奴隷と小悪魔2
黒い噂の絶えないデルヴィ伯爵が懇意にしている奴隷商人。
当然のように裏組織の人間で、拠点となる場所の特定は困難である。取り扱っている商品は非合法の奴隷であり、その存在は家畜以下だった。
その拠点の一室では、鉄格子の檻が並んでいる。糞尿の臭いが充満して、衛生管理などは行われていない。
そして檻の中には、薄汚れた服を着た女性がいた。所々が破けており、肌の露出が目立つ。腕には鎖付きの手枷が嵌められている。
「………………」
女性は虚ろな目をして、床をジッと眺めている。また誰か訪れたようで、ザッザッと床と靴が擦れるような音が聞こえてきた。
女性は少しだけ顔を上げて、檻の外に視線を向ける。
「飯だ!」
片手に盆を持った男性が、女性を見下しながら告げた。
そして洗っているのかさえ分からない食器を、鉄格子の前に二つ置く。中身は冷めたスープとパンの切れ端である。
女性は腹が減っていたのか、四つん這いになって男性に近づいた。
「まだ食うなよ?」
「はい」
「まだだ。まだまだ……」
まるで、犬の調教のようにお預けされる。
すぐにでも食べたいようだが、男性の言葉を無視すれば飯抜きだ。三日に一度しか与えられない食事なので、命令には従うしかなかったか。
女性は懇願するように、男性を見上げた。
「お前は誰だ? 言ってみろ!」
「私は……」
(私カルメリー王国第一王女の……)
そう。この女性はミリアである。デルヴィ伯爵の命令が変更されて、彼女は奴隷商人に売られていた。
地獄の部屋から連れ出されて何日経過したかは数えていない。
「名も無き奴隷です」
「そうだ! しかし間があったな。パンは俺が食う」
「あ……」
男性は鉄格子の前に置かれたパンを拾い上げて、口の中に放り込んだ。
それから「味がしねぇ」と言いながら、胃の中に納めてしまう。
「お前は誰だ?」
「名も無き奴隷です」
「そうだ! 食っていいぞ」
「ありがとうございます」
これでミリアは、三日ぶりの食事にありつける。固形物のパンは男性に食べられてしまったが、スープの入った食器を手に取って一気に飲み干した。
もちろん調味料など使われていないので、味はお察しである。
「それでは足りないだろう?」
「い、いえ。おいしい食事をありがとうございました」
「嘘を言うな!」
「はい。足りません」
「しょうがねぇ。俺が個人的に与えてやるぜ」
その場でズボンを脱いだ男性は、檻の前で仁王立ちだ。
何をやれば良いか理解しているミリアは、鉄格子に近づいて歯の抜けた口を開く。逆らえば食事を与えられず、他にも酷い目に遭わされるからだ。
そして満足した男性は、またもや彼女に問いかけた。
「お前は誰だ?」
「名も無き奴隷です」
「そうだ! お前は奴隷だ! 買われたら主人に奉仕するだけの娼婦だ!」
「はい。そのとおりです」
「ふんっ!」
鉄格子の前から、男性が離れていく。
それに合わせて、ミリアは檻の奥に戻る。最初は助けを叫んだが、その気力は失せていた。助ける者など訪れず、何日も同じ状況が続いている。
そして最初と同じ姿勢になり、床を眺めているのだった。
◇◇◇◇◇
寝室でベッドに座っているフォルトは、カーミラからの報告を受けていた。
彼女は首に腕を回して、背中に柔らかい双丘を押し当てている。送り出してから暫く経過していたので、とても久しぶりの感触だった。
そして彼女から提案を受けた人物は、奴隷として調教中と聞いている。
「さすがはカーミラだな」
「えへへ」
魔人として堕ちているフォルトは、カーミラの機転を褒め称える。
不幸の上塗りをしたのだが、それについては嫌悪感を覚えない。そもそも遊びの玩具を入手するつもりなので、ミリアに向ける感情など持ち合わせていない。
そのような些事よりは、他に確認しておくことがあった。
「ドッペルゲンガーは召喚したままでいいのか?」
「はい! 今は奴隷商人の拠点に潜入していますよぉ」
「ニャンシーは?」
「ドッペルちゃんのサポートでーす! 買われちゃうと困るのでぇ」
「なるほど」
(そこまでしているなら、新しいゲームも面白くなりそうだ。今はキャラメイキング中といったところだな)
後ろから抱きついているカーミラが、嬉しそうにニコニコしている。
フォルトの傍に帰ってきたときは、彼女の欲求が最高潮だった。
帰宅して早々に、それはもう激しかった。おそらくはミリアの状態を見て、欲求不満になったのだろう。
リリスの本領を発揮されてしまった。
「しかしデルヴィ伯爵って奴は、金と権力の化け物って感じだなあ」
「悪魔にしたいぐらいですよぉ」
「悪魔がスカウトする人物か」
