フォルト・ローゼンクロイツ2
マリアンデールとルリシオンから、結婚を迫られた翌日。
フォルトは本日の予定を尋ねようと、ソフィアの部屋に向かおうとする。だが自身の部屋を出ると、コックのような格好をした者たちが走り回っていた。
どうも大声で叫びながら、何かから逃げ回っているようだ。
「ひぃ! 魔族だ!」
「にげ、逃げなきゃ!」
「助けて!」
彼らの言葉を聞き取ったところで、フォルトは頭を抱えてしまった。
確か魔族の姉妹はオヤツを作りに、調理場に向かったはずだ。
(マリとルリが来ることを伝えていなかったな。これは失敗した。しかし初日にシェラを見て……。いないか? まぁ俺が悪いな)
三国会議の初日には、魔族のシェラを連れてきた。とはいえグリムとソフィア、後は料理長に姿を見せただけだったか。
そう考えると、他の人間が驚くのは無理もないだろう。と思ったフォルトは近くに逃げてきた人に向かって、手を挙げながら呼び止めようとした。
「それは俺の連れです」
「きゃー!」
「「警備兵! 警備兵!」」
(聞いちゃいねぇ。なら面倒だけど無力化しよう)
頭をかいたフォルトは、自身が習得している魔法に意識を向けた。
ちなみにアカシックレコードには、まだ取り出していない魔法が膨大にある。いま使える魔法は、「とりあえず便利そう」といった選択だった。
ともあれ、現状を打破できそうな魔法は……。
【マス・キャプチャー/集団・捕捉】
【マス・スリープ/集団・睡眠】
視界に入らない場所も騒がしかったので、まずはターゲットを固定する魔法を選択した。しかる後に、廊下で逃げ惑う人々を眠らせる。
魔人が放つ魔法に、人間が抵抗するのは難しい。
特に何の力も持たない者は、前にのめり込みながら床に倒れた。
「うわぁ……」
その中には、大きな音を立てて倒れた人もいる。顔を床にぶつけているので、とても痛そうだ。しかしながら、それでも目覚めない。
さすがは魔法だと、フォルトは感心する。
それも束の間、目的の部屋から一人の女性が出てきた。
「フォルト様!」
「あ、ソフィアさん。いま部屋に向かおうと……」
「この騒ぎは、いったい何でしょうか?」
「済みません。マリとルリが来ていることを言い忘れました」
「………………」
「パニックに近かったので、廊下にいた全員を眠らせましたよ」
「はぁ……」
皆が無事と知り、ソフィアは溜息を吐いた。彼女の顔には、「まったくもう!」という言葉が書いてあるかのようだ。
その表情を見たフォルトは、本当に申しわけなさそうにした。
「マリさんとルリさんはどちらに?」
「調理場でオヤツを作っていると思いますよ」
「………………」
ジト目のソフィアが怖い。
後ずさりしたフォルトは、更に縮こまってしまう。
「そんな目で見ないで……」
「とにかく! 警備兵に伝えて事態を収拾しておきます!」
「ごめんなさい」
「もぅ。フォルト様は、私の部屋で待っていてください」
「分かりました。あ、でも宿舎の中の警備兵は寝ていると思います」
「外の警備兵に伝えてきます!」
「あ……。はい」
(さすがに怒らせたなあ。本当に済みません! でも不可抗力なのだ。まぁ俺が悪いのは分かっている。しかし! 仕方がなかったのだ)
フォルトは悪いと思いながらも、自身の行いを正当化する。とはいえ、半分以上は冗談みたいなものだ。
この宿舎の中では、ソフィアと身内以外の人間はどうでも良い。
とりあえず言われたとおりに、彼女の部屋で待つ。部屋といっても宿舎なので、内部の造りは似たようなものだ。
「でもソフィアさんの匂いがするね。って俺は変態か!」
一人でボケとツッコミをしてから、フォルトは部屋にある椅子に座った。警備兵に伝えるだけなら、すぐに戻ってくるだろう。
そして、「今日も部屋に籠れれば良いな」と天井を仰ぐ。
「お待たせしました」
「お帰りなさい」
ソフィアを見ると、あまり怒っていない様子だ。部屋に入った後は澄まし顔で、向かいの席に座った。
もしかしたら、フォルトだからと諦めているのかもしれない。
「今日の予定はどうなっていますか?」
「宿舎に何名かの客人が来られる予定です」
「おっ! なら外に出なくていいですね」
「はい。出かける用事はありません」
「ソフィアさんの後ろに控えていればいいのかな?」
「そうしていただけると助かります」
ソフィアの言葉で、フォルトは安堵してしまう。
どうしても、自室に引き籠っているほうが幸せを感じてしまうのだ。となると、宿舎に来訪する人間が鬱陶しく思える。
(カーミラに言って、宿舎に来る前にサクッと殺せないものか? いや。やっぱり駄目だな。折角ソフィアさんが怒りを抑えたのだ。平穏が一番だ)
良からぬことを考えたが、フォルトは溜飲を下げた。
