寄り道3
町から町に向かう街道を、普通の人間が外れることはない。
なぜかと言うと、魔物の領域になるからだ。
平野部に棲息するのは、巨大昆虫のような魔物や狼などの魔獣。草木が多い場所なら、植物系の魔物も脅威だった。
見晴らしも良いので、空からも襲われる。
グリフォンが代表的だろう。
鷲の上半身と獅子の下半身を持ち、翼が生えている魔獣だ。飼い慣らすことは可能だが、野生のそれは危険である。旅をする者なら、馬車を引く馬が狙われやすい。
このように、街道を外れるのは避けるべきだ。
「ふう。一段落だな」
レイバン男爵を捕縛したフォルトは、ソネンの私兵に引き渡した。
これが、グリムに提示された土産の内容だ。男爵が栽培していた麻薬畑を潰して、同時に犯罪人として拘束した。
ついでに、新興の裏組織「蜂の巣」の力を削いだ。
ボスのガマスを殺害したので壊滅に近い。しかしながら、裏組織などは完全に壊滅しないものだ。
あちらの世界と同様に次のボスが現れて、すぐに活動を再開するだろう。
「さてと。肉は焼けたかな?」
「いい具合に焼けたわあ。でも魔物が寄ってこないわねえ」
「サタンがいるからな。立っているだけでいいらしい」
「ふん!」
大罪の悪魔サタンの威圧が、魔物や魔獣の生存本能を刺激する。
これならば昆虫だろうが魔獣でも、フォルトたちに近寄ってこない。害虫であっても潰そうとすれば、一目散に逃げるのだ。
つまり、そういうことである。
「それよりも貴方。今更だけどいいかしら?」
「何だマリ?」
「国境をどう越えるつもり?」
「え?」
「国境よ国境。私たちがエウィ王国に入るときは山越えをしたけどね」
「なら、山越えにしようか」
「馬車があるでしょ? 無理よ」
「あ……」
アルバハードに向かうには、国境を越える必要があった。
すっかり忘れていたが、フォルトたちは検問を受けるのだ。とはいえ残念ながら、自身やカーミラのカードは見せられない。
それに、魔族を連れているのも拙い。
上級貴族がローゼンクロイツ家の存在を知っていても、警備兵や衛兵などに伝わっているとは思えない。
(そうだった。日本にいたときも海外には行かなかったから、国境を越えるとか想像もしていなかったな。最初は空から行ったし……)
「あっ! 三国会議のときは、ソフィアのカードで町の外に出たよな?」
「あのときは特別です。しかもアルバハードで有効だったのです」
「くぅ!」
ソフィアは聖女として参加したので、三国会議のときは通用した。当時は剥奪されていたが、内外に向けて発表していなかったからだ。
もちろん、今は違う。新たな聖女も決定して、ソフィアは無役と言って良い。グリムの孫娘という肩書しか使えない。
国境の通行審査では、まったく通用しないのだ。
「グリムの爺さんの客将というのも駄目なのか?」
「駄目ですね。その話も下には伝わっていないでしょう」
「うーん。参った」
「フォルトさん! どうすんの?」
「そうだなあ。アーシャが何とかしてくれ」
「無理よ!」
「ならレイナス」
「方法ならありますわね」
アーシャに頼むのは間違っているが、さすがはレイナスだ。
それに安心感を覚えたフォルトは、話の続きを促した。
「詳しく!」
「ふふっ。フォルト様次第ですわ」
「俺か?」
「はい。デルヴィ侯爵と面会すればよろしいかと……」
「は?」
「ここは侯爵領。国境の管理も同様ですわ」
「そうだが……」
「晩餐会の時点では、フォルト様に会いたがっていましたわね」
三国会議で催された晩餐会では、デルヴィ侯爵が面会を求めてきた。
もちろんフォルトにそのつもりは無く、「考えておく」と断っている。ならば面会してやることで、国境の通行を許可してもらえるか。
ただし今回は、全員で移動中だ。
「だが、ソフィアは狙われているかもしれない」
「フォルト様と一緒なら平気だと思われますわよ?」
「リリエラも問題ではないか?」
「馬車から出なければ平気ですわ。どこかで待機ですわね」
「ふーん」