「えへへ」
フォルトの脳裏に、悪代官という言葉が浮かんだ。
テレビを見るように、遠くから眺めているぶんには面白い人物か。とはいえ、庇護したソフィアを害すかもしれない老人だ。
好意を持てるわけもなく、一生出会いたくない。
そんなことを考えていると、何かに戸惑った女性に声をかけられた。
「魔人様、そろそろ服を……」
カーミラが後ろということは、フォルトの目の前には他の身内がいる。
プレゼントした白衣を着たシェラだ。女医さんのように椅子に座って、木の板に張った羊皮紙に何かを書き込んでいた。
「まだ頼む。ちょっと心臓のあたりが……」
「はい。では少しヒヤッとしますわ」
「うん」
シェラは聴診器らしきネックレスを、フォルトの胸に当ててきた。
いま彼女が行っているのは、日本でいうところの健康診断である。こちらの世界に召喚される前は、毎年受診していた。
「異常はありませんわ」
「あ……。触診をしてね」
「っ!」
「どうしました?」
「え、あの……。では……」
頬を赤らめたシェラは手のひらを使って、フォルトの胸を触ってくる。
彼女の手は、柔らかくて暖かい。しかもおずおずしながら触れられたので、一瞬にして目がいやらしくなった。
このまま押し倒されて、畑のときのように身を任せたい。
「はい! 終わりですわ」
「えぇぇぇぇ」
「お、わ、り、で、す!」
「はい」
シェラが持っている木の板は、俗に云うカルテである。フォルトがチラリと覗き込むと、「異常無し」と書かれていた。
当然だ。
元気が取り柄の魔人で、しかもお医者さんごっこなのだから……。
「ところでシェラさん。暗黒神からは何か言われた?」
「いえ」
「やっぱり寝取っても気にしていないんですね」
「もぅ!」
普段は物静かなシェラだが、畑で抱いてからは明るくなった。
司祭として厳格に過ごしていたので、色々とタガが外れたのかもしれない。
「それでカーミラよ。モルホルトって司祭はどうしたのだ?」
「回れ右で帰ってもらいましたよぉ」
「そっか」
「連れてくれば良かったですかぁ?」
「人間の……。それも男など要らん!」
「ですよねぇ」
「後は受肉用の死体か」
「調達しますかぁ?」
(ドッペルゲンガーは人物に化けられるしなあ。わざわざ受肉しなくても、適当な女性に化けさせればいいだけだ)
眷属にするには互いの同意だけで良く、受肉は必要無いと以前に指摘をされた。
女性として受肉させるのは、アバターを楽しむためである。ならばドッペルゲンガーの能力で、適当な女性を記憶して戻ってくるだけで良い。
そして現在は、奴隷商人の従業員に化けているらしい。
場所的に可愛い女性がいるとも思えないが……。
「いや。調達はしなくていい」
「分かりましたぁ!」
「どっかに可愛い女性の死体が落ちてるかもしれないしな」
「それはないと思いまーす!」
「ははっ」
「魔人様、そろそろテラスに行きましょう」
健康診断を終えたシェラが、テラスに向かいたいようだった。
彼女は立ち上がって、なぜか両手を前に出している。しかも上目遣いなところが、フォルトの琴線に触れた。
「シェ、シェラ?」
「抱っこを……」
「これは……」
「アーシャの入れ知恵でーす!」
「またかっ!」
このシェラの行動に、フォルトはギャップ萌えをしている。
アーシャには感謝なのだが、同時に「恐るべし」とも思った。雑学が豊富で、歳の離れた中年の心を掴む。おっさんは嫌いと言っていたが、「実は好きでした」と言われても納得できそうだ。
それはあり得ないのだが……。
「じゃあ行くか!」
「きゃっ!」
ここまでされれば、アーシャの気遣いに乗らないと男が廃る。
もちろんシェラを抱え上げ、お姫様抱っこをした。
「カーミラは窓を開けてくれ」
「はあい!」
「魔人様? きゃあ!」
ここは、屋敷の二階にある寝室だ。
いつもどおりに窓を開けて、フォルトは地面に飛び降りた。屋敷の一階は天井が高いので、二階といえどもかなりの高さだ。
シェラがギュっと、首に腕を巻き付けてくる。
甘い匂いが鼻孔をくすぐり、頬の筋肉が緩んだ。
「あ、あの魔人様。下ろしていただければと……」
「いえ。もっと抱きついていてください」
「はっはい!」
女好きのフォルトは、シェラの柔らかい体を堪能する。
ともあれ彼女を抱えながらテラスに向かうと、視線を逸らすように遠くを眺めているソフィアが座っていた。
「またフォルト様はそういう……」
「ははっ。やりますか?」
「結構ですっ!」
「グリムの爺さんは?」
「そろそろ到着すると思いますよ」
本日は久々に、グリムが訪れることになっていた。事前に分かるのはソフィアの召喚魔法で、家族と連絡を取り合っているからだ。
