ニャンシー日記2
魔界のどこかに広がる岩場。
大小さまざまな岩が転がる中、ひときわ大きな岩の上にニャンシーは座していた。魔人フォルトの眷属になって、ケットシーの女王になったからだ。
「妾の命令が聞けぬというのか!」
ニャンシーの眼下には、そこらじゅうに猫のような形をした影がいた。
これらは、魔界の魔物ケットシーだ。とはいえ、どの個体も彼女を見ていない。お腹を出して寝ていたり、蝶々《ちょうちょ》らしき何かを追いかけている。
(やはり無理じゃのう。妾の命令に従うケットシーなんぞおらぬ。逆に妾とて女王になる前なら同じじゃな。ただの名乗りじゃからのう)
女王とは、ニャンシーが勝手に名乗っているだけだった。
確かに魔人の眷属となったことで、彼女の能力は上がっている。名乗っても差し支えないのだが、ケットシーの中では無意味なのだ。
とにかく自由奔放すぎるので、命令を聞いているか定かではない。
「さりとて、主のために頑張らねばならぬのじゃ!」
「「ニャー」」
「ふむ。手伝っても良いとな?」
「「ニャー、ニャー」」
「物質界の魚じゃと? まぁ主の屋敷には有り余っておる」
「「ニャニャー!」」
「一カ月分か。今は持っておらぬゆえ、後払いじゃ!」
「「ニャー!」」
大量にいるケットシーの中から、十匹の有志が声を上げてくれた。
フォルトの食料――事後報告――を持ち出すことになるが、ニャンシーの話に乗ってくれたのは有難いことだ。
これで、主のために働けるだろう。
「では、デルヴィ伯爵領とやらに行っての。情報収集じゃ!」
「「ニャー?」」
「場所が分からぬとな? そうじゃったな」
物質界とは人間や亜人など、様々な生物が混在する世界。
つまり、フォルトたちが暮らす世界である。他の世界と比べると広大で、多くの物質が存在していた。
また物質界と他の世界は、密接に結びついている。だからこそ世界が狭い魔界を通ると、物質界より速く目的地に到着できた。
そして魔界にいる魔物は、物質界の特定の場所など知らない。手伝うと言っても、どう手伝って良いかも分かっていなかった。
ニャンシーの言葉が足りなさすぎたか。
「仕方無いのう。妾についてくるのじゃ!」
「「ニャー!」」
(やれやれじゃ。まぁこれで主の望みが叶うのう。影の中のケットシーなど、誰も気付くまい。妾たちの能力を、存分に発揮してやるのじゃ)
魔界は空は、常に夕闇のような色をしている。
その中を黒い猫らしき魔物たちが、颯爽と走っていく。
ケットシーは魔界だと弱い部類だが、あまり攻撃されないのが特徴だった。敵を感知したら、影の中に逃げてしまうからだ。魔界は物質界以上に弱肉強食なので、そういった能力でも無ければ生き残れない。
「この印じゃの」
魔界から物質界に向かうには、「印」と呼ばれる扉を通る。
扉は個人で設置できるが、物質界に召喚された者しか作り出せない。他にも様々な制限があって、簡単には世界を移動できなかった。
そしてニャンシーを先頭に、今回使う「印」まで移動してきた。
新天地を探しているときに設置してあったのだ。
「「ニャー」」
「うん? 数が減っておるではないか。まったく気まぐれじゃのう」
「「ニャニャ?」」
「大丈夫じゃ。減った分はお主らの働きによって増量してやるのじゃ!」
「「ニャー!」」
個人が設置した「印」は、基本的に本人のみが通過できる。といった制限があるとはいえ、同族なら通過が可能だった。
つまり、ここまで連れてきたケットシーを眷属にすれば良い。
(すでに眷属である妾が同族を眷属にすると、レベルが下がって戦闘力が半分になるからのう。じゃが我らは……)
眷属の眷属になった魔物は、かなり弱体化してしまう。しかしながらそういった制限があっても、ケットシーには有利である。
種族スキル『影潜行』などの能力が消失するわけではないのだ。
ただし問題は、自由奔放なケットシーが「眷属になってくれるか」だった。
