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僕とぐうたらなお師匠様  作者: 高城拓
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10歳

 拾ったときのタケトは多分5歳ぐらいだったと思う。

 お風呂に入れて洗ってあげようとしたら、猛烈に恥ずかしがっていた。お構いなしに一緒に入ってやったけれども。

 お風呂から上がった彼は姿見に写った自分の姿を見てひどく動揺し、気を失ってしまった。

 それから4日ぐらい意識を朦朧とさせていたけれど、5日後にはしゃっきりして、拾って世話をしたことに礼を言い、それから簡単に自分のことを話し始めた。

 といっても自分の昔のことはよく覚えておらず、タケトという名前しかわからない、ということだった。

 そんなこともあるもんなのかとあたしは深く考えず、代官様の役場で彼をあたしの扶養家族として登録した。つまりあたしは彼の里親ということになる。役場の人たちに確認したが、タケトに関する捜索願などは出ていないようだった。

 タケトは小さくて力も弱かったけれど、日が経つにつれて元気で明るく、好奇心旺盛な物怖じしない子に育っていった。手がかかったのは最初の1年だけだったと思う。夜はどうしても眠たくなるらしく、私と生活リズムが違って大変だったけど、一緒に寝てあげているうちにあたしのほうが慣れてしまった。

 読み書き計算はあたしが教えてあげた。

 7歳ぐらいのころには文字をすべて覚えたけれど、これ自体は魔女やエルフには珍しい話じゃない。でも6桁までの足し算引き算と、5桁と2桁の掛け算割り算をいずれも暗算できたのには驚いた。普通、四則演算を理解するのだけでもあと1~2年ぐらいはかかるものだし、3桁以上だと筆算か算盤を使う大人も珍しくない。なんと頭の良い子だろうと感心した。

 8歳までには家事全般ができるようになった。その頃から背丈は随分伸び始め、それに合わせてタケトは自分で自分を鍛え始めた。薪割りは彼のお気に入りの家事の1つになった。



 タケトが最初にその才覚をはっきりと現したのは彼が10歳と半年ぐらいの、雪が溶けてしばらくしたある春の日だった。あたしと一緒に寝なくなり始めたのもそのころで、あたしはちょっぴり寂しくなっていた。

 あたしが住んでいるのはベルムという小さな森。近隣のドワーフやエルフ、ライカンやゴブリンなどに薬を売って暮らしていた。  

 住居の一階部分は店舗件調剤所。他の村や集落からの中間地点で便利が良いってことで、村の代表者や近似のギルド関係者同士の内々の打ち合わせによく使われていた。ちょっとした喫茶店てところ。

 タケトは最初からよくお店を手伝ってくれて、お店に来る人達にも可愛がってもらっていた。その頃にはもうお茶を煎れたり、あたしの焼いたケーキを出したり、薬の注文を取ってくれていた。

 そんなことまでしなくていいよというと、弟子は師匠の役に立つものです、なんて生意気なことを言ったっけ。あたしはお言葉に甘えて、薬の調合や実験、論文執筆に集中するようになった、その矢先のことだ。


 その日は鍛冶ギルドのドミニクさんとエルフの森のヨアヒムさんが来て、何やら深刻な顔で話し込んでいた。


「何のお話をされてるんですか?」


 と、タケトがお茶とお茶菓子を二人に出しながら尋ねると、腕組みしたまま唸っていた二人は戸惑った顔をした。

 二入は目配せし合い、譲り合っていたが、ついにドミニクさんが口を開いた。


「タケト、おまえここに来て何年経つ?」

「5年と半年です」

「この国のことはどれぐらい知ってる?」

「ええと、北に海があって、南に山脈があって、東西に大河。広さはざっと東西400レン、南北に600レン。国土は野も山も実り豊かで、水も豊富。国土の中心に直径100レンにもなるエルベ湖があり、首都はその北岸のヴァッサスシュタット。人口はおおよそ2800万。構成種族はライカン、ドワーフ、エルフにゴブリン、魔女にその他色々。国家主権者は第13代黒竜王陛下。国内は総勢100余名の大貴族、その配下の中小貴族貴族によって統治されており、黒竜王陛下のもとに連邦を成しています」


 ドミニクさんとヨアヒムさんは顔を見合わせた。

 ちょっと面白かったので、机から顔を上げて横やりを入れてみた。


「驚いたでしょ。この子ったら知らない間にその辺の本や魔女学会の会報読んですっかり覚えちゃったのよ」

「お師匠さま、この子、はやめてください」


 タケトが生意気な口を利いて、それから二人に向き直った。

 

