剣聖2
迫りくる巨大な黒蛇を、一振りの剣が切り裂く。
鉄の剣とは違って、両刃ではなく片刃だ。刀身が真っすぐ伸びた形状ではなく、片刃が反り返っている。
これは刀と呼ばれる武器で、日本では侍という戦士の装備だ。
「まだまだあ!」
「シャーッ!」
この黒蛇は、ブラックヴァイパーとの別名を持つ魔物である。
全長が十メートル以上ある個体も確認される凶暴な大蛇だ。人間など簡単に丸呑みして食べてしまう。
出現した黒蛇は五メートルほどだが……。
「ちっ。蛇の分際で……」
「シャーッ! シャーッ!」
その黒蛇と対峙している人間がいる。
長い黒髪をポニーテールでまとめた女性で、年の頃は二十代後半か。
着用している服は道着に近く、戦士というよりは剣士に見える。服の内側にチェインメイルを着込んでおり、動きやすさに重点を置いていた。
刀は腰に二本差して、うち一本は抜かれている。
「『気剣体一致』! いくぞっ!」
その女性は、スキルを発動した。
剣道では「教え」になるが、こちらの世界では補助スキルに該当する。刀が手足の一部のように感じられて、攻撃の威力や命中率を高めるのだ。
女性は刀を鞘に納めてから、柄に手をかける。
そして目を閉じ、独特な構えを取った。
「………………」
女性を丸呑みにしようと、黒蛇は頭部を浮かせる。
餌となる獲物を、頭部から丸呑みにするつもりだ。長い舌をチロチロと動かした後は、口を大きく開けて襲ってきた。
「シャーッ!」
「はああぁぁぁあああ! 『月影』!」
黒蛇の口に、女性の肩まで入った瞬間。
驚異的な速度で刀を抜き放ち、黒蛇を一閃した。
これは「抜刀術」と呼ばれる剣技だ。
女性の攻撃により、黒蛇の口が切り裂かれる。そのまま斬撃は止まることなく、頭部まで貫いた。
さらに、威力か風圧によるものか。黒蛇の頭部は、後方へと吹き飛んだ。
「ふぅ。終わったか」
黒蛇が動かなくなったのを確認して、女性は刀を鞘に戻した。続けて振り返り、後方で待機していた者たちに向かって歩き出した。
数多くの獣人族が待機しており、その中から大柄な男性が声を掛けてきた。
「ベルナティオ殿はお強いですなあ!」
「蛇如きでは強さを計れまい?」
「いやいや。おかげで四階層の攻略も順調ですぞ!」
「そう言ってもらえると嬉しいがな」
〈剣聖〉ベルナティオ。
齢二十七歳。僅か七歳で剣を取り、今の今まで負け知らず。その剣の道は誰にも譲らず。勇魔戦争でも、魔族を相手に負けはない。
ソル帝国の闘技場では出場禁止の覇者であり、まさに天下無双の剣豪である。
「ヴァルター殿。まだ間引きをするのか?」
「はい。五階層への階段前までは進む予定ですな」
この男性は精鋭部隊の隊長で、熊人族の獣人だ。
怪力の持ち主で、隊員からの信頼も厚い。盾職戦士――タンク――であり、体を隠せるほどのラージ・シールドを持つ。
この盾は、大盾とも呼ばれる。
「分かった。おっと、私も解体を手伝おう」
「いえ! ベルナティオ殿にそんなことはさせられません!」
「しかし、皆がやっているなら……」
「最前線で戦っておられるのですぞ。どうぞお休みください!」
「そ、そうか? なら、お言葉に甘えよう」
(気を遣ってくれるのは有難いのだが、特別扱いは困るな。まったく……)
称号自体は、最近獲得したものだ。
そうは言っても、すでに二つ名として〈剣聖〉と呼ばれていた。各国から秋波を送られているが、すべてを断っている。
自身には、剣の道を極めるという目標がある。
称号を獲得してからは、更に酷い。
強者を囲い込めば、それだけでパワーバランスが変わる世界だ。どの国も、喉から手が出るほど欲しいだろう。
「やれやれだな」
「ティオは大変だね」
「フィロ。お前も戦え!」
「邪魔しちゃ悪いじゃん。目の前でピョンピョン跳ねられたら嫌でしょ?」
近づいてきたフィロは、兎人族の女性である。
昔からの友人で、愛称の「ティオ」と呼べる間柄だ。
白髪のショートカットが特徴的で、二十歳の童顔である。軽装備となる皮鎧を着用して、武器は弓と短剣を持つ。
兎人族はその名のとおり、頭から兎のような長い耳を生やしていた。また非常に優れた危険感知能力を有している。
その危険感知能力のおかげで生存率が高く、今まで生死を賭けるような戦いに遭遇したことがない。
討伐隊では、「幸運のフィロ」と呼ばれている。
「それぐらいは問題無い。フィロには当てないさ」
「へへっ。もしかして私なら、ティオに勝てるかな?」
「無理だな。いくらフィロが幸運でも、私は負けない」
「まぁそうだよね。ところでさ!」
「何だ?」
「嫌な予感がするんだよね」
「嫌な予感?」
「うん。こう、何て言うか。ピリピリする感じ?」
