは誰だ? 恩を仇で返すとは今のお前のことではないのか?」

「……いいえ、違います……ロール様。今でも……私はあなた様をお慕いしております。あなた様が……御手を差し伸べて下さらなければ、私は……泥の中で窒息していたでしょう」

(堺、やめろ!)


 動かなれればーー立たなければーー


「では、何故?」

「ロール様……あなた様が……」


 このままでは堺が殺される。どうにかして動こうとする僕を縛りつけるように、抱き締める堺の腕に力が入る。


「あなたが! ……瑞奈春過だからよッ!!」


 光の間を縫って、堺は自らの<竜の翼>を繰り出した。ロールは、もう避けることもしない。天から落ちてくる光がそれらを全て叩き落とす。そして事もなげに、長年自分に尽くした侍女に向かって言った。


「そうか。お前の中のチカは、もう死んだのだな。では、儂は瑞奈春過として、答えよう。春過もお前の死を望んでいる」


 頭上から光が落ちてくる。

 堺が死ぬ。フィーナでも二撃と耐えられなかった、あまりにも理不尽な光の雨。それが堺を襲う。

 僕は、何かを確認するように指先に力を込めた。

 動く。それだけで十分だった。

 次の瞬間、僕は堺を突き飛ばし、見るなり生還を諦めねばならない光の束に己が身を晒した。

 光の中に入った。折れた<直剣(カトラス)>を空に掲げた。その時、あまりにも場違いな感覚が、僕の全身を覆った。

 美しい。そこはまるで、空が落ちてくるような美しさの中にあった。

 ああ、僕はここで死ぬのだ。

 不意に、何かに包まれたような感覚に陥った。




******************************



 直線。

 道がある。ただしそれは足元しか見えない。

 僕は真っ暗な闇の中にいた。目の前の小さな光が、ただ足元を照らしていた。

 何の光だろう。たゆたうように淡い。まるで極光(オーロラ)のよう。だがそれは真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに僕の行先を照らす。いや違う。この光は何も照らしていない。この光は、恐らく僕自身(・・・)だ。僕自身が光なのだ。そして僕自身も他の光に照らされている。その光はーーいや、明かりは、力強く天上から僕を照らしている。しかしそれは冷厳でもあった。まるで僕のことなど意に介さないような厳かさがあった。「お前はそのまま、そこで死ね」と吐き捨てるような冷たさがあった。それは暗闇よりも恐ろしかった。

 背後でりん――と、何かが鳴った。振り返ると、そこには様々に曲がりくねった一本の道が、延々と続いていた。あちらに向かうべきなのではないか。僕はそう思い、足を上げようとすると、その意に反して前に進んだ。


(何処へ行くんだろう?)


 漠々(ばくばく)たる不安。僕の前を照らす明りは、その力強さに反してあまりにも小さく、一歩先が断崖ではないかと疑い始めると、僕はついに足を止めてしまった。

 不意に、誰かの足音。コツコツ――と、それは僕の背後から鳴り響き、ついには並んだ。

 長い金色の髪と青い瞳をしたその女は、僕を追い越す間際、急に僕の手をとった。


(えっ……?)


 その人は、走り出した。途端に、眼前の道が遥か地平線まで一気に伸びた。その人の持つ極光(あかり)は僕の視界の全てを照らした。僕の持つ光はその人を照らせないというのに。

 道が僕に「走れ」と言った。僕は突き進んだ。女は、常に僕の一歩先を走っていた。

 しばらく走ると、僕は先ほどまで自分を照らしていた、あまりにも冷厳な天上の明りのことを忘れた。何も考える必要などなかった。走ることは僕の喜びとなった。

 地平線を追い越すまで、僕は走り続けるのだ。そう思っていた最中、突然、眼前の道は幾重にも別れた。僕を引いていた手は同じくして止まった。僕は、その場に立ち尽くした女に目をやった。