「それで、それがなにか」

「では産業と外交については? 大まかなところで良いよ」


 と、今度はヨアヒムさん。


「主要産業は農畜産、湖岸と海辺では漁業も盛んです。南部、つまりこのあたりでは鉱業が盛んで、鉄とミスリル銀の生産は国内随一です。錬金術も盛んですね。半径20レン以内で薬学をやっているのはお師匠さまお一人だけですが、30レン北東のサザラント辺境伯の御城下にいけば薬師と医者はいっぱいいます。南部国境は嘆きの山脈のお陰で年に2ヶ月しか通行できませんが、そのおかげで南の国ローレンシアとは戦争状態になったことがありません。薬学や工業の知識と種苗のやり取りが中心の通商関係ではあります。東の国ポルトラントとは150年前まで国境紛争が盛んでしたが、海を挟んだ北の国や、ポルトラントの向こうのルスーキー汗国と対抗するために現在は同盟関係にあります。西の国フランキスカとは西部国境の紛争が絶えませんが、ここ30年は安定しています。こんなところでどうでしょう?」

「すばらしい、完璧だ。話が早そうで助かる。さて、僕とドミニクの仕事はなんだい、タケトくん?」

「ミスリル銀の卸商で南部ミスリル武器ギルドの幹部さんと、6カ所の製鉄所を自ら運営する南部製鉄ギルドの古参幹部さん……のお二人が頭抱えてらっしゃるってことは、出荷量か品質か製品の種類などで、問題が起きた、とか」

「かなりいい線いってるね。その調子でもう一声」

「ええー? ヒントくださいよ」


 タケトは嬉しそうに不平を述べた。彼は昔から知的好奇心を刺激されるとこういう態度を取ったものだ。


「うーん、でもこれ言っちゃうとねぇ」

「そこをなんとか」

「しょうがないなぁ、ヒントは領主様だ」

「…………まさか黒竜王陛下御自ら、鋼とミスリル銀の大増産をギルドに直接ご下知なさった?」


 再びドミニクさんとヨアヒムさんは驚いた。


「なんでそうなるのかな?」

「フランキスカの魔女とつながりのある方からは、フランキスカで戦争の準備が進められていることが報告されています。こちらも戦備えをするとなれば、鋼とミスリル銀の増産は避けられません。さて、このあたりはサザラント辺境伯殿下のご所領です。農畜産物の増産ぐらいは領主の裁量で行うことが義務ですが、ギルドの成立している業種に領主が要望を押し込むことは、いかに辺境伯殿下といえどそうおいそれとはできません。それでもギルドの幹部でいらっしゃるお二人が頭を抱えていらっしゃるということは、かわしようがない話が来ているということです。そしてギルドに直接ご下知出来るのはこの国でただおひとり。とはいえ、うわさで知る限り」

「ああ、そうだ。鋼もミスリルもこれ以上の増産は難しい。製鉄所はあと1基か2基なら即座に作られるが、それでは到底、陛下のご要望にお答えすることはできんのだ。この辺りのミスリル銀は製鉄の副産物から出る銀を精霊処理したもんだから、鉄の増産ができなきゃミスリル銀も増産できん」


 タケトはしばらく考え込むと急に何かひらめいた顔になり、論文の書きそこないの裏紙と木炭筆を走って取りに来て、また走って二人のもとに戻っていった。

 そこからは圧巻だった。

 彼は製鉄所の溶鉱炉の形を聞き取ると、即座に別の形の溶鉱炉のスケッチを描きあげ、燃料や材料の入れ方についてもアイデアを示した。

 当時の溶鉱炉は高さ3~4ドム、魔女やエルフの単位では2アムと表現できる高さまでレンガを積んで四角い囲みを作り、木炭と砕いた鉄鉱石を交互にその中に入れて燃やすものだった。空気は何人かの男性が足で踏んで動かすふいごで供給した。

 これに対しタケトが示したものは、全体的な形はつる首の花瓶、高さは4~6アム、内部の直径は一番広いところで2アムほど、炉壁の内部に通風路があり、そこで暖められた空気が6カ所から炉の内部に吹きこまれるというものだった。それに付随して水車でふいごを連続的に動かしたり、炉から出た熱気を格子組にしたレンガの部屋に通して熱を回収し、温まりきったらそれを通じて熱した空気を炉に供給するというアイデアも提示された。

