カーミラ日記2-2
空を飛んで逃走を図ったカーミラに対して、吸血鬼のバグバットは執拗に追いかけてくる。諦めるつもりはないらしく、その表情は怒りに満ちていた。
それでも、飛行魔法では追いつけないようだ。
「えへへ。ここまでおいでぇ」
【ダーク・アロー/闇の矢】
カーミラは飛行しながら魔法を使った。
そうは言っても闇の矢は、バグバットを狙っていない。眼下に並んでいる適当な民家に飛ばしており、屋根を破壊するだけだった。
つまり、挑発である。
「き、貴様!」
「えへへ。早く捕まえないと死人が出ちゃいますよぉ!」
全力で飛べば逃げられるが、それでは先ほどの攻撃に意味が無い。
カーミラは速度を調整して、程よい距離を保ちながら逃亡を続ける。次に距離が縮まったところで、再び闇属性魔法を放った。
【ダーク・ミスト/闇の霧】
今度は、視界を遮る魔法だ。
自身の後方に黒霧を発生させて、更に怒りを誘うつもりだった。冷静になられて町に戻られると、バグバットを始末できない。
付かず離れずが好ましいので、カーミラは空中で待機する。
そしてどう対処するか眺めていると、吸血鬼は黒霧に突っ込んだ。
「待つである!」
魔法の効果としては、黒霧を吸い込むと肺にダメージを与える。しかしながら、アンデッドには無意味だった。
痛みは感じず、吸血鬼のバグバットなら再生してしまう。だからこそ強行突破したのだろうが、カーミラの狙い通りだ。
(効果が無くてもいいもーん。でも怒ってるねぇ。途中で斬り合ってあげたほうがいいかなぁ? このまま諦められても困るしね!)
口角を上げたカーミラは、大鎌を頭上で回転させた。
黒霧から飛び出たバグバットは八重歯を剥いて、戦闘態勢に入る。
「女の子のお尻を追いかけないでくださーい!」
「悪魔風情が……。黙るのである!」
「嫌ですよぉ。えいっ!」
一瞬で前に出たカーミラは、バグバットの首を狙って大鎌を振り下ろす。
首と胴が離れても倒せるとは思えないが、プライドを傷つけられるか。地面に落ちた首を拾いに向かうところは、とてもシュールな姿だろう。だが大振りの攻撃は、長く伸ばされた爪で弾かれてしまった。
思ったとおり、鋭く固い爪である。
「甘いである!」
「ちぇ。御主人様! 助けてえ!」
バグバットが反撃に出ようとしたところで、カーミラは再び逃げ出した。卑怯な行動だが、悪魔なので気にしない。
この行動にも怒ったようで、追いかけっこが再開される。
「ふざけた悪魔である!」
「追いついたら戦ってあげてもいいですよぉ」
以降も挑発を繰り返し、追いつけそうで追いつけない状態を維持する。
ともあれバグバットは、飛行以外の魔法を使っていない。カーミラを召喚した人物を警戒しているとはいえ、どうやら魔力を温存しているようだ。
そして鬼ごっこを続けていると、目的地に到着した。
(えへへ。御主人様。餌ですよぉ!)
