聖女剥奪4
青紫蘇茶をテーブルの上に置いたフォルトは、頬をポリポリと掻く。次に髭も生えていないのに、顎を擦って思考を巡らせる。
もうドライアドには用が無いので、視線を送って退席させた。
(さて、どうしたものか)
ソフィアを守るだけなら問題無いだろう。現在は身内が五人で、庇護は一人だ。もう一人増えてたところで、大した差ではない。
この場合の問題は、庇護したときの対応だった。
まず彼女には、フォルトが魔人だと知られてしまう。もちろん毎日顔を合わせるのだから、カーミラも同様に隠しきれない。
そして、デルヴィ伯爵の思惑も気になる。
現在の地位はグリムのほうが上らしいが、国内では有力貴族の一人だ。今回の件は最悪を想定しているとはいえ、本当に何をしてくるかが読めない。
「グリムの爺さんで、デルヴィ伯爵を抑えられないの?」
「やるだけはやるがのう」
「侯爵に昇爵しそうなのだ」
「え?」
「侯爵になってしまうと口を出せなくなるわ」
「味方になる貴族も増えるのだ」
「領地が増えると、私兵も増えるからのう。内乱など避けたいのじゃ」
「そこまで話が大きくなるのかあ」
「うむ」
ソネンとフィオレの補足もあり、フォルトは状況が飲み込める。
魔の森が国王の直轄領になるからと、デルヴィ伯爵の領地を広げる。となると侯爵に格上げをして、完全に委任することになるそうだ。しかも、ローイン公爵とのバランスもあるらしい。
侯爵の地位は、グリムと同格かそれ以上である。だからこそ更なる権力を求めて、強硬な策を執る可能性は高い。
そのダシとなるのが、聖女を剥奪されたソフィアなのだ。
「面倒だから殺しちゃえば?」
「無理じゃな。噂はともかく、エウィ王国には必要な男じゃ」
「ふーん」
「王国を第一に考えると、むやみやたらに殺せないわ」
「そういうものですか?」
「貴族のみならず、他国にも影響力が大きい男なのだ」
「デルヴィ伯爵が逝去すると、ソル帝国は万歳三唱じゃな」
(国に仕えていると大変だなあ。家族を守れないなら、エウィ王国なんて捨てちゃえばいいのにな。まぁ俺には関係無いけど……)
グリムは寿命を延ばしてまで、エウィ王国に尽くしている。
思い入れは強いのだろうが、その件についてフォルトはとやかく言えない。苦渋の決断なのは分かっている。
それでも、最後に確認しておくことがあった。
「ソフィアさんを庇護するにあたって、俺から条件があります」
「何じゃな?」
「まず、俺はソフィアさんと真逆の人間です」
「今までの件を言っておるのかの?」
「ですね。ソフィアさんが嫌がったら帰ってもらいますよ」
今のフォルトは、人間を見限った魔人である。
逆にソフィアは、人間に期待しているだろう。考え方や対応が真逆なのだ。となると両者が一緒に暮らしても、精神的な苦痛になるだけである。
ギクシャクするようなら、グリム家に帰ってもらったほうが良い。
「うーむ」
「次に結婚はしません。するつもりがないので……」
「俺の娘に!」
「あなた、最後まで聞きなさい」
「あ……。はい」
妻のフィオレに、ソネンは頭が上がらないようだ。
フォルトは「尻に敷かれるぐらいが丁度良い」という言葉を思い出して、苦笑いを浮べながら先を続ける。
「最後に。俺の庇護下とするなら、彼女に手を出した者は殺します」
「むっ!」
「デルヴィ伯爵でもか?」
「誰でもです。王様でもね」
カーミラを含めて、身内となった者たちは大切な存在である。
彼女たちが害されるようなことがあれば、たとえ誰であろうとも許さない。すでに人間を殺したことがあり、躊躇無く魔人の力を振るうつもりだ。
そして同様に、シェラを守るのは当然だった。庇護を受け入れるとは、そういうことなのだ。ならばソフィアも、その対象となる。
これは、フォルトの信念なのだ。
「陛下に対して不遜じゃのう」
「王様に敬意は払っていませんよ。俺は国民じゃありません」
「どんな手を使ってでも、我らの娘を守るのだな?」
「ふふっ。気に入りましたわ」
「勘違いしないでくださいね。俺の中で決めているだけです」
「ローゼンクロイツ家の姉妹も同じということじゃな?」
「ですね。俺と、俺の身内に手を出したらって話です」
これらの話は、フォルト自身の自堕落生活を守るためでもある。
身内の彼女たちは、精神的にも肉体的にも必要なのだ。エウィ王国の未来など知ったことではない。
信念を曲げたら、自分という存在の否定でもある。
「決まりじゃな。数日のうちに連れてくるとしようかのう」
「部屋を用意しておきますよ」
「長引くようなら森に来るからな! 我らも父上と同じようにしろ!」
「はぁ……。分かっていますよ」
「娘をよろしくお願いしますわね」
グリムたちは忙しいようなので、すぐに帰っていった。
