聖女剥奪5
デルヴィ伯爵領。
エウィ王国が治める領土の北東に位置している。大国のソル帝国とともに、亜人の国フェリアスと国境を接していた。
また同王国の南方には小国群が乱立しており、その内の一つカルメリー王国には従属関係を強いている。
「聖女任命の神託はまだなのか?」
「まだですな。しかしながら、候補者の神託は賜りました」
大きな屋敷の一室で、二人の男性が会話している。
そのうちの一人はデルヴィ伯爵。ローイン公爵に遅れを取ったが、エウィ王国では三番目の実力者だ。
もちろん一番は、国王であるエインリッヒ九世である。
宮廷魔術師グリムの地位は特別で、実力的に見れば、公爵家と同等となっている。とはいえ貴族ではないので、国王のさじ加減一つだ。
「枢機卿殿、それは本当か?」
「はい。神託の内容は伏せてあります」
「ありがたい。近いうちに、女の怪我人が出るかもしれぬな」
「お気の毒さまですな。上級の信仰系魔法が必要で?」
「そうだな。乳房が潰れておるかもしれぬ」
デルヴィ伯爵の対面に立つのは、五十歳ぐらいの壮年男性。
聖神イシュリル神殿のシュナイデン枢機卿である。神殿勢力では教皇が最上位者なので、二番目に偉い人物だ。
「候補者は誰だ?」
「一人は、隣国カルメリー王国の第二王女ミリエ様です」
「むっ。ミリアの妹か」
デルヴィ伯爵夫人のミリアは、カルメリー王国の第一王女である。
現在は十七歳。属国の支配を円滑に行うために、人質がてら取りあげた姫である。エインリッヒ九世の側室ではなく、領土が近い自身の妻とした。
そして、話題に上がった第二王女ミリエは十五歳。
ちなみに三姉妹なので、第三王女としては十四歳のミリムがいる。
「もう一人は、我が神殿の女神官ラキシスです」
「うーむ。候補者が二人、か」
「はい。どちらも聖神イシュリルの敬虔な信者でありますれば……」
「さて、どうしたものか」
聖女に選ばれた者は、王族の近辺に身柄が移される。
以降は国王から命令されるがままに、勇者召喚や異世界人の面倒を見るのだ。
ソフィアの場合は、特殊な環境下にいた。宮廷魔術師グリムの孫娘として、王国領内を自由に移動できている。
要は後見人が国王の側近なので、特例で認められていた。
(属国の姫が聖女候補とは、聖神イシュリルは何を考えておる? 従属させる前であれば攻め込まねばならなかったぞ)
デルヴィ伯爵は、渋い表情に変わる。
神の御心など分からないが、通例ではエウィ王国の民が選ばれていた。今回は取りあげれば済む話だが、他国の人間を指定されてしまうと困る。
戦争や拉致などの強硬な手段を用いることも辞さないからだ。多大な損失を覚悟してでも手に入れるのが、王国の国是だった。
「まぁよい。だが問題はあるぞ」
「はい?」
「第二王女のミリエが聖女になれば、属国の地位が上がる」
「そうでしょうな」
「他の伯爵家に渡すのも拙い」
属国のカルメリー王国は、宗主国のエウィ王国に逆らえない。
このまま何もしなければ、国王は適当な伯爵家にミリエを嫁がせるだろう。だがそうなってしまうと、デルヴィ伯爵の権力が脅かされる。
阻止するなら、聖女が選ばれる前に手を打たなければならない。
「仕方あるまい。ワシの妻は病死だ」
「何と仰いました?」
「ミリエ姫を、ワシの妻とする」
「側室ではなく?」
「第一夫人でなければ意味は無い。また姉妹を娶っているのも体裁が悪いな」
「確かに……」
デルヴィ伯爵はすまし顔だった。
たとえ妻を切り捨ててでも、自身の権力を増大させることを厭わない。
これは、非情で残酷な決断だ。にもかかわらず、神の信徒に臆面もなく伝えた。しかしながらシュナイデン枢機卿は、薄い笑みを浮かべている。
手を組んでいる理由の一つだ。
「ワシはカルメリー王国を愛しておる」
「御冗談を……」
「存続させてやるのが、ワシの務めである」
「カルメリー王国は安泰ですな」
「枢機卿殿も、我が妻が好きであろう?」
「お若くてお奇麗ですからな」
「では、そういうことだ」
「おこぼれを頂戴致しまする」
聖女の候補者であるミリエを、デルヴィ伯爵の妻にする。聖女を家族にしてしまえば、今よりも権力が増大するだろう。
最後の懸案は、女神官のラキシスである。とはいえこちらは、簡単に片が付く。巡礼の旅に出して、野盗や盗賊にでも襲わせれば良い。
「ラキシスとやらは監禁せねばなるまい」
「まだ候補の段階ですからな」
「聖女に選ばれたら、ワシの兵が救出する」
「選ばれなければ?」
「妻と同じ部屋でよかろう」
この会談後、デルヴィ伯爵夫人ミリアは病死と発表される。
