真祖3
吸血鬼の真祖バグバットは眷属の大蝙蝠を使って、遠くからフォルトを観察していた。視覚が共有されるので、大蝙蝠の見た情報は頭の中に入ってくる。
実に便利だった。
「ふむ。グリム殿の宿舎が拠点であるか」
エウィ王国宮廷魔術師グリムが滞在中の宿舎でフォルトを発見した大蝙蝠は、近くに生えている木の枝で待機させた。
以降は視線を外すことなく観察させる。
(おや? あの女性は……)
「やはり暴食の魔人のシモベがいたのであるな」
大蝙蝠の視界に入った女性は、過去に因縁があるカーミラだ。
彼女とは矛を交えており、苦々しい経験をさせられた。しかしながら種族的な能力は勝っていたので、直接戦闘では敗北していない。
まさに悪魔なので、狡猾な罠に嵌められたのだ。
(今ならば脅威にはならないのである。であれば、あの小悪魔は必要以上に警戒しなくても良いのであるな。やはり、フォルト殿の存在が懸念材料である)
「三国会議で問題を起こさなければ良いのであるが……」
バグバットが思考を巡らせていると、執務室の扉がノックされる。
入室の許可を出すと吸血鬼の執事が、とある男性を伴っていた。
「旦那様。メドラン様をお連れ致しました」
「よぉバグバット様! やっと戻ってこられたぜ!」
メドランと呼ばれた男性は、挨拶がてらに片手を挙げた。
短く切った銀髪と青目が特徴的だ。体格は中肉中背で、服の上からでも鍛え上げられていると分かった。
そして執事を下がらせたバグバットは、部屋にある棚の前に移動した。続けて二本のボトルを取り出し、その一つをソファーに座った彼に手渡した。
「そらメドラン」
「おう! 悪いな」
「お前は安酒が好きであるからな」
「酔えればいいんだよ」
受け取ったボルトの栓を抜いたメドランは、そのままあおるように飲む。
アルコール度数は高いが、そんなものはお構いなしだ。
同じくバグバットもソファーに座って、もう一つのボトルの栓を抜く。グラスに注いだ酒は赤く、上質のワインの香りが部屋を包んだ。
「報告を聞くのである」
「いいぜ。まずは砂漠の国ハンバーだがよ」
「………………」
「炎の民と大地の民の抗争が始まったな」
砂漠の国ハンバーは、ソル帝国より西に位置している小国の一つだ。
セーガル王を戴く新興国家で、炎の民や大地の民といった部族によって形成されている。とはいえ、部族間の抗争は現在も収まっていない。
環境としては気温差が激しく、人間が生活するには厳しい領土だ。
「セーガル王が鎮圧に乗り出すとなると……」
「魔剣ゾルディック、か?」
「分別を知る王ではあるが、最悪は想定しておくのである」
「まぁアルバハードには飛び火しねぇと思うぜ」
「で、あるか。他には?」
このようにメドランは、アルバハードの諜報員である。
力も行使できる逸材で、バグバットの手足として各国を飛び回っていた。
「ターラ王国だな。帝国に降った」
「属国になったであるか」
「だな。ランス皇子の降伏勧告を受け入れたようだ」
ソル帝国の北西に位置するターラ王国。
この小国は帝国と戦争状態になっており、どうやら敗北したらしい。三国会議の前に帝国が属国にしたことで、三国間のパワーバランスが崩れるか。
なかなか興味深いが、メドランの情報には先があるようだ。
「少し問題があったぜ」
「何であるか?」
「あの国に洞窟があるだろ?」
「フレネードの洞窟であるな」
「スタンピードが起きそうだ」
「むっ!」
スタンピード。
魔物が異常繁殖して、棲息域から溢れだす現象だ。
これが発生すると人間の領域まで入り込んでくるので、甚大な被害が出てしまう。人類にとっては、存亡の危機である。だからこそスタンピードが発生しないように、常日頃から魔物の数を減らす間引きを行っているはずだが……。
「今すぐってわけじゃねぇよ」
「で、あるか」
「ただし、だ。冒険者の数が足りねぇな」
「戦禍で間引きどころではなかったようであるな」
本日の晩餐会が終われば、本格的に三国会議が開始される。三大大国には伝わっていない情報なので、今回の議題に挙げれば良いか。
まるで些事のように考えたバグバットは、メドランから次の報告を聞く。