ソフィアには笑顔が似合うので、余計なことはしないに限る。もしも来客が訪れず殺害されていれば、確実に疑われてしまうのだ。
ともあれ目を細めて彼女を見ると、何やら立ち上がっていた。
「フォルト様」
「え?」
「立っていただいてもよろしいですか?」
「えぇ構いませんよ」
首を傾げたフォルトは、ソフィアの言ったとおりに立ち上がる。以降は彼女が近づいてきて、あろうことか体じゅうを触り始めた。
これには、両手を広げて戸惑ってしまう。
「あ、あのソフィアさん? 何を……」
「少し黙っていてください!」
「はい」
おっさんの体を触っても、気持ち悪いだけではなかろうか。
そう思ったフォルトだが、ソフィアの手が止まらない。ならばと二度と無い経験なので、彼女の気が済むまで触らせておく。
「お腹がプニプニしていますね」
「あ、はは……」
「こっちは……」
「おっ! そ、そんなところを!」
「え? 痛かったですか?」
「い、いえ。おおう!」
ソフィアはいったい、何がしたいのか。
フォルトには見当も付かないので、彼女に真意を聞いてみる。
「し、して。その心は?」
「はい?」
「なぜ俺の体を触っているのかと……」
「お、お、お」
「お?」
「終わりです!」
後ろに回り込んだソフィアは、フォルトの背中を押してくる。
そして何が何やら分からないまま、部屋を追い出されてしまうのだった。
◇◇◇◇◇
自身の部屋に戻ったフォルトは、先程の状況を三人の身内に説明する。
それを彼女たちは、顔を見合わせながら面白そうに聞いていた。
「私たちが来ているのを知らなかったのねえ」
「調理場に入ったら、人間どもが算を乱して逃げていったわ」
「部屋の外の騒ぎは聞いていましたけど放置しましたぁ!」
(さすがにソフィアさんの行動は言えない。ここでの話題は魔族襲来の件だ。しかしソフィアさんは、何がしたかったのだ?)
天井を見上げたフォルトは、カーミラを膝の上に座らせた。次に目の前にある野菜の盛り合わせを、パリパリと食べていく。
さすがに、毒野菜に分類されている野菜は無い。だが葉が食べられる野菜は、調理場に置いてあったらしい。
もちろん悪い手で、彼女を触ることも忘れない。
以降は暫く和んでいると、マリアンデールが口を開く。
「私たちは最終日までいるわ」
「え? 帰らないのか」
「最終日も晩餐会なのでしょ? 久しぶりに参加したいわあ」
「さすがは魔族の名家と言えばいいのか?」
「当然よ。バグバットにも挨拶ぐらいはしてあげるわ」
「でもそれだと、みんなに不公平感が……」
「アーシャ以外には了解を取ってあるわよ」
「………………」
(いつもアーシャがのけ者のような気がするな。タイミングが悪いと言えば悪いのだが、この埋め合わせは戻ったらするか)
アーシャが虐められているわけではない。
むしろ仲は良いのだが、彼女は何かを決めるときにいない場合がある。今回の件もそうだが、屋敷の外をうろついている時間が多い。
活動的なギャルだから仕方ないが、運は良くないだろう。
「いいよ。でも町に出られると困るみたいだけどな」
「なら、これがあるわあ」
ルリシオンが懐から、目元だけを隠す仮面を取り出した。しかしながら姉妹が外に出られないのは、頭の角が原因である。
仮面では意味がないのだ。
「それじゃない感が……」
「ふふっ。角の『隠蔽』ぐらいはやれるわよお」
「そうなんだ」
「私たちは隠す必要性を感じないから使わなかっただけよ」
「マリは隠さなくても……」
「何か言ったかしら?」
「イイエ。何デモアリマセン」
「貴方ねぇ」
「ははっ。リボンは可愛いと思うぞ」
「そ、そう? なら許してあげるわ」
フォルトの何気ない言葉に、マリアンデールは少し照れている。
コンプレックスの小さな角を隠すための小物だが、ツーサイドアップに付けたリボンは彼女のチャームポイントでもある。
「角が隠せるのなら、仮面の意味は何だ?」
「晩餐会と言ったらこれじゃない?」
「仮面舞踏会と勘違いしていないか?」
「面が割れてる有名人はつらいわねえ。とだけ言っておくわあ」
「帝国か?」
「覚えているかは知らないけどねえ」
勇魔戦争では、ソル帝国と遊んでいた姉妹だ。
顔を覚えられている可能性はあるが、十年以上も前の話だった。しかも、相対した人間を蹂躙しているはずだ。ならばもう、この世にいないような気もする。
ともあれフォルトは、これからやることがあった。
「さてと。ソフィアさんの護衛に行ってくる」
「真面目にやってるのねえ」
「似合わないか?」
「うん」
「そうねえ」
「はい!」
「………………」
(みんなは俺のことをどう思って……。って怠惰の魔人で括られていそうだな。七つの大罪は全部持っていますよ!)
