剣聖、堕つ3
全力の戦いが終わった。
それはまさに、死闘と言っても過言ではないだろう。
挫けぬ精神・折れない心・砕けぬ意思。すべてにおいて手強かった。四人が一人を相手に三日三晩もの間、戦い続けたのだ。
そして……。
――――――〈剣聖〉、堕つ。
「きさま!」
「何だティオ?」
「ちゅ」
服の乱れを直していたフォルトは、ベルナティオから口付けされた。
変われば変わるもので、三日前の彼女であれば絶対にやらないだろう。だがこれこそが、勝利の証なのだ。
「お前の主人は誰だ?」
「言わせるな。恥ずかしいではないか」
「そ、そうか」
「責任は取ってもらうぞ!」
「当然だ。これからは俺の傍にいろ!」
過去にフォルトとカーミラの二人は、レイナスを三日で堕としている。だがベルナティオの相手は四人であり、その意味では耐えたほうだ。
何にせよ、他の誰かには見せられない壮絶な戦いだった。
「ぁっ、うくぅ! 止せ! 今は触るな!」
「あぁ悪いな。俺の手は勝手に動くときがあるのだ」
「ちっ。女の敵め。後で頼む」
「わ、分かった」
フォルトの悪い手も、身内には遠慮しない。
憎まれ口を叩くベルナティオは、少しばかり色欲が強いようだ。もちろんそうなるように調教したが、そもそも性欲を抑え込んでいたか。
剣の道一筋の〈剣聖〉である。
僅か七歳で剣を取り、二十年間もその道を歩んできた女性だ。一度でも色欲に囚われてしまうと、歯止めが利かないのだろう。
満足。それに尽きた。
「そこの姉妹も!」
「もしかして満足していないのかしら?」
「お姉ちゃんとの連携は完璧だったと思うけどお?」
「完璧だったぞ。だから後でな」
「ふふっ」
「あはっ!」
どうやら〈狂乱の女王〉と〈爆炎の薔薇姫〉も、目的を達成できたか。
生意気な〈剣聖〉に、身のほどを教えてやれたようだ。姉妹は仁王立ちになり、二人してサディスティックな笑みを浮かべている。
ともあれベルナティオは、調教で乱れた道着を直していた。
フォルトが彼女の服を破いていないのは、着衣派としての矜持である。地上に戻るためにも服は必要で、替えは持ってきていない。
そして、彼女には変化があった。
「ティオ」
「どうした?」
「その……。何だ……。角と翼と尻尾を隠せ」
「私は悪魔になったのだ。別に隠さなくてもいいだろう?」
「悪魔だと知られるのは拙いのだ。カーミラも隠しているだろ?」
「きさまの頼みなら聞いてやらんこともない。フィロに説明できんしな」
ベルナティオはすでに、レベル五十以上の勇者級に到達している。しかも彼女の調教中に、カーミラが堕落の種を食べさせていた。
つまり、堕落の種が芽吹いた状態なのだ。
(しかし悪魔になると、翼と尻尾が生えるのか。まぁ悪魔だしな。ならば、身内のみんなそうなるのか? それはちょっと……)
「カーミラよ」
「何ですかぁ?」
「アレはどうにかならないのか?」
「なりますよぉ」
「なるのか!」
「えへへ。あいつに与えた堕落の種は、ニーズヘッグの種でーす!」
「何ぃぃぃいいい!」
堕落の種。何が芽吹くかは、体内に取り込んだ種の種類次第。
そして北欧神話で登場するニーズヘッグは、蛇またはドラゴンである。
こちらの世界では、竜の悪魔ということらしい。確かにベルナティオに生えた翼と尻尾は、あちらの世界の創作物に登場する竜に酷似している。
そうなると、フォルトに気掛かりができた。
「ちなみになのだが……。レイナスたちは?」
「えへへ。内緒でーす! 知っちゃったらつまらなくないですかぁ?」
「うーん。まぁそれもそうだな」
カーミラの笑顔が眩しい。
フォルトは愛するシモベの言葉に、自分を楽しませるためだと理解した。
魔人の寿命は永遠なので、暴食の魔人ポロのように消えてしまうと思っているのだろう。所々で遊びを入れることで、人生を飽きさせないつもりだ。
(さすがはカーミラ。それに、ティオの姿は最高だな!)