「最後になるが、ジグロードへの道。結界が弱まってるぜ」
「で、あるか。ならばスタンピードの件と併せて議題に挙げるのである」
「どちらも俺らには関係無いがな」
「しかし勇魔戦争から十年。いや十一年であるか?」
勇魔戦争。
中立を標榜するアルバハードは、当然のように静観した。人間・亜人の連合に参加せず、魔族にも味方していない。
それを悔やむことは無いは、一人の少女が思い出されてしまう。
(ティナ殿は生きていらっしゃるのであるか? 魔王スカーレットからは大人しく見ていろと言われたであるが……。彼女ぐらいは匿っても良かったである)
数秒の沈黙の中、バグバットは目を細めた。
それも束の間、すぐにメドランの話に意識を向ける。
「それぐらいだな。アクアマリンはどうした?」
「まだ戻っていないのである。フェリアスは広大なのである」
「んじゃ俺は、南に向かえばいいか?」
「で、あるな。できれば魔の森の先を調査してほしいのである」
「あっちかあ。竜が来たら逃げるぜ?」
「それで良いである」
バグバットの言葉を最後に、メドランはボトルを片手に執務室を出ていった。
それを見届けた後は立ち上がり、窓に近づいてワインを飲み干す。次に外を眺めながら、部屋の空気を入れ替えようと窓を開けた。
「世界の監視者を気取るつもりはないのであるが……」
「ワオォォォォン!」
視線を空に移すと、野獣の遠吠えが聞こえた。
どうやら狼に変身したメドランが、アルバハードから出発したか。彼は、人狼と呼ばれるライカンスロープだ。
ともあれ口角を上げたバグバットは、今後について思考を巡らせる。一番の懸念はフォルトという魔人だが、世界では様々な問題が起きていた。
そのすべてを踏まえて、アルバハードを守護しなければならない。と思いながら目を細めた後は、窓を閉めて執務を始めるのだった。
◇◇◇◇◇
アルバハードの領主バグバットの屋敷から宿舎に戻ったフォルトは、ベッドに寝そべりながら天井を見上げていた。
三国会議を前に、各国は事前折衝に入っている。しかしながらその中に、ソフィアの出番はない。となると必然的に、フォルトの出番もない。
自身の屋敷で過ごすように体の力を抜いて、ぼんやりとしているのだ。
「晩餐会かあ」
「フォルト様。お茶が入りましたわ」
「ありがとう」
レイナスに誘われたフォルトは、ティーカップが置かれたテーブルに移動した。
その彼女は対面の席に座り、姿勢を正して微笑みを浮かべている。現在は廃嫡されたので平民だが、こうして見ると立派な貴族令嬢だった。
そんなことを考えていると、カタカタと音が聞こえる。
「何の音だ?」
「ロゼ。そろそろ慣れてくださいませ」
「――――!」
「何て言った?」
「無理よ! だそうですわ」
「ふーん」
聖剣ロゼは言葉が話せるインテリジェンス・ソードだが、魔人のフォルトを怖がっている。カタカタと震えたのは、そのためだ。
何をしたわけでもないが、もしかしたら相性が悪いのかもしれない。
「結局のところ、ロゼと会話ができるのはレイナスだけか」
「今はそうですわね」
「今は?」
「私の実力が上がれば、ロゼも成長するようですわよ」
「へぇ」
「いずれはフォルト様とも、会話ができると思いますわ」
聖剣本人の言なのだから、レイナスの成長に期待である。と言ってもフォルトとしては話したいときに話せれば良いので、普段は黙っていてほしい。
騒がしいのは嫌いなのだ。
「ところでカーミラは?」
「駆除、だそうですわ」
「駆除?」
「終わりましたぁ!」
「おわっ!」
いきなり部屋に現れたカーミラに驚いて、フォルトはお茶をこぼしてしまう。スキル『透明化』を使っていたが、窓から入ってくるとは思ってもいなかったのだ。
ビックリするのは当然である。
「空を飛んだのか?」
「あっちも飛んでいたのでぇ」
「えっと。何が飛んでいたのだ?」
「大きな蝙蝠でしたよぉ。駆除しときましたぁ!」
「ふーん。まぁいいや。ちょっと外に出るぞ!」
「「えっ!」」
「え?」
フォルトは珍しいことを言ったかもしれない。
