レイナス日記3
レイナスは聖剣ロゼを手に持ち、金髪の男性と対峙する。
その男性は勇者候補のシュンであり、鋼の剣を眼前に構えていた。鎧と盾も鋼で作られており、防御力は高そうだ。
テラスの前で、これから模擬戦を始めるところだった。また二人の周囲には、シェラ以外の全員が集まっている。
審判役として選ばれたのは、アーシャとギッシュだ。
なぜ、このような状況になっているかと言うと……。
◇◇◇◇◇
屋敷の外に出たレイナスは、空を見上げて清々しい笑顔を浮かべる。とはいえ気分は優れないので、こうやって気分転換をしていた。
愛しのフォルトがおらず、一人で寂しく寝ているからだ。
体が疼いて仕方ない。
「今日も良い朝ですわね」
(はぁ……。フォルト様は早く戻られないかしら? 森から出るようになって、温もりが無いのは寂しいですわ。ですが……。きゃっ!)
フォルトが嫌々ながらも森の外に出るのは、身内を思ってのことである。だからこそ今は我慢して、幽鬼の森に帰還するのを待つ。
逆に離れている時間が長いと、反動で普段以上に燃え上がるか。
脳内をピンク色に染めたレイナスは、人の気配を察知して姿勢を正した。
「レイナス先輩おはよう! あれ? どうしたの?」
「何でもありませんわ」
「そう? 朝から顔が赤いけど!」
「ふふっ。アーシャもね」
遅れて屋敷から出てきたアーシャも、同じ穴のムジナである。
いや。それは、ソフィアやシェラも同様だろう。お風呂の後はフォルトの寝室に入り、ハッとして出ていく様子を目撃している。
「朝食の前に、訓練をやってしまいましょうか」
「さすがに、あたしも慣れたわ」
「最初は嫌々でしたわね」
「そりゃあねぇ。でも、日課って怖すぎるんですけど!」
フォルトの惰眠は物凄く長いので、朝はほぼ寝ている。
その時間を使って、皆は自分の時間を作れていた。
レイナスとアーシャは魔の森にいたときから、基礎訓練を日課としている。もう慣れたもので、二人とも体を動かしたくなっていた。
「早く強くなって、悪魔になりたいですわね」
「あたしはまだまだ先だあ!」
レイナスとしては、早く人間を捨てたかった。
寿命の無い悪魔になることで、フォルトと永遠に一緒にいられるのだ。人類から悪魔だと蔑まれようが、愛する人が望んでいるのだから別に構わない。
とりあえずアーシャは、レベル三十を目指すのが先である。
「では強くなるために始めましょう」
「もっちろん!」
二人は準備体操をしてから、ランニングを始めた。
以降は、腕立て・腹筋・スクワットなどをこなす。
これだけでレベルは上がらないが、基礎訓練は続けてこそ意味がある。途中で休憩を入れながら、三時間ほど続けた。
そして訓練が終わる頃に、ソフィアとシェラがテラスに集まる。
「お疲れさまです」
「はぁはぁ。いい汗をかきましたわ」
「ふふっ。魔法の服は便利ですね」
「汚れは良いのですが……」
フォルトが魔法付与を施した服は、すぐに汚れを落としてくれる。だが、汗をかいたことには変わりはない。
女性として清潔感も重要なので、アーシャと一緒に風呂場に向かう。
「レイナス先輩は変わらないわねぇ」
「何がですか?」
「スタイルよ、スタイル」
「アーシャも同じですわよ。フォルト様の視線を奪っていますわ」
「まあねぇ」
基礎訓練では余計な筋肉が付かないように、肉体を追い込むことはしない。
これもフォルトのためで、涙ぐましい努力の賜物である。とはいえレイナスが、そこまで気を遣っていることを知らないだろう。
男とは、そういうものだ。
そして汗を流し終えたら、すぐに朝食を作る。
ソフィアとシェラが、朝のティータイムを楽しんでいる間に……。
「レイナス先輩! 今日は何を作るの?」
「目玉焼きと野菜サラダですわね。アーシャはパンを用意してくださる?」
「いいよぉ」
フォルトとアーシャは残念がっていたが、こちらの世界に白米は存在しない。
小麦が主流であり、小麦粉にしてパンを作っていた。レイナスが暇を見てはコネて冷やしておくので、普段は焼くだけで良い。
朝食は夕食と違って、簡単に済ませられる。
「レイナス様。今、大丈夫ですか?」