 女の前の道は、二本に分かれていた。一本は僕の道に沿うように地平線まで続いていた。もう一本は、僕から離れ、しかも途切れていた。


「こっちに来いよ」


 僕は、女に言った。この人と一緒に走れば、僕はどこまでも行ける。それはとても誇らしいことだと思った。

 だが、僕に呼びかけられた女は、少しだけ困ったように笑うと、僕とは別の方に伸びた道へと歩み始めた。


「ダメだ。そっちに行くな。断崖だ。落ちてしまう」


 途切れた道の端まで来た時、女は一瞬だけ立ち止まり、何かを道に置いた。

 次の瞬間、女は断崖へと身を投げた。結局、この女は、僕には何も告げなかった。

 万感の悲しみが、僕を支配した。僕は、涙が枯れて、目玉がミイラになるまで泣いた。

 ずっとそうしていた。僕の前に幾重にも広がっていたはずの道は、どこかへと消えてしまったのだ。

 ふと、小さな明かりが僕の目に飛び込んでいた。僕は、女が身を投げた道の方を見た。

 小さな子供。男の子? 女の子? わからない。その子は、女が身を投げた断崖で立ち尽くしていた。そこに、淡く輝く何かが落ちていた。

 (いなほ)だ。真っ直ぐに伸びた、黄金の頴。

 子供はそれを拾い上げると、女と同じように、断崖へと踏み込んだ。

 僕は目を覆った。あの子もまた、落ちるのだと思った。

 だが、子供は落ちなかった。彼の前には、新たな道が広がっていた。それは、幾重にも分かれているのに、子供はまるでその内の一本しか見えないように、迷いなく真っ直ぐに走っていた。

 走り去った子供が視界の向こうに消えた時、僕の足元で淡く光る何かがあった。

 剣だ。真新しい直剣(・・)。剣の根元に何かが刻まれている。


(ルーメン)


 僕は前を見た。以前は幾重にも分かれていた道。それは、たった一つしかなかった。新しい明かりは、唯一つの道を、僕の足元だけ照らした。向きを変えると、明かりは違う道を示した。

 一歩を踏み出した。すると、先ほど明かりが示していた別の道が消えた。

 道が僕に「走れ」と言った。「走って、自分を踏みしだいてくれ」と僕に言った。

 僕は、走り出した。速く走っても、ゆっくり走っても、道が明るくなったり、暗くなったりはしなかった。明かりはずっと、僕の足元だけを照らしていた。

 明かりが僕に「走れ」と言った。「走って、いつか自分をどこかに置いてくれ」と。


******************************




(塩っぱい)


 体中が痺れるほどの辛さだ。鼻先がつんと痛くなり、吐き出す息は悲鳴に近い。

 目を開くと、無限の空が広がった。上には空があり、下には、水面みなもが反射する、より美しい空があった。

 眼前に、それは横たわっていた。僕は彼女に何と呼びかければいいのか、彼女の真の名前は何なのか、最後までわからなかった。

 堺密、あるいはすずり=チカは、僕の眼前に横たわっていた。


「チカなら死んだよ。お前をかばってな……」


 堺を挟んで、ロール。しかし彼女は勝ち誇っているようには見えない。


「愚か者が……」


 ロールの呟きと同時に、堺の体が微かな光を帯び、そして崩れ去った。そして光は細かな白い粒となり、無限に広がる塩に混ざり合うようにして溶けて消えた。


(堺……)


 胸の奥から、何かが沸々と燃えたぎる。泣き叫んでしまいたい。不甲斐ない己を殴り倒してしまいたい。だが、そんな甘えを許すには、目の前の敵はあまりにも冷厳であり過ぎた。

 僕は、傍らに落ちた<直剣カトラス>を拾う。


「それで何をするつもりだ、功刀明? チカを失ったお前にできることは、何もないだろう?」


 ロールにとって最後の敵は、堺だった。僕は、最初から彼女の眼中にすらないようだ。


「お前の言う通りだよ。ロール。僕は、役立たずだ」

「ほう? 随分と素直だな。なら、その首を差し出すがよい。せめて苦しまないように削ぎ落としてやろう」


 ロールの腰元から、一本の剣刃が伸びる。


「フィーナと戦っていた時も、その前も、僕は一度も自分で選ばなかった。誰よりも前に立とうとはしなかった。いつも誰かが、僕の盾になってくれていた。放り出されてみて気付いたよ。僕が自分で歩いてきたつもりの道は、ずっと誰かが手を引いてくれてたんだ」

「乳飲み子がようやく自分の無能を理解したか。さあ、首を差し出せ!」


 僕は、僕の首を刈り取るために突き出された剣刃を、<直剣>で払い落とす。


「真っ直ぐなんだ。足元しか見えなくても、道は、真っ直ぐに伸びる。僕はその先に剣を置く。僕には何も(・・・・・)照らせなくても(・・・・・・・)ーーそれが僕のーー」


 折れた刃。それでもいい。僕はまだ、剣を捨てていない。


「それが僕の<真直なる極光(カトルトーセイス)>だ」


 走った。もう、誰も手を引いてくれない。僕は、ロールに向かって突進した。獣のように。避けることなど微塵も考えずに。


「馬鹿め! わざわざ惨たらしい死を選ぶか! なら、自らの足で立った以上、そこで死ね!」


 ロールは右手を天にかざした。

 光が落ちてくる。


「避けねぇよ!」


 僕は真っ直ぐにロールに向かって突進した。


――馬鹿。きちんと避けなさい。姿勢を低くして。竜は自分より高く飛ぶものを許さない。


 誰かの声。僕はそれに導かれるように、頭をかがめる。

 光の束がこめかみをかする。


「馬鹿な! かわしたッ!?」


 ロールの声。僕は一歩、彼女に近づく。

 次の光が落ちる。<竜の翼(エーテル)>は無限の大地を覆い尽くす。


――塔に走れ。あれはロールが集めた<うつろわざる神(トヘーゲモニコン)>で作られている。あれの下では、ロールは光の矢を落とせないよ。何、キミならきっと出来るさ。


 違う誰かの声。先の声も、今の声も、僕がほんの少し前まで聞いていたもの。


(ああ……これは……ああ!)