二人とも晩餐会が始まるまでは、宿舎に籠っていると思っていたのだろう。とはいえ、今のうちにやっておきたい案件があった。
現在は夕方なので、晩餐会までには時間がある。
「人混みに慣れておこうかな、と……」
「慣れる、ですか?」
「夜は晩餐会だろ? 人が多いと聞いた」
「確かに三国会議の規模なら、大勢の人が参加しますわね」
「一人じゃ無理だが、お前たちがいるなら何とかなりそうだ」
「分かりましたぁ!」
「では行きましょうか」
(まぁリハビリというやつだ。引き籠りには違いないが、外に出ることは可能。でも駅前とかはキツかったなあ。電車も乗らなかったし……)
人間酔い。
長時間にわたって人混みに入ると、視界がクラクラと揺れる現象だ。その状態になると、とにかく家に帰りたくなる。
実際の病名は、「血管迷走神経反射」というらしい。もちろんフォルトの人間酔いは、ただの思い込みである。
ともあれ宿舎から出る途中で、ソフィアと顔を合わせた。
「あらフォルト様。まさか宿舎の外に出るのですか?」
「はい。暗くなる前までには戻りますよ」
「わ、分かりました。あと二時間ほどで向かいます」
ソフィアと別れた後は、カーミラとレイナスを伴って宿舎を出た。
リハビリのつもりなので、そこまで時間を費やそうとは思っていない。
「よし! どこに行くかな」
「人混みに慣れるのでしたら大通りが一番ですわね」
「なるほど。道は分かるか?」
「大丈夫でーす! 町並みは確認しておきましたよぉ」
「さすがはカーミラだ!」
カーミラに任せれば安心である。
ご褒美に頭を撫でた後は、フォルトの手を引っ張ってもらう。当然のようにもう片方の手はレイナスと繋ぎ、両手に華だ。
「えへへ。デートみたいですねぇ」
「そっ、そうだな!」
(町でデートか。懐かしいな。彼女がいた頃は若かったから、外を出歩いた。すぐに映画館や喫茶店に入ってしまったが……)
フォルトは昔を懐かしむが、当時の恋人の顔には靄が掛かっている。何十年も前のことなので、ハッキリと思い出せなかった。
そんなことを考えながら歩いていると、人で賑わう大通りに出る。
確かに人間は多いが、視界に入ったのは別の影だった。
「あいつは何だ?」
「どれですか?」
「ほら。ちっちゃくて髭が生えてる奴」
「ドワーフですねぇ」
「ドワーフだと!」
魔の森に棲息していたゴブリン・オーク・オーガと同様だ。視界に入ったドワーフも、フォルトの記憶にある姿をしていた。
これには感動を覚えると共に、瞬きすら忘れて見入ってしまう。
「御主人様はドワーフが欲しいですかぁ?」
「いや要らない。むさ苦しいし暑苦しい」
「ですよねぇ」
「フォルト様。ドワーフ族は女性でも髭が生えていますわよ」
「そっ、そうなのか。職人は尊敬しているのだが……」
鍛冶や細工などといった職人技が光る種族だ。
職人をリスペクトしているフォルトだが、屋敷で一緒に暮らそうとは思わない。身内とのピンク色の空間が穢されてしまう。
物を作るだけなら、ブラウニーで十分である。
「しかし人間が多いな」
「吸血鬼も多いですよぉ」
「え?」
大通りを歩いている人たちの中には、血の気の無い吸血鬼も混じっている。
確かにバグバッドやその執事も、顔が青白かった。吸血鬼はアルバハードから出ないので、他の町では見られない光景らしい。
実際にレイナスが珍しがっており、フォルトと一緒に周囲を見渡していた。
それが気に食わなかったのか、三人の男性が立ちはだかる。
「おぅおぅおっさん! なに女を侍らかせてんだ?」
「………………」
「おいおっさん! オメェだよオメェ」
「………………」
「無視してんじゃねぇぞ!」
「あ……。俺、か?」
自分ではないと思いたかったが、残念ながらフォルトに用事があるようだ。昔なら委縮してしまうが、今はあまり怖いとも感じなかった。
人間ではなくなったという自覚が芽生えているからか。または強力な魔法を扱えるといった自信からか。
とりあえず、ギッシュの強面に比べればマシに思えた。
そういった余裕がある中で、様々な疑問が浮かぶ。
(え? 何で俺が話しかけられてるの? これは因縁を付けられているのか? もしかしてオヤジ狩りってやつか?)