朝食を作っていると、ソフィアが食堂から顔を出した。
先に調理場に入られると拙いが、先にアーシャと占領しているので安心だ。
「もう完成していますので大丈夫ですわ」
「えっと……。シュン様が……」
「うぇ。シュンがどうしたの?」
ソフィアから出た人物の名前で、アーシャの機嫌が悪くなる。
それには、クスっと笑いそうになる。とはいえ勇者候補チームの対応はレイナスが請け負っており、何か問題が発生した可能性がある。
話の続きを促すと、意外な話が飛び出した。
「私と戦いたい、ですか?」
「はい。レイナスさんと模擬戦を行ってから帰りたいと……」
「いいんじゃない? レイナス先輩、シュンを叩きのめしちゃってよ!」
アーシャがムキーっとしながら、レイナスをけしかけている。
彼女の気持ちは理解しているので、それは望むところだ。今までの無礼もあり、少しはお灸を据えたかった。
しかし……。
「フォルト様に許可を得ませんと……」
レイナスは、フォルトの所有物である。
許可も無く、シュンと模擬戦を行うことは憚られる。自身は強くなることを望まれているが、その実力については隠したいと思っているはずだ。
ここは、不本意ながら断るしかないだろう。
そう思い至ったところで、とある人物がソフィアの後ろから顔を出した。
「おいレイナス。俺と戦ってくれよ」
「シュン様! 外で待っているようにと伝えましたよね?」
「ちょっと! なに勝手に入ってきてんのよ!」
模擬戦を提案した張本人の登場だが、これは非常識だ。
温厚なソフィアですら、抗議の声を上げている。当然のようにアーシャも、シュンに対して怒りを露わにしていた。
屋敷の主に許可を取らず、中に入り込むとは……。
「そう怒るなアーシャ。こうでもしねえと、レイナスは戦わねぇだろ?」
「貴方はふざけているのですか?」
「ふざけてねぇさ。帰る前に、ちょこっと模擬戦をしてくれりゃいい」
「と、とにかく屋敷から出ていきなさい!」
「そうよ! さっさと消えなさいよ!」
「シュン様。さすがに擁護はできませんよ」
レイナスは退去を命じたが、ここでふと考える。
ここまでのことをされて黙って帰したら、フォルトに申しわけが立たない。穏便に対処するにも、限界はあるのだ。
断ろうと思っていたが、続くシュンの言葉が決定的だった。
「おっさんなんかにお前らは守れねぇよ。俺が証明してやるぜ?」
「何ですって!」
「あんな小太りの中年よりも、俺のほうが強ぇに決まってんだろ!」
「口を閉じなさい!」
「みんな騙されてんのさ。俺と戦えば分かるぜ!」
「………………」
この安い挑発は、レイナスの感情を逆なでした。元々無礼な男だったが、よりにもよってフォルトを侮辱したのだ。
しかも……。
人間よりも、遥かに強大な力を持った魔人に対して。
身内を一番に考え、愛してくれる人物に対して。
そして、身内の全員が永遠に一緒にいたいと決めた男に対して。
知らないとはいえ、身の程を分からせる必要があるだろう。
「分かりましたわ。朝食を済ませたら、貴方のお相手を致しますわね」
「へへ。そうこなくちゃな。悪かったな。勝手に上がり込んでよ」
「もういいでしょう? さっさと屋敷から出ていきなさい!」
「はいはい」
これが、シュンと対峙する前の出来事だ。
現在は朝食を済ませて、シュンと向かい合っているのだった。
◇◇◇◇◇
まずは、おっさん親衛隊と勇者候補チームから審判を出した。
勝負に割って入れる者と、公平性の観点から選抜している。両チームの中で一番強い者が戦うので、二番目に強い者が審判に選ばれた。
それが、アーシャとギッシュだ。
(ふぅ。まずは冷静になりましょう)
「ロゼ」
「(なあに?)」
「いつもどおりにね」
「(殺しちゃ駄目なんでしょ? 魔人に怒られると思うわ)」
「殺したほうが面倒がなくなりそうだわ」
「(私はいいけどね。ザ・普通なんてどうでもいいわよ)」
この場でシュンを殺害したほうが、フォルトのためになるはずだ。しかしながら彼は、それを望んでいない。
同郷の者に遠慮しているのか、双竜山の森でも譲歩が目立った。
