バグバットの提案1
身内が増えたとしても、フォルトの生活は変わらない。
幽鬼の森に帰還したことで、いつもの自堕落な生活を送っている。日本で最もポピュラーな三大欲求――睡眠欲・食欲・性欲――を満喫していた。
ちなみにこれは、別の欲求を組み合わせた説もあるとか。
ともあれ本日は、健康診断の日だ。
自身の寝室には、女医さんスタイルのシェラがいる。
「最近の俺は無理をしていると思う。健康診断は必須だな」
フォルトはベッドの端に座り、上着のボタンを外して前を開いていた。
そしてシェラは、聴診器型ネックレスで心音を聴いている。もちろん玩具のような代物なので、実際に聴けるわけではない。
「異常はありません」
「おかしいな。どうも下腹部で張っている場所があるのだが……」
体の一部を指したフォルトは、ベッドから立ち上がって強調する。
傍から見れば変態行為だが、実際に張っているので仕方がない。健康診断なのだから、体の異常は申告するべきだ。
そう思っていると、シェラは頬を赤く染めて顔を背けた。
「そこは……。いつも異常です!」
「やはり異常だったか。では、触診をしたほうが良いだろうな」
短いながらも、的確な診断である。
シェラの恥じらいに撃沈したので、フォルトは先に進もうとした。しかしながら胃袋から催促の音が出て、変態行為に水を差される。
「日々の健康は、毎日の食事からです」
「ちぇ。そうらしい」
「魔人様の健康診断は終わりにしますわ」
「えー!」
「お・わ・り・で・す!」
このような健康診断ごっこで、シェラと遊ぶのが楽しい。
彼女もノリノリのときがあり、出会った頃よりもフォルト色に染まっている。聴診器型ネックレスを首に掛け直した後、両手を前に出してきた。
これは、健康診断に対するご褒美を要求している。
(大人っぽいシェラがお姫様抱っこか。まぁあいつの入れ知恵だが……)
日本風のシチュエーションを身内に伝授するのは、ギャルのアーシャだ。
頼んだわけではないとはいえ、日々をマンネリ化させないための気遣いだろう。飽きることはないが、彼女には感謝している。
その気遣いを無駄にしないためにも、シェラを抱え上げた。
以降は床にある扉を器用に足で開けて、食堂に飛び下りる。
「今日は鍋か」
「ふふっ。魔人様の暴食タイマーも正常ですね」
先ほどの健康診断中に、腹を刺激する匂いが漂ってこなかった。にもかかわらず腹の虫は、食事の時間を告げてくれる。
シェラに言われるまでもなく、暴食の罪は正常に機能していた。
魔人としては、それが健康とも言えるか。
彼女を床に下ろし、そのまま一緒にテーブルに着いた。
「あ、そうだ。健康診断の後でと思っていたが、シェラに話があったのだ」
「何でしょうか?」
「シェラは、レベルを上げるつもりはあるのか?」
「レベル……。もしかして、堕落の種のことですか?」
「察しがいいな。魔族は長寿だから、急ぐ必要はないのだが……」
「そうですわね。ですが私は、暗黒神デュールの司祭です」
シェラが信奉する暗黒神デュールは、天界の神々の一柱。
さすがに、悪魔に変貌する堕落の種は食べないか。だがフォルトの身内として、どこかで意思を変えてもらわなくてはならない。
他に永遠の寿命を得る手段もないのだから……。
「まさか、俺と永遠を生きたくないとか?」
「いいえ。司祭を辞めると、限界突破の神託が受けられなくなります」
「ああっ! それがあったな。すっかり忘れていた」
「ふふっ。マリ様とルリ様の神託を受けたのは私ですよ」
限界突破をするためには、神々からの神託を受けなければならない。
そしてフォルトはローゼンクロイツ家当主で、身内にも魔族がいる。
人間の神殿勢力は頼れず、そもそも選択肢に入れていない。シェラが堕落の種を食べて暗黒神デュールに見放されると、身内は限界突破ができなくなる。
魔族の司祭を求めていたにもかかわらず、彼女を身内にしたツケだ。
「どうにかならないのかな?」
「その都度、人間の司祭を攫ったら駄目ですかぁ?」
「おっ! 聞いていたのかカーミラ」
「えへへ」
料理の配膳をしていたカーミラも、フォルトの隣に座った。
テーブルを見渡すと、ソフィアやベルナティオもいる。シェラとの会話を黙って聞いていたが、今の意見に反対の人物がいた。
「止めたほうが良いと思います」
「なぜだソフィア?」
「神殿勢力を敵に回すと、国家を相手にするよりも面倒ですよ?」
「ふむ。なら却下」
「さすがは御主人様です! 決断が早いでーす!」
「面倒事は嫌だからな。それに宗教はなあ」
実際に神が存在する世界において、宗教の恐ろしさは想像したくもない。
下手に刺激すると、聖戦と称して襲ってくるだろう。信者を死も恐れぬ戦士に変えて、どこまでも追いすがってくるのだ。