このような場面に出くわすのも珍しい。
場所は大通りで、周囲には大勢の人がいた。喧嘩になっていないので衆目を集めていないが、人が多い場所で因縁を付けるとはどうかしている。しかしながらこういった輩は、後先を考えないのが相場だ。
フォルトとしては、どうにも対応に困る。
「おぅおっさん! 女共を置いていけや!」
「姉ちゃんたちは、俺たちといいことをしようぜ」
「そこの裏路地によ。俺らの溜まり場があるんだよ」
いやらしい笑みを浮かべた三人の男性が、カーミラとレイナスに近づく。
それを良しとしないフォルトは、彼女たちを下がらせて前面に出た。また同時に、バグバットの言葉を思い出してしまう。
アルバハードには手を出さない約束だ。
それでも……。
「仕方ない、か?」
「ああん? 何か言ったかよ?」
「ここだと人目があるから裏路地に入ろうか」
「へへへ。素直に貸してくれりゃすぐに返してやるよ」
「よろしく頼む」
カーミラとレイナスを引き寄せたフォルトは、リーダーらしき男性についていく。後ろには残りの男性たちが移動して、完全に挟まれてしまった。
このままでは身内が犯されてしまう、とは微塵も思っていない。別の何かを考えながら、暗い目をして彼女たちに視線を送る。
その行動で察した二人は、すべてを任せてくれるようだ。
「ここで待ってな。姉ちゃんたちはこっちだぜぇ」
「なあに。ちょっと目を閉じてりゃ終わるからよ」
「終わった後は、俺らから離れられねぇかもしれねぇがよ」
裏路地を進んだところで、男性たちの足が止まった。
後ろの男性二人は、カーミラやレイナスとの距離を詰める。腕でも掴んで、溜まり場とやらに連れ込むつもりだろう。
そして男性たちの手が、身内に触れる寸前……。
【デス・クラウド/死の雲】
フォルトは魔法を発動する。
よく考えてみたら、先に手を出してきたのは男性たちだ。こちらから仕かけたわけではないので、バグバットに対して言い訳が立つ。
それに、自身には揺るがない信条があるのだ。
発動された魔法により、男性たちが黒雲で覆われる。名称のとおり即死系魔法の一つで、黒雲に覆われた者を死出の旅路に誘う。
三人の男性は声を上げる暇も無く、地面に崩れ落ちて倒れた。
「さすがは御主人様です!」
「穏便に穏便に、とても穏便に。跡形も無く殺す」
「ふふっ。フォルト様らしいですわ」
「身内に手を出したら殺す。これでいいのだ」
「いいと思いまーす!」
「さてと。喫茶店でも探すか」
ここまで会話しても、黒雲は男性たちに纏わりついている。
そして黒雲が晴れたときは、男性たちの姿が消えていた。ほとんど溶けた衣服を残して、骨すらも残っていない。
自分と身内に手を出したら殺す。
その信念を貫いたフォルトは、男性たちに憐憫の情を覚えなかった。すぐさま頭の中から存在を消し去って、ゆっくりと路地裏から出るのだった。
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