聖女剥奪3
アーシャと一緒に屋敷を出たフォルトは、いつものテラスに向かった。するとレイナスがいたので、彼女は小走りに近づいていった。
そして、カーミラに描いてもらったネイルアートの自慢を始める。
自身は彼女らを横目に、専用椅子に座った。「ふぅ」と溜息を吐きながら隣を寂しく思っていると、愛しの小悪魔が戻ってくる。
実に良いタイミングだ。
「御主人様! レイバン男爵って人は知っていますかぁ?」
双竜山の森に侵入した者を、カーミラがスキル『人形』で操ってもらった。相変わらず便利なスキルで、色々と情報を聞き出したようだ。
もちろん侵入者には、そのまま帰っていただいた。このスキルで操られていた間の記憶は残らないので、何の疑問も持っていないはずだ。
「知ってると思う?」
「ですよねぇ。その男爵って人からの使いだそうですよぉ」
「それで?」
「御主人様を屋敷まで連れていく命令を受けていましたぁ」
「要はパシリか」
フォルトは渋い表情になった。
わざわざ人を使って、双竜山の森から連れだそうとしている。
「そんなところですねぇ」
「俺の名前は知っていたのかな?」
「異世界人って言ってましたよぉ」
「ふーん」
(レイバン男爵なんぞ知らん。やはり面倒事なのか? 俺が人間と会わないのは、グリムの爺さんたちは知っている。なら別の線かな?)
グリムとソフィアなら、双竜山の森に直接訪れる。人を使ってフォルトを呼び出そうとしても、それが届かないことを知っているからだ。
問題はグリム家が異世界人が庇護しているのを、貴族たちは認知しているらしい。しかしながら、個人としては特定されていないようだ。
もちろん、レイバン男爵に呼び出される心当たりは無い。
「レイナス! ちょっと来て」
「はい! ピタ」
フォルトに呼ばれたレイナスは、そそくさと隣に座って体を密着させる。
先程まで訓練をしていたはずだが、実に良い匂いだ。
「レイバン男爵って誰か知ってる?」
「聞き覚えはありませんわね。どこかの町か村の小領主かしら?」
「ふーん」
「レイバン男爵が何か?」
「実は――」
レイナスの肩に手を回したフォルトは、カーミラからの話を伝えた。すると、何を狙っているのかを即座に導き出す。
さすがは、元伯爵家令嬢だ。
「上からの命令か自分の手駒にしたい、と推察しますわ」
「へぇ」
おそらくレイバン男爵は、フォルトの情報をほとんど持っていない。
そして、国王の側近である宮廷魔術師グリムに話を通していない。となると権力が近い者からの命令、もしくはその人物に取り入るつもりだろう。また何度も使者を送り込んでいることから、時間が惜しいのだと思われる。
そうなると、上司からの命令が最有力候補だ。
「そうなのか?」
「ふふっ。レイバン男爵が使える人物かの試験もされてますわ」
「よく分かるね」
「貴族とはそういうものですわよ」
そういった話ならレイバン男爵の上司が不明なので、この問題は棚上げだ。グリムかソフィアが訪ねてきたときに聞けば良いだろう。
とりあえず森の精霊ドライアドがいるかぎり、森からは追い返せる。しかも双竜山からここを目指すと、亜人や魔物に襲われるのだ。
ちょっとした天然の要塞である。
「ここは良い森だなあ」
その一言を発して、フォルトは席を立つ。
以降はアーシャも呼んで、ネイルアートの自慢を聞くのだった。
◇◇◇◇◇
双竜山の森に侵入者した人間の目的が分かった数日後、特に待っていなかったが、グリムがフォルトを訪ねてきたようだ。
ドライアドの報告では、他に二名の人間を同行させているらしい。
その報告を受けたカーミラが口を開く。