狂信者の大軍など、アンデッドの群れにも等しい。
もちろん司祭を攫うぐらいで、聖戦が発動されるとは思っていない。とはいえ、こちらの世界の性質を考えると断言できない。
特に魔族は人間の敵であり、今まで見逃されていたのが不思議なぐらいだ。
そう考えていると、ベルナティオが道を示した。
「きさま。エルフ族の司祭ならどうだ? 人間とは違う神を信仰してるぞ」
「ほう。だが、天界の神々には違いないのではないか?」
「いや。確か違うはずだ」
「ふむふむ。もっと詳しく!」
「知らん! 私は剣士だぞ!」
「ですよね」
亜人の国フェリアスで修業していたおかげか、ベルナティオは亜人が信仰する宗教について知っていた。
それでも概要だけで、フォルトの期待には沿えていない。
「難しい話をしてるわねえ」
「止めときなさい貴方。寝ちゃうわよ?」
最後に料理を運んできたのは、マリアンデールとルリシオンだ。
食事の準備が終わったので、先に鍋料理を楽しむ。とはいえ今のうちに方向性は定めておきたいからと、皆にも意見を募った。
「話の続きだが、シェラだけ悪魔になれないのは不公平だ。何か案はないか?」
「方法ならあると思うわよ? だって異世界だしぃ」
「アーシャが言ってもなあ」
「ちょっ! 確かにそうだけどさあ」
「冗談だ。神や魔法が存在する世界だしな。だが今は、具体的な案が欲しい」
「具体的な案は無いわよ? でもさ。あったら最初から悩んでないっしょ!」
「まぁなあ」
「ティオさんが言ったように、エルフ族から当たってみれば?」
「エルフの里にも行く予定だしなあ。まぁ他にもあればと……」
ブロキュスの迷宮では、エルフ族のセレスと約束をした。
そろそろ、回答もくるだろう。許可さえ下りれば、エルフの里に向かえる。ならば今考えるよりも、直接尋ねれば良いだけだ。
それは理解しているが、選択肢としての意見を募っているつもりだった。
上手に伝わらないのは、フォルトが話下手だからである。
「マスター。バグバット様なら、良案を示してもらえると思うっす!」
「珍しいなリリエラ。お前から意見を言うとは……」
「執事さんには世話になったっす!」
「なるほどな。それで思いついたわけか」
「そうっす。バグバット様は、何百年も生きてるっす!」
「吸血鬼はアンデッドだから、とっくに死んでるがな」
「突っ込まないでほしいっす!」
普段からリリエラは、身内と距離をとっている。
テーブルも一番端っこに座っており、あまり口を開くこともない。しかしながら今回は、声を上げてきた。
(何か心境の変化でもあったのか? レイナスたちに可愛がられているようだし、思わぬ方向に成長しているな。これは面白い)
フォルトにとってリリエラは玩具で、身内と同列で扱っていない。
ただし手放すのには、惜しい存在だった。クエストでも結果を出しており、今後も飽きるまでやらせるつもりだ。
そういった存在なので、あまり委縮させるような扱いもしていない。
「普段から会話に参加しろ。俺もそのほうが楽しい」
「いいんすか?」
「駄目と言った覚えはないな。俺を楽しませるのだろう?」
「分かったっす!」
リリエラにはクエスト以外だと、森から出ることだけを禁止した。
それは、逃走を防ぐためではない。彼女は強者ではなく過去の境遇もあり、フォルトから離れると生きていけないからだ。
ロスト――死亡――させたくないという思いが強い。
(確かにバグバットなら、良い案を提示してくれそうだ。でも頼り過ぎているから、ちょっと悪い気がするんだよな。うーん。まだ自堕落はしたいし……)
何だかんだでバグバットには、色々と世話になっている。
これ以上頼るのは憚りたいが、身内のためなら仕方ないか。だが腰は重く、幽鬼の森から出ることも渋る。
そして何も決められないまま、時間だけが過ぎていくのだった。
◇◇◇◇◇
シェラの件を後回しにしたフォルトは、自堕落生活を続けていた。
仕事をしていないので、毎日が日曜日である。社会から隔絶された幽鬼の森に、自分と身内たちの楽園を築いたようなものだ。
現在はテラスで、のんびりと日光浴を楽しんでいる。
そこに、命令を出していた眷属のニャンシーが戻ってきた。しかしながら一人ではなく、三人の男女が一緒だった。
そのうちの一人は、大罪の悪魔サタンである。
「ふん!」
「ご苦労だったな」
「ふん! 余には容易なことだ」
「消えるか?」
「ふん! 時間が限界になるまではいてやろう」
「そうか。なら、適当に過ごしてくれ」
「ふん!」
サタンについては、幽鬼の森のアンデッドを遠ざけるために顕現させていた。
フォルトは彼女を労った後、他の二人に向き直る。随分と久しぶりで、双竜山の森以来の再会だった。
