魔人と剣聖2
ブロキュスの迷宮、地下五階層。
アンデッドだけだと聞いていたが、通路の奥まで向かうと違った。ミノタウロスと同様に、地下六階層以降からはぐれた魔物がそれなりにいる。
腐肉でも食する魔獣がほとんどで、餌を求めて階段を上ってきたか。
【マジック・アロー/魔力の矢】
精鋭部隊と合流したフォルトは、初級の無属性魔法を放った。
その目標となったのは黒い虎で、ブラックタイガーと呼ばれる魔獣だ。
日本で知られる虎よりも二回りほど大きく、推奨討伐レベルは二十八である。ワイバーンには及ばないが、オーガやビッグベアよりも強い。
普通は草原地帯に棲息するが、暗視能力を持つので迷宮にもいる。
何にせよ通路に陣取っており、邪魔だからと攻撃したのだ。
迷宮女王蟻でマスターした――と思っている――手加減で、ブラックタイガーも一発の光弾で仕留めた。頭部を狙うのがコツだ。
そして黒虎の近くには、一人の女性が震えながら佇んでいる。
「き、き、き」
「き?」
「きさま! 邪魔をするな!」
その女性は抜いていた刀を、遠くからフォルトに突き付けた。
震えていたのは、ブラックタイガーが怖かったからではない。今もわなわなと震えており、その表情からも怒りだと分かる。
「邪魔と言われても……」
「さっきから、私が斬り捨てる前に倒すな!」
この震えている女性は〈剣聖〉ベルナティオだ。
最前線を担当する彼女は、フォルトが光弾を放つ前に飛び出していた。ブラックタイガーを斬り伏せようとしており、それを邪魔されたからと怒っている。
魔法を主体とする自身としては、こちらに近づかれる前に討伐したい。だからこそ彼女の言葉は理解できず、首を傾げて尋ねた。
「なぜだ?」
「これでは修行にならん!」
(修行? 〈剣聖〉と呼ばれても修行とかするのだな。そこまで強くなっているのなら、もう隠居生活をしてもいいのではないか? 駄目なのか?)
フォルトは魔人になったことで、自堕落な隠居生活に入っていた。
現在は身内のために動いているが、基本的には森に引き籠っている。
「戦わないに越したことはないのでは?」
「それでは迷宮に潜る意味がない!」
「そ、そうか。難儀だな」
「何だと!」
「まぁまぁベルナティオ殿。被害がないのは幸いですぞ」
二人が言い争いになりそうなところで、ヴァルターが間に入る。
精鋭部隊の隊長として、迷宮内で喧嘩をされたら困るだろう。大声で騒いでいれば魔物を呼び寄せ、精鋭部隊が命の危険に晒されるのだ。
もちろん魔物の相手をしているので、常に命の危険を伴なっている。しかしながら無用な戦闘を続ければ疲労が蓄積して、思わぬ不覚をとってしまう。
それについては、ベルナティオも理解しているようだ。
「ヴァルター殿がそう言うなら……」
「確かに余計な手出しだったようだ。では、危険なときだけ手伝うとしよう」
「私が戦うのだ。危険などない!」
煽っているつもりはないが、ベルナティオは酷く絡んでくる。
出会った当初から敵意を向けられており、それを改善しようとしていたのだ。女性に嫌われたくないのは本音だが、フォルトの下心が見透かされたかもしれない。
彼女の桃尻に心奪われていたとはいえ、背中に目でも付いているのか。
そう考えていると、カーミラに腕を引っ張られた。
「御主人様に向かって生意気ですねぇ。殺しますかぁ?」
「いや。あれも手に入れたい」
「さすがに無理だと思いまーす!」
「かもなあ。まぁ様子見だ」
「えへへ。いざとなったら調教しましょう!」
(魔人の力を使ったゴリ押しで勝てるのか? いや。もし勝てたとしても、彼女は自害してしまうような気がする)
調教という言葉を聞いたフォルトは、レイナスを思い出した。だが〈剣聖〉のベルナティオは、彼女のようにはいかないだろう。
人間の実力者であり、簡単には捕らえられないからだ。合流してからの戦闘を眺めていたが、早々に実力行使は諦めていた。
本気の戦闘をしたことがないので、相手との実力差が読めない。エルフと同様に手に入れるなら、無傷の状態が良いのだ。
自害など以ての外で、入手難易度は高い。
今はピリピリと怒っていとしても、時間が経って落ち着けば、普通に会話をできるかもしれなかった。
とりあえず話題を変えるため、姉妹に声を掛けた。
「はぐれたミノタウロスはいないか」
「そうねえ。下層に行けばいそうだけどお」
「貴方が面倒なら、私だけで行ってもいいわよ?」
「駄目だ! 俺の傍にいろ!」
「っ!」
「マリだけを行かせると、迷宮までも破壊するのではないか?」
「ちょ、ちょっと! 私を何だと思ってるのよ!」
「ははっ。冗談だ。せっかく一緒に来たのだから、最後まで一緒にな」
「ふ、ふんっ! せいぜい私たちを飽きさせないことね!」
「そうしよう」