ソフィアの抜ける穴を埋めるのだろう。もしくは、子煩悩なだけかもしれない。ソネンとフィオレを見ていると、その可能性は否定できない。
そして寮タイプで建てたフォルトの屋敷には、空き部屋が結構ある。
ともあれ彼らを見送った後は、再びテラスでカーミラと過ごす。
「カーミラはどう思う?」
「御主人様が触ってくるので気持ちが良かったですよぉ」
「いや。そうではなく……」
「えへへ。これも遊びでいいんじゃないですかぁ?」
「遊びかあ」
(デルヴィ伯爵や国王にしても、俺に手出しはできない。もしできたとしても、すべてを叩き壊せる。こういったセーフティがあるから気楽だなあ)
名前は思い出せないが、フォルトは初めて殺した人間を脳裏に浮かべる。憤怒に囚われたとはいえ、たった一つの魔法で、体の内部から木っ端みじんと化していた。
カーミラの元主人から受け継いだ膨大な魔法やスキル。
その中には、広範囲に爆発させるものも存在する。もちろんそれを、短絡的に使用するほど子供ではない。面倒事になるだけだと分かっている。だが最終手段があると知っていると、心に余裕が生まれる。
強者が弱者をいたぶるではないが、弱肉強食の世界だ。彼女が言ったように遊びと思うことで、永遠という暇を楽しむのも一興だろう。
「この結末がどうなるかは楽しみにしておくか」
「はあい!」
カーミラは笑っていた。
悪魔の彼女は、人間が悪に傾きやすい種族と知っている。ちょっと後押しするだけで、簡単に悪へと堕ちるのが人間だ。
もしかしたら、そのちょっとを期待しているのか。
そんなことを考えたフォルトは、彼女の体を抱き寄せるのだった。
◇◇◇◇◇
数日後。ソフィアが予定通りに、フォルトの屋敷を訪ねてきた。
幸いと言って良いのか。今のところ、グリムたちが予想していることは起こっていない。しかしながら、最悪を想定しての判断である。
まだまだ先の話だろうが予想が外れれば、それに越したことはない。
「その表情は……。着てますね」
「っ!」
フォルトと出会った瞬間に、ソフィアは顔を真っ赤にしていた。
本当に律義である。あのエッッッッグい下着をセットで着用しているようだ。とても、本当にとても残念だが、それを拝むことはできない。
ここは、彼女の反応を楽しんだことで良しとする。
「お、お世話になります」
「部屋は用意してあるので気軽に使ってください」
「はっはい!」
「それと、庇護する前に言っておくことがあります」
「え?」
「食堂に行きましょうか」
現在、フォルトの身内は全員外に移動してもらった。あらかじめ伝えてあるので、二人の邪魔をすることはない。
食堂ではテーブルの上に、オヤツとお茶を用意してあった。気を利かせたレイナスかルリシオンに感謝である。
そして、ソフィアとは向かい合って座った。
「フォルト様、私に話とは何でしょうか?」
「それを伝える前に、ソフィアさんは魔人って知ってます?」
「あまり詳しくは……」
「知っていることだけでいいですよ」
「全種族の敵。天災級の災害を起こす。数が少ない、などでしょうか」
「ふーん。他には?」
「最後に確認されたのが、憤怒の魔人グリード。以上ですね」
「なるほど。情報はほとんど無いのですね」
「はい。文献や風聞とか……。そういったものです」
魔人の情報は極めて少ない。
それでもソフィアが言ったことは事実であり、文献にも記されている。憤怒の魔人グリードに関しては、マリアンデールとルリシオンも知っている。
五十年ほど前の出来事で、その時代を生きているからだ。とはいえその内容は、先ほどの話と同程度の情報である。
「さてソフィアさん、俺が魔人だったらどうしますか?」
「え?」
「実はこちらの世界に召喚されたとき、魔人の力を受け継いだのですよ」
「なっ!」
ソフィアに伝えられない件は、たった一つだけである。
こちらの世界に召喚されてから、最初に入手したカードの内容だ。レベル五百などと知ったら、さらに驚いてしまうだろう。
フォルトはロッジでの出来事から、今までのことを彼女に話した。当然のように、カーミラが悪魔だという件も伝える。
所々を端折るが、頭の良い彼女なら理解できるだろう。
「もう俺は人間ではないのですよ」
「………………」
「遊びで人間を殺します」
「………………」
「ソフィアさんとは相容れない存在です」
「………………」
「それでも俺に庇護してほしいですか?」
「………………」
「難しい選択ですよね」
グリムの屋敷で罪を告白したときのように、フォルトは淡々と話す。
これらの件は、避けては通れない道である。今ソフィアに伝えなくても、どうせ知られてしまうのだ。
これから一緒に生活するのだから……。
「いえ。庇護してもらいます」
「いいのですか? 目の前で人間を殺すと思いますよ」
「構いません」