「御主人様、追い返しますかぁ?」
「まぁグリムの爺さんのことだ。問題は無いだろ」
「そうですかねぇ?」
「問題があるようなら出禁にする!」
夏と呼んでいた数週間も終わり、現在は過ごしやすい。下着姿の美少女たちは目に激写しておいたので、また次回を楽しみにしている。
フォルトは屋敷の前のテラスが、お気に入りになっていた。日本にいたときには考えられない優雅さである。
まさに森全体が家みたいなものなので、引き籠りは継続中だ。
「あれか」
グリムを先頭に、フォルトの記憶に無い男女が続いている。見たところ害は無さそうなので、そのままテラスで待つことにした。
ともあれ、彼らが近づいたところで声をかける。
「また息抜きですか?」
「お主に紹介したい者を連れてきたのじゃ」
「人間が嫌いだと知ったうえで?」
「うむ。ソフィアの両親じゃ」
「え?」
「あなたがフォルト様ですか? 娘がお世話になっております」
「この男がなあ」
挨拶もそこそこ、男女が自己紹介した。
男性のほうは、グリムの息子ソネン。女性はその嫁フィオレ。どうやらソフィアは母親似のようで、顔つきがソックリである。
そしてフォルトは専用椅子に腰かけながら、彼らに椅子に座るよう勧めた。と同時に、とある件を先に質問する。
「グリムの爺さんは、レイバン男爵を知っていますか?」
「むぅ」
レイバン男爵の名前を口にすると、グリムが険しい表情に変わった。また、ソフィアの両親も同様である。
そこまで険しくなると、シワが増えるのではないかと思ってしまう。
これは何かあると、フォルトに直感が走った。
「面倒事ですか?」
「うむ。何と言ったら良いかのう」
「お茶と茶菓子を持ってきましたぁ!」
「カーミラは気が利くな。まぁお召し上がりください」
グリムが話を切り出そうとしたところで、カーミラがお茶を持ってきた。
このお茶は、塩ダレのアクセントにもなっている青紫蘇を使ったものだ。独特の香りだが、体に良い葉っぱである。
ちなみに、こちらの世界にはレモンが存在した。シトロンという名称らしいが、今はトレントたちに栽培させている。
それが入った青紫蘇茶はさっぱり味になるので、誰でも飲めるだろう。
「それで?」
「きゃ!」
グリムに返答を促すと同時に、フォルトはカーミラを隣に座らせて抱き寄せた。続けて女性特有の甘い匂いと、柔らかい体を堪能する。
来客の対応としては失礼だが、もちろん気にしない。
「レイバン男爵はのう。バルボ子爵に近しい男じゃ」
「バルボ子爵?」
「代々デルヴィ伯爵家に仕えておる子爵家じゃな」
「デルヴィ伯爵と言えば……」
「お主に金貨を渡そうとした男じゃの」
どうやら、侵入者の件については繋がった。
数日前に聞いたレイナスの話から察すると、レイバン男爵の上司はデルヴィ伯爵なのだろう。ビッグホーンの素材の礼として、袋がパンパンになるほどの金貨を渡してきた人物だ。とはいえ金貨は、グリムが気を利かせて高級布に変わった。
「また恩を着せるつもりですかね。着ないけど……」
「近いが違うのう」
「はい?」
「それを話す前に、ソフィアの件を伝えておこうかの」
「ソフィアさんがどうかしましたか?」
聖女剥奪。
真面目な表情に変わったグリムは、ソフィアから聖女の称号が消える件を伝えてきた。またそれに伴って、今後予見される出来事についても……。
フォルトとしては、聖女自体に興味は無い。しかしながら、彼女が置かれている立場は理解できた。
「それは俺に話してもいいのかな?」
「前にも言ったが、お主は隠者のようなものじゃ。関係あるまい」
「よく分かっていらっしゃる」
「お主に接触を試みているとはのう」
