(幕間)乱世の予感
左右の壁に、本棚が並べられた部屋の一室。
茶色いローブを着用した男性が、机の上に置いてある羊皮紙を眺めている。歳は二十代前半だろうか。また机には、豪華な杖が立てかけてあった。
この男性の名は、ソル帝国の軍師テンガイである。
そして対面には、黒コートを着用した三人が立っていた。
「首尾はどうでしたか?」
「はっ! ベクトリア王国が話に乗ってきました」
「盟主として立つと?」
「はい。とはいえ、我らが持ちかける前には……」
「ほう。すでに動いていたと?」
「そのようです」
ベクトリア王国とは、エウィ王国の南にある小国群の一国だ。
山岳地帯に囲まれており、小国ながら難攻不落とされている。エウィ王国の次に歴史がある国で、周辺の小国とは友好関係を結んでいた。
「南方小国群で参加予定の国は?」
ベクトリア王国の周辺に栄える小国は、以下のカルメリー王国・サザーランド魔導国・サディム王国・ラドーニ共和国・ライラ王国。
つまり南方小国群とは、この六カ国の総称である。
そしてベクトリア王国は、南方小国群の中で一番の国力を誇っていた。
「ベクトリア王が予定していたのは、カルメリー王国以外の国々です」
「その国は、エウィ王国の属国ですからね。我らの思惑通りとも言えます」
「はい」
「では、種を芽吹かせましょうか。以降の作戦を開始してください」
「了解しました!」
「では行きなさい。私は陛下に報告します」
「「はっ!」」
命令を受けた三人は、一礼をして部屋から退出した。
テンガイは報告に使う羊皮紙を束ねて、「順調ですね」と口角を上げる。
そして席を立った後は、皇帝ソルの執務室に向かう。
執務室の前では、フルプレートアーマーを装備した四人の近衛騎士がいる。直立不動の姿勢だったが、こちらを発見すると、胸に右腕を水平に置いた。
「陛下に取り次いでいただけますか?」
「只今は、ルインザード様がお見えになっております」
「そうでしたか」
そこまで話したところで、執務室の扉が開く。
部屋の奥からは、帝国四鬼将筆頭のルインザードが退出してきた。
「おぉテンガイではないか。陛下に何用だ?」
「種について進展があり、陛下にご報告致します」
「なるほどな。お前たちは誰が尋ねてきても執務室に通すな!」
「「はっ!」」
「お心遣い、ありがとうございます」
「後で招集があろう。またそのときにな」
内容を濁したが、ルインザードは察したようだ。
この件は公にできず、裏で動いている。自分から人払いを願うつもりだったが、彼が代弁してくれた。
そしてルインザードは、テンガイから離れていく。
執務室に入った後は、近衛兵によって、扉は固く閉められた。
皇帝の執務室は広いが、基本的にはソルしかいない。奥に煌びやかな机や椅子が置かれて、その前にはソファーが並んでいる。
執務を補佐する内務官は隣の部屋におり、必要があれば呼び出す。
「どうしたテンガイ?」
「種の件です」
「ソファーに座れ」
「はっ!」
皇帝ソルの表情は明るい。
先ほどルインザードと話していたようだが、何か良い報告でも受けたか。とはいえテンガイの報告も同様なので、我知らず笑みを浮かべてしまう。
とりあえずソファーを勧められたが、手前で止まる。帝国の絶対的支配者より先に座るなどあってはならない。
以降はソルが着席するのを待ち、ソファーに腰を下ろす。
それから持ってきた羊皮紙を渡して、作戦の経過を説明した。
「ベクトリア王は、俺が思っていた以上の野心家だったか」
「はい。しかも、帝国から接触があると読んでいました」
「ふんっ! それすらも手の内と知らずに、な」
「小知恵が回るぐらいでないと使えますまい」
「ははははははっ!」
皇帝ソルは大柄な体を大きく揺すって、豪快に笑っている。
テンガイからの報告に満足したようで、この件に関する労いの言葉も賜った。
ともあれ、これだけのために皇帝の執務室に訪れたわけではない。報告するべき事柄は多く、その一つを話題に挙げられた。
「帝国の周辺国家の状況はどうなっておる?」
「砂漠の国ハンバーが、内戦に突入しました」
「ふむ。突入させました、の間違いではないか?」
「炎の民は気性が荒いですなあ。扱いやすくて助かります」
「背後から攻められねばよい」
「セーガル王は仲裁に乗り出すでしょう。その余裕はありません」