ミノタウロス以降のフォルトは、マリアンデールとルリシオンを下がらせている。今後も同様で、精鋭部隊の前で戦わせるつもりはない。
それは、ゲーム脳からの判断だった。
対人戦で重要なことは、相手の情報だと思っている。
身内だと、カーミラを除けば最強の姉妹なのだ。ポンポンと戦わせて、情報を垂れ流すつもりはなかった。
「ところでカーミラ」
「何ですかぁ?」
「人間は、あそこまで強くなれるものなのか?」
「多分ですけどぉ。スキルのおかげだと思いまーす!」
「ほほう。レイナスの『素質』のようなものか」
「より上位のスキルですねぇ」
はっきり言ってスキルは、無限にあると思って良い。
いや。無限は言い過ぎかもしれないが、それでも多いことは確かだった。種族スキルや人物のみの特殊な固有スキルも存在する。
すべてを修得することは不可能で、また把握もできないだろう。
とりあえずフォルトは召喚魔法と同様に、「そういうもの」と割りきっていた。難しく考えても専門家ではないので、全容の解明などできないのだ。
ともあれ精鋭部隊は、地下五階層の間引きを続けている。
出現するのはアンデッドが多いので、ベルナティオであれば余裕である。休憩を入れたいときに、他の戦士たちと交代するぐらいだった。
そして、地下五階層の奥まで進んだ頃。
「ティオ」
「きさま。私を愛称で呼ぶなと言ったはずだが?」
「だったな」
「ちっ。それで、何の用だ?」
「そう突っ掛かるな。俺は何もしていないぞ」
「ふん! フィロがきさまを怖がっている」
「ほう」
「フィロは危険感知ができる兎人族。だから、お前は危険なのだ」
「はい?」
休憩を狙ってベルナティオに話しかけたが、何とも理不尽な話だ。
確かにフォルトは魔人であり、全種族の敵だと認識している。しかしながら彼女たちは、その事実を知らない。
見た目は人間のおっさんなので、危険と言われても困ってしまう。
「やれやれ。それだけで決めつけられても、な」
「きさまは魔族と一緒にいる人間だ。どう考えても危険だろ?」
人間と魔族は、不倶戴天の敵同士。
フォルトと姉妹のように、仲睦まじく行動することなどあり得ない。こちらの世界の一般常識であれば、人間を裏切った危険人物とも言える。
もちろん裏切ったわけではなく、人間を見限っているだけだが……。
「そういうものか」
「きさま……。まさか異世界人ではないだろうな?」
「そうだが?」
「勇魔戦争を経験していない奴か」
「とにかく、俺をきさまと呼ぶな。フォルトという名前がある」
「きさまと仲良くするつもりはない。フィロにも近づくな!」
「ふーん」
(嫌われたものだな。アーシャのおっさん嫌いとは違うが……。しかし、近くで見ると凛として格好良いな。やはりこれは……)
〈剣聖〉ベルナティオ。
日本のコスプレイヤーが、こぞって真似をしそうな逸材である。凛々《りり》しくも美しい剣士で、フォルトの憶測だが、彼女は二刀流かもしれない。
腰に二振り差しており、予備とは思えない一品の刀だ。
「そうか? 俺は仲良くしたいがな」
「ちっ。いいから、あっちに行け!」
「やれやれ。またなティオ」
「だから、愛称で呼ぶなと……」
苦笑いを浮かべたフォルトは、ベルナティオの抗議を聞かずに離れていく。
彼女から嫌われている理由は分かったが、あまり不快感を覚えていない。要は警戒心からきてる話なので、大人として理解している。
そうは言っても、警戒心を解くのは非常に難しい。また迷宮内での調教も現実的ではなく、今回は諦めたほうが無難か。
嫌われようと面識はできたのだ。
彼女は修行と言っていた。ならば、おっさん親衛隊と合同でやるように提案してみるのはどうだろう。
そんなことを考えながら、カーミラと姉妹の近くに戻るのだった。
◇◇◇◇◇
幽鬼の森にある聖なる泉。
その畔にいるレイナスは、地面に横になりながら空を眺めている。聖剣ロゼを隣に置いて、日課の訓練で乱れた息を整えていた。
「フォルト様たちは、何をしているのかしらね」
「(平和ね)」
「そうですが、フォルト様がいないと寂しいですわ」
「(私は清々しているけどね!)」
「泉に捨てるわよ?」
「(ちょ! うそうそ! 冗談だって!)」
「まったく。ロゼも早く慣れなさい」
「(だって怖いんだもん)」
聖剣ロゼと会話が可能なのは、使用者として仮免許を受けたレイナだけだ。
ともあれ聖剣ロゼは、魔人のフォルトを怖がっていた。明確な理由は分からないらしく、どうも反射的だそうだ。
「あの魔人にすべてをあげちゃうなあ、と言ってましたわよね?」
「(私が人間ならね。人間じゃないもん!)」
「そ、そう」
「(確かに強いよ? 魔力量もハンパないわ! でもねぇ)」
「理由が分かれば良いのですけど……」
