掴んだその手を離すは野暮だ。
『まーたこんな場所でサボッてる!』
――屋上で空を見上げていーい気分に浸ってる俺を邪魔するのは、決まってアイツだった。
『ヒマがあるんならどっかの部活にでも入ればいいのよ!』
――放課後、ぼーっとしつつもこの世の無常やらなんやらへの思索を深めている俺を邪魔するのもアイツだった。
『またお弁当忘れたの!? ホントどうしようもないわね!』
――5限に体育を控えた状況で昼食を抜くという荒行をこなしている俺を邪魔するのもアイツだった。
『本当、いつまであたし、お弁当分けてあげなきゃいけないのかしら。これじゃやせ細って病気になっちゃう!』
――言いつつ、俺の倍は健康そうなのがアイツだった。
『ほーら! ボロボロこぼして、だらしない! そんなだからアンタは――』
――おふくろさえ作れない、ビタッと俺好みの味付けの卵焼きを作ってこれるのも、アイツだった。
『みんなに木偶の坊なんて呼ばれるのよ!』
――俺をそんな古臭いアダ名でバカにするのも、アイツだけだった。
※ ※ ※
「……おーい、あんちゃん。生きてんのかー」
男が目を開けると、子供の顔があった。浅黒く日焼けした、ヤンチャでワンパクを絵に書いたような顔。
「夢、か」
「なんだ、生きてたのか」
「……ん」
男は転がったまま、いつの間にか高く登ってたお日様の光を避けるように帽子を深く被り直す。
「ちぇ、くたばってたら何か金目のものでもねーか物色してやろうと思ってたのに」
「ご期待に添えなくてすまんな」
「じゃあなんでこんなトコに寝転がってんだよ。ここ、街道からも外れてるぜ。追い剥ぎしてくれってカンバン立ててるようなもんだぜ」
「なんでって――」
ぐぅ。
口で返事をする前に腹が答える。
「……物色するならまだチャンスだぞ。俺は腹が減って動けない」
「なんだよ、フツーに行き倒れかよ、あんちゃん」
子供がくすくす笑う。その笑い方は思ってたより可愛らしいと、男には思えた。
「腹が減ってんなら、オレのを分けてや――」
「本当か」
食い気味に起き上がる。
「……元気あんじゃん」
※ ※ ※
「うん! ごちそうさまっ」
ぱん、と手を打ち食後の礼をする。
「……ホントに遠慮ねーな。オレ、『分けて』やるって言ったつもりだったけど」
子供が呆れた顔をして弁当の入っていた包みを逆さに振ってみせるが、当然飯粒のカケラも落ちる筈もない。全部男が胃に収めたばかりだ。
「すまん。出されたメシは全部ありがたく全てたいらげる主義なんだ」
「ま、いいけどさ。どうせ……この先、弁当食ってるヒマなんかなかったろうし」
子供は少しだけ真面目な表情になって、言う。
「なんだ? どっかに行く予定だったのか。お使いか、偉いな」
「お使いなんかじゃねーよ! オレは……これから友達を……親友を助け出しに行くんだ!」
※ ※ ※
『お宅の子供を預かった』
そんな定番の手紙が届いたのは、その家の一人息子がいなくなった二日後だったという。
その家は裕福だったというが、それでも身代金の額はそうそう容易に準備できるものでは無かったという。
家族は人手を雇い、賊の足取りを追わせた。連中は自らの足取りを隠すつもりもないようで、足取りはおろかその塒さえもすぐに見つかったのだが……。
『神隠しのグリドラ』。それが賊の頭目。
裕福な家の子供を攫っては身代金を要求し、それが上手くいかない場合は余計な駆け引きをせずさっさと姿を晦まし、別の遠い町で攫った子供を売り飛ばす。
子供狙いの誘拐魔などと侮ることはできない。その手勢もそれなりの数が集まっているうえ……。
頭目のグリドラ自身が高額の賞金がかけられている腕っこきであり、田舎町の保安官や傭兵などでは尻込みをする程なのだ。
両親は半ば観念し、身代金を支払う準備を固め、その取り引きの期日は明日の日の出前――。
※ ※ ※
「……それでお前一人で友達を助け出そうっていうのか? 無謀を通り越して冗談の部類だな」
「うるせぇ」
だが、子供の表情は真剣だ。
「アイツはオレと一緒に居る時に連れ去られたんだ……。あいつら、孤児のオレなんか見向きもせず、アイツだけ……」
「……………………」
それはむしろ運が良かったと言うべきだろう。共に連れ去られていたのなら、身代金が望めない子供は利用価値が無いと判断されてすぐさま殺されていた可能性だってある。