「私には何も感じないが?」
「そう? 気のせいかな」
フィロが腕組みをしながら、首を傾げている。
彼女が危険を察知するときは、もっと直接的なはず。四階層までは戦いの連続だったので、単純に疲れたのだろう。
「フィロも休んでおけ」
「そうしよっかな。私に解体はやれないしね!」
「確か……。五階層までの間引きだったな?」
「そう聞いてるよ」
「なら、一度地上に戻ったほうがいいかもしれないな」
「どうだろうね。隊長次第じゃない?」
精鋭部隊の行動を決定するのはヴァルターで、フィロに決定権は無い。
それに戻ると言っても、すべての魔物を間引きしたわけではない。戻るときにも遭遇するだろうし、再び来るときにも戦うことになるだろう。
「どちらも危険か」
「さてね。まだピリピリする感じがするけど……」
「魔物が近づいたら違う感じ方をするだろ?」
「そういった話なら、進んでも戻っても平気じゃない?」
「まぁヴァルター殿に任せればいいか」
「そうそう。ティオはさ。鬼婆みたいに戦ってればいいよ!」
「誰が鬼婆だ!」
「へへっ。戦うことしか脳が無いんだからさ」
「言ってろ。とにかく休むぞ」
「はいはい」
休憩に入ったベルナティオは、通路の壁に背中を預ける。
体力には余力を残しているので、まだ疲れを感じていない。休憩と言ったが、刀の手入れを始める。布で磨いて、刃こぼれが無いか確認した。
そしてフィロが隣に座って、肩に頭を乗せてくるのだった。
◇◇◇◇◇
精鋭部隊の斥候を務めているフィロは、通路の角から顔を出す。
そして、奥にいる魔物を凝視した。
迷宮の中は暗いが、獣人族は『暗視』スキルを持つ種族が多い。暗闇でも昼間のように見られるスキルだ。
またゴブリン・オーク・オーガ、他にも魔物・魔獣の一部も保有している。
人間が、夜を恐れる理由の一つだ。個人なら修練によって習得できるが、種族としては保有していない。
「あの魔物は……。ナーガ?」
視線の先には、人間のような上半身を持った蛇がいた。
首から上は、人の顔と蛇を足した感じか。比率としては、蛇のほうが多い。日本でも有名なコブラという毒蛇に、人間のような目・鼻を付けたイメージだ。
(あれはヤバいよね。とりあえず戻ろっと!)
顔を戻したフィロは、忍び足で通路を戻った。
以降は精鋭部隊に合流をして、隊長のヴァルターに報告する。
「ナーガだと?」
「うん。階段の前に居座っていたよ」
「何体だ?」
「一体だけど、部屋は狭いと思う」
「くそっ! 部屋が狭いんじゃ、部隊で入れねぇな」
「おそらくだけど、五人ぐらいしか無理じゃないかな」
「狭すぎるだろ!」
「あ……。戦闘を考えて五人ね。何もいなければ、もっと入れるよ」
「あぁ悪いな」
「ヴァルター隊長はせっかちです!」
「はははははっ! そう言うな」
フィロからの報告を受けたヴァルターは、頭を掻いて顔を赤らめた。
こういった間違いはよくやるほうで、他の隊員たちもクスクスと笑っている。
ちなみに、ナーガの推奨討伐レベルは三十だ。
一般兵では、出会えば死ぬレベルである。討伐隊の精鋭部隊は強者が集まっているが、レベル三十の限界突破をした者は少ない。
「毒が厄介なんだよな」
「噛みつかれるのもそうだけど、毒を撒き散らすんだよね!」
「それな。部屋が毒だらけになっても困る」
「でもさ。毒の部屋になれば、五階層に行かなくても平気じゃない?」
「駄目だな。下層はアンデッドの巣だ」
「そうだっけ? 毒は関係がないか」
フィロの話は、五階層より先でスタンピードが起きても、その毒部屋で勝手に死ぬという発想だ。と言っても、五階層はいるアンデッドは毒を無効化する。更に下層には、ナーガの毒に抵抗を持つ魔物も棲息した。
人間や獣人族には危険でも、効果が薄い魔物は多い。
二人の会話を聞いたベルナティオは、ヴァルターに提案する。
「ナーガが一体なら、私だけでも討伐できると思うぞ?」
「いや。一人では危険だな」
「なぜだ?」
「いくら〈剣聖〉でも、毒には敵わないだろ?」
「毒を撒かれるより先に倒せばいい」
「まぁそうなのだが……。いや。やはり神官を付けよう」
「そうか」
ベルナティオのレベルは、ナーガよりも上だった。推奨討伐レベルを遥かに超えており、一人でも余裕だと考えている。
それでもヴァルターは、身の安全を優先した。
部隊の隊長として、一人の犠牲も出したくはないのだろう。
「俺とベルナティオ殿。他は神官と魔法使いが一人ずつだな」
「分かった」
「残りの者は、後方からの魔物に対処しろ! 突破されて邪魔をさせるな!」
「「おおっ!」」
気合が入った小さな声が響く。
ここは魔物が巣くう迷宮なので、大声など以ての外だ。