そしてレイナスには、愛する男の意向を無下にできない。
「冗談ですわ。フォルト様から許可を頂いたときに、改めて殺すわ」
「(そう? まぁレイナスが負けることはないと思うわ)」
「当たり前ですわ!」
「おい! そろそろいくぜ!」
聖剣ロゼとの会話は、他の者には聞こえない。
シュンが痺れを切らして、戦闘態勢に入っている。チラリと審判を見ると、開始の動作に入ろうとしていた。
レイナスも聖剣ロゼを構え直して、模擬戦の開始を待つ。
「けっ! 負けんじゃねえぞホスト!」
「レイナス先輩が勝つに決まってるっしょ! じゃあ……」
「「始め!」」
模擬戦が開始され、周囲の者たちは息を飲んで見守っている。
レイナスは、いつもどおりの戦術を開始した。
【ヘイスト/加速】
いつもどおりとは、相手が近づく前に、自身を強化することだ。
ただし筋力増加魔法まで使うと、シュンに致命傷を与える可能性があった。だからこそレイナスは加速の魔法だけに留めて、相手の様子を窺う。
「いくぜ! 『鉄壁』!」
シュンはスキルを使って、防御力を上昇させた。騎士ザインが教えた戦術だが、基本に忠実という意味では厄介だった。
魔法とスキルの差があれど、両者は初手を自己強化に充てる。
レイナスは二手目として、先制攻撃を仕かけた。
「『魔法閃』! はあっ!」
レイナスは聖剣ロゼを振るって、剣閃を飛ばす。
フロッグマン狩りで使っているスキルで、遠距離攻撃の一つである。相手には刃の形が揺らいで見えるため、剣や盾で受け止めることも可能だ。
果たしてシュンは、どのような対処を見せるか。と言ってもただ待っているだけでなく、剣閃を飛ばした瞬間に走り出した。
「あめえ! そんな刃じゃ、俺の防御は突破できねえぞ!」
シュンは盾を前面に出し、空気を切り裂いて飛んでくる剣閃を受け止めた。
避けられるように飛ばしたつもりだったが、防御力を見せつけたかったのか。もしくは、単純に避けられなかったか。
どちらとも受け取れるが、レイナスは相手の後ろに回り込もうとしていた。
(ふふっ。ルリとの模擬戦を思い出しますわね)
ルリシオンは火属性に特化した魔法使いなので、火球などが無数に飛んできた。
それを避けるための戦術だったが、相手を中心に円を描きながら走っているのだ。今回も同様であり、円の中心はシュンである。
少し体を動かすだけで、こちらの走る姿は見られてしまう。
要は、バレバレの行動だった。
「なんだあ。来ねぇのか? なら、『剛腕』!」
次もシュンは、スキルを使って腕力を上げる。しかしながらレイナスは、筋力増加の魔法を使っていない。
それには、笑みを零してしまう。
(やれやれですわね。女性相手に腕力を上げるなんて、男としてのプライドは無いのかしら? まぁその程度の男ってことだわ。フォルト様の足元にも及ばないわね)
「いきますわ!」
ここでレイナスは軌道を変えて、シュンに向っていく。だが距離があるのと目で追われているので、すぐに体を向けられる。
実のところ、相手の背後を狙うつもりはない。
観察することが目的だったが、大した収穫は無かった。
「来なっ!」
「はあっ!」
「あめえって言ってんだ!」
いつもなら氷属性魔法を使って、相手を攻撃する。
ただしレイナスは、攻撃のレパートリーを見せるつもりもなかった。愛しのフォルトはベッドの上で、「対人戦で重要なのは情報の有無」と言っていたからだ。
(模擬戦なのだから、相手にすべてを教える必要は無いですわね)
全力を見せるのは、相手を殺害するときで良い。
ともあれ、まずは剣と剣で力量の差を測る。
聖剣ロゼを上段から振り下ろすと、シュンは剣を勢いよくぶつけてきた。剣を受け止めるのではなく弾き飛ばして、レイナスを無力化するつもりだ。
「何が甘いのかしら?」
「なにっ!」
シュンは、スキル『剛腕』を使っている。
本来ならば、聖剣ロゼを弾いて然るべき。だがレイナスは読んでおり、鍔迫り合いに持ち込んだ。
両者共に両手で剣を握り直し、相手を押し込もうとする。
(お話になりませんわね。あれでロゼが弾かれないなら、実力は大したことがありませんわ。もう勝負を決めてしまおうかしら?)
