君に笑う天の笑顔。(卅と一夜の短篇第17回)
見上げた空は、いつも曇っていた。
身を守るためには、力が必要なのだった。
武器なんて持っていたくない。人を傷付けるためにあるもの、なのに、どうしても必要なもの。こんな世の中は、こんな世の中では、間違っているし正されることもないと思う。
このままじゃあ、駄目なんだと思う。
駄目だから、変えなくちゃいけないんだって、そうも思うんだ。
「我が軍にお力を貸しては頂けませんか?」
毎日、毎日、飽きもせずに、私のところを訪ねてくる人があった。
人の上に立つ者のくせに、遜ったこの姿勢。登ってきたものでなく、元より大名家に生まれ、親族間の争いもそうないのだとか。
もう少し傲慢になっても良いものだろうに……。
「しつこいよ。他を当たってくれと、何度も言っただろう?」
「他などいるはずもございません。貴方様を仲間に引き入れたいと、そう思うのでございます。だって、最初は噂の天才を一目見ようというだけであったのですが、今では、貴方様のお人柄に惹かれてしまっているのですから」
何を言っているものか。私の人柄だなんて。
こんなにも冷たく接しているというのに、間違えなく私より良い人ばかりだろうに、どうしてこの男は私にばかり声を掛けるのだろうか。私のところにばかり来るのだろうか。
暇ではないだろうに、何を考えているのだろうか、馬鹿らしい。
私だって暇ではないし、この人は私よりも忙しいに決まっている。なのに。
「きっと説得に応じて仕えることになったとしても、私は迷惑を掛けるだけだと思うよ。人付き合いも、人に従うというそのことも、私は苦手さ」
手を振った私に笑顔を見せてくれ、この態度にも、失礼とさえ思いもしないようだった。
「ならば私のみに会って下されば、それでも大丈夫でございます。それだけでも良いのです。ね、ですから、もう嫌になりましたら、仕えても尚帰りたいと思いになるようでしたら、私とて諦めますから……」
必死に語ってくれるものだから、試しに仕えてみるくらいは、私もそう思ってしまう。
一度でもこの人の元、そのすぐ傍に立ってしまっては、二度と私は帰ろうなどと思えなくなる。そうわかっているからこそ、仕えたくなどないと思うのに。
乱世に振り回されるのはごめんだ。
ただここで高みの見物とでも言うように、冷静に冷徹に、報酬にだけ従い意見を差し出す、それくらいが私には似合っているのだ。
たった一人のために、なんて、私には無理な話だ。向いていない。許されない。
なのにこの人は許してくれそうだから怖いのだ。
「じゃあ約束して。いつまでも、何があっても、変わらないでいてくれると。自分を見失わないで、今の気持ちを持ち続けていてくれると」
「あぁ誓いましょう、約束しましょう。今、貴方様が仕えても良いと感じて下さったであろう、今の私のままであり続けることを」
見上げた空は、いつも曇っていた。
けれど私が彼に就くことを決めたその日は、いつにも増して雲が厚く、もう今にも雨が降り出しそうなほどに、世界を暗く黒く染めていた。
大切に想ったらば、喪ったときに辛くなるだけ。
簡単に人の命も露と消えてしまう、このような時代に生きている以上は、何も大切になど想いたくないと思っていた。
私の大切なこの人は、私の傍に変わらずにいてくれるけれど、ときどき哀しそうな顔をしていることがあった。
きっと私が冷たく流してしまえるような露の命にも、彼は心を痛めているからなのだろう。
辛いのは嫌だから、私の心は脆いから、喪うくらいならばと作らない大切なもの、大切な人。
今の私に必要なのはこの人だけ。ただ一人。
だから私が苦しむことはないはずなのに、このたった一人の大切な人が、繊細な心でいつも傷付いて、苦しんで……けれど私の前で笑顔を浮かべてくれる。
無理しているのがわかる、痛々しい笑顔を浮かべてくれる。
それが尚更、苦しさを伝えるのだというのに。
「何も変わらないものだろう? 私一人が力を貸したところで、何も変わりはしない。一度完成してしまったものを、書き換えようというのは、そう簡単なことではないのだよ。だけれど、ごめん、ごめんね、もうこれ以上、だれも悲しませなくて良いように、そんな世界になるように力を尽くすから」
思わず、らしくもないことを言ってしまった。
泣きそうな顔をしていたから、その悲しみが私にも伝染してしまったのかもしれない。
彼の大切な人が亡くなったのか。それとも、直接の関わりはなくても、民が苦しむ姿に一人嘆くような彼だから、立派な人が亡くなったことを悲しんでいるのか。
だれもが幸せになれるようならば、むしろだれもが幸せなくらいでなければ、この人は悲しむことを止めないのだろう。
心が壊れてしまわないように、ここで守るのが私の使命なのかもしれない。
「ありがとう、ございます。かなり強引にお連れしてしまったのに、こんな私のために、本当にありがとうございます」
「我慢しないで、泣いても良いんだよ。この暗い場所が暗い気分にさせるのなら、一緒に外に出ても良いよ」
「どうして、そこまで仰って下さるのです。貴方様は、優秀なだけでなくて、噂よりもお優しい方なのですね」
「どう噂されているかは知らないけれど、どこにも私には優しさなんてものはないね。恩返しする程度の義理は、いくらなんでも持ち合わせていたって、それだけさ」
彼が私だけのために用意してくれた、日の光の射し込まない窓のない部屋。望んだものは届けてもらえるし、厠や風呂はあったので、本を読んだり与えられた仕事を熟したり、訪れた彼とときに戦の、ときに他愛のない話をしたりして過ごしていた。
いつも会いに来てくれていたから、そして私が会いたいと思うのは一人だけだったから、外に出るのはかなり久しぶりのことであった。
「うぅ、悔しい、悔しいのです。死した人々が、どのような罪を犯したというのか、なぜ、天はこのような罰をお与えになるのか」
外に出れば、灯された明かりとは違う、自然の眩しさというものがあった。
見上げてみたらば、その空は晴れていた。
私が太陽の姿を暫く見ていなかったのは、私が逃げていただけのことだったのだろうか。
素直に泣き声をあげる隣の彼に、ふと私は思う。
戦ってみるのも、悪くないのではないか、なんてことも。
彼が涙を流していれば、その思いが天にまで伝染したかのように、急激に太陽は雲で陰っていく。
外に出たその瞬間は、眩しいほどに太陽が照り輝いていたというのに、ものの数分数十分程度で、すっかり曇天であった。
よく見慣れた、曇天になってしまっていたのである。
「ほら、上を見て。天もお嘆きになっているようだ」
ぽつりぽつりと振り出す雨。
暑い夏の臭いの残るその雨は、気持ち悪いものであったけれど、醜いものを流してくれるような清らかさを感じた。
「どんどんと強くなって来ていますね」
「すぐに止むよ。そして、今度こそ、本当に晴れてくれるさ」
見上げた空は、美しく輝いていた。
葉を滴る雨水。空を架ける虹。その後に世界を茜色に染めようとしているのか、順番待ちしているかのような、沈み掛けの太陽の斜めの光。
見上げた空は、美しく輝いていた。
見たこともないほどに。これからやってくる美しい世の中を示しているかのように。
ありがとうございます。そして申し訳ございません。
ギリギリで書き上げてしまったので、まさかな感じのクオリティーになってしまっていると思います。
何月後かに続きみたいなものを書けたらと思います。
申し訳ございませんでしたーっ!