「あ、はは……。追い返していますけどね」
「なら確定かのう」
お茶をすすったグリムは、ソフィアの両親に視線を送った。
フォルトにはよく分からないが、聖女剥奪以外に何かあるのか。
「はい。父上」
「やれやれね」
「どういうことです?」
「ソフィアの身に危険があるということじゃ」
グリムの考えはこうだ。
国王エインリッヒ九世は、フォルトを庇護する件を認めていた。その人物に対してデルヴィ伯爵は、レイバン男爵を使って秘密裏に接触を持とうとしている。
本来なら、グリム家に話を通すのが筋だった。
「ふむふむ」
そしてフォルトは、ソフィアと頻繁に会っている。だからこそデルヴィ伯爵は、彼女を害する前に抱き込むつもりなのだろう。
伯爵の趣味は、実益を兼ねるものだ。
自身に近しい人物への褒美と遊びを兼ねていた。またそういった闇の部分に触れさせることで、伯爵を裏切れないようにもできる。
その道具として、彼女に白羽の矢を立てようとしていた。
「クズですね」
「うむ。証拠は無いがのう」
デルヴィ伯爵の黒い噂は、すべて証拠が無い。火の無い所に煙は立たないが、わざと立たせている節もあった。
ここまで会話が進んだところで、ソネンとフィオレが口を開く。
「何もしなければ、ソフィアは異教徒に認定されてしまいますわ」
「デルヴィ伯爵は神殿と懇意にしておるからのう」
「金の亡者同士ってことですね?」
「そうだ。この男は飲み込みが早いですな」
「だから言ったであろう?」
「ですが、可愛い娘をくれてやるなど……」
「はい?」
一瞬にしてフォルトの目は点になったが、ソネンは聞き捨てならない言葉を口にした。彼の娘はソフィアである。
それをくれてやるとは、まったく意味が不明だった。
「お主を訪ねた目的の一つは、ソフィアの両親を会わせるためじゃ」
「なぜです?」
「ワシに何かあれば、この二人がお主を庇護する者じゃ」
「なるほど」
グリムに何かあるとは思えないが、急にポックリと逝く可能性もある。延体の法で老化が遅いとはいえ、老人には違いない。
この話は、フォルトにも理解できる。
「他にも?」
「それじゃ。ソフィアを匿ってくれぬかのう」
「え?」
「ほとぼりが冷めるまででよい」
「デルヴィ伯爵が諦めるまで、ですか?」
「そうだ。しかし、奴に限ってはあり得ないと思っていいぞ」
「ですわね。蛇のようにしつこい御方ですわ」
デルヴィ伯爵は狙った獲物を逃がさない。容易に諦めないことでも有名なようだ。もしかしたら、ソフィアがお婆さんになるまで諦めないかもしれない。
さすがに、お婆さんになるまでは言い過ぎか。
その前に伯爵が、寿命で死ぬだろう。
「どんだけ……。でも考え過ぎじゃないですかね?」
「最悪を想定してじゃ。元でも聖女の肩書は絶大じゃからのう」
「王様に庇護してもらえば?」
「無理じゃ。異教徒の認定を受けた者など庇護できるものか」
「そのままグリムの爺さんたちが守れば?」
「同じことじゃ。ワシの場合はもっと酷いのう」
「………………。ソフィアさんを捨てるということですか?」
「そうじゃ。家族に異教徒がいては、陛下の側近などできん」
「うーん」
グリム家のことを、フォルトは醜いと思わない。三人の顔を見れば分かるというもので、身が引き裂かれるような思いだろう。
そこまで国王の側近が大切か、と首を傾げる話ではある。とはいえ話を持ってきたことで、どちらが大切かは理解できた。
もちろん、ソフィアが一番大切なのだ。
(俺が強いと思っていると言っていたが、高く買われたものだなあ。期待には沿えるだろうが、ソフィアさんはそれでいいのか?)