ベルナティオの姿は、オタクが入っているフォルトの琴線に触れた。と言っても討伐隊の面々の前には見せられないので、今のうちに目に焼き付ける。
そしてカーミラからの耳打ちで、人間の姿に戻った。
「きさまに訊きたいことがあるのだが?」
「何だティオ?」
「私は負けたわけだが、きさまを何と呼べばいいのだ? 御主人様か?」
「いやいやいや! 〈剣聖〉様にそう呼ばれるのはちょっと……」
ベルナティオを手に入れたかった理由は、身内にしておっさん親衛隊の戦力増強をしたかったからだ。ルリシオンのせいでいきなり戦うことになってしまったが、彼女を従属させるためではない。
呼び名などは何でも構わないのだが……。
(あまりみんなと被るのもな。うーん。貴殿、貴公は……。いまいちだな。そち、うぬ、汝は嫌だ。陛下、閣下、殿下は違う。其方……。デルヴィ侯爵か!)
フォルトを「御主人様」と呼ぶのは、シモベのカーミラである。
眷属のニャンシーやルーチェからは「主」。双竜山の森に召喚してある森の精霊ドライアドは「旦那様」にした。
そしてレイナスとソフィアが「様」、アーシャからは「さん」付けの敬称だ。マリアンデールは「貴方」と呼び、ルリシオンだと呼び捨てにされている。
変わったところでは、シェラの「魔人様」とリリエラの「マスター」か。
実に、実にどうでも良い話だった。
「どうした?」
「考えるのが面倒だから、きさまで構わないぞ」
「そうか。おい、きさま!」
「何だティオ?」
「ちゅ」
「むほっ!」
ベルナティオから再び口付けされて、フォルトは感慨深く涙を流す。
ここまで堕ちるとは、三日三晩も戦い続けた甲斐があった。「アレが決め手か?」などとイヤらしいことを回想しながら、彼女の腰に手を回す。
そのだらしのない顔に呆れたマリアンデールが、疑問を呈した。
「はぁ……。今後はどうするのよ?」
「今後?」
「その女よ。討伐隊に入隊しているのではなくて?」
夢見心地のフォルトは、現実に引き戻された。
確かに、マリアンデールの言ったとおりだ。ベルナティオを連れて帰るには、討伐隊から除隊させなければならないだろう。
戦力としては最高の〈剣聖〉を、素直に手放してくれるかどうか。
もちろん身内にしたのだから、強引に除隊させれば良い。とはいえローゼンクロイツ家の好感度は上がっており、わざわざ下げることもない。
総司令官のセレスから、エルフの里の招待と案内を取り付けたのだ。
波風を立てないためにも、穏便に終わらせたい。
「ティオ?」
「何も問題は無いぞ? 他の場所で修行すると伝えればいい」
「そんな名目で通るのか?」
「討伐隊への参加は自由だからな。自由に抜けるだけだ」
「なるほど」
「フィロを置いていくのは忍びないが……」
「あぁウサミミ少女か。一緒に旅でもしていたのか?」
「昔はな。別れてから随分と経つが、討伐隊で再会したのだ」
あれこれと考えてしまったが、討伐隊からの除隊については杞憂だった。後はブロキュスの迷宮から地上に出て、そそくさと幽鬼の森に帰るだけだ。
そう思っていると、上から聞いたことのある声が聞こえた。
「大丈夫か!」
天井を見上げると、熊人族のヴァルターが顔を覗かせている。
魔力探知で確認したところ、彼以外にも人がいるようだ。フォルトたちが迷宮から出てこないので、精鋭部隊を率いて救出にきたのだろう。
心配をさせたが、もう少し遅れて到着してほしかった。
「全員無事だ! 俺たちを引き上げてくれ!」
「分かった! 今から救出作業に入る!」
さすがに翼を出して飛行するわけにもいかず、フォルトは救助を求める。
