真祖1
ヴァンパイアとは、吸血鬼と呼ばれる夜の支配者だ。
アンデッドとして永遠の命を持つものの、その力はピンキリである。すべての吸血鬼は一人の男性を頂点として、その支配下に入っていた。
その男性こそが、真祖と名高い「始まりのヴァンパイア」である。
「エウィ王国のワインは味わい深いである」
「ふふっ。フェリアスのワインと比べるといかがかしら?」
薄暗い部屋の中で、二人の男女がソファーに座っている。
ワイングラスを持つ男性は、自由都市アルバハードの領主バグバット。つまり、始まりのヴァンパイアである。
そして、彼と向かい合う美しい女性。緑色の長髪を後ろに流して、森の匂いを漂わせていた。特徴的なのは、その髪を抜けて見える長い耳か。
森の妖精と謳われるエルフ族であった。
「森の恵みから醸造されるワインは最高である」
「今回はドワーフ王が自ら厳選しましたわ」
「すばらしいのである! 吾輩はドワーフかも、である」
「お酒へのこだわりはドワーフ族以上だと思いますわ」
「ははははっ! しかしながら、女王は参られないであるか?」
「今回の三国会議では、私が女王様の名代を務めますわ」
「ふむ。であれば……」
「厳しい戦いになりますわね」
「致し方ないですな。吾輩には何もできないのである」
「分かっております」
「ならばよろしいのである。争いは愚の骨頂である!」
バグバットは真祖として力がありながら、常に中立を保っている。
ただの博愛主義者なのか、もしくは何か考えがあるのか。真意は誰にも分からないが、どの国にも肩入れすることはない。
「ときにバグバット様」
「何であるかなクローディア殿?」
「魔人の地については?」
「北東の島ルニカがどうかしたであるか?」
「いえ。あれから憤怒の魔人は戻っていませんわ」
「かの地は触れぬがよろしい」
「そう、ですか……」
「魔導国家ゼノリス」
「っ!」
意味深な会話が続いているが、不老不死の吸血鬼と長寿のエルフ族である。人間には分かり得ない内容か。
バグバットはワイングラスをテーブルに置き、ゆっくりと立ち上がった。
「バグバット様?」
「クローディア殿。一つ、面白い話をお聞かせするのである」
「ふふっ。楽しみですわね」
「魔人とは、世界の意思である」
「え?」
「天界の神々は、世界を手に入れただけなのである」
「どういう意味でしょうか?」
「神々とは侵略者である。魔人は世界の原住民なのである!」
「な、何ですって!」
バグバットの話を聞いて、クローディアは驚愕の表情を浮かべた。
世界は天界の神々が創造したとされている。もしも彼の話が本当ならば、創世神話が覆る内容だった。
魔人の世界を、天界の神々が奪い取ったのだから……。
(なぜ魔人が大罪の力を有するのか。世界の悪戯であるか? それとも侵略者の神々に対する当てつけであるか。クローディア殿に問うても……)
クローディアの表情が変わるのを、バグバットは気付いた。
薄い笑みを浮かべたので、きっと冗談と思ったのだろう。
「ふふっ。ご冗談がお上手ですね。本気にするところでしたわ」
「滅相もないのである。吾輩も世界の意思によって誕生したのである」
「えっ!」
「たまに口にしないと、吾輩は気が狂いそうになるのである」
「それを……。私に話しても?」
「すべてを忘れるので大丈夫である」
薄暗い部屋の中、バグバットの両目が深紅に染まっていく。
真祖は人を魅了する邪眼を持つ。しかしながら邪眼とは、様々な効果を発揮する能力である。魅了の邪眼は、そのうちの一つでしかない。
クローディアの目が虚ろになり、ソファーに背を預けて天井を見上げた。
「クローディア殿?」
「あ……。何の話だったかしら?」
「厳選されたワインの礼を述べたまでであるな」
「そうでしたか。それでは私は用事がありますので……」
「次回は女王の来訪をお待ちしているのである」
「はい。お伝えいたしますわ」
立ち上がったクローディアは、背を向けて部屋を出ていく。
バグバットはワイングラス手に取って、ニヤリと口角を上げた。今回の邪眼は、人の記憶を忘却させる能力である。
そしてワインの味を楽しんだ後、ソファーに座り直す。
「魔人の地ルニカであるか」