貴族を熟知しているレイナスが言うならば、それが正解だろう。
侯爵に面会を求めたとしても、あちらはフォルトの同行者を知らない。全員で移動中だが、全員で面会する必要は無いのだ。
当然のように自分一人では無理なので、一緒に行く者を決める。
「であれば、俺とソフィア。レイナスも一緒に来てくれ」
「御主人様。カーミラちゃんはどうしますかぁ?」
「サタンが消えるから、他のみんなを守ってくれ」
「はあい!」
「ふん!」
二手に分かれるなら、フォルトが頼れるのはカーミラだけだ。
マリアンデールとルリシオンがいるので、心配自体はしていない。しかしながらより安全を重視するなら、彼女を付けたほうが良い。
レベル百五十の悪魔なので、何が起きても平気だろう。
「ソフィアは俺が守るから安心してくれ」
「はいっ!」
「だがアポイントも無くて、すぐに面会ができるものなのか?」
「本来なら無理ですが、フォルト様に会いたいのは侯爵ですわね」
「なるほどな。さて、何を言われることやら……」
渋い表情を浮かべたフォルトは、スープを飲んでいるリリエラに視線を向けた。彼女は死亡したことになっているので、完全に隠さないと駄目だろう。
詐欺メイクをしていても、彼女を知る者が見れば露見する可能性はあった。
そして杞憂と思いながらも、カーミラを連れて馬車の中に戻るのだった。
◇◇◇◇◇
デルヴィ侯爵は自身の屋敷に、五十歳に近い壮年男性を呼び出していた。
応接室に通した後は、対面形式でソファーに座る。
この人物は、聖神イシュリル神殿枢機卿のシュナイデンだ。
次期教皇とも目されている男で、侯爵は懇意にしていた。現教皇とは折り合いが悪いとはいえ、実質的にナンバーツーの椅子に座っている。
ともあれ新たな聖女が決定したので、今後の方策を考える必要があった。
「シュナイデン枢機卿殿」
「残念でございました。間に合いませんでしたな」
「あれだけ時間を引き延ばされれば仕方があるまい」
「嫌われておいでですね」
「それでいいのだ」
デルヴィ侯爵自身、他人から嫌われることを何とも思っていない。
敵が多ければ多いほど、権力が増すというものだ。「嫌われてナンボ」という言葉が異世界にあるそうだが、それを地で行っている。
「聖女に選ばれなかった女は?」
「勇者候補のシュンでしたか。我らの邪魔をしまして……」
「異世界人か。使えると思うか?」
「使える、とは?」
「ワシの手駒にな。使い道は色々とあろう?」
「ですが、限界突破を終わらせた逸材ですぞ? 潰すわけには……」
「ふむ。殺すとデメリットが大きいか」
「そうですな。対魔物のための異世界人ですぞ」
「しかし……」
勇者候補について聞いたデルヴィ侯爵は、別の人物を思い浮かべた。
三国会議の晩餐会で出会った異世界人で、単純に考えれば金の成る木だ。ビッグホーンを容易に討伐できるなら、魔物の素材だけでも一財産を築けるだろう。だからこそグリム家から引き離して、こちら側に引き入れたい。
侯爵の中ではシュンよりも、フォルトのほうが遥かに価値は高かった。
「ローゼンクロイツ家、か」
「何か?」
「その勇者候補と一緒に召喚された異世界人を知っておるか?」
「聞き及んでおりますが、まさか引き入れたいと?」
「当然だ。金は幾らあっても足りないからな」
「ですが、魔族の貴族家を名乗った異世界人。神殿勢力は認めておりません」
「巷では、元聖女ソフィアが異教徒と噂されておる」
「そもそも魔族は異教徒。現状を考えれば致し方ないですな」
「抱きたいという者が多くてな」
「………………」
ソフィアは、存在自体に価値がある。
宮廷魔術師グリムの孫娘、元聖女という肩書、見た目も若く美しい。他にも、魔王を討伐した勇者の従者などもある。
それらはすべて、彼女にぶつけられる欲望の大きさに比例する。名声や肩書が大きければ大きいほど、彼女に群がる者どもが増える。
「ソフィア嬢の異教徒認定。取り下げることは可能か?」
「は? 何と仰いました?」
「取り下げてもらいたい」
