剣聖、堕つ1
ブロキュスの迷宮、地下六階層。
フォルトは現在、穴の中にいる。
なぜかというと、罠に引っ掛かったからだ。ミノタウロスの反応を探知したところで、壁に背を預けたのがいけなかった。
床にポッカリと穴が開いて落ちてしまったのだ。
「さて。どうしようか」
「きさま! さっさと降ろせ!」
そして、一緒に落ちた者がいた。
〈剣聖〉ベルナティオである。彼女を巻き込んだ形になったが、落下途中で受け止めて着地した。普通に落ちていたら、怪我では済まなかっただろう。
その彼女は腕の中で、フォルトを睨んでいる。いや、暴れていた。手足をバタバタと動かして、片手でポカポカと頭を叩かれている最中だ。
「分かった分かった。いま降ろしてやる」
「くそ! きさまが罠を発動させたからだ!」
「まぁそうなのだが、な」
「何とかしろ!」
「………………」
地面に降ろしたベルナティオを見ると、頭から小さなキノコ雲がポフポフと出ている錯覚を覚えた。
巻き込んだのは悪かったが、そこまで怒ることはないと思う。
これは、ヒステリーだろう。危険視しているフォルトと一緒にいることで、過剰にストレスを溜めたか。
彼女は〈剣聖〉なのだから、もっと冷静になってほしいところだ。
それとも〈剣聖〉すら冷静になれないほど、自身は危険なのだろうか。魔人と知られていないとはいえ、剣豪としての直感でも働いたのかもしれない。
そう思っていると、頭上から声が聞こえた。
「フォルトぉ。大丈夫かしらあ?」
「ああ! 問題は無い!」
ルリシオンからの声に反応して、フォルトは大声で答える。
それにしても、穴が深かった。まるで理科の実験で使うフラスコのように、上から下に向かって大きく広がっている。
「きさまは何を考えている?」
「どうやって脱出しようかと、な」
「ちっ。高すぎて手が届かん」
自力では脱出できない造りになっており、ジャンプして届く距離ではない。
ただしフォルトだけであれば、スキル『変化』で翼を出して飛べば良い。しかしながら魔人固有のスキルかもしれないので、ベルナティオに見られては拙い。
お近づきになりたいからと、一緒に連れてきたことが裏目に出た。
もちろん、脱出の希望が無いわけではない。
「ルリ! ミノタウロスはどうだ?」
「お姉ちゃんが討伐に向かったわあ。すぐに戻ると思わよお」
「戻ってからでいいから、討伐隊に救助要請を頼む!」
ヴァルターが率いる精鋭部隊は、地上に向かっている最中なのだ。魔族の姉妹であれば追いついて、ここまで連れて来られるだろう。
魔物はいないようなので、救助が到着するまでは、安全に待機できる。フォルトと二人きりになるが、ベルナティオには我慢してもらうしかない。
そう思って彼女に声を掛けようとすると……。
「嫌よお。私たち以外は誰もいないのだから、好きに弄びなさあい!」
「ちょっとルリ!」
「我慢にも限界があるわあ。生意気な人間は屈服させればいいのよお!」
「無傷のティオを手に入れたいのだぞ!」
「大丈夫よお。レイナスちゃんのようにすればいいわあ!」
ルリシオンが爆弾を投下した。
この場で、ベルナティオを調教しろと言っている。だが当の本人がいる前での会話であり、フォルトは失言に気付いて手で口を覆った。
そして、恐る恐ると〈剣聖〉を見る。
「き、きさま! 本性を現したな? 無傷の私を手に入れるだと!」
「い、いや。違う!」
「やはり、フィロの話は正しかったようだな!」
「ち、違う」
「きさまは敵だ! この場で斬り捨ててくれる!」
「話を聞け!」
「問答無用!」
フォルトから距離を取ったベルナティオは、刀に手を掛けている。
卑怯な手を使うつもりはないのか、いきなりは斬られなかった。さすがは〈剣聖〉と褒め称えたいところだが、そのような状況ではない。
敵だと見定められ、殺意を向けてジリジリと近寄ってくるのだ。
剣の間合いに入っては拙いので、こちらも同様に後退した。
「こ、これは……」
「………………」
「ま、待て!」
「『気剣体一致』!」
ベルナティオは戦闘用のスキルまで使ったので、本気と捉えるしかない。
このまま行動を起こさなければ、フォルトは斬られてしまう。だが彼女を無傷で手に入れたいことは変わらず、攻撃魔法は選択できない。
武器も所持していないので、近接戦闘は愚の骨頂である。もちろん所持していたとしても、〈剣聖〉と渡り合えるはずがない。