そして喪も明けぬうちに、カルメリー王国に婚姻の使者が向かった。しかしながら当の妻は、秘密の屋敷で地下室に監禁してある。
その目的は……。
◇◇◇◇◇
フォルトは屋敷の中にある談話室で、椅子に座りながらルーチェを眺めた。デモンズリッチの彼女には、魔の森で山の管理を任せている。
そして、とあるものを取り寄せたので戻ってもらった。
「主様、これは?」
「うむ。男装だな」
「男装ですか?」
「似合っているぞ」
「ありがとうございます」
ルーチェに渡したものは、魔法学園の男子用制服だ。
グリムに伝えて、わざわざ取り寄せてもらった。当然のように、フォルトの目の前で着替えさせている。
彼女はショートカットのうえに、顔立ちが整っているのでよく似合う。胸の大きさを強調するように第二ボタンまで開けて、谷間を見えるようにしていた。
たわわなものは趣味から外れるが、アバターとしては映えている。
「そうそう。例のものが完成したって?」
「はい。音を入れる魔道具です」
笑みを浮かべたフォルトは、ルーチェから木製の腕輪を受け取った。
この腕輪はサイズ調整の魔法付与がされており、誰でも問題なく装備できる。また作製した目的としては、アーシャに渡すためだった。
ダンス好きの彼女が、無音で踊っているのがシュールなのだ。ならばと音楽を入れてもらって、バックミュージックを流す予定である。
「よく作れたな」
「こちら世界には似たような魔道具があります」
「なるほど」
ルーチェが言った魔道具は、貴族や大商人が所持するオルゴールだ。
日本のそれとは違って、高級品として取引されている。記憶させた音楽が聴ける代物だが、性能的には一種類が限界だった。しかしながら彼女が作製した腕輪は、数種類を記憶できる。
そしてフォルトは、腕輪の性能を確認するために口ずさむ。
「てれれれん、てれん、てれってって」
「――――てれれれん、てれん、てれってって」
まさに、フォルトが望んでいた魔道具だ。
音ズレも無く、キチンと音を奏でていた。
「うん。完璧だ。よくやった」
「お褒めいただき、光栄です」
「褒美は何が欲しい?」
「いえ。主様に仕えるのが、眷属の役目です」
「そういうものか?」
「はい」
眷属は主人に対して、無償の奉仕をする。
どのような精神構造かは分からない。とはいえ深く考えるのが面倒なので、フォルトは納得しておいた。
ルーチェの場合は受肉までしたので、特に顕著だった。何を命令しても、文句を言わずに遂行する。
ニャンシーの場合は、ブツブツと文句を言いながらもやる。
「魔の森はどうだ?」
「変わりありませんが、人間が近づいているようです」
「ふーむ」
「ですが決められた境界線は越えていません」
「グリムの爺さんが飛び地にしたからな」
「境界線を越えた人間はどうしましょうか?」
「そうだなあ。ルーチェで追い返せる?」
「楽とは言い難いですが……。可能だと思います」
さすがのルーチェでも、ドライアドのような特殊能力は無い。魔の森を迷いの森に変えて、人間を追い返すことはできない。
ただしデモンズリッチとして、多くの魔法を習得している。ならば問題なく、フォルトからの命令を遂行できるだろう。
そんなことを考えていると、ソフィアが談話室に入ってきた。
「フォルト様に呼ばれたと聞きましたが?」
「あぁソフィアさん。こちらに……」
ソフィアを呼んだのは、ルーチェを紹介するためだ。
もちろん、眷属にした経緯も伝えた。するとソル帝国の女性を殺害して受肉させたことを知って、彼女は顔をしかめる。
それでも本人が宣言したとおり、フォルトに対しては何も言ってこなかった。相変わらず好感が持てる女性で、思わず自虐に入りそうになる。
ともあれ話が進まなくなるからと、話題を変えてしまう。
「ソフィアさんに質問があるけどいいかな?」
「どうぞ」
「こちらの世界って、音楽はあるの?」
「ありますよ。宮廷楽団や聖歌隊もいます」
「へぇ。楽団……」
「何か?」
「演奏してもらうと高いでしょうね」
「そうですね。旅をしている楽団でも、それなりにはします」
「ふむふむ」
楽団が存在することは、さして驚きではなかった。
中世の欧州では珍しくないからだ。社会的にも重要な役割を持っており、中世以前においても親しまれている。
もちろん楽団がいたところで、怠惰なフォルトには何もできないが……。
(森には呼びたくない。俺から会いに行くつもりがない。でもバックミュージックがアーシャの鼻歌じゃ締まらないなあ。いったん保留かな?)