 走る。またもや頭上に落ちる光を、僕は直剣で払い、かすかに軌道を変える。


――おい、のんびりしてんじゃねぇよ。ナ先生に煙草が見つかりそうになった時は、もっと早く逃げただろうが!


 これは――ああ、この声は――


「うるせぇよ、京太!」


 そう。皆、僕が知っている声。何故だろう。聞こえる。何処にもいないのに。聞こえる。

 最初は堺、次にはフィーナの声、そして京太が僕に語りかけてくれた。


「この、塩の大地のどこかに、皆がいるのか?」


 何一つ濁りのない空気と水と塩の世界、僕は剣の雨をひた走りかわしながら、その全てに向かって言った。


――そうよ、明。さあ、行きなさい。


 誰かに背中を押された気がした。暖かい手の感触。いつも、迷ってばかりの僕の背を叩いては、強引に一歩を踏み込ませてくれた人――


(姉さん……)


 自分でも信じられないほどの力が湧いてくる。まるで永久に走っていられるようなーー無尽蔵の動力を得たような、そんな確信にも似たものが、満腔に充溢する。

 そして、ついに届いた。無限に広がる模様の中の不純物。ロールが造った偽りの塔にーー


「何故だ! 何故、当たらない!」


 ロールは光を落とす攻撃をやめた。彼女は確かに、この塔を壊したくなかったのだ。


「おのれッ、小僧! 何をしたァァ――!」


 幼い頃、絵本で見た竜にも似る雄大な翼が開く。ロールは矢のように飛び出し、僕に突進してきた。彼女の腰元から、十六本の剣刃が伸びてくる。


「遅い!」


 僕は塔に向かって、直剣を逆手に取り、大上段に構えた。


ドラゴンっていうのは! 戦士に剣を突きたてられて死んじまうのが相場なんだよッ!」


 き立てた。塩の塔に――


「刺され! 貫けぇッ! 壊れちまえッ! そして元の場所に帰れ! 無限の模様の中にかえれッ!!」


 かつてフィーナが<門扉キューブ>に<真直の頴(カトルトーセイス)>を衝き立てたのと同じ現象が、僕の眼前で展開された。螺旋を巻きながら天空に突き出た塔の外壁に円を描くようにして長い亀裂が入ってゆく。


「貴様ァァァーー!」


 激突。怒り狂ったロールは、僕目掛けて全ての剣刃を衝き出した。

 <直剣>は辛うじて胸と首を狙う剣刃を切り払ったが、残った剣刃が僕の肩を、横腹を、太腿を貫く。


「薄っぺらい正義感などに振り回されよって! お前はその手で一つの世界を潰そうとしているのがわからないのか!」


 完全に逆上したロールは、僕もろとも塩の塔の中に突っ込む。白い煙幕が周囲に立ち込める。


「ふざけるな」


 怒気。体中の血が沸騰するのを感じる。


「ふざけるなよ、ロール。それで僕たちから奪うのか? そうすれば救われるのか? そうやっていつも、お前は奪って来たんじゃないのか? 何も知らない人から! 何も知らずに生きる人々から幸福を奪いやがって! 彼らは奪われたことにすら気付かない。それで、情けをかけたつもりなのかよ! 知らなければ不幸じゃないのかよ!」


 体中から湧き起こるありとあらゆる罵詈ばりをロールにぶつける。僕は、フィーナや堺でも勝てなかったロールを出し抜いた。だが、それは僕一人の力ではない。ロールが無造作に僕らから奪い去ったものが、僕の味方をしてくれたのだ。


「幸福? 小僧、幸福とほざいたか? 何だ、それは? 他人が持っているものを自分が持っていない。それだけで自分が不幸と決め付けるような輩が何を言う? 幸福は、絶対のもの。量ではないのだ。これほどの幸福に満たされていながら、お前達は微塵もそれを感じていないではないか。お前達がゴミのように扱い、蕩尽とうじんしてゆくものを、それを必要とする我々が活用しようというのだ。逆に問おう。これほど<うつろわざる神(トヘーゲモニコン)>に溢れた幸福の中にありながら、それを腐らせるだけのお前達に、果たしてその所有権を主張する権利があるのか? ゴミ箱に投げ捨てたゴミを拾った者に、それは自分のものだから返してくれと言うのか? 返してもらっても、結局また投げ捨てるだけだとわかっているのに?」


