生まれ変わった先2
フォルトはテラスに移動して、カーミラと一緒に専用椅子に座る。
屋敷の隣に建ててある小屋からは、リリエラがおずおずと姿を現した。目は見開いて、周囲の風景を眺めている。別世界とでも思っているのだろう。
彼女がいた劣悪な環境と違って、周囲は山と森に囲まれていた。また眼下には湖が広がり、その中央には小島が浮かんでいる。
そして近くに寄ってきた彼女は、縮こまりながら口を開いた。
「ここは?」
「森の中だ」
「見れば分かるっす」
「グリム領の最北、双竜山の中間にある森だな」
「ソル帝国と接してる領地っすね?」
「そうだ。よく知っているな」
「来たことはないっすよ?」
地理については、王女だった頃の記憶だろう。
それでもフォルトが指示した口調を続けているので、リリエラとして生きると決めたようだ。内心は分からないが、賢明な判断である。
まずは彼女に伝えたとおり、チュートリアルを始めた。
「では最初のクエストだ」
「はいっす!」
「そこに転がっている男を捨ててこい」
「うっ!」
リリエラが嫌そうな表情に変わった。
小屋の外には、彼女の傷を引き受けた男性の死体が転がっている。全身を襲った激痛によりショック死しているので、物凄い形相だった。
また女性の細腕で、これを捨てるのは難しい。
「どうした?」
「どっ、どこに捨てればいいっすか?」
「東西に山があるだろ?」
「はいっす」
「西側の麓でいいぞ」
「分かったっす!」
リリエラは息を飲んでいるが、まだ半分しか理解していないだろう。
そこでカーミラの手を握ったフォルトは、彼女に助け舟を出す。ゲームによくあるヘルプ機能といったところだ。
(俺はクエストを出すだけで、細かい指示までは伝えない。それを達成する方法は、自分で考えないといけないのだ)
「そこに転がっている男を西側の山に捨てろ、だからな?」
「分かったっすよ?」
「捨てる方法はリリエラが考えろ」
「え?」
「俺は何人かの身内と暮らしているのだ。後は分かるな?」
「助けてもらえばいいっすか?」
「そうだ! 理解したか?」
「はいっす!」
チュートリアルが終了すれば、ゲームの内容を完全に把握するはずだ。
今のフォルトは、リリエラの行動を見ているだけで良い。
「行けっ!」
「はいっす!」
リリエラはまず、屋敷に向かった。
もちろんフォルトは、そこから先が見られない。しかしながらこのゲームの楽しみ方は、後で細かく報告してもらうことで、選択と結果を知ることだ。
現時点での興味は一つだけだった。
「カーミラ、いま屋敷にいるのは誰かな?」
「マリとルリですねぇ」
「いきなりハードルが高いな!」
マリアンデールとルリシオンは、人間の敵である魔族だ。
リリエラからすると、化け物とご対面である。
案の定、彼女は走って屋敷を飛び出してきた。おそらくは妹の角を見て、一目散に逃げてきたのだろう。
必死な形相なところが面白い。
「マ、マスター! 魔族がいるっすよ! 逃げるっす!」
「まぁ待て。二人は身内だ」
「え?」
「フォルトぉ。人間が侵入したんだけどお?」
屋敷からルリシオンが出てくる。
その後ろからは、マリアンデールも現れた。とはいえ何かを察したのか、ニヤニヤと笑っている。
「でっ、出たっす!」
リリエラが椅子の後ろに回り込んで、あろうことかフォルトを盾にした。
それに対して、思わず苦笑いを浮かべてしまう。
「ゲーム中だ!」
「そう? それならいいんだけどお」
「危害は加えないでやってくれ」
「はいはい。ならお姉ちゃん。戻るわよお」
「ふふっ。殺さないでおいてあげるわ」
フォルトの遊びだと知って、姉妹は屋敷の中に戻った。内容についてはベッドの上で伝えてあり、何の疑問を持っていない。
それよりも、リリエラの行動から疑問が浮かんだ。
「カーミラ、リリエラの首に刻まれた奴隷紋は……」
「御主人様が主人になっていませんねぇ」
「どうすればいいのだ?」
「『契約』はしたのでぇ。奴隷紋は消しちゃっていいですよぉ」
「あ、そう? ならリリエラ。俺の前に立て」
「はいっす!」
奴隷紋とは、フォルトが使うような呪術系魔法に該当する。
非常に強力な呪法で、それを施した紋様師だけが扱えるのだ。しかしながら、他者が解呪できないとイコールではない。
カーミラの元主人から受け継いだ魔法であれば……。
【アドバンスト・ディスペルマジック/上級・魔法解呪】