ともあれベルナティオは、ヴァルターとフィロについていく。後ろには神官と魔法使いが続き、通路の角まで進む。
視覚は、ランタンから漏れる灯りが頼りだった。
現在は光量を落として、ナーガに気付かれないようにしている。
「この先か?」
「そうだよ。もう一回確認するね」
「任せる。皆は準備をしてくれ」
ナーガがいる部屋が近く、ベルナティオは戦闘の準備に入る。
そして、フィロからの報告を待つ。
ここまでは、ランタンの薄暗い明かりを頼りに進んできた。しかしながら今は、ランタンに備わったシャッターが下りている。
「暗闇で見えるのは羨ましいな」
「戦闘になったら、ちゃんと光を灯すぜ」
「頼む。気配は分かるが、視認したほうがいいからな」
「おっ! まだ一体のようだ。行くぞ!」
現在の状況を、フィロの手信号で伝えられたようだ。
その意味はベルナティオに分からないが、ナーガの他に魔物はいないらしい。ヴァルターから合図が出たので、目を閉じて味方の気配を探る。
同時に、後ろにいた魔法使いが光属性魔法を発動した。
【ライト/光】
魔法使いが持つ杖に光が灯り、暗い通路が明るくなる。
いきなり強い光を見ると、視覚が潰されてしまう。だからこそ目を閉じたのだが、徐々に開けながら明るさに慣れさせる。
もちろんすでに走りだしており、ヴァルターの気配を追いかけていた。
「フィロはここで待っていろ!」
「ティオ。頑張ってね!」
ヴァルターを先頭に、一行はフィロの横をすり抜けて奥に向かう。
奇襲にならないのは当然で、ナーガはこちらを向いて威嚇していた。
「シャーッ!」
「俺に防御魔法を!」
「はいっ!」
【レジスト・ポイズン/毒耐性付与】
神官から信仰系魔法を受けたヴァルターが、部屋の中に飛び込む。
以降はナーガに接近して、大盾を構えた。
「来なっ!」
「シャーッ!」
ヴァルターの戦い方は、防御に特化している。グレートソードをぶん回すどこかの戦士と違って、本来の盾職戦士を地で行く。
ナーガは言語を理解しないが、それなりに知能がある。上半身を左右に揺らしながら隙を探り、攻撃できる箇所を探していた。
大盾が邪魔だと認識した行動だ。
「魔法で攻撃しろ!」
「はいっ!」
【ロック・ジャベリン/岩の槍】
ヴァルターがナーガを引き付けている間に、魔法使いが攻撃を仕かけた。
ナーガの左右に岩の槍を作り出して、勢いよくぶつけている。
迷宮や洞窟では、火属性魔法が厳禁だった。
煙で肺を痛める場合があり、酸素も失われてしまうからだ。ランタンや松明程度であれば良いが、魔法の炎はかなりの酸素を消失する。
そしてナーガには、水属性魔法が効かない。風属性も空気を使うので控えたほうが良い。だからこそ魔法使いは、土属性魔法を使っていた。
「キシャーッ!」
魔法攻撃を受けたナーガは、上半身を後ろに反らした。
それを確認したヴァルターは、大盾を前に出して足を踏ん張る。ナーガが次に繰り出す攻撃に耐えるためだ。
反り返ったナーガは、弓から放たれた矢のような勢いで向かってきた。続けて両拳を前に出して、大盾にぶつかる。
その攻撃を踏ん張って耐えたが、勢いがあり過ぎて押されてしまう。
「ぐうううっ!」
「私に任せろ!」
ベルナティオは勝機と見て、ヴァルターの左から飛び出す。
ナーガの攻撃は大盾に受け止められて、今は無防備の状態だ。ならばと刀の柄を握りながら、床の上を走る速度を上げて接近する。
間合いに入ったところで、鞘から刀を抜いた。
「まだ早い!」
「でやああっ!」
ベルナティオは目にも止まらぬ速さで刀を抜いて、ナーガの胴体を斬る。
そして返す刀で、首を狙った。
「シャーッ!」
その瞬間、ナーガの側頭部が開く。コブラのような皮膚の膜だ。
斬られたことがトリガーになったのか、紫色の液体が飛び散った。しかしながらベルナティオは意に介さず、ナーガの首を斬り落とす。
ただし、その液体を浴びてしまった。
「うぐっ!」
「治療だ!」
「はいっ!」
【キュア・ポイズン/状態異常回復・毒】
ヴァルターの命令で駆け寄った神官が、ベルナティオに信仰系魔法を使う。
この魔法は、毒だけに効果がある。効果対象を絞るので、初級の状態異常回復魔法よりも効果があった。
「大丈夫か?」
「少し無茶をしたようだ」
「まったく……。部屋を出るぞ!」
ナーガを討伐した一行は、フィロが待つ場所に戻った。
毒を撒き散らされたので、暫くは部屋が使えないだろう。地下五階層に向かう階段があるとはいえ、精鋭部隊は待機せざるを得ない。
ベルナティオは地面に腰を下ろし、壁に背を預けるのだった。
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