 ロールの腰元から新たな剣刃が伸びる。

 僕は彼女の腰に手を回すと、新たに作り出された剣の束をつかんだ。鋭利な刃先に手指がずたずたになるのも躊躇せず。


「ゴミと言ったな! 消えていった皆を! 姉さんを! 京太を! 堺を! ゴミと言ったな!」

「いかにも。自ら命を絶つ者達を、お前達はむしろ歓迎するではないか! 果樹があまりにも実り、腐り始めたから早く千切って捨ててくれと望むではないか! 明よ。お前の姉はお前にとり囲まれていたのだ。春過は気づいていた。この娘は、父にとって打ち破れぬ壁となることをやめたのだ。今にも倒れそうなものにいつまでも寄りかかったまま、お前は自分はおろか他人の生までも蕩尽するのだ! それでいながら口だけは偉そうなことを言う。この! 物知り顔の餓鬼め。ええい! 餓鬼め!」


 ロールはついに拳で僕の顔面を殴った。何度も殴った。


「餓鬼めッ! 餓鬼めッ! 何でも当然のように喰らい、誰にも返さない餓鬼めッ!」


 涙。ロールは、泣いていた。声を出して、まるで空の高さに怯える雲雀のように鳴いた。

 辛いのだ。彼女が背負ったものは、針の一刺しで決壊してしまうほどに重いのだ。

 途端に、あれほど僕の中で暴れ狂っていた怒りが冷めた。僕は、何をすればいいのだろう。


――ロールの胸に剣を衝き立てな。もう終わらせよう。


(フィーナ……)


 僕の中で彼女は確かに言った。

 亀裂が全体に及び、塔は崩壊を始めていた。


「終わ……らせる?」


 視界に薄っすらともやがかかる。殴られ過ぎだ。もう、ロールが何を言っているのかもわからない。


「ダメだ……僕にこの人は殺せない……」


――何故? 君がやらないと、他の誰かが彼女を殺さなくちゃいけない。そして、その他の誰かは、いないのかもしれない。今しかないのよ?


 堺の声だ。最後までロールの味方をすると言ったチカは、彼女の中にはもういなくなってしまったのか。


「餓鬼めッ! 餓鬼めッ!」


 僕は、ロールの拳をつかんだ。彼女はそれでも殴るのをやめようとしない。


「僕……さ……」


 まだ、ロールは鳴いている。僕にありったけの感情をぶつけている。


「好きだったんだ。多分、そうなんだ。瑞奈のことが……だから、瑞奈が酷いことするのは、耐えられないんだ。戻って……来いよ……まだ、大丈夫だから……お前、酷い怪我してるだろ? あの猫にだって……餌をやらないといけない……堺にやったことは許せないけど……それでも……帰るんだ。帰ろう……」


 我ながら呆れる。あれだけのタンカを切っておいて、最後の最後にこんな甘っちょろいことを言うのだから。

 このまま僕が負ければ、破滅の月曜日が来て、何も知らない人々が何も知らないまま、ロールに全てを奪い去られる。


「月曜日? ハハッ……来いよ。全部くれてやる。その代わりに瑞奈を返せ。来いよ。最悪の月曜日!」


――ダメよ。功刀君。殺しなさい! あなたはきっと後悔するわ。

――アカリ、やるんだ。アタシは何のためにキミに託したのか……


 正しい。彼女たちの言うことが圧倒的に正しい。だが、これは僕が自分で選んだことだ。他の誰かが指し示した道ではない。僕が、自分で足元を照らして選んだ道。

 多分、これは断崖だ。僕はここで剣を置くことになるのだろう。それでも、瑞奈を殺すことは、僕にはできない。

 ふと、目の前が明るくなった。もやのなかで、暖かい何かが僕の頬に落ちた。


「うぅ……功刀ィ……」


 呻き。侵略者ロール=アンナエは冷酷だ。戦場で我を失ったり、武器を手放して殴りかかったりするはずがない。恐らく彼女がこの世界に来てからの最大の誤算。存在重複した人間の魂に引きずられる。今、僕の前で情けない泣き顔を晒しているのは間違いなく端奈春過だった。僕や堺がより冷酷で、より知略に富んでいたなら、これを利用してロールに勝つ未来があったのかも知れない。だが、そんなことはもう、大きな問題ではないだろう。

 わかっているのは、僕が敗北したということだ。


(もう……いい……)


 <竜の翼(エーテル)>の一つが、僕の首に向かって伸びてきた。僕は、奇しくもロールが最初に言った通りに、彼女の前に首を差し出すことになった。

 視界が明るむ。せめて最後に彼女の顔を見ようと僕が目を開いた時――

 銀色に光る剣が、ロールの胸を貫いていた。


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