そして暫く待っていると、穴の上からロープが垂らされた。体に巻けば、精鋭部隊が引き上げてくれる。
「マリとルリは一緒でいいな?」
「ルリちゃんと密着状態なんて、ご褒美としか思えないわ!」
「私は一人でもいいんだけどねえ。諦めるわあ」
「きさま! そ、その……」
「期待には応えてやるぞ? ほら。カーミラも来い!」
「やったあ!」
引き上げる人の苦労など知ったことではない。
色欲に忠実なフォルトに、カーミラとベルナティオが密着する。
獣人族は人間よりも力が強いので、三人ぐらいなら問題無いはずだ。などと考えていると、ヴァルターの合図と共にロープが引き上げられる。
当然のように悪い手を開放して、二人を喜ばせたのだった。
◇◇◇◇◇
精鋭部隊に救助されたフォルトたちは、一息ついて軽めの食事をとった。
周囲の魔物や魔獣を討伐してあるので安全だ。ヴァルターたちが地下六階層を迷わず移動できたのもそのおかげで、魔物の死骸を目印にしたらしい。
そしてベルナティオはフォルトから離れて、フィロと会話していた。
今の彼女は身内にしたばかりで、精神的に不安定な状態である。なので聞き耳を立てながら、二人の会話を窺った。
「ティオ。あの人と穴に落ちて、何かされなかった?」
「新しい世界を教えてもらったぐらいだ」
「新しい世界?」
「フィロには早いから気にするな」
「そう? でも良かったあ。まだピリピリした感じがするよ」
「まぁピリピリするときもあった」
「え?」
「あ……。何でもない」
ベルナティオの頬が赤く染まっている。
彼女を快楽の虜とするために、様々な方法で攻め立てたのだ。フォルトは「きっとアレのことだろう」と、同じく赤面した。
「ねぇティオ。もう彼らには近づかないほうがいいよ?」
「ほう」
「絶対に危ないって! 私の勘はよく当たるって知ってるでしょ?」
「そうだな。もう手遅れだが……。フィロ。よく聞け!」
「なに?」
「私は奴に仕える!」
「えええぇぇぇえええ! 本気なのティオ?」
フィロにとっては、青天の霹靂だろう。
ベルナティオはその強さのため、様々な国から仕官の誘いを受けている。だがすべてを拒否しているので、誰かに下に付くなど考えられない。しかもフォルトを危険人物だと忠告しており、少し前までは嫌っていた男性だ。
それにローゼンクロイツ家は魔族の貴族で、人間の敵である。
「無論だ! 奴には身も心も穢されて……」
「はい?」
「ちょぉぉぉおおおおっとティオ! こっちに!」
「悪いなフィロ。奴に呼ばれた」
「う、うん」
盗み聞きをしていて正解だった。
ベルナティオが爆弾を投下しそうだったので、フォルトは慌てて呼び戻す。
フィロが昔からの親友だからと、何でも伝え過ぎである。今のうちに釘を刺しておかないと、ローゼンクロイツ家の悪評が広まってしまう。
そして食事は終わったとして、彼女が近づく前に立ちあがる。
「きさま。私に何の用だ?」
「よ、余計なことは言わなくていい」
「私の口を封じる方法なら、きさまがよく知っていると思うが?」
「さすがに皆の目があるところでは、な」
「まぁいい。だが、あまり待たせると……」
「俺も我慢をしているのだ」
「ちっ」
強気なベルナティオが堕ちる姿を思い出すと、フォルトの目尻が下がる。
剣豪は「相手の動きや気配を肌で感じ取れる」と言うが、彼女は〈剣聖〉らしく非常に敏感だった。服が擦れて感じているのか、時おり体をビクつかせている。
完璧な仕上がりを見せているが、邪魔者が近づいてくると姿勢を正した。
「ベルナティオ殿も無事で良かった」
邪魔者とは、ヴァルターである。