魔の森からソフィアが持ち帰った情報で、フォルトは強者だと思われている。
そして魔族のマリアンデールやルリシオンもいる双竜山の森は、エウィ王国のどこよりも安全だと答えを出しているのだろう。
そうなると、気になるのは彼女の気持ちだ。
「ソフィアさんは何と? 俺を嫌っていると思いますよ」
「喜んで、だそうじゃ」
「あれ?」
「心情までは知らぬ。お主の近くなら安全じゃ」
「カーミラはどう思う?」
「御主人様の好きにすればいいと思いまーす!」
「そう言うと思った」
「えへへ」
(弱肉強食。強ければ何でもできるか。ソフィアさんなら構わないな。シェラさんが増えるようなもんだ)
ソフィアは魔法使いだが、シスターのような格好をしているのだ。姿格好だけであれば、暗黒神デュールの司祭シェラと被る部分があった。
愛しのカーミラが反対しないなら、別に構わないだろう。
「庇護してもらっているのに、その家族を庇護するとは……」
「ほっほっ。面白かろう?」
「ご両親は賛成されたのですか?」
「不本意だがな!」
「あなた……」
「可愛い娘を嫁に出すのだぞ!」
「はい?」
先程は、ソネンの言葉が聞き捨てならなかった。フォルトは聞き違いかと思っていたが、どうやら合っていたらしい。
これには、話が飛び過ぎていて困ってしまう。
「あ、あのう……。庇護するだけですよ?」
「なに? 俺の可愛い娘を要らないというのか!」
「もらってもいいのですか?」
「不本意だがな!」
「どっちですか!」
父親のソネンは、子煩悩が過ぎるようだ。フォルトは頭を抱えそうになり、「庇護しても毎日のように来るのでは?」とも思ってしまう。
いや。確実に来るだろう。
「俺は四十代のおっさんですよ?」
「強ければ構わん!」
「え?」
「こちらの世界では、歳の差など珍しくもないのですよ」
「え?」
「ちなみにデルヴィ伯爵夫人は十七歳です」
「本人はおいくつでしたか?」
「齢六十を越えていますわ」
「マジ、か」
もちろん、婚姻する男女の年齢は近いほうが望ましい。しかしながら実力のある家に嫁ぐのは、女性の家にとっての幸福なのだ。
貴族などは、その最たる例だった。
もしも男爵令嬢が伯爵夫人になれば、それは子爵家以上の力を持つ。舞踏会があるたびに、娘の売り込みは忘れない。
それが老人であろうとも、だ。
基本的には子息を狙うとしても、当主本人が望むなら構わない。
「しかし、こいつは本当に強いのか?」
「これソネン!」
「実力を見たいものですな」
「面倒だなあ」
「では、ドライアドを呼ぶと良いぞ」
「え?」
「ドライアドですと?」
「ふーん。じゃあ……」
フォルトはドライアドを呼んだが、本来なら言葉にしなくても良い。
眷属たちと同様に、不可視な魔力の糸を使うからだ。とはいえ何でも言葉として出してしまうのは、昭和生まれのおっさんだからか。
ともあれ周囲の草木が伸びると、ドライアドの姿を形作った。
「旦那様、お呼びですか?」
「おっ! おぉ……」
「あなた!」
ドライアドの格好を見て、ソネンが鼻の下を伸ばしている。この精霊はとても破廉恥な格好をしているので、男ならば正常な反応とも言えた。
言えるのだが、後頭部をフィオレに叩かれている。手加減など微塵も感じられず、物凄い音を立てながらテーブルに額をぶつけていた。
それを横目に、グリムがすまし顔で口を開く。
「ドライアドを使役するなど、レベルは察せられるのう」
「痛たたた……。確かに……」
「これならソフィアを嫁に出しても問題はありませんわ!」
「い、いや。嫁は……」
「まあ! 私のソフィアを侮辱するのですか?」
「いやいやいやいや」
母親のフィオレも、ソネンに負けず劣らず子煩悩のようだ。グリムにしても、孫娘を愛しているのが分かる。
フォルトからすると遠い世界の家族なので、蕁麻疹が出そうになった。またそれとは別に、ソフィアの件をどうするか考える。
この好々爺はいつも息抜きだと言って、何かしらの面倒事を持ってくる。困ったものだと思いながら、青紫蘇茶をすするのだった。
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