目的地とは、主人のポロがいる城だ。
カーミラは地面に下りて、その場で振り返る。
追いかけてきたバグバットは、空中で停止していた。しかしながら背後関係を気にしていたので、きっと追いかけてくるはずだ。
「この城は……」
「あれれぇ。もうちょっとで追いつけるのに諦めますかぁ?」
「戯言である。召喚主のところまで案内してもらうである!」
バグバットは戦闘態勢を維持した状態で向かってくる。
まだ追いつかれたくないカーミラは、急いで城の中に入った。後ろを見ると追いかけてくるので、地下に続く階段を下りる。
(御主人様は……。やっぱり……)
階段の先は、地下牢になっている。
ポロはとっくに人間を食べ終わったようで、人間の骨を枕に眠っていた。カーミラは主人のいる牢屋に入って、バグバットの様子を窺う。
「血の匂いであるか」
暫く待っていると、コツンコツンと音が近づいてきた。ならばとカーミラは牢屋から顔を出して、バグバットの姿を視界に捉える。
吸血鬼らしく、床や壁に飛び散った血痕に反応しているようだ。
そこですかさず姿を現して、とあるものを投げつけた。
「バグバットちゃん! これあーげるっ!」
「なっ!」
カーミラの攻撃と判断したのか。
マントを翻したバグバットは、放物線を描くように投げられた物体を振り払おうとする。だがそれを確認すると、大きく目を見開いた。
「こ、子供であるか?」
「まだ生きてますよぉ!」
「ふざっ!」
カーミラの一声で、バグバットは子供を受け止めた。
この行動も今までの挑発と同様と思ったのか、鋭い視線を向けてくる。
「安い挑発はもう良いである」
「そうですかぁ?」
「貴様の出てきた牢屋の中に、召喚主がいるのであるな」
「御主人様ですかぁ? それならバグバットちゃんが持ってまーす!」
「いただきまーす!」
抱きかかえられた子供から、声が発せられる。
それに驚いたバグバットが視線を落とすと、口だけが大きくなった子供が、肩口を一気に食いちぎられた。
アンデッドなので血は噴き出さないが、子供と一緒に左腕が落ちる。
その瞬間に理解したようで、一気に後方に飛びのいた。
「ゆ、油断したのである」
「傷は深そうですけどぉ。さすがは吸血鬼ですねぇ」
「この程度の傷であれば……」
「えへへ。なら頑張って御主人様と戦ってくださーい!」
吸血鬼は、魔法か魔法の武器でしかダメージを与えられない。また再生能力が高いので、すでに傷の修復が始まっている。
カーミラに言われるまでもなく、バグバットは召喚主に視線を向けていた。
「称号は「大罪を纏いし者」? 貴様の主人は魔人であるか!」
「ありゃ。見破れるんですねぇ」
「ぺっ!」
主人のポロは、口から何かを吐き出した。
よく見ると、バグバットの着ていた服の切れ端だった。暴食であっても、衣類はお気に召さないようだ。
「御主人様! オヤツを逃がしちゃ駄目ですよぉ!」
「殺してから持ってこい!」
「でもでも。そいつはもう死んでまーす!」
「アンデッドか。まぁ食えるなら何でもいいか」
牢屋の人間も食べ終わって、目の前には食後のデザートがいるのだ。ポロは御馳走を前にして、涎を垂らしながら笑顔を浮かべている。
そして、右手を突き出した。
【タイム・ストップ/時間停止】
暴食のポロは、時空系魔法を使った。
対象の時間だけが止まるので、ゆっくりと近づいて食べるつもりなのだろう。しかしながらバグバットは、驚きの声を上げて後ずさる。
予想もしていなかった魔法のようだ。
「なっ!」
「ちっ。時間対策をしているな」
「なぜアルバハードを狙ったのであるか?」
「カーミラ! 武器を貸せ!」
「はあい!」
「かの地は魔人にも必要なはずである」
「そこを動くなよ? 食ってやる!」
大鎌をポロに渡したカーミラは、バグバットに視線を向けた。
この魔人と会話が成立しないのは当然である。主人の持つ大罪の一つ、暴食を満足させるための餌だと思っているのだ。
後は見ているだけで終わるので、主人に任せて一歩下がる。
そして口角を上げると、この魔人は再び魔法を使った。
【タイム・アクセラレート/時間加速】
時空系魔法が発動すると、ポロが消えた。
目を見開いたカーミラは、主人の居場所を探す。とはいえ気付いたときには、バグバットの胴体と両足が切断されていた。