選択肢が狭まる中、対人戦の経験は皆無なのであたふたしてしまう。
「あぁぁ……。もうっ!」
【サモン・リビングアーマー/召喚・動く鎧】
戦闘でも楽をしたいフォルトは、今まで魔法使いとして戦ってきた。
そして、昔から使っている魔法で一番多いのは召喚魔法である。時間も稼ぎたいので、初手は壁となる魔物の召喚を選択した。
ブロキュスの迷宮一階層で召喚したリビングアーマーだ。
そのいで立ちは、まさに鎧武者である。
「ギギギ」
「ちっ。召喚術師か。面倒な奴だ」
「そうだ。俺と戦うのは面倒だぞ? だから止めにしないか?」
「うるさい! そいつを斬り捨てたら、次はきさまだ!」
「ひっ! リビングアーマーよ。俺を守れ!」
「ギギギ」
フォルトは情けなくも、鎧武者の後ろに隠れた。
ともあれ魔物を召喚しただけでは、ベルナティオの戦意が失われない。逆に闘志に火を点けたようで、目標を鎧武者に変えている。
今のうちに、打開策を考えるしかない。
「こんな魔物で、私を止められると思うな! 『月影』!」
「ギッ!」
鎧武者が間合いを詰めると、ベルナティオが刀を抜いた。かつて達人の鞘抜き動画を観たことはあったが、速度は一秒にも満たない。
まさに一瞬の出来事で、まともに受けた鎧武者は真っ二つ。鎧の中身は霊体なので倒されてはいないが、あれでは動けないだろう。
いくら魔法や魔法の武器でしか傷付かなくても、だ。
(なにアッサリとやられてんだ! こ、これは非常に拙い。もう無理だ! 戦いは始まってしまったから、何を言っても無駄だろう)
迷宮蟻の攻撃を耐えた鎧武者だが、〈剣聖〉が相手だと紙切れ同然だった。
ここは日本人らしく、無抵抗を貫くべきだったか。ベルナティオの情にすがったほうが、戦闘を回避できたかもしれない。
いや。それも無理か。
こちらの世界の住人は、過酷な環境下で生きている。彼女であれば、敵に情けを掛けるほど甘い人生は送っていないはずだ。
敵と定められたフォルトは、確実に斬り捨てられる。
「さ、さすがに強いな。もう抵抗はしないから考え直さないか?」
「次はきさまの番だ!」
「うぐっ! 無理、か? ならば、ティオの勝ちでいい。そうしよう!」
「………………」
「ティオ?」
「………………」
愛称で語りかけても、ベルナティオは無言になった。
先ほどまでなら絶対に怒るのだが、もうフォルトの言葉は届かない。日本人らしい抵抗も、彼女には「どこ吹く風」である。
魔族の貴族ローゼンクロイツ家の当主として、力でねじ伏せる道しか無い。
(当主の役割、ね。だが無傷のティオを……。おっさん親衛隊の増強に……。でもルリの気持ちも……。身内にするなら……。レイナスのように……。え?)
ここにきて、フォルトの思考回路から煙が噴き出す。
実際には煙っていないが、すでに頭脳の処理能力は限界だった。どうすれば良いかを考えられず、目の焦点が合わなくなっている。
そういった状況で、事態が好転するわけもなく。
刀を鞘に納めた〈剣聖〉が、ジリジリと近寄ってくるのだった。
◇◇◇◇◇
罠に引っ掛かったフォルトが、ベルナティオとの戦闘を開始した頃。
マリアンデールは一人で、ミノタウロスと対峙していた。
戦闘前の支援を受けずとも、簡単に討伐できる魔物だ。溺愛している妹のルリシオンに「すぐ戻る」と伝えてあるので、さっさと片付けるべきだろう。
同様に愛する魔人も気掛かりである。
「あいつも間抜けよね。貴方もそう思うわよね?」
「グモオオオッ!」
「誰に向かって吠えているのかしら? これだから知能の低い魔物は……」
「グモ? グモオオオッ!」
「独り言の相手をしてくれてありがとう。褒美をあげるわ」
【タイム・ストップ/時間停止】
マリアンデールが得意とする時空系魔法だ。
世界の時間ではなく、対象の時間を止める。雄叫びを上げていたミノタウロスはピタッと静止して、指先一つも動かない。
反則級の魔法だが、残念ながら一撃必殺というわけではなかった。
時間を止めている間は、対象にダメージを与えられないのだ。また魔法に抵抗することは可能で、装備品での時間対策も存在した。
習得するのに何十年と費やし、発動にも膨大な魔力を消費する。
ある意味では博打であり、それに見合うかは術者によるだろう。
(ふふっ。ルリちゃんは火属性魔法で討伐したから……)