「本当に?」
「はい」
フォルトには、何を思っての選択か分からない。ならばとまずはゆっくりと席を立ち上がって、ソフィアの隣に立った。
彼女は微動だにせずに、目を閉じていた。
そして手を頭に置いて撫でると、体をビクっとさせる。
「覚悟はおありのようで。では、その覚悟を見せてもらいます」
「え?」
「俺は身内しか信じません」
「それで?」
「今からソフィアさんを犯します。壊れるまで何度でも、ね」
「っ!」
フォルト自身は、ソフィアに嫌われていると思っていた。
その原因となる出来事は、グリムの屋敷で伝えている。まさか、忘れてはいないだろう。ジェシカとアイナの件は、彼女に嫌悪されて然るべき内容である。
当時は憤怒と色欲に身を任せたが、それらの大罪を持つ魔人を怒らせればどうなるか。いや、一緒にいるだけでも危険なのだ。
それを、彼女に理解してもらう。
「それには及びません」
「はい?」
「わざわざやらなくても……」
そこまで言ったところで、ソフィアも席を立ちあがる。しかもあろうことか、フォルトの腰に手を回して抱きついてきた。
以降は頬を赤らめながら、ゆっくりと見上げている。
「フォルト様を愛していますから……」
「ええっ!」
「これ以上は……」
フォルトは面を食らった。
そんな素振りなど、今までソフィアは見せたことがない。人間と思っていたおっさんを、なぜ愛していたのか理解できない。だがそういった話ならば、彼女を犯す必要は無いだろう。
このまま普通に抱けば、晴れて身内となる。レイナスと同様に調教まで考えていたが、普通に愛を育んでみたいとも思う。
「これは……。いったい?」
「恥ずかしいです」
「本当ですか?」
「………………」
「ソフィアさん?」
「いえ。嘘です」
「は?」
今のフォルトは、誰が見ても情けない顔に変わっただろう。
ここで肯定の言葉が出たら、確実に抱き寄せていた。
「フォルト様の演技が下手なので、私も真似をしてみました」
「え? どこから……」
「隣に立ったときですね」
「………………」
ソフィアからの告白を受けて、フォルトは呆然となった。すると、『透明化』を解除したカーミラが現れる。
どうにも、ばつが悪い。
「御主人様、アウト!」
「ふふっ。だから演技が下手だと言いました」
「………………」
「御主人様? 落ち込まないでくださいねぇ」
「慰めにならん!」
フォルトはショックだった。
ソフィアを騙すつもりが騙された。本来なら覚悟を確認できたところで、「冗談ですよ」と伝えるつもりだった。
彼女の表情は元に戻って、今度はこちらの顔が赤くなった。
「ですが私は、フォルト様を嫌っていませんよ?」
「え?」
「それこそ、私を面倒な女だと思っていらっしゃるのでは?」
「………………」
ソフィアは、ビッグホーンの解体現場で話した内容を持ち出している。
グリムが言った婚姻話の件だ。
そのときと同様の言葉だが、当時はフォルトを嫌っているから「やんわり」と断ったのだと思っていた。しかしながら、嫌われていなかったようだ。
どうやら、勘違いをしていたらしい。
「ふふっ。魔人になったのがフォルト様で良かったです」
「えっと……」
「色々とあったようですが、理性的で会話が成り立っています」
「な、なるほど? でも信じるのですか?」
「信じますよ。それとフォルト様のなさることに、私は口を挟みません」
「人間を殺しても?」
「なるべくなら避けてもらいたいですが、フォルト様にお任せします」
「そうですか」
「人間でないなら、人間の常識を言っても仕方ありません」
「まぁ理解はしていますけどね」
フォルトは元々人間だったので、人間のことを理解しているのは当然だ。だがそれは、行動に制限をかけることにならない。
すでに、人間を見限って堕ちている。
「いま話した内容は、グリムの爺さんにも内緒ですよ?」
「分かっています。伝えたほうが危険ですよ」
「なぜ?」
「隠すものが無くなれば、遠慮も無くなりますからね」
「遠慮するつもりはないですが?」
「ふふっ。私たちを殺していませんよね?」
ソフィアの言葉は、的を射ているかもしれない。
フォルトは何かと理由を付けて、彼女たちに遠慮している節がある。とはいえ、彼ら以外の人間を殺しても気にしないと思う。
このあたりの深層心理は分からない。単純に性格だと割り切ったほうが、精神衛生面から考えても良いだろう。
それにしても、彼女は頭脳明晰で豪胆だ。見た目からは想像もつかない。小動物のように、もっと怯えるかと思っていた。
兎にも角にも、庇護を望まれたのだ。ならばとグリムとの約束通りに、彼女を守ることを決めたのだった。
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