「きゃー! 上級でーす!」
「ふふん。効果が無かったら格好悪いからな」
(アカシックレコードから引っ張り出しておいたが、解呪魔法では最上級らしい。俺よりも魔力の低い人間の呪術なら、簡単に解除できる)
カーミラは強力な魔法を使うと喜んでくれる。
上級魔法を扱える人物は珍しいのだろう。キラキラと目を輝かせているさまは、まるで御伽噺を読んでいる少女のようだ。
そして解呪魔法が発動すると、リリエラの首に刻まれていた奴隷紋が消える。
「凄いっす!」
「では改めて行け! どうやって達成したかは後で教えるようにな」
「はいっす!」
今度もリリエラは、屋敷の中に向かった。
フォルトと姉妹の関係性を知って、少しは安心したからだろう。だがまたすぐに出てきて、首を傾げている。
「どうした?」
「マスター。人参ってどこっすか?」
「何で人参……」
「ルリ様に持ってこいと言われたっす!」
(サブクエスト発生! 死体を運ぶ代わりに、ルリのパシリになったようだな。しかもこの短時間で、敬称を付けて呼ばせるとは……)
リリエラからの報告を受けて、フォルトは吹き出しそうになった。
彼女に対してではなく、ルリシオンの対応についてだ。こちらの世界には娯楽がほとんど無いので、ちょっとしたことでも面白さを感じてしまう。
「これはヤバいな」
「え?」
「いや。人参は離れにある倉庫の中だ」
「ありがとうっす!」
「あ、そのままで食べられる野菜があるから食っていいぞ」
「助かるっす!」
背を向けたリリエラは、体の線が細すぎる。食事は三日に一度と聞いていたが、あれでは使い物にならないだろう。
とりあえず、今はチュートリアル中である。
彼女には食事――生野菜――を与えておく。双竜山の森にいる間は料理を提供するつもりだが、いきなり胃を満たすと体に良くない。
「カーミラ」
「何ですかぁ?」
「リリエラって犬みたいだなぁ」
「かもしれませんねぇ」
「でも王女だったんだよな?」
「随分と奴隷根性が染みついたみたいですよぉ」
「ふーん。それならそれで楽しませてもらうか」
「はあい!」
目を細めたフォルトは、リリエラの背中を眺める。
自身は日本から召喚されて、第二の人生が始まった。彼女は今日から、第二の人生を歩む。と考えると、非常に感慨深い。
そんな思いを抱いたところで、ニャンシーが現れる。
「主よ。ドッペルゲンガーはどうするのじゃ?」
「そうだった。すっかり忘れていたな」
ニャンシーの後ろには、一人の老人がいた。
グリムではなく、デルヴィ伯爵の姿になったドッペルゲンガーである。今回はよく働いてくれたようだ。
今後も使い道があるだろう。
「ふーん。それがデルヴィ伯爵ねぇ」
「はい」
この白髪の老人がデルヴィ伯爵で、まるで蛇のような鋭い目をしている。グリム家の三人からは、狡猾な人物と聞いていた。
しつこく獲物を狙うところも同様で、まさしく見た目通りということだ。
「受肉用の死体が無いけど、頑張った褒美として俺の眷属にする」
「そこに死体がありますが?」
「男は嫌だ!」
「はい」
「可愛い女性に化けられるか?」
「いいえ。今は素材がありません」
「そっ、そうか。なら、お前の名前はクウだ!」
「畏まりました。本日只今より、クウを名乗らせてもらいます」
お互いの同意があれば眷属にできる。
ちなみにニャンシーやルーチェを眷属にしたときに口付けしたのは、主人の望みを叶えるためだと聞いていた。
忠誠心からくるもので、一番最初の命令として遂行した結果だ。
この話を聞いていなければ、身の毛がよだつだろう。
デルヴィ伯爵からの口付けなど反吐が出る。
「ご命令を頂きたく思います」
「暫くは元の姿に戻って、魔界で待機だな」
「お仕事はありませんか?」
「素材か死体が手に入ってからだ」
「はい」
使い道はあるかもしれないが、残念ながら今は無い。もし使うにしても、悪戯程度しか思いつかない。
そのようなものは一瞬で飽きるだろうし、とりあえず魔界に戻しておく。面体は本来のドッペルゲンガーなので、近くに置いておくほどでもない。
クウは命令に従がって、この場から消えた。
「ニャンシーもお疲れだったな」
「主のためじゃ」
「魚が欲しいとか? 倉庫から適当に持っていけばいいよ」
「助かるのう。妾の眷属どもがうるさくて敵わぬ」
「猫だしな」
「猫、言うな!」