救出されて間もないフォルトたちは、精鋭部隊と別れた後の経緯を説明していないのだ。そろそろ伝える頃合いだが、どこから話したものか迷う。
「こいつが罠に引っ掛かってしまってな。巻き添えになったのだ」
「ちょ!」
「本当のことだろう? まったく、きさまときたら……」
罠の発見や解除する技術など持っていないので仕方ない。にもかかわらず今まで偉そうにしていた手前、フォルトは少し恥ずかしがる。
恨めしそうに視線を送ると、ベルナティオが口角を上げていた。
「フォルト殿も災難だったな。ところで、ミノタウロスは討伐したのか?」
「マリが倒した」
「そうか! やはりローゼンクロイツ家は凄いな!」
「今頃になって分かったのかしら?」
「あはっ! お姉ちゃん一人で十分よお」
さも当然の姉妹でも、ヴァルターに褒められて悪い気はしていないか。
フォルトとしても鼻が高いが、彼の表情が険しくなった。
「尋ねたいのだが、ミノタウロスは一体だけか?」
「他にはいなかったわね。魔力探知にも反応は無かったわよ」
「そうか。一体だけか」
「どうした? 何か問題でもあるのか?」
「うーむ。スタンピード発生の兆候かもしれんな」
迷宮は地下に潜るほどに、強力な魔物が巣くっている。またミノタウロスは、地下九階層や十階層にいるような魔物だ。
そして一体は五階層、もう一体は六階層にいた。最下層で魔物が増えているなら、上層に押し出されたと考えられる。
これが続いて魔物が地上に溢れだせば、スタンピードの発生だ。
ただし今のところは、ミノタウロスが二体である。はぐれただけと考えるほうが自然だった。
「まさか調査するつもりか?」
「いや。今回は、フォルト殿たちを発見することが目的だ。無理はしない」
「それを聞いて安心した。俺たちも目的は達成したから地上に戻る」
「では、そろそろ出発していいか?」
「うむ」
以降のフォルトたちは、精鋭部隊と一緒に地上を目指す。
来た道を戻るだけなので、移動のスピードは速い。たまに他の通路から飛び出してくる魔物を討伐したが、すべての対処を精鋭部隊に任せた。
道中は当然のように、身内とイチャイチャしながら進んでいる。ベルナティオも前に出さず隣を歩かせて、悪い手の餌食にしていた。
他の者たちに見られないよう、タイミングは見計らっている。
「ティオが悪魔に変わったことは、フィロに悟られるなよ?」
「分かっている。その代わり……」
「大きな声は出さないようにな。迷宮だと響く」
「む、無理を言うな! あっ!」
「しー!」
フォルトは少しだけ悪い手を動かして、ベルナティオの弱点を突く。
激しい戦いの末に発見した弱点で、その効果は抜群である。すぐに腰砕けになるためあまり触れないが、彼女の体は上気して色欲を誘う。
ちなみにもう一つの手は、カーミラの腰に回していた。
「御主人様。迷宮から出た後はどうしますかぁ?」
「幽鬼の森に帰るに決まっている。みんなにティオを紹介しないとな」
「人間の最高戦力が堕ちて、悪魔王も感激でーす!」
「そうなのか? 俺は、カーミラが喜べばそれでいい」
「えへへ」
ベルナティオを悪魔に変えたことは、カーミラの手柄とも言える。
魔界の神からすると、彼女の働きに満足したかもしれない。だがフォルトは、悪魔王に興味はない。また感激させるために、〈剣聖〉を堕としたのではない。
最愛の小悪魔が喜んだ顔が、何よりの癒しだった。
ともあれ今更だが、とんでもない人物を身内にしたものだ。
幽鬼の森に連れて帰れば、皆が驚くことだろう。などと考えながら、太陽の光が降り注ぐ地上に出るのだった。
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