テンガイが口角を上げると、皇帝ソルもそれに応じた。
謀略を考える者にとって、予定どおりに進むのが楽しいのだ。
「ターラ王国はどうだ?」
「予定どおりです。冒険者に仕立てた諜報員が、ゲリラに紛れ込みました」
「馬鹿どもが多くて助かるな」
「状況が状況です。選択肢が無いことには同情します」
「同情などと微塵も思っておらぬだろう?」
「はははっ。それで帝国内の準備は?」
「ルインザードが滞りなく終わらせておる」
「では?」
「ふんっ! 平和に現を抜かしてる国など滅びればよい」
「そうですね。乱世なくして統一はなりませぬ」
「ソル帝国が、人類を統一してやろうと言うのだ!」
皇帝ソルは立ち上がり、拳を握り締めた。
その眼差しは近くを見ているようで、未来という遠くの景色を眺めている。筋肉で盛り上がった肉体からも覇気が感じられ、テンガイは覚悟を再認識した。
人類統一という偉業のためには、どのような犠牲も厭わないと……。
「よし! ベクトリア王国はテンガイに一任する」
「はっ! 必ずや成功を……」
テンガイは立ち上がって、皇帝ソルに一礼をする。
そして、執務室から退出した。ルインザードが言っていたように、これから重鎮に招集が掛かるだろう。
ソル帝国は人類統一という偉業のために、今は静かに動きだすのだった。
◇◇◇◇◇
月明かりに照らされた部屋の中央で、一つの人影が佇んでいる。
身長は低いようで、成人男性の半分ぐらいか。というよりも極端な猫背らしく、背中が丸まっていた。
特徴的なのは、つばの広いとんがり帽子。また俯いているので顔は分からないが、その手にはホウキを持っている。
ともあれガチャリと音がして、部屋の扉が開く。続けて明るくなるのと同時に、猫背の者は振り向いた。
入室してきたのは、吸血鬼の真祖バグバットである。
「アクアマリン。戻ったであるか」
「きひひ。今しがたさ」
「明かりぐらい灯せばよいものを……」
部屋にいた者は、アクアマリンと呼ばれる老婆だ。
ライカンスロープのメドランと同様に、自由都市アルバハードの諜報員である。大陸の西を担当させており、亜人の国フェリアスから帰還したところだった。
「メドランはまだかぇ?」
「とっくに戻ったのである。今は大陸の南方に向かったのである」
「竜王かい?」
「で、あるな。まずは報告を受けるのである」
「きひひ。よいともさ」
帽子のつばを上げたアクアマリンは、ソファーに腰かける。
バグバットは棚に向かって、小さな箱とワインを取り出す。続けてソファーに近づき、テーブルを挟んで、彼女の対面に座った。
ワイングラスとティーセットは、テーブルのうえに用意されている。
「その箱は?」
「良き茶葉を入手したのである」
「きひひ。ありがたいねぇ。あたしからも土産があるよ」
「で、あるか」
帰還の途に就いたアクアマリンは、ドワーフ族の集落に立ち寄ったらしい。
部屋の片隅に視線を向けたバグバットは、彼女が運び込んだであろう木箱を発見した。気の利いた土産に口角を上げて、同じ銘柄だろうワインをグラスに注ぐ。
「おっと報告だったね。人馬族がフェリアスから脱退したよ」
「理由は調査できたであるか?」
「当然さね」
「それは?」
「残念ながら言えないねぇ」
アクアマリンは澄ました顔で、茶をすすり始めた。
彼女はバグバットの部下なので、仕事の成果を報告しなければならない。にもかかわらず口を噤むとは、何を考えてのことなのか。
「吾輩を裏切るのであるか?」
「違うさね。これは、アタシの問題でもあるからねぇ」
「六魔将として、であるか」
「後は察してほしいねぇ」
「で、あるか」
「報告できない理由が分かったようだねぇ」
「生きていらしたのであるな。アクアマリンはどうするのであるか?」
「まだ厄介になるよ。仕事はちゃんとするさね」
「で、あるか」
アクアマリンは、魔王軍六魔将の一人である。
ただし魔族ではなく人間で、現在は協力関係を築いている。彼女の素性を知っている者は、バグバットとメドランだけだった。
「吾輩は……」
「中立じゃろ? 分かっておるよ」
「で、あるか」
「アルバハードには手を出さないと仰せだねぇ」
「ならば構わないのである」
「とにかく、人馬族はフェリアスから脱退したということさね」
バグバットは表情を変えない。