 あたしは製鉄や錬金術はよくわからないが、ドミニクさんもヨアヒムさんもすごくすごく興奮したからタケトはすごいことを言ったんだと思って、なんだか鼻が高くなるような思いがした。



 僕が提案した新型溶鉱炉の開発はものすごい勢いで進んだ。

 まずドミニクさんの会社で敷地に余裕がある製鋼所に実験炉が作られた。規模は最初提示したものの3分の2程度の大きさ。蓄熱装置や水車式ふいごも立派に動作することが認められたのだけど、ここまでたったの1か月で終わっている。実験炉の業績もずいぶん良いもので、従来の溶鉱炉より少ない人数で同等量以上の鉄を作れると好評だった。

 ドミニクさんはヨアヒムさんたちと協同して新型炉の設置場所を探し始め、それはすぐに見つかったけれど、しかしそこは恐ろしく面倒な土地でもあった。

 お師匠さまの家から東に4レンほど行くとメルダ河という大河がある。そのあたりでは水流は穏やかな淵になっているけれど、ぼくは浅瀬を見つけてそこで水泳の練習もしていた。そうしなければならないと思ったから始めたのだけど、なぜそう思ったのかはわからなかった。さてそこを12レンばかり遡ると落差25アム程度の滝があるのだけど、そこを落ちる水量が凄まじい。雪どけになると大人のライカンの腕で3かかえもあるような大きな岩がごろごろ転がってくるような滝だった。

 もちろんそんなところに直接水車を設置したら一瞬で壊れてしまうだろうから、支流を作って制御できる範囲の水量の滝を作って、それで水車を回そうということになった。技術的にはまぁ妥当なところだと思われたし、それでも並の河川の水流や速度に比べるとずいぶんと大きな出力が得られそうだった。ギルドを通して黒龍王陛下にお伺いを立てると、構わんやれ、補助金も出すしメルダ様と直接交渉もしてやるとの心強いお達し。

 ドミニクさんたちはずいぶん盛り上がったけれども、問題は、その河の神様がとんでもない癇癪持ちだということだった。



「ずいぶん交渉は難航してるようですねぇ」

「ん”あ”~~~~そこそこ……あ”~~~いい……まぁそりゃ、メルダ様は結構な癇癪持ちだし……お”お”お”お”……河川の神様はまわりの植生や地下水脈にも気を使わないといけないから、鬱憤溜め込みやすいしね」


 交渉が始まって1ヶ月が過ぎた。

 お客も来ないよく晴れた日に、僕はポーチでお師匠さまの肩をマッサージしながら世間話に興じていた。


「メルダ河の雪解けの氾濫がないと下流域の収穫が減るから、それを気にしてらっしゃるのかな、とも思うけどね」

「支流は水車回したらすぐに本流に戻す経路を考えてるんですけど、それでもだめですかねぇ」

「んん~だめじゃない? メルダ様は滝に触られるの、ものすごく嫌がるもの」

「それってあの伝説の?」

「伝説じゃなくて史実だよ。2000年前に初代黒龍王陛下カール1世は賊に追われてこの地に落ち伸びた。そのとき滝壺で傷をいやしてくれたメルダ様に一目ぼれして、務めを果たしたら我が身を捧げると誓った。この場合は死んだら水葬にしてもらうって意味ね。しばらくしてカール1世陛下は臣下の勧めもあって赤龍の姫と結婚し、子供を作った。その後20年もメルダ様のことを気に病んだまま戦場に出た陛下は、魔法王相手に不覚を取り、形見の剣を残して塵になってしまったの。その剣を昔からの忠臣がメルダ様の滝壺に投げ込み、泣きながら自分も入水して死んでしまった。それ以降メルダさまは恵み多くして癇癪の多い神様になってしまわれた、というわけ」 

「なるほど」

「女の癇癪は怖いわよ~。タケトも気を付けなさいねぇ」

「なんのことでしょう?」

「とぼけちゃってぇ。羊頭のミランダちゃんとか猫耳のミゥちゃんとか、レジーナ先輩とか、結構タケトのこと気に入ってるのよ」

「……お師匠ひとりのお世話してる方が楽そうでいいですね」

「それどういう意味?」


 そんなことを話していると、ヨアヒムさんが森の中から馬に乗って現れた。代官所の騎士様と一緒だった。


「すまない、シレーヌ、それにタケト。申し訳ないが今すぐついてきてくれないか?」


 ヨアヒムさんの顔は真っ青だった。



 ごうごうと音を立てて大量の水が崩れ落ちてくるメルダ河の滝に行くと、そこには錚々たる顔ぶれが首を揃えて待っていた。

 代官様はもとより、辺境伯親衛隊の方々、さらには双頭龍の紋章を掲げた黒竜王陛下御一行。その傍らの、一糸まとわぬ姿で屹立されている透明な女性がこの河の神様、メルダ様だろう。ドミニクさんもヨアヒムさんも、もちろん僕らもひどく場違いな感じがした。他には何人かの屈強なお武家様がずぶ濡れで震えながら火に当たっているのが気になった。