「オレは……アイツと約束してたんだ。なにがあったってオレが守ってみせるって……」
ぎゅっと、小さな掌を握ってみせる。
「でも……オレ、あいつの手を離しちまった……。殴られて、蹴られて……」
「……………………」
「だから! オレが……! オレがあいつを助け出さなきゃいけねーんだ! オレがやんなくちゃ!」
「……なるほど」
黙って話を聞いていた男は、そこでぽん、と膝を叩く。
「よし。じゃあ……メシの代金代わりに俺もついていってやろう」
「あんちゃんがぁ?」
「……露骨に嫌そうな顔をするなよ」
「でもさぁ、あんちゃん、武器のひとつも持ってねーじゃん。オマケに……」
「ああ、これか?」
視線がマントの中の右腕に向いてるのを察し、はだけてみせる。彼の右腕は、肘から先が失われていた。
「……っていうかお前、俺が起きる前に物色してたな」
「へ、へへ……。そこはそれ、いつもの癖でさ」
「心配するな。こんな有様でもメシの代金分くらいは働いてやれると思うぞ」
「弁当のことならいいって。さっきも言ったけど、どーせ食ってるヒマなんかなかったし……」
「それはダメだ。メシの代金はきちんと払わないと、明日のメシが美味くない。お前がなんと言おうと、対価は払わせてもらう」
「ミョーなとこでガンコなあんちゃんだなぁ……」
言いつつ、子供の顔には少し安堵がすけて見えたようにも思える。
「ま、いいや。イザとなったらあんちゃんを囮にすっかもしんねーぜ」
「ああ、それで構わんよ」
「オレはジルコ。あんちゃんは?」
「俺は……デクだ」
子供――ジルコの差し出した手を、男――デクは握り返し、握手した。
※ ※ ※
誘拐団のアジトは町から離れた古い鉱山の中に据えられていた。
逃げ足の速い手口を表すように、非常に簡素な野営――そのまま捨て置いて引き払えるようなテントがいくつかあるだけだ。
その実、周囲への警戒や対処がしやすいように考えられている、非常に合理的な配置をしている。
「……あの真ん中のテントだろうな、お友達が居るのは」
ただ、それは被害者が雇った中規模からの部隊に向けての警戒であり、さして大柄でもない大人一人と子供一人が接近する事までは簡単ではないものの不可能なまでのことでもなかった。
とはいえ……。
「忍び込んで助け出すってのは、流石に難しそうだ」
「……そうだね」
岩陰に身を潜めながら、デクとジルコは様子を伺う。
既に家族が交渉に応じる様子という事は知れているのだろう、幾分弛緩した気配は感じられるが、それでも見張りが緩いとまではいかない。
「ただ、油断は油断だ。少し刺激してやれば多少の混乱は招くことができると思うが。例えば……陽動、とどのつまりは囮だな」
「………………」
「図らずも来る前に言ってた形になったな。俺が騒ぎを起こすからその間に――」
「いい考えだね、あんちゃん」
デクが言い終わる前に、ジルコは伏せた姿勢から立ち上がっていた。
「おい……!」
「でも、それはオレの役目だと思う。大人のあんちゃんが出たら、あいつら傭兵の部隊とかが来たと思って警戒しちまうだろ?」
ジルコはデクに向かってニッ、と笑う。
その笑顔は……無理に作ったものだとすぐに解ってしまえる。
「友達の事はあんちゃんに任せるっ!」
言うなり……ジルコは岩陰から飛び出していた。
すぐさま、賊の見張りが気づき、野営地がざわつき始める。
「頼むぜ、弁当の分……ちゃんと働いてくれよな!」
そのまま(デクの存在を悟られぬよう)振り返りもせずに言い、走り出していった。
※ ※ ※
「ちっ……何だと思えば、あン時一緒に居たガキか」
族の一人に抑え込まれながらもジルコは内心でしてやったりと笑みを浮かべていた。
自分は十分な時間、この連中を引きつけた。
廃鉱山という立地は小柄ですばしっこいジルコに有利に働いたし……。
薄暗さの中で、ようやく相手が子供ということが判ってからは、賊側の油断もあったのだろう。
オマケに職業病とでも言えるところだろうか、子供イコール金づるという考えから、生かして捕らえる事が念頭にあり、弓だの投げナイフだのを使われることも無かったのだ。
結果、ジルコは一時間近く逃げ回ることに成功し、最後には賊のほぼ全員の手を煩わせることができていた。
(これなら……十分にあんちゃんがなんとかしてくれてるはず……!)
そう、確信していた。
「まさかお友達を助け出すつもりで来たのか? ヘヘヘ……勇ましいコトだ