双竜山の森は、フォルトが身内と安らげる場所。
グリム家以外の者は、森に立ち入ることを遠慮してもらいたい。
「ちなみにですが、ソフィアさんの特技が音楽とか?」
「いえ。残念ながら……。フォルト様は音楽に興味があるのですか?」
「これね」
得意満面の笑みを浮かべたフォルトは、ルーチェから受け取った腕輪を使う。と同時に、先ほど入れたものが流れだした。
そして自分の声は嫌いだったと思い出して、苦笑いに変わる。
「――――てれれれん、てれん、てれってって」
「まあ!」
ソフィアの驚いた顔は、とても可愛い。
それに気分を良くしたフォルトは、頬の筋肉を緩めながら話を続ける。
「この腕輪に、リズムのいい曲を入れたくてね」
「魔道具ですか?」
「ルーチェが作ってくれたのです」
「凄いですね!」
「すべては主様のためです」
フォルトのためとはいえ、実のところルーチェの趣味も入っていた。
魔道具の研究に熱心で、家の中に籠って――亜人の管理をしながら――試行錯誤している。ある意味では、引き籠りの仲間と言っても良いだろう。
そして会話も終わり、彼女は魔の森に向かった。もう少し様子を見て管理に問題が無ければ、双竜山の森に戻しても良いかもしれない。
とりあえず間が空いてしまったので、ソフィアと雑談を始めた。
「ところでソフィアさん」
「何でしょうか?」
「聖女を辞めたら何になりますか?」
「え?」
本来のソフィアは魔法使いである。
もちろん、魔法使いと言っても千差万別だ。学習塾を開くのも良いし、魔法学園の先生を目指すのも良い。
それこそ祖父と同じ道に進んで、国家を担う宮廷魔術師でも良いだろう。
ただし、この質問に意味は無い。フォルトは単純に、他人の進路が気になっただけである。答えを返されても、素っ気なく終わりそうだ。
「そう言われると、特に考えていなかったですね」
「あっそ」
「え?」
「あ……。つい……」
さすがに素っ気なさすぎる。
これにはソフィアが、頬をプクッと膨らませた。
「もぅ。聞かれたのはフォルト様ですよ?」
「あ、はは……」
「でも確かに、明確な目標があったほうが良かったですね」
「そうですか?」
「気付かせていただき、ありがとうございます」
ソフィアの言ったとおりだ。
フォルトの場合は、人生の目標を決められなかった。子供の頃の夢など忘れて久しい。ダラダラと年齢だけを重ねた結果が、氷河期世代の引き籠りである。
「後悔しなければ何でもいいと思うよ」
「ふふっ。色々と考えてみます」
ソフィアと会話していると、今度はカーミラが談話室に入ってきた。
その手には、色鮮やかな高級布を持っている。
「御主人様! ただいま戻りましたぁ!」
「いい色だ。問題無かった?」
「はい! 他の布は、レイナスちゃんに渡しましたぁ!」
「フォルト様、その布は?」
「色彩が欲しくてね」
グリムからは、白い高級布が届いていた。
それは良いとして、フォルトの身内には華やかさが欲しい。だからこそ、色鮮やかな布が必要なのだと力説する。
ともあれ残念ながら、ソフィアが問いたいのは違うことだった。
「いえ。どこで手に入れたのですか?」
「帝国からですね」
「え?」
「王国で奪うのを止められたので、帝国から奪わせたのです」
「なっ!」
ダマス荒野を越えれば、ソル帝国の町がある。
悪魔のカーミラなら飛行が可能であり、スキルで『透明化』が使える。ならばフォルトの欲しいものは、帝国から奪うまでだった。
「王国ではないし……。いいよね?」
「私は何も見ていません!」
「見て見ぬふりはいけないな。ソフィアさんにも服を作りますよ」
「え?」
「ほら。ソフィアさんは着替えが少ないですよね?」
「そうですけど……」
「下着も、ね」
「っ!」
いくらエッッッッグいパンツでも、色は白である。
先日の件を思い出したのか、ソフィアは股間を両手で押さえて座り込んだ。実に初々しくて、フォルトの顔はだらしなくなる。
すでに白いパンツは、目に焼き付けてあるのだ。
カーミラが奪ってきた色とりどりの布があれば、更にエグさを増して、彼女にプレゼントできる。布の仕入れ先など些細な話だ。
そして、アーシャの風属性魔法に期待しておくのだった。
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