 案内してくれた代官所の騎士様は、僕達を黒竜王陛下の旗のもとへと案内し、傅くように言い、僕達はそれに従った。


「サザラント辺境伯にして第13代黒竜王カール5世である。面をあげよ。直答差し許す」


 顔を上げて目に入ったのは、床几に腰掛けた偉丈夫。彫りが深く、眉は太く、厳しくも優しくもなりそうな黒い目。黒曜石のように艶やかな鎧を着込んだこの方が、黒竜王陛下その人だった。


(わっぱ)。名乗れ」


 戦場で聞けばずいぶん安心できそうな声だな、とその時ぼくは思った。平時に聞きたい声かと聞かれれば、意見が別れるだろう。ぼくは気にしないけれど、と、お師匠様をちらとみると、やっぱりガチガチに固まってしまっていた。

 陛下御自ら親しくお声を掛けていただいたとは言え、子供が直接答えるのは通常無礼なこととされる。だから本当は保護者のお師匠様が間に入っていただくのが礼儀なのだけれど、無理そうだった。仕方なくぼくは傅いたまま改めて礼をし、陛下に目を合わせて答えた。


「恐れ多くも申し上げます。私、ベルムの森の魔女シレーヌの弟子、タケトと申します。田舎者にて不調法を。この度はお呼びいただきまして誠に光栄の至りでございます」


 代官様やヨアヒムさんはほう、と感心してくれたけれど、辺境伯親衛隊や陛下の供回りの方々は表情が薄くなった。陛下ご本人はといえば明らかな失望を顔に浮かべた。


「ドム。これが例の新型溶鉱炉を考えたおもしろき|童[わっぱ》か」

「はっ、陛下」

「われは面白い小僧がおるというたな。余は賢しらぶるだけの餓鬼は好かぬぞ」


 さすがは王陛下、ずいぶんなおっしゃりようである。きちんと挨拶して馬鹿にされるなんて理不尽もいいところだ。で、嫌味を言われたドミニクさんは平伏したまま震え上がって縮こまった。ぼくはといえば、まぁそんなもんだよな、さてどうしようと考えていた。我ながら呑気なものだ。

 と、横合いでお師匠さまがすっくと立ち上がった。そりゃ流石にまずいと服の裾を引っぱったが無視される。代官様や代官所の騎士様は顔を青ざめさせたり赤くしたりしながらお師匠様を注意しようとしたが、陛下が手を上げてそれを止めた。


「恐れながら申し上げます、黒竜王陛下。私はベルムの森のシレーヌ。これなるタケトの師匠にございます」

「なんじゃ、魔女の娘よ」

「不肖の弟子がお気に召しませんで大変申し訳ございませんでした! 人をばかにするのが目的でございましたなら御用はお済みでございましょう! 私どもは下がらせていただきます!」


 お師匠さまは一気にまくし立てるとぼくの腕を取って引っ張り上げた。言うまでもなく無礼どころの話ではない。普通ならその場で無礼討ちだ。事実、辺境伯親衛隊や代官所の騎士様たちの何人かは剣の濃口を切っておられた。

 が、陛下は普通ではなかった。

 お師匠さまの口上を聞き遂げるとぶっと吹き出し、カラカラと笑いだし、さらにはあろうことかあっさりと、平民である僕達に対し謝罪まで口にされたのだ。普通ありえることではない。


「はっはっは! すまぬな、シレーヌとやら。われの弟子の口上があまりに宮廷雀そっくりでの。つい要らぬことを言うたわ。タケト、われは愛されておるのう」


 これにはお師匠さまどころか代官所、辺境伯親衛隊の方々もみな大口を開けて唖然とした。例外はドミニクさんと陛下のご近習の方々だけ。これはドミニクさんも含めて、この爽やかなおじさんに相当、たいへん、めちゃくちゃに振り回されているものと見た。

 

「はっ。勿体なきお言葉。不肖の師にて困っております」


 そう言いながらお師匠さまの腕を強く引っ張ってどうにか座らせた。


「よいよい、そのような関係の師弟も最近では少なくなった。良きものを見た。礼を言う」

「はっ。誠にもったいなきお言葉」

「でな、タケトよ。此度われに用があるのは余ではない。いや、用があるにはあるのだが、命じるのではなく、願わねばならぬのだ。メルダ様、これへ」


 そう言って透明な貴婦人を招き寄せた陛下の表情が一瞬曇ったのを、ぼくは見逃さなかった。

 一体何だというのだろう?