「(きっとレイナスが未熟だから、私の力を引き出せていないのよ!)」
「やはり捨ててしまいましょう」
「(嘘よ嘘! あぁ泉に投げ込まないで……)」
このやり取りも日常的になってきたが、自身が未熟なのは理解している。
魔法は別としても、レイナスの剣技は自己流だ。
そしてフォルトからは、魔法剣士を目指すように言われている。とはいえ正式な剣術を学ばなければ、今以上の成長は望めないかもしれない。
聖剣ロゼの力を引き出せていないのは事実である。
「使えない剣は要らないと思いますわ」
「(つ、使えるようになってきたじゃない!)」
「本当に?」
「(そ、そうよ! この私が言ってるんだから間違いはないわ!)」
「実感がないのだけれど?」
「(後はレベルね。今はいくつだっけ?)」
「レベル? 三十二ですわ」
レイナスはフロッグマンの自動狩りで、レベルを二つほど上げていた。
ちなみにアーシャがレベル二十八で、ソフィアが二十三だ。
「(もうちょっとじゃない?)」
「でしたら、暫くの間は捨てないでおいてあげるわね」
「(レイナスは意地悪だわ)」
「ふふっ。なら、誰かに拾われそうな場所に……」
「(捨てないでよ!)」
レイナスは考える。
聖剣ロゼの話が本当ならば、レベル三十五から四十で認められそうだ。もう一息なのだが、レベルが上がりづらい。
それは、フロッグマンが弱すぎるためだ。
自身はレベル三十の限界を越えた先に進んでいる。おそらくは、生死を賭けた戦闘が必要だと思っていた。
「さて、テラスに戻りましょうか」
笑みを浮かべたレイナスは、聖剣ロゼを握って立ち上がる。
ホッとした声が聞こえたが、努めて無視した。にもかかわらず聖剣ロゼは、構って欲しくてずっと喋っている。
毎度のことながら、本気で捨てようか迷う。
そしてテラスでは、アーシャとソフィアが、ティータイムを楽しんでいた。ならばと聖剣ロゼを地面に放り投げて、彼女たちと同席する。
「レイナス先輩! お疲れさん!」
「アーシャ。お茶をいただけるかしら?」
「おっけー!」
「ところで、ソフィアさんにお尋ねしたいのですが?」
「何でしょうか?」
「捕らえたフロッグマンについて、ですわ」
「あ、そうでした。レイナスさんには伝えておきますね」
闘技場で使う魔物や魔獣の件。
おっさん親衛隊が捕らえたフロッグマンのボスだが、デルヴィ侯爵の下まで送らなければならないのだ。
国境を越える条件として、商業都市ハンに送ることになっている。しかしながら面倒臭がりなフォルトは、幽鬼の森まで引き取りに来させる方針にした。
ソフィアはその方針転換を、ハーモニーバードでバグバットに伝えている。
「こうなると見越していたようで、侯爵は担当者を送っていたそうです」
「はぁ……。フォルト様の性格が読まれていますわ」
「ふふっ。分かりやすいですからね」
「ですが、その担当者」
あのデルヴィ侯爵が、フォルトに気を遣うわけがない。
貴族社会を熟知しているレイナスは、その担当者こそ警戒する。
そうは言っても思惑など一つであり、こちらの現状を知りたいのだ。とすると、幽鬼の森には入れないほうが良いだろう。
「バグバット様が許可を出したのです」
「あら。フォルト様が怒ると思いますわよ?」
「担当者を放置しておくと、勝手に向かうとか……」
バグバットとの取り決めでは、幽鬼の森を立入禁止にしていない。
アンデッドがいるので誰も立ち入らないが、その担当者は強者らしいのだ。放っておくと勝手に向かわれるので、監視として執事を付けたとの話だった。
「苦肉の策でしたのね」
「はい。侯爵との関係もあるので、これが精一杯だそうです」
「仕方ありませんわね。フォルト様は土地を借りている身ですわ」
フォルトがいない中、レイナスたちが客人を迎えることになる。
本来なら突っぱねたいが、バグバットとの関係を崩すほうが拙い。拠点を貸し出してもらって、屋敷まで頂いたのだ。
良好な関係を維持しないと、愛しの主人に申しわけが立たない。
「ふふっ。すぐに帰っていただきますよ」
「それが無難ですわね。いつ頃に到着しますか?」
「明日らしいですよ」
一抹の不安を覚えたレイナスは、アーシャの入れた茶を飲む。
フォルトと連絡が取れない以上、留守番組でどうにかするしかない。ソフィアが言ったとおり、すぐにお帰り願えば良いか。
これは、ちょっとした試練かもしれない。
自堕落な主人は、常に傍にいた。だが、今は違う。怠惰を封印してまで、自分たちのために動き始めているのだ。ならば留守を預かる身として、今回の件を切り抜けなければならい。
その思いを共有するために、ソフィア・アーシャと歓談を続けるのだった。
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