フォルトが常に全開な大罪は怠惰・暴食・色欲である。
どれもバランスよく発揮しているが、怠惰が起点になっているか。
「ま、まぁ外に出るならバレないようにな」
「分かったわあ」
マリアンデールとルリシオンは自由奔放なので、フォルトとしては行動を縛りたくない。森の中でも好き勝手に動いており、しかも強者である。
心配することは何も無く、気にも留めていなかった。
そして、ソフィアの部屋に向かう。
先程はペタペタと体じゅうを触られたので、色欲が刺激されている。と言っても、それを発散する時間は無かった。
今でも少しモヤモヤするが、とりあえず部屋の扉を叩く。
「ソフィアさん?」
「お待ちしておりました。では本日もお願いしますね」
すでに客が来ているようで、ソフィアに連れられて応接室に向かう。
室内では、貴族服の男性が待っていた。彼女が入室するとソファーから立ち上がって、会釈とともに挨拶している。
「これはソフィア殿。本日はお日柄も良く……」
「はい。では打ち合わせ始めましょう」
「まずはグリム様に頼まれていた資料。もう一枚が……」
「………………」
挨拶もそこそこ、ソフィアは打ち合わせを開始した。
基本的に彼女は、グリムの補佐的な仕事をやっている。
その当人は、国王と一緒に色々とやっているのだろう。宿舎にはほとんど帰ってこないので、彼女の苦労が察せられる。
そんなことを考えていると、フォルトは少しずつ眠くなってきた。
「ソフィア殿はご存知か? グリム様に良からぬ噂が流れていますぞ」
「それは?」
「グリム様のせいで国境に不備があったと……」
「まあ!」
「噂の出所は分かりませんが、ブレーダ伯爵がデルヴィ侯爵に……」
「教えていただきありがとうございます」
「いえいえ。では、グリム様によろしくお伝えください」
「はい。伝えておきます」
(すでに何を話しているか分からんな。言葉尻が聞き取れない。後どれぐらい続くのだろうか? 眠い。腹が減った。ヤりたい)
ソフィアの後ろに立っているだけなので、フォルトはとても暇である。
来訪者が敵対行動をとってくれれば、暇を潰せるだろう。しかしながら何も起こらないので、眠気によって意識が飛びそうになる。
そして応接室には、間髪を入れずに次の来客が訪れる。
適当に会釈をすれば良いらしいが、すでにフラフラ状態だ。
「ところでソフィア嬢。レイバン男爵という男ですが……」
「はい?」
「グリム様に面会を希望されてるようですぞ」
「あら。御爺様にですか?」
「はい。あれはバルボ子爵が子飼いにしている男。お気を付けくだされ」
「ありがとうございます」
「いえいえ。私は彼が好かんのです。では、グリム様によろしくと……」
「はい。伝えておきますね」
何やら久しぶりな名前を聞いて、フォルトの眠気が多少はマシになる。
双竜山の森に入れないので、グリム家に渡りをつけるつもりか。
(レイバン男爵ねぇ。意外とめげないな。最初からそうすればいいのに……。それでも俺が会うことはないけど……)
以降も同様の来客が、十数人ほどいた。
その間のフォルトは、ずっと立っている。ソフィアの護衛を引き受けて、一番の苦痛を感じる時間だった。
「……様?」
「…………」
「……ト様?」
「…………」
「フォルト様?」
「んんっ! ソフィアさん。どうされましたか?」
(しまった。ウトウトしてしまった。護衛失格だな。よし! 首にしてもらおう。それからさっさと森に帰って、自堕落生活に戻るのだ!)
だがしかし、そうは問屋が卸さない。行動に起こしてしまうと、ソフィアと結んだ庇護の約束を破ることになるのだ。
それでは、自分が許せなくなる。
「終わりましたよ?」
「あ、あぁ。そうですか」
「眠そうですね」
「あ、はは……。さすがに、ね」
「ふふっ。私の部屋で眠気覚ましの茶でも入れましょう」
「ありがとう」
ソフィアの気遣いに感謝である。
今日の面会は終わりなので、もう自室に戻って休める。ならばとフォルトは笑顔を浮かべて、テーブルに積み上がった書類を抱える。
そしてフラフラになりながらも、彼女の部屋に向かうのだった。
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