「おお、わらべよ。おぬしは見覚えがある。よく淵の浅瀬で遊んでおろう。儂がこの河の神、メルダじゃ」

「はい。はじめましてメルダ様。お世話になっております」


 メルダ様の凛とした美しい声が直接あたまの中に響いてきた。神様連中というのはどうしてこう、人の頭の中を直接覗くのが好きなんだろうか? 優しい笑みを浮かべてそんなことをするもんじゃない。


「うむ。良き返事じゃ。それでな、わらべよ。おぬしがその、あたらしい鉄を溶かす炉を考えたもので相違ないか?」

「はい」

「そうかそうか。うむ。ならばタケトよ。我が滝壺に飛び込め。ま、人柱というやつじゃな。武家のむくつけき男ども、口だけでちぃとも我が壺にて果てぬ。なんとも情けなきものどもよ。それに人柱は古来よりけがれなき者が良いとされておる。喜べよタケト。光栄に思え」


 陛下もずいぶんといえばずいぶんだったけど、神様連中に比べればまだかわいいもんだと流石に思わざるを得なかった。



 タケトを人柱、つまり生贄にせよと聞いてあたしは頭が真っ白になりかけた。

 当のタケトは陛下やメルダ様に至極真面目な顔で質問をしては、いちいち頷いていた。メルダ様と王家がカール1世の頃から盟約を結んだ間柄であるとか、そういったことを。

 今から死ぬっていうのに、そんなことを気にするタケトはおかしい子だ。本当に本当に、おかしい子だ。

 タケトがなにか交渉している。メルダ様も。陛下も。これから死ぬのに、交渉?


「……では、ぼくが死んでも死ななくても、新型溶鉱炉の建設には土地をお貸しくださいませ」

「よかろう」

「承った」

「それと、もしぼくが死んだら、お師匠さまにお手伝いだけでも付けてあげてください。ここ5年ほどでずいぶんぐうたらになってしまわれました」

「儂はシレーヌに加護を与えよう。エミリオよ。うぬはどうじゃ」

「幼名で呼ぶのやめてくだされぬか、メルダ様。タケトよ、われが死なばシレーヌは側女に」

「呪いますよ。本気です」

「冗談だ。ま、そんな顔ができるなら寸毫ほどは希望はあるか」

「ぼくは死んだって戻ってきますよ。絶対に。」


 みんな、みんなおかしいよ。

 タケトは今から死んじゃうのに、どうしてそんなにあっけらかんとお話できるの?

 呆然としたままのあたしの手を取ってタケトはにこやかに、行ってきます、と言った。

 まるで散歩にでも行くような調子で。

 やっぱりタケトは、変な子だ。



 滝の上側に立って滝壺を見下ろすと、やはり目眩がするような高さではあった。

 ぼくの右手側では大量の青く冷たい水が地響きを立てながら落ちてゆく。

 やっぱり無謀かな、と今更なことを思いながら衣服を脱ぎ、下帯一丁になった。ううむ。こんなことなら新品のふんどしを用意しておけばよかった。それはともかくさっさと飛び込まないと、怖気づいて腰を抜かして、本当に死んでしまいそうだ。そう、まだ何も死ぬと決まったわけではないのだ。

 石を6グレアムほどの重さになるようにシャツに包み、腰に巻きつける。これはできるだけ深く沈むための錘だ。

 さて、高所から水面へ降下するときの手順を思い出そう。

 まずは深呼吸。1回。2回。3回。7分ほど吸い込み、息を止める。それから落ち着いて無造作に空中へと足を進め、胸の前で腕を交差させ、両足をまっすぐ下にして水中へと飛び込んでいった。