アクアマリンの事情は、互いに協力関係を結んだときから理解している。来るべきときが来ただけで、動揺もせずにワインを飲む。
「大陸が騒がしくなるのであるな」
「そうかい?」
「砂漠の国ハンバーで内乱が発生したのである」
「メドランからかい?」
「で、あるな」
「ヤレヤレだね。帝国かい?」
「そう読んでいるのである」
「個人的には好都合だねぇ」
「で、あるな」
「きひひ。助言は無しかい?」
「吾輩は中立である」
アクアマリンの話から、おおよその見当はついた。となると、メドランを大陸の南に向かわせたのは正解だった。
おそらく、南方小国群でも何か起こるだろう。
そして、彼女からの報告は続く。
「人馬族については済まないが、〈剣聖〉を知っているかぇ?」
「面識は無いのである」
「今はフェリアスに滞在しているねぇ」
「ほう。人間の最大戦力がフェリアスであるか」
「ブロキュスの迷宮で修行だとさ」
「むっ!」
「どうかしたかぇ?」
「いや。これは言えぬ問題であるな」
「アタシの真似かい? まぁ構わないさ」
考え込んだバグバットは、フォルトの姿を脳裏に浮かべる。
現在は、そのブロキュスの迷宮に向かっているはずだ。しかも、マリアンデールとルリシオンを連れて……。
〈剣聖〉との出会いで、何が起こるか分からない。
触発された魔人に、災厄を撒き散らされても困る。
(出向くか迷うのであるな。アルバハードを留守にしたくないのである。かと言ってアクアマリンを向かわせるのは、非常に拙いである)
バグバットの想定どおりであれば、アクアマリンを送るのは危険だ。
必ずや、ローゼンクロイツ家の姉妹を引き込もうとするだろう。
そうなれば、フォルトが許さない。マリアンデールとルリシオンが断ったところで諦めれば良いが、それは望めない。
「これも運命であるか?」
「どうかしたかぇ?」
「何でもないである。他には?」
「エルフの女王の情報を入手したよ」
「ほう。さすがはアクアマリンであるな」
「きひひ。呪いさね。何者かに呪われて、今は伏せっているねぇ」
「何者かとは?」
「残念ながら分からないねぇ。目的も不明さね」
「で、あるか」
これで三国会議に、女王名代のクローディアが出席した理由が分かった。
エウィ王国やソル帝国の要求に対して譲歩していたのも、その事実を勘繰られないようにするためか。
どの線の犯行かは不明だが、外部から干渉を受けていたようだ。
「きひひ。各部族総出で、呪いを解呪する方法を探している最中さね」
「で、あるか。して、あの男は元気であるか?」
「相変わらずだったねぇ。いずれは会いに来るんじゃないかぇ」
「迷惑である!」
「そう言いなさんな。きひひ」
バグバットにしては珍しく嫌そうな顔になり、まるでフォルトのようだ。
その表情が面白かったのか、アクアマリンはしわを寄せて笑っている。
(生きていたのであるな。喜ばしいことであるが、あの男のほうが危険である。もしもフォルト殿と出会うと……)
「アクアマリンは、いつまで協力できるのであるか?」
「そうさねぇ。あと一回。いや。二回は平気かねぇ」
「で、あるか」
「どこを調べてほしいかぇ?」
「まずは、南方に向かったメドランと合流してもらうである」
「エウィ王国は?」
「今回は通り過ぎて、更に南に向かうのである」
「遠いねぇ。竜がきたら逃げるよ?」
「構わないのである。メドランも同じことを言っていたのである」
「きひひ。では行ってくるとするかねぇ」
アクアマリンは話は終わったとばかりに、茶を飲み干す。と同時にソファーから立ち上がり、ゆっくりと退出した。
メドランはだいぶ先に進んでいるが、彼女なら追いつくだろう。
手に持ったホウキに乗って、空を飛ぶのだから……。
そしてバグバットも立ち上がり、窓の近くに移動する。
「乱世になるのであるな」
(世界から誕生した吾輩には関係が無いのであるな。大人しく、今で満足をしていれば良いものを……。なぁフォルト殿……)
バグバットは手に持ったワイングラスを、七つの月に向かって掲げた。
人外の者である吸血鬼の真祖には、争いの絶えない生き物たちが愚かに映る。またフォルトという魔人も、きっと同じことを思うだろう。
そしてワインを飲み干した後は、部屋から出ていくのだった。
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