(魔人は他の種族に興味が無いのである。同族すらも……。滅びたくなければ、あの島には近寄らぬが吉である)
バグバットの独り言が響いたとき、部屋の扉が叩かれる。
入室の許可を出すと、執事が入ってきた。
「旦那様。クローディア様を屋敷の外までお送り致しました」
「わざわざ報告ということは、別の客人であるか?」
「はい。エウィ王国のソフィア様が応接室でお待ちです」
「懐かしいのであるな。二年ぶりの再会である」
「こちらにお呼び致しましょうか?」
「吾輩が行くのである」
「はい」
バグバットはワイングラスをテーブルの上に置き、執事と共に部屋を出た。
ソフィアと初めて出会ったのは、勇者の従者だった頃である。また三国からの贈物を、自国の酒に変えるよう提案したのは彼女だ。
おかげで酒好きになったと思いながら、応接室に向かうのだった。
◇◇◇◇◇
宿舎を出たフォルトは、昨晩の話を思い出す。
隣を歩くソフィアは、アルバハードの領主に挨拶に向かうと伝えてきた。護衛をする約束なので、当然のように供をしている。
「今日はそこだけですか?」
「えぇ。ですが面会する数は減らしたつもりですよ」
「気を遣ってもらって悪いね」
「ふふっ。フォルト様の性格は把握しています」
すでに、フォルトのやる気は半分以下だった。
元よりやる気は無いのだが、カーミラが頑張っているので少しはマシである。彼女には毎日、違う身内を連れてきてもらう予定になっている。
現在は双竜山の森に、シェラを運んでいる最中だ。順番は任せているので、誰が来るのかは後のお楽しみだった。
「えっと。シェラから聞いたけど、アルバハードの領主は……」
「吸血鬼です」
「大丈夫ですか?」
「とても紳士な御仁ですよ」
「へぇ。真祖とも聞いたけど?」
「はい。それについては隠していらっしゃいませんね」
「俺の出番がないことを祈るよ」
(実際に戦うとなれば面倒臭そうだ。カーミラでも勝てないなら、俺はどう戦えばいいのやら……。魔法が効けばいいなあ)
戦闘訓練をやっていないフォルトだが、オーガを倒したことはある。
また自身の能力を把握するために、様々な実験を行っていた。とはいえ、相手の強さを測ることはできない。しかも、学生のときに所属した部活は文化部だった。殴り合いの喧嘩もしたことはない。
それに伴って、戦術も魔法を主軸にしている。
「ところでソフィアさん」
「何でしょうか?」
「歩き疲れたので飛んでいきません?」
「嫌です」
「え?」
「そっ、その……。フォルト様は破廉恥です!」
(どうやらソフィアさんに嫌われたようだ。まぁセクハラ全開だったしな。でもそれは、勝手に動く悪い手のせいだ!)
フォルトが両手をワキワキと握り締めると、ソフィアがプイっとソッポを向いてしまった。現在の姿はおっさんなので、傍から見ると変態に見られそうだ。
そして溜息を吐きながら歩いていると、目的の場所に到着した。
「はぁ……」
「着きましたよ」
それでもソフィアは、あまり人間がいない道を通ってくれた。
以降は領主の屋敷に入るので、フォルトは空気になる。
相手を意識せずに、目を合わせないのがコツだ。視線を向けるのではなく、視界に入れる感じにすれば相手に気取られない。
「俺はどうすれば?」
「一緒にいてもらえれば助かります」
「そうですか」
二人は屋敷の執事に、応接室に通された。
この場で領主を待つことになる。一応は護衛なので、ソフィアが座ったソファーの後ろに立っておく。後は空気になることだった。
幸いにして、それは成功している。
茶を持ってきたメイドらしき女性は、フォルトの存在に気付いていない。出されたカップが、ソフィアの分だけだった。
(ふふん。マリには悪いが、これは俺の特技になるな。まぁ他人の役に立たない特技だけどな。つまり、特技は無しのままか……)
このような特技は、マリアンデールのつまみ食いと大差がない。となると、特技が無いコンビは継続である。
そんなことを考えていると、応接室の扉が叩かれた。
室内に入ってきた人物は、男性が二人だった。先ほど案内してもらった執事と日本を感じさせるスーツの男だ。
(ブラウンのスーツだと? まさか異世界人……。なわけないか。数百年前にどこかの国を滅ぼしたとか? というか似合ってるな!)