ニャンシーも倉庫に向かった。
野菜の倉庫とは別なので、リリエラと鉢合わせにはならないだろう。
フォルトたちが食す肉や魚は、レイナスの氷属性魔法で冷凍保存していた。解凍は自力で可能だと思われるので、後は勝手にやってもらえば良い。
そして倉庫を眺めていると、今度はソフィアが近づいてきた。
「フォルト様」
「やあソフィアさん。どうかしましたか?」
ソフィアの姿を見ると、まだ決めかねている問題を思い出してしまう。
優柔不断で嫌になるが、もう少しだけ先延ばしする。彼女のせいではなく、フォルトが勝手に自分が嫌になっただけだ。
こういったことでも、自虐が顔を出す。
「奴隷を手に入れたと聞きましたが?」
「あ、はい。今は野菜の倉庫に行っていますね」
今回のゲームについては、ソフィアに伝えていた。成り上がりの部分を気に入っていたが、リリエラを入手した経緯は知らない。
本当のことを言うと、完全に嫌われるだろう。
生存していたミリアを救出して、奴隷商人に渡したのだ。しかも、奴隷調教が施された後に入手したと知られれば……。
この懸念については、カーミラやニャンシーが言わなければ分からない。
「あの女性ですか?」
「そうですね。リリエラ!」
「はいっす!」
野菜を食べ終わったのか、リリエラが倉庫から出てきた。細腕で箱を抱えており、中身は人参だろう。
あの箱をルリシオンに渡せば、サブクエストは達成する。
ゲームを止めることになるが、ソフィアに紹介しないという選択肢は無い。
「リリエラっす!」
「グリム家のソフィアです。ってミリア様じゃないですか!」
「リリエラっす!」
「ミリア様、ですよね?」
「そんな人はこの世にいないっす!」
「似ているだけ、かしら?」
リリエラがミリアだった頃に王女や伯爵夫人として、国の行事に出席していたのだろう。立場上、さもありなんだった。
それでも完全に否定されたので、ソフィアは首を傾げている。
「ミリアですよ」
「えっ!」
「マスター!」
このような話は、ずっと隠し通せるものではない。リリエラを入手した経緯を隠すこととは違うのだ。
そこでフォルトは、ソフィアに伝えてしまう。
「正確には、ミリアだったリリエラです」
「と言いますと?」
「生きていた彼女を助けただけですよ」
「病死ではなかったのですか?」
「ですね。まぁ本人はリリエラとしての人生を受け入れたようです」
「理解は追いつかないですが……。分かりました」
「よし! リリエラは続きをしていいぞ」
「はいっす!」
リリエラは箱を持ち直して、ソフィアから逃げるように屋敷に向かう。
この時点でフォルトは、彼女の内心を理解した。
デルヴィ伯爵に監禁されてからは、誰とも知れない男たちに凌辱されている。しかも、父親の分からない子供を孕んでしまった。
王女としては、その時点で死んでいるだろう。だからこそ第二の人生を、すぐに受け入れられたのだ。
「デルヴィ伯爵が玩具にしてたようですね」
「そう、ですか」
「証拠のミリアはリリエラなので、証拠は無いことになりますけどね」
「はい」
「俺としては、リリエラを使って遊びます」
「成り上がりのゲームでしたね」
ソフィアは複雑な表情をしている。
人間を玩具として扱う嫌悪とミリアを救出したという尊敬。かけ離れているが、それを同時に持つという不思議さを感じたようだ。
そして屋敷に向かったリリエラが、またもや一人で出てきた。何かを考え込んでいるが、マリアンデールやルリシオンが現れる気配も無い。
「あれ? 出てきたのはリリエラだけか」
「え?」
「リリエラ! どうした?」
「レイナスさまがいる湖畔に向かうところっす!」
ルリシオンはサブクエストを出したくせに、リリエラをレイナスに押し付けようとしている。パシリとして使ったうえに丸投げとは、彼女らしいかもしれない。
これにもフォルトは、顔をほころばせてしまった。
「行ってこい!」
「はいっす!」
「ははははっ!」
離れていくリリエラの背中を眺めて、フォルトは堪えきれずに笑ってしまう。死体を双竜山の麓に捨てるだけなのに、新たなクエストが増えていく。
対面に座るソフィアには、怪訝な表情で見られた。だがこの遊びをどうやって昇華させようかと、隣に座るカーミラを触りながら考えるのだった。
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