この時空系魔法は、術者の時間を加速させる魔法である。術者の行動が十秒かかったとしても、世界では一秒しか過ぎていない。しかも相手に使う魔法ではないので、時間対策をしていても無意味だった。
「ぬぅ」
「ムシャムシャ」
バグバットを斬ったポロは、すでに足を食べている。また魔法の反動から、全身から大量の血を噴き出していた。
ズボンは破かれて、床に散乱している。
そして斬られた本人は、床に這いつくばっていた。
「御主人様は無理し過ぎでーす!」
「傷なんぞすぐに塞がる。ムシャムシャ」
世界の時間軸は一定である。
自身の時間を加速させると、その歪により体に負荷がかかる。ポロの傷はそのためにできたものだった。
それでも『超速再生』のスキルを持っているので、すぐに治ったようだ。
ちなみに時間停止の場合は、相手の空間を止めているので負荷は掛からない。どこともしれない場所で、時間の歪が発生するだけだ。
それはすぐに修復され、世界には何も影響しない。
「つ、強いのである」
「次は頭か? 腕か?」
「ちっ! この場は退いて傷を再生させるのである」
「御主人様! 逃げようとしていますよぉ!」
何もできなかったバグバットは、魔人との力の差を思い知ったようだ。
カーミラの背後を取ったときのように、複数の蝙蝠に分裂する。だが暴食の魔人ポロが、それを許すはずはなかった。
「待て! 『変化』!」
ポロはスキルを使って、背中から触手を大量に出した。
そして無数に伸びた触手は、すべての蝙蝠を捕まえる。
この手際に対して、カーミラは拍手をした。主人のデタラメな強さに感嘆して、思わず抱きしめたくなる。
絶対に怒られるのでやらないが……。
「もぐもぐ。ムシャムシャ」
「御主人様。こいつ、元に戻りませんねぇ」
「もぐもぐ」
蝙蝠の状態で捕まると、バグバットは元の姿に戻れないようだ。もちろんそんな話に興味が無いポロは、カーミラを無視して食べ始めた。
何にせよ、これで吸血鬼は始末したことになる。
「えへへ。御主人様。吸血鬼の味はどうですかぁ?」
「知らん。あーん」
話もそこそこ、最後の一匹がポロの口の中に入るところだ。ならばとカーミラが蝙蝠に顔を近づけて、邪悪な笑みを浮かべた。
これで町の人間を、主人の餌にできる。
「あれ?」
カーミラは素っ頓狂な声を上げた。
ポロが最後の一匹を食べようとしたところで、蝙蝠が砂になったからだ。触手からこぼれ落ちて、床に散乱してしまった。
「まぁいいか。オヤツにはなった」
「もうこの城には用が無いですねぇ。次に……。あれ?」
「どうした?」
「御主人様。オヤツの着ていた服がありますよぉ」
ポロの近くには、バグバットが着用していた服が落ちていた。
どうやら、切れ端が集まって復元したようだ。
「要らない」
「魔法の服ですねぇ。どうぞ!」
「要らないと言っただろ!」
「でもでも。勿体無いですよぉ」
「なら寝てる間に着せとけ」
「はあい!」
折角の戦利品である。
裸のポロにはうってつけだった。復元するような魔法の服なので、『変化』のスキルを使っても大丈夫だろう。
そしてカーミラは、次の餌場について報告する。
「御主人様。人間の町を発見しておきましたよぉ」
「うーん。大きな魔獣が食いたい!」
「えー! 頑張って見つけたのに!」
「うるさい! 俺が寝てる間に連れていけ!」
「ぶぅ。分かりましたよぉ」
何でも良いと言っていたが、食べたいものがあったようだ。
シモベは主人に逆らえないので、バグバットがいた町は諦めるしかない。カーミラはポロを抱きあげて、以降は城から飛び立つ。
大型の魔獣には心当たりがあった。
(ライノスキングが近くにいましたねぇ)
近いと言っても、それは飛行しているから言える。
カーミラは記憶を頼りに、ライノスキングの棲息地に向かって飛んだ。大陸を分断するような絶壁が目印になるので、位置の特定は難しくない。
腕の中にいるポロは、すでに寝ていた。
「やっぱり大きいですねぇ」
暫く空を飛んでいると、目的地に到着した。
カーミラの眼下には、平原地帯が広がっている。
そして、巨大なサイが歩いていた。ビッグホーンに比肩する大きさで、同じように雑食の大型魔獣である。
「あれなら一カ月は平気かなぁ?」
(あっ! 御主人様に服を着せちゃおうっと!)