「眷属でなければ、この先には向かえんのう」
「「ニャ?」」
「妾の眷属になれば、物質界に向かえるのじゃ!」
「「ニャニャニャニャ!」」
「話が違うとな? 違わぬぞ」
「「ニャ?」」
「眷属にならねば、妾が設置した「印」を通れないだけじゃ」
「「ニャア?」」
「簡単であろう? 印を通れば、物質界の魚が手に入るのじゃ!」
「「ニャニャ!」」
「おおっ! 分かってくれたかの? では早速……」
とりあえず眷属にするには、お互いが心から同意すれば良い。
たとえ魚が目当てだったとしても、それによって魔力の器が繋がる。物質界での活動も容易になるだろう。
また脱落したケットシーは三匹なので、ニャンシーは七匹の眷属を得た。
(妾が言っても詮無いことじゃが、口車に乗りやすいのう。まぁよい)
「では向かおうぞ!」
「「ニャー!」」
ニャンシーたちは「印」を通って、デルヴィ伯爵領の近くに出た。名称など知らないが、大きな壁に囲まれた町が見える。
こういった町にはそこかしこに建物が並んで、人間が通れない場所もある。有体に言えば影の宝庫なので、スキル『影潜行』を使えば発見されないだろう。
そして眷属とは、視覚や意識が共有できる。弱体化しているので距離は限られてしまうが、この程度の町なら途切れない。
ともあれ町の中に移動して、狭い路地裏に入った。
「お主たちにやってもらいたい仕事じゃがのう」
ニャンシーは片手で頬を擦りながら、眷属の七匹を並べる。
彼女は耳と尻尾を除けば、人間の姿で通る。しかしながら、他のケットシーは影猫の状態だ。人間の前に出ると、魔物として騒がれてしまうだろう。だからこそ発見されないように、細心の注意を払う必要がある。
そのあたりを念入りに言い含めて、指令の内容を伝えた。
「「ニャ」」
「良い子たちじゃのう。では散ってゆけ」
「「ニャー!」」
眷属のケットシーたちは、指定された人物を探すために散った。
まだ時間的余裕はあるが、早めに情報収集を開始する。ニャンシー自身も、他にやることがあるのだ。
そして周囲を見渡した彼女は、再び魔界に戻るのだった。
◇◇◇◇◇
魔界を走るニャンシーは、障害物を避けながら考える。
自らと同様に、主人の眷属となったルーチェのことだ。レベルがかけ離れているので、魔界で戦えば消し炭にされてしまう。
(まさか妾の後輩が、あのデモンズリッチとはのう。世にも恐ろしい上級悪魔で、しかもアンデッドじゃぞ? 毛が逆立つというものじゃ!)
改めてニャンシーは、魔人フォルトの眷属になれたことを喜ぶ。
ケットシーのような弱い魔物など、ほとんどの場合は使い捨てだった。にもかかわらず、自身を一番に眷属として重用している。
それに主のシモベはリリスなので、サキュバスを選択しても良かったはず。
これを喜ばずに何を喜ぶのか、だ。
(それにしても、ルーチェは忠義が厚いのう。受肉したのは羨ましいが、妾は今の姿をもらったのじゃ。十分じゃな)
ニャンシーの姿は、猫耳と猫の尻尾がある少女である。また白いもふもふ付きレオタード・猫手のグローブ・猫足のブーツも、召喚前にイメージしてもらった。
フォルトの趣味が分かろうというものだ。
「よし! 到着じゃな」
ニャンシーは「印」を使って、魔界から物質界に戻った。
もちろん、デルヴィ伯爵領ではない。彼女は別の仕事を遂行するために、今は眷属たちと離れている。
そして近場の影に潜り込んで、目的の人物がいそうな場所に移動した。
「お父様、私は結婚なんて嫌です!」
「そうは言ってものう」
移動先では、人間の男女が会話をしていた。
一人は身なりが良く、頭に王冠をかぶっている男性だ。ニャンシーには名前など分からないが、女性は目的の人物だと思われる。
会話の内容から察すると、どうやら親子のようだった。
(部屋は合っていたようじゃ。あれが第二王女かのう?)