そのおかげで、フォルトは気構えができる。
「私は湖に行ってきますわ」
「うん。悪いねシェラ。カーミラはルリに茶を用意させてくれ」
「分かりましたぁ!」
「その後は隣にね」
「サワサワと触られると気持ちがいいでーす!」
(誰かを変態と言ったことはあったが、俺も似たようなものだな。でも、それでいいのだ。これに関しては、誰も俺を止められない)
こちらの世界に召喚されたフォルトは、様々な環境が激変していた。
魔人になったことが要因だが、国法の及ばない中で生活している。取り締まる者がいなければ、欲望に忠実となるのは必然。
特に氷河期世代の引き籠りは、何に対してもずっと我慢してきたのだ。誰に遠慮することなく、素の自分を出していた。
アーシャの言葉ではないが、まさにエロオヤジである。
「用件は聞いていますか?」
「いえ。ですが大事な話のようですよ」
「面倒事かなぁ?」
「どうでしょう。もしかすると、とても面倒な話かもしれません」
「分かるのですか?」
「予想通りなら……」
「教えてください」
「内緒です」
「ええっ!」
「いつも私に意地悪をなさるので……。お返しです!」
「あ、ははっ……」
頬を膨らませたソフィアが、プイッと横を向いてしまった。にもかかわらず、目は笑っている。フォルトに仕返しができて嬉しいのだろう。
過去を振り返ると、彼女に文句は言えなかった。
(だが数日後には、俺が仕返しをするのだ! あの服が完成するからなあ。真っ赤になったソフィアさんが楽しみだ)
「ふふん!」
「どっどうされましたか?」
「いえ。あぁグリムの爺さんが来たようです」
「御爺様!」
白い顎髭を扱いているグリムが、木々の合間から姿を現す。
もう何度も訪れているので、迷わずに屋敷まで到着した。何となくだが、自分の家のように思っていそうだ。
テラスに到着すると、テーブルに杖を立てかけて椅子に座った。
「息災かな?」
「毎日気楽に過ごしています」
「ソフィアは迷惑をかけておらぬか?」
「もぅ御爺様!」
「御主人様! オヤツを持ってきましたぁ!」
「ありがとうカーミラ」
挨拶もそこそこ、カーミラが茶とオヤツを持ってきた。料理長ルリシオンが用意してあったフライドポテトである。
もちろん彼女は、フォルトの隣に座った。
「デルヴィ伯爵の嫌がらせは始まりましたか?」
「まだじゃのう。おそらくは次の聖女が決まってからじゃ」
「まだ決まってないのかあ」
「うむ。それもあって、お主に頼み事があってのう」
「ソフィアさんが言っていましたね。とても面倒な話だと……」
「まだ伝えておらぬが?」
フォルトからの言葉に、グリムはソフィアに視線を向けた。
先ほどは内緒にされたが、彼女は悪戯な笑顔を浮かべている。
「ほっほっ。ならばソフィアから、こ奴に教えてやるのじゃ」
「予想はつきます。聖女絡みなら一つしかありません」
「聖女絡み?」
「はい。三国会議への出席ですね」
「え?」
「エウィ王国では聖女も参加します」
「へぇ」
三国会議とはよく分からないが、重要な会議なのだろう。と言ってもソフィアは、聖女を剥奪された身だ。
フォルトには関係ない話だと思われるが……。
「ふふっ。お飾りですよ。剥奪の件を他国は知りません」
「なるほどね」
「と言ったわけでフォルト様」
「はい?」
「私の護衛をお願いしますね」
「え? ええっ!」
新たな聖女さえいれば、三国会議にはその人物が参加すれば良かった。しかしながら未だに決定していないので、今はまだソフィアが聖女として扱われるらしい。
護衛ということは、双竜山の森から出なければならないのだ。しかも要人の護衛などやってこともないので、とても嫌な表情に変わる。
「無理ですって!」
「あら。フォルト様は私を庇護しているのでは?」
「あ……。そっそうですが!」
「デルヴィ伯爵も参加するからのう」
「はっ、嵌めましたね?」
「まさか。新たな聖女を決定していない聖神イシュリルのせいですね」
「くっ!」
「御主人様! 頑張ってくださーい!」
カーミラの笑顔が眩しいが、今はそれどころではない。
これは、由々しき問題だった。
フォルトは双竜山の森から、絶対に出ないと決めているのだ。数カ月に一回だけ、ビッグホーンを仕留めるだけにしたかった。
それでも、彼女を庇護すると決めたのは自分である。彼女が森の外に出るなら、やはり守る必要があるだろう。
そしてこの無理難題について、頭を抱えるのだった。
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