「そ、それは……」
「ワシから言い出したことだがな。考えが変わったのだ」
「理由をお聞きしても?」
「まだ言えぬ。可能かどうかを尋ねておる」
「まだ認定されていません。もちろん可能ですが……」
ソフィアが異教徒との噂は、デルヴィ侯爵が流している。
シュナイデン枢機卿との密談で決定したことでも、今は状況が変わっていた。彼女がグリム領に引き籠ったまでは良いが、双竜山の森に移されたようだ。
つまり、フォルトと暮らしている。
そうなると、異教徒の認定は時期尚早だ。
「今は計画を止める。代わりに寄付する女は増やす」
「どちらにも転べるようにですか?」
「そうだ。手札は多いほど良い」
デルヴィ侯爵には、齢六十を越えるまで培った人生経験がある。また貴族の闇を知り尽くしているからこそ、他人が思いもよらない計画を立てる。
まさに、老獪という言葉が似合う人物だ。
侯爵の行動は、すべてが計算されている。時にあからさまな行動をとるのも、すべては計算の内なのだ。
「分かりました」
「では、よろしく頼む。話を戻すが、聖女になれなかった女神官は?」
「今は神殿で仕事をしています。聖女候補だったことすら知りません」
「なぜ聖女になれなかったか、枢機卿殿には分かるか?」
「純潔を散らしたかと思われます」
「ふんっ! 勇者候補と寝たか」
「おそらくは……」
「その女神官は、いつでも使えるようにして……。うん?」
ここまで会話したところで、応接室の扉が叩かれた。
デルヴィ侯爵は片手を上げて、シュナイデン枢機卿との会話を止める。続けて立ち上がり、扉に向かって入室の許可を出した。
「入れ」
許可が出たことで、応接室の扉が開いた。
そして「失礼します」との言葉と共に、執事が入室してくる。長年デルヴィ家に仕えている人物で、歳はそう変わらない。
「侯爵様。お客様がお見えになっております」
「客だと? 其方が来たのなら重要人物ということか?」
「………………。はい」
「誰だ? 今日の予定には無いはずだが……」
アポイントの無い客なら、執事がお引き取りを願う。
侯爵ほどの者なら、予定など分刻みである。予定されていない人物と面会する余裕は無いのだ。となると、その来客は重要人物に他ならない。
そして、来客の名前を聞いて唸る。
「フォルト・ローゼンクロイツと名乗っておりました」
「むぅ」
「また元聖女のソフィア様とレイナス様が同行しております」
「レイナス……。ふむ。ローイン公爵が廃嫡した娘か」
「いかがいたしましょうか?」
デルヴィ侯爵は迷う。
フォルトと面会するには、まだ時間がかかると思っていた。しかしながら、向こうから訪ねてきたようだ。
もちろん面会したほうが、今後の利益に繋がるだろう。しかも、先ほどの話題に上がった元聖女のソフィアも一緒だ。
そこまでは良い。
問題は、シュナイデン枢機卿と会わせるかどうか。侯爵と枢機卿の関係は知られたくないが、今のうちに会わせておくべきとも思う。
それが、迷いの原因だった。
「枢機卿殿は……」
「私は会わないでおきましょう。教皇派の目がありますからな」
「そうか。もうそういう時期か」
「はい。私が教皇になるには……」
「皆まで言わなくてもよい。今回は見送るか」
「お心遣いありがたく……」
「では、隠し部屋に移動してもらおう」
この応接室には、隠し部屋に移動できる仕かけがある。応接室を観察できて、屋敷の外に逃走も可能だった。
用心深いデルヴィ侯爵らしい部屋だ。
「執事よ。其の者たちを通せ」
「はい」
「分かっておると思うが、例の者たちも……」
「畏まりました」
執事との会話中に、シュナイデン枢機卿は隠し部屋に消えた。
フォルトに会わないまでも、顔ぐらいは知っておいたほうが良い。また枢機卿も多忙な人物なので、時間が押すようなら帰るだろう。
侯爵はソファーに腰を下ろして、彼らへの対応を考えるのだった。
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