 着水の衝撃は案外大したものではなかった。

 それよりは滝壺に降り注ぐ大量の水、これが厄介だった。荒ぶる水流に揺さぶられ、弄ばれ、もみくちゃにされる。左右どころか上下感覚さえ失ってしまう。大体の人はそれでパニックになってしまい、むやみに水面を探して浮き上がろうとして体力と気力を消耗し、結果溺れてしまうのだ。

 逆だ。

 必要なことはまず落ち着くこと。それから身を丸め頭を守りながら姿勢が安定するのを待つこと。必要ならば息を吐いて浮力を削って沈んででも体を安定させること。そうすれば息があるうちに浮上できる可能性はぐっと高まる。昔サーフィンを(・・・・・・・)していた経験がこんな(・・・・・・・・・・)ところで役に立つとは(・・・・・・・・・・)

 そうしていると強く川底に引き込まれる感触を覚えた。上から降ってくる水流によるものではない。

 ぼくが目を開いて水中を凝視すると、目当てのものが天からの光を反射した。

 はたして間に合うだろうか。普段から鍛えていたとはいえ、この体はあまりに頼りない。

 小さな肺は早くも悲鳴を上げ始めた。



「いたいです、暑苦しいです、離れてください、お師匠様」

「やだ。あと一週間はくっついてる」


 私はベッドの上のタケトに、後ろから覆いかぶさるようにして抱きついていた。


 結論から言えば、タケトは溺れかけながらもなんとか無事にあたしのもとに戻ってきてくれた。

 右手に剣、左手に女物の兜を持って。

 それらはきちんと供養されなかったカール1世と臣下のものであることは明白だった。その剣は滝壺の底の地下水脈につながる穴のそばに落ちており、その穴に落とすまいと女物の兜が剣の柄と尖った岩に絡んでいたそうだ。タケトはその穴を錘の石とシャツで塞ぐと剣と兜を持って、後先顧みない全力で水面を目指し、見事生還したのだった。

 メルダ様は剣と兜の手入れをして滝のすぐそばに祠を作って祀るようカール5世陛下とドミニクさんに頼み、二人は快く引き受けた。メルダ様は本当に嬉しそうだった。

 さらにメルダ様が言うには、もう金輪際氾濫は起こさないとのことだった。流石にそれは収穫に響くと陛下が言うと、森を出たあたりから灌漑用の用水路を作ることを許された。雪解けで出る泥の量は今までと変わらないか、ひょっとすると少し多くなるそうだ。タケトが塞いだ地下水脈の入り口は、ほぼ直行でエルベ湖につながっているし完全に塞がれたわけではないから、周囲への影響はほとんどない。

 まさに完璧。

 荒ぶる河の女神を鎮め、王家の始祖の形見を引き上げ、事業の道筋をつけた。これをたった10歳の子がやったとは到底信じられない。本当に信じられない。

 だから私はこの子に抱きつくのだ。


「あと一週間て。お風呂どうするんです」

「一緒に入る」

「寝るときは」

「一緒に入る」

「あのう、トイレどうするんです」

「一緒に入る」


 あたしがどれだけ心配したと思ってるんだ、この。


「バカ弟子」

「すいません」

「本当に、本当に心配したんだから。3日も気を失うし」

「すいません」


 ずずっと鼻をすする。

 どうしてこんなことになったんだろう。

 拾った当初はあんなに頼りなくて、あたしが面倒を見ないと死んでしまいそうだったのに。

 今では信じられないことをたくさんやって、そしてひょいとどこかに行ってしまいそう。


「本当にすいません。もうどこにも行きませんから」


 あたしはどこまでそれを信じればいいんだろう?



 カール5世は王都に戻っていた。

 その日の仕事を終え、なんぴとたりとも立ち入れぬはずの手狭な私室、その角に置かれた長椅子にだらしなく座り込む。

 そこに置かれていたひと綴りの報告書を黙って読み上げた彼はしばらく押し黙り、宙に向かってつぶやき出した。

 驚いたことに宙は答えた。


「あれはギフトだ」

「ギフト。彼が、あの?」

「とはいえ、完璧ではない。十全に保護してやらねば、ころりと死ぬぞ」

「その割には随分と無茶を押し付けられました」

「あんなものはお前、八百長のようなものだ。あれしきで死ぬぐらいなら用はない」

「御意」

「ところでフランキスカのバカどもはどうしておる」

「どうも先日、ついに召喚に成功した模様で」

「戦になるか」

「まずは10年以内に」

「そうか。急ぐぞ。最悪ギフト抜きでも負けぬ戦支度をせねばならぬ。励めよ」

「御意にございます」


 そして宙から気配が消えた。

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