顔はアンデッドらしく青白いが、髪をオールバックに決めたナイスミドル。
それが、アルバハードの領主バグバットである。
「お待たせ致しました。旦那様がお見えです」
「はい」
ソフィアは立ち上がり、恭しく礼をする。
そしてフォルトは、明後日の方向を眺めながら微動だにしない。空気なのだから、相手に気取られては駄目なのだ。
「久しぶりであるな。吾輩、お会いするのを心待ちにしていたである」
「バグバット様もご壮健のようで……」
「ははははっ! 酒のおかげで毎日が充実しているのである!」
「ふふっ。祖父のグリムが届けたお酒はいかがでしたか?」
「帝国よりは、と……」
「相変わらず手厳しいですね」
「前回よりは味わい深かったである」
酒が好きとは聞いていたが、最初から酒の話である。
フォルトも酒は好きだった。またタバコも吸っており、仕事を辞めたときに一度倒れたことがある。
そのときに片方をやめる決断をして、酒を止めたのだ。禁煙は無理だったが、異世界に召喚されてからは吸っていない。
ちなみに医者からは、「両方やめろ」と言われていた。
(そう言えばタバコを吸っていないな。こっちの世界にあるのか? 久々に酒も飲みたいなあ。料理にも使えるし、カーミラに言って奪ってきてもらおう)
魔人は病気と無縁である。
酒を飲もうがタバコを吸おうが、今のフォルトなら問題無い。
「ときにソフィア殿?」
「はい」
「後ろの男は何者であるかな?」
「私の護衛ですが……」
「護衛であるか。そうは思えないのである」
「え?」
(クソ! 空気になり損ねたか? まだまだ修行が必要だな)
フォルトは空気になりきっていたので、バグバットに見破られて落胆した。
実のところ、先ほどのメイドらしき女性も気付いている。ソフィアの護衛だと思っていたので、茶を出さなかっただけだ。
それは知る由も無いが……。
「護衛のフォルトであります!」
ついフォルトは、自衛隊のような敬礼をしてしまう。
産まれてこのかた日本人なので、体に染みついた癖は治らないものだ。
「「帰ってきた者」「大罪を纏いし者」「神々の敵対者」であるか?」
「なっ!」
「ソフィア殿に「聖女」が無いとは……」
「えっ!」
バグバットの言葉に、フォルトとソフィアは絶句する。なぜか分からないが、それぞれの称号を言い当てたのだ。
思わず危険を感じて、片手を前に突き出した。
「おっと。争いは困るである」
「………………」
「失礼。まさか魔人がソフィア殿の近くにいるとは思わず……」
「ちっ。スキルか?」
「そんなところである。戦うつもりはないである」
(吸血鬼の真祖、か。警戒しておくべきだったな。でも、称号を見破るスキルがあったのか? 戦うつもりがないと言うが……)
緊張感が一気に高くなってしまったが、バグバットは両手を上げた。
こちらの世界での意味は分からないが、本来は降参の意味合いが強い。戦うつもりがないのは本当かもしれない。
「よろしければ、ソファーに座るのである」
「ふむ。いいだろう」
最近は傲慢にも拍車がかかっている。フォルトは偉そうに振る舞うことが多くなっていたが、それについては気にしていない。
とりあえずはバグバットから言われたとおり、ソフィアの隣に座る。
彼女は戦闘を回避できたと思ったのか、ホッと息を吐いていた。
「ふぅ」
「驚かせてしまったようであるな」
「まったくです。バグバット様は唐突過ぎます」
「しかし「聖女」の称号が無く、アルバハードに訪れたのは……」
「お察しのとおりです。まだ次の聖女は任命されていません」
「それは言ってしまってもいいのか?」
ソフィアが言った内容は、エウィ王国の重要機密事項だろう。
それでもフォルトに顔を向けて、笑顔で「大丈夫です」と伝えてきた。
「すでにバグバット様はお見通しです」
「まぁ俺はどちらでも構わないですけどね」
「思慮深い御方ですから……」
「ソフィア殿には敵わないである」
(それよりも、だ。魔人って大したことがないとか? うーん)
憤怒の魔人グリードは、魔導国家ゼノリスを滅ぼした。しかも十年前の勇魔戦争を勃発させた魔王は、嫉妬の魔人スカーレットである。
フォルトも魔人になったことで、この力は脅威だろうと思っていた。にもかかわらず吸血鬼の真祖は、魔人の存在を恐れていないようだ。
「見破れるのは称号だけか?」
「レベルやスキルなどは見破れないのである」
「ふーん。内緒にしてもらえれば助かるけど?」
「さて。どうするべきであるか」
バグバットの対応に、フォルトは警戒感を強める。カーミラ以上の強者なので、口を封じるには骨が折れそうだ。
そんなことを考えながら、ソフィアの太ももに手を伸ばすのだった。
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