ニャンシーは別件で、隣国のカルメリー王国に訪れたのだ。
移動した先は王城内で、今も影に潜りながら聞き耳を立てている。
男性は国王で、女性は第二王女のミリエだった。人物のいる場所さえ分かっていれば、隠密能力の高いケットシーなら容易に発見できる。
主人のフォルトからは、とある人物の妹だと聞いていた。
「しかしのうミリエ、デルヴィ伯爵の機嫌を損ねれば……」
「分かっておりますが、ミリア姉さまのことを考えてください!」
「うーむ。ワシも同じ気持ちだがな」
「いくら属国とはいえ、お父様は気弱すぎまする!」
「そうは言ってものう」
「その口癖はどうにかなりませんの?」
「そうは言ってものう」
「はぁ……」
ニャンシーにとって、会話の内容はどうでも良い。知りたかったのは、第一王女であるデルヴィ伯爵夫人ミリアの姿だった。
おそらくは王城内に、第一王女の人物画があるだろう。
顔を知らないのだから、妹であれば似ていると思われた。だからこそカルメリー王国まで足を伸ばして、先に第二王女の顔を見ておくのだ。
(ふむふむ。主が好きそうな顔立ちじゃが、まぁ一番の好みは妾なのじゃ! この姿が物語っておるからのう)
ケットシーは召喚主の脳内イメージに合わせて、その姿を変えて現れる。
ニャンシーの姿は、フォルトの好みと思って差し支えないだろう。とはいえ、人の好みは様々である。彼女の場合は猫を擬人化させたイメージなので、恋愛対象の好みとはちょっと違う。
本人は気付いていないが……。
「とにかく! 引き延ばせるだけ引き延ばしてくださいませ!」
「そうは言ってものう」
「その口癖で延ばせますわよ」
「そうかのう」
(妹の顔は記憶したからもうよいの。では第一王女の人物画を探してから、伯爵領に戻るとしようぞ)
フォルトの指令を完全遂行するため、ニャンシーは王城内を駆け巡った。
当然のように影の中を移動しているので、誰からも発見されることはない。目的の絵画もすぐに発見して、ミリアの姿を記憶する。
そして魔界に戻り、デルヴィ伯爵領へと向かった。
「待たせたの。では仕事ぶりを確認しようかのう」
急いで戻ったニャンシーは、最初の路地裏で眷属たちを集めた。続けて命令を遂行していたかを確認するために、腕を組んで問いかけた。
ともあれ仕事ぶりには、若干の不安がある。
「「ニャー」」
「なに? 日向ぼっこをしておったとな?」
「「ニャー!」」
どうやら、命令を遂行していなかったようだ。
さすがはケットシーと呆れるべきか。はたまた、こっぴどく怒るべきか。眷属になっても自由奔放である。
ニャンシーはサボらずに、主の指令をこなしているが……。
(言っても無駄じゃな)
「路地裏にいて日向ぼっこでもあるまい」
「「ニャニャ!」」
「魚が食いたいじゃと?」
「「ニャ、ニャニャ、ニャア」」
「仕方無いのう。一匹ずつじゃぞ?」
「「ニャー!」」
「その代わり人間に気付かれたら、妾からの褒美は無しじゃ!」
その言葉を最後に、すべてのケットシーが再び散開した。
そして、彼らが狙っていたであろう民家や食堂に侵入している。とてもすばやい動きなので、ニャンシーは苦笑いを浮かべた。
魚が絡むと、途端に動きが良くなる。
「腹が空いては戦はできぬか。戦などしないのじゃがのう」
監視していれば命令に従ってくれるが、勝手気ままに行動するのは勘弁だ。しかしながら眷属にして間もないので、統率は難しいようだ。
最低限の働きをしてもらえるだけでも有難いと思うべきだろう。
「後は共有した意識を使って……」
今から行うのは、ケットシーが発見した人間の確認である。
眷属との意識共有で、彼らが見たものが映像として頭に流れ込んでくるのだ。さすがにまとめては確認できないので、一匹ずつ意識を繋げる。
ちなみに眷属たちが探しているのは、フォルト好みの女性奴隷だった。
「ニャ!」
「可愛らしい娘じゃが奴隷ではないのう」
「ニャ!」
「性別は合っているが、ちと年齢が高いのじゃ」
「ニャ!」
「残念ながら胸がデカいのう。却下じゃ」
「ニャ!」
「ふむ。映像がぼやけておる。次からはよく見るのじゃぞ?」
「ニャ!」
「なかなかじゃの。候補に入れておくのじゃ!」
「ニャ!」
「墓場に奴隷はいないじゃろ。それはゾンビじゃな」
「ニャ!」
「お主好みの猫を探してどうするのじゃ!」
意識共有で送られてくる映像が、ニャンシーの頭に流れ込んでくる。とはいえ、彼女からの指令を間違えたケットシーもいた。
困ったものだが、まだ情報収集を開始して数時間である。
(数日もやっておれば問題無さそうじゃ。妾のほうは葬儀後で良いじゃろうな。それにしても、主からの呼び出しがないのう)
ニャンシーが新天地を探してるときには、フォルトに何回も呼び戻されている。
その内容は、どうでも良い内容だった。「一緒に食事をしよう」や「もふもふ成分の補充」などである。にもかかわらず、今回はそれが無かった。
「忘れられている? わけはないのじゃあ!」
「何の声?」
さすがに声が大きかったのか、建物の窓を開けて人間が顔を出した。
フォルトからは、「人間に発見されるな」と言われている。自分が命令を違えては眷属に示しが付かないので、ニャンシーは急いで影の中に飛び込んだ。
そして今後に一抹の不安を覚えながら、周囲を警戒するのだった。
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