カーミラは空中で仰向けになって、就寝中のポロをお腹の上に乗せる。続けて器用に服を着せると、サイズが調整されてピッタリとフィットした。
その姿は、吸血鬼の子供に見える。
「きゃー! 可愛い! でも御主人様って……」
シモベのカーミラでも、主人の真の姿は見たことがない。常に『変化』のスキルを使用しているので、男女の区別もつかない。
ともあれ、そろそろポロを起こす。
「御主人様! ご飯ですよぉ」
「ん、んんっ。飯は?」
「真下にライノスキングがいまーす!」
「倒しとけ!」
「でもでも。カーミラちゃんだと時間が掛かっちゃいますよぉ」
「ちっ。あの大きさだと……。カーミラ」
「何ですかぁ?」
「次に呼ぶまで魔界に帰ってろ!」
「分かりましたぁ!」
「落とせ」
カーミラはパッと手を放して、ポロを地面に向けて落とす。
これで勝手に処理するだろうが、一応は成りゆきを見守る。
【エクスプロージョン/大爆発】
ポロが上級の爆裂系魔法で、ライノスキングの頭を吹き飛ばした。
カーミラの眼下では血煙が舞って、その中に主人が落ちていく。
かなりの高度から落下したが、暴食の魔人なら無傷で済むだろう。ならばと命令通りに、さっさと魔界に戻った。
そして、数カ月が経った頃。
「御主人様! 呼びましたかぁ?」
「来たか」
魔界で過ごしていたカーミラは、主人呼び出された。
暴食の魔人ポロの周囲には、ライノスキングの骨が散乱していた。流れ出しただろう大量の血は大地に吸収され、また乾いている。
それ自体は良いのだが、地面には奇妙な紋様が描かれていた。しかも主人の様子が変なので、可愛らしく首を傾げる。
「その地面の紋様は何ですかぁ?」
「消滅する」
「はい?」
「食うのに飽きた」
「ええっ!」
ポロは何を言い出すのだろう。
驚いたカーミラは、その真意を主人に問いかけた。しかしながらその返答は、「飽きた」の一点張りである。
「どういうことですかぁ?」
「どうと言われてもな。飽きた」
「分かりましたぁ! 食べさせればいいのですねぇ?」
「そういった話ではない!」
「ちゃんと言ってくれないと分かりませーん!」
「だから飽きたと言っているだろ!」
やはり要領を得ないが、どうも決定事項らしい。
主人のポロが消滅すると、カーミラとのシモベ契約が解除されてしまう。さすがそれは困ってしまうので、何とか思い留まるように説得する。
「なら食べるのを控えればいいと思いまーす!」
「うるさい! 黙ってろ!」
「うぅ……」
残念ながら、説得は無理のようだ。
黙れと命令されたので、カーミラは口を閉じるしかない。
「カーミラの不満は分かる。だからこその儀式だ!」
「え?」
「俺の持っている能力のすべてを、大罪を持つ者に授ける」
「意味が分かりませーん!」
「新しい魔人が誕生するということだ」
「ええっ!」
「カーミラはそいつのシモベだ!」
「………………」
「いつになるかは不明だがな」
それだけ言うと、ポロは儀式を開始した。
突然の話だったが、新しい魔人のシモベになれるのなら良いか。カーミラはポロに執着しているわけではなく、主人が魔人であれば満足だった。
お互いの関係は、利用して利用される存在なのだ。
そう思っていたが……。
「カーミラ」
「何ですかぁ?」
「新しい魔人に抱いてもらえ」
「っ!」
カーミラが「それはズルい」と思った瞬間に、儀式は完成してポロが消滅した。もう影も形も残っていない。
そして主人がいた場所には、バグバットの服が残されていたのだった。
◇◇◇◇◇
カーミラとポロがいなくなった城の地下牢。
その近くの床には、少量の砂が落ちている。
ただし、ただの砂ではなかった。まるで意思を持つかのように、一粒一粒は徐々に動きだして、一つの所に集まっていく。
何とも奇妙な光景だが、暫くすると人の頭部を形作った。
「危なかったのである。あの子供は暴食の魔人ポロであるか?」
紫色の髪をオールバックで決めた男性の頭だ。
そう。ポロに食べられたはずのバグバットである。
危なかったと言ったように、蝙蝠の状態から砂になったので助かったのだ。しかしながら量が足りないのか、首から下は実体化しなかった。
それでも、声が出せれば何とでもなる。
【パリバーラサモン・ジャイアントバット/眷属召喚・大蝙蝠】
バグバットは眷属の大蝙蝠を召喚する。
魔法さえ使えれば、こういったことも可能なのだ。
「吾輩を屋敷まで運ぶのである。そして執事に渡すである」
大蝙蝠はバグバットの首を掴んで、城から飛び立っていった。
もしもポロが魔力を込めた攻撃をしていれば、完全に滅んでいただろう。だが、触手で掴んで食べただけだった。
その程度であれば、吸血鬼は滅びない。
いや。普通の吸血鬼なら滅びるが、真祖は滅びないのであった。
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