「それにしても、よく来てくれたな」
「オメエよぉ。引っ越したのか?」
「こんな森にねぇ。相変わらず物好きな奴だよ」
ニャンシーへの命令は、異世界人の冒険者シルビアとドボを連れてくること。
森の外で動ける人間として、何度も仕事を依頼している。彼らに依頼したい案件ができたので、わざわざ呼び寄せたのだ。
もちろん、シェラの件ではない。
「一時的にな。また戻るかもしれん」
「私たちをアルバハードまで呼び出して、何をさせるつもりだい?」
「護衛だな」
「オメエの護衛か?」
「違うな。リリエラの護衛だ」
「誰だそりゃ?」
「後で紹介する。護衛の相場っていくらなのだ?」
「内容を聞いてからだよ。ピンキリだからね」
シルビアとドボへの依頼は、クエストに出すリリエラの護衛だ。今後はニャンシーを連絡係に使うので、彼女の身の安全を図りたかった。
素性は言えないが、まずは色々と質問された。
「護衛対象はどんな奴だい? 魔物と戦えたりするのか?」
「戦いは無理だな。一般人に毛が生えた程度の女性だ」
「そいつの位置付けは? オメエの中で重要な奴なのか?」
「ロス……。んんっ! 死なせたくはないな」
「なるほどねぇ。死んでも守れってことか」
「なるべくな」
「濁すねぇ。なら、要人護衛でどうだい? 護衛依頼では最も高いけど、そいつに付きっきりで護衛してやるよ」
「普通の護衛依頼と何が違うのだ?」
「知らないのかい? なら教えておくよ」
冒険者ギルドの護衛依頼で一般的なのは街道護衛だ。
商人からの依頼が多く、他の町まで移動する際の護衛がそれに当たる。町中では護衛せず、往復の場合は出発まで自由時間になる。
誰かに狙われていないかぎりは、町中での護衛は必要ないのだ。
そして要人護衛は、町中もセットで護衛する。
二十四時間体制の護衛で拘束時間が長く、依頼料も高額だった。依頼者は貴族や大商人がほどんどで、一般人は利用しない。
リリエラの護衛であれば、前者で十分だが……。
「要人警護でいい」
「提示した私が言えた義理じゃないけど、マジかい? 高いよ?」
「構わん。金は用意しておく」
「やっぱオメエは金払いがいいぜ! しっかり護衛してやるから安心しな!」
依頼料については、カーミラに頼んでおけば良い。
いつものように、ソル帝国の貴族から奪ってきてくれる。
「それで、結局はいくらなのだ?」
「目的地と日程を教えてもらえるかい?」
「あぁ。悪いが……」
今回のリリエラに課すクエストは、はっきり言って日数が読めない。
本来は一カ月以内に戻るのだが、今回は確実に目標を達成させるつもりだった。内容的に彼女だけの問題でもなく、相手次第では長くなる可能性が高い。
目的地は、ガルド王がいるドワーフ族の集落だ。
そういったことを伝えると、シルビアとドボが相談を始めた。
「亜人の国かよ。ギルドの依頼で行ったことはあるが……」
「場所は問題無いよ。ドワーフ族の集落なら街道は伸びてるからね」
「出国の書類を書き直さねぇとな」
エウィ王国の国法では、原則として異世界人の出国はできない。
ただし厳格な審査を受ければ、短期間なら出国できる。審査項目は多く、その中には出国先と日数もあった。
提出した内容が虚偽、または許可条件を逸脱した場合は処分の対象だ。
つまり、暗殺者が送られてくる。
(まぁ俺は好き勝手……。でもないか。とりあえずグリムの爺さんのおかげで、暗殺者は送られてこないな。まぁ別の苦労はあったのだが……)
他の異世界人の境遇には同情できなかった。
フォルトは身の丈に合っていない人たちの相手をしているので、色々と嫌な思いをしている。特殊な異世界人として危険視されており、すでに処分対象でもあった。
暗殺者など返り討ちにできる力はあるが、平穏な生活は邪魔されたくない。
苦労は、それぞれということだ。
そんなことを考えていると、シルビアとドボは相談を終えた。
「拘束時間が一カ月前後であれば、大金貨五枚以上は覚悟しな。それと前金で、大金貨一枚を頂くよ」
「必要経費か?」
「そうだね。出国のときに金銭を預けているから、今は手持ちが少ないのさ。依頼料は、護衛が終わってから請求するよ」
「決まりだな。なら……」
以降はシルビアとドボに、リリエラを紹介する。
彼らは出国の再審査を受けるので、一泊してエウィ王国に戻った。リリエラに課すクエストは、その後となる。
その間に依頼料と前金を用意するよう、カーミラに伝えておく。
兎にも角にも、これでニャンシーが連絡係で使える。フォルトが不在でも、身内と連絡を取り合えるようになった。
そして数日後にリリエラを見送って、今後の予定を考えるのだった。
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