「ぐうぅぅぅ」
「ふふっ」
二人は、力比べに入っている。
シュンの苦しそうな表情に対して、レイナスは冷ややかに笑っている。力量の差など、これだけでも分かろうというものだ。
同じレベルと言っても、さすがに拍子抜けである。
「なぁめぇるぅなぁぁぁあああっ!」
プライドでも傷付いたのか、シュンが怒声を上げて剣を押し込んできた。
それは思っていたよりも力強く、少しずつレイナスが押され始める。
「ふんっ!」
「きゃ!」
ある程度押し込まれたところで、シュンが剣を薙ぎ払ってきた。
当たるわけにもいかず、レイナスは後ろに跳んで避ける。
「やるじゃねえかよ」
「ちっ」
(面倒ですわね。同じようなレベルですし、あれぐらいはやれますか?)
シュンは基本に忠実だが、これこそが騎士の戦い方でもある。
それについては、レイナスも知っている。まだ伯爵令嬢だったとき、護衛だった騎士の戦い方を見ているからだ。
勝利するには、もう少し手の内を見せないと駄目か。
「いい勝負をしてんじゃねぇか!」
「シュン! 勝てる勝てる!」
「シュ、シュン! 頑張ってください!」
「力じゃ負けてないよ!」
勇者候補チームから、シュンに向かって声援が飛ぶ。
それに合わせるように、レイナスにも声援が聞こえた。
「レイナス先輩! シュンなんてギッタンギッタンにしてやって!」
「怪我だけはしないでくださいね!」
シェラは見当たらないが、屋敷の窓から見ているのは知っている。
とりあえずレイナスは聖剣ロゼを正眼に構えて、再びシュンと対峙した。力比べは終わったので、次は技量を確認するべきか。
攻撃の手数を増やして、相手が反応できるかどうかを探る。
そう考えて実行に移そうとした瞬間、またもや挑発を受けた。
「ほら来いよ! おっさんに洗脳されてんだろ?」
「え?」
「洗脳でもされなきゃ、おっさんに惚れるわけがねえ!」
「何を言っているのかしら?」
「まぁ俺がすぐに解放してやるよ」
「だから何を……」
「おかしいと思わねぇか? あんなキモいおっさんによ!」
「(レ、レイナス?)」
聖剣ロゼの声は届かず、レイナスは何かが切れる音を聴いた。
同時に目の前が闇に染まっていき、聖剣ロゼを持った手を垂らす。
「レイナス先輩!」
「………………」
「レイナス先輩!」
「………………」
「レイナス先輩!」
「え?」
どれぐらいの時間が経過したのだろうか。
レイナスの頭の中に、アーシャの声が届く。
ハッとして意識を取り戻すと、フォルトに教わった決めポーズを取っていた。聖剣ロゼを肩に担ぎ、上半身だけ振り向いてシュンを見下ろしている。
そしてギッシュが、グレートソードを構えていた。また彼の後ろには、シュンがうめき声を上げながら倒れている。
はっきり言って、状況が飲み込めない。
「シュン! シュン!」
「ち、治療をします!」
そこにアルディスとエレーヌが走ってきて、一緒に応急処置を始めた。
どうやらレイナスが意識を失っている間に、審判役のアーシャとギッシュが模擬戦を止めたようだ。
他の者たちは、彼女たちに遅れて近づいてきていた。
「わ、私は……」
「レイナス先輩の完勝っしょ! 凄かったよ!」
「ですが、少々やり過ぎですね。止めに入るのが遅れていたら……」
「けっ! 俺がそんなヘマをすっかよ。聖女さんも人がわりぃぜ」
「もう聖女では……」
「そ、そうだったな! だが俺の中じゃ、あんたは聖女さんだぜ」
レイナスに記憶は無い。
決めポーズをやめて自身の体を確認するが、魔法学園の制服は破れておらず、また傷は負っていないようだ。
そこで目の前のアーシャに、模擬戦について尋ねた。
「アーシャ。私はどうやって勝ったのかしら?」
「え?」
「あ、後で構わないから教えてほしいわ」
「いいけど?」
模擬戦をしていた本人から言われて、アーシャは少しだけ戸惑っている。
とにかく勝利までの記憶が無いので、レイナスすら首を傾げる始末だ。とはいえ目の前が暗くなる直前に、「プッツン」という音が聴こえたのは覚えている。
そしてキョトンと首を傾げながら、治療の様子を眺めるのだった。
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