普段は姉妹の連携で使っているが、今回は限界突破作業中だ。一人で対処しないといけないので、攻撃するには時間停止の効果が切れるのを待つしかない。
ただし一撃で仕留められなければ、ミノタウロスから反撃を受ける。普通の術者であれば、先制攻撃の準備か逃亡を図るときにしか使えない。
つまり、ルリシオンのような圧倒的な火力があってこそ生きる魔法だった。
「三、二、一!」
「グモオオオッ!」
時間停止の効果時間が切れる瞬間、マリアンデールが踏み込んだ。残り時間一秒で右手を後ろに引いて、ミノタウロスの腹に正拳突きを放つ。
そしてコンマ一秒の狂いもなく、ミノタウロスが動きだした瞬間。
「『波動烈破』!」
マリアンデールの拳から、魔力とは違う何かが放たれる。
次に少し遅れて、通路の先から「ドゴーン!」という轟音が響いた。
「グ、モ……」
「褒美は〈狂乱の女王〉の一撃よ。冥界で誇るといいわ」
「………………」
後ろに飛びのいたマリアンデールは、勝ち誇った笑みを浮かべた。
ミノタウロスの腹には、自身の拳よりも大きい風穴が穿たれている。またその先に見える壁は、円形状に陥没していた。
ミノタウロスは何が起きたのかを理解しないまま、後方に倒れ込んだ。大量の血を床に広げて、すでに絶命している。
(あら。少し血が付いてしまったわ)
マリアンデールの小さな胸元には、ミノタウロスの返り血が付いていた。魔法の服なのでいずれ奇麗に落ちるが、おもむろに親指でふき取る。
それから舌を出して、ペロッとなめた後に口角を上げた。
以降はミノタウロスの死体を一瞥して、ルリシオンがいる場所に向かう。
(まったくあいつときたら、穴に落ちちゃって……。本当に間抜けだわ。まぁ魔人なのだから死なないでしょうけど……)
フォルトに声ぐらい掛けてから、ミノタウロスの討伐に向かうべきだったか。
嫌われることはないだろうが、マリアンデールは少しだけ後悔していた。姉妹の限界突破に付き合ってもらっているのだから、心配ぐらいはしてあげても良い。
愛情を表に出すのは苦手だが……。
ともあれ自然と足早になり、通路の先にルリシオンが見えた。
「ルリちゃん!」
「あはっ! さすがはお姉ちゃんねえ。早かったわあ」
「ルリちゃんのために、さっさと倒しちゃったわ」
「ご苦労さまあ」
「あいつは?」
「穴の中で、お楽しみの真っ最中よお」
マリアンデールは妹成分を補充しながら、穴の中を覗く。フォルトが召喚した光の精霊のおかげで、その光景がよく見えた。
召喚された魔物や悪魔・精霊は、召喚主が死亡すると送還される。
これが召喚されているということは、彼が生きている証拠だ。
「面白いことになっているわね」
「あの人間。結構やるわよお」
「へぇ。あいつで勝てるかしら?」
「負けることはないけどねえ。フォルトがどう捌くか見物だわあ」
人間の強者であろう〈剣聖〉ベルナティオ。
強いのだろうが、相手は魔人フォルトだ。今の彼女では絶対に勝てないので、ルリシオンは安心して戦闘を眺めていた。
それには、マリアンデールも同意である。
「助力は要らないわね。まぁいい勉強になるでしょ」
「戦闘は始まったばかりよお」
「すぐに終わるのかしら?」
「フォルト次第ねえ。慌てふためく姿は面白いわあ」
「ふふっ。カーミラは?」
「穴の中よお」
姉妹に『透明化』を見破る目は無いが、魔力探知で存在は分かる。
あの可愛らしい小悪魔も、戦闘での助力をするつもりはないようだ。主人の望みを叶えるべく、状況に介入するタイミングを計っているのだろう。
「この舞台を作ったのはカーミラ?」
「私よお。身内にするつもりなら、自分から動いてもらわないとねえ」
「確かにね。でも、人間の女よりも下になるつもりはないわ」
「当然よお。だからお姉ちゃん……」
続くルリシオンの言葉に、マリアンデールは納得した。と同時に姉妹は、サディスティックな表情を浮かべる。
フォルトの身内に上下関係は無いが、それぞれに立ち位置はある。彼をローゼンクロイツ家の当主に据えたことで、他の身内よりも優位に立っていた。
ベルナティオが新たに加わっても、最初に身の程を分からせるべきだ。
そう考えた二人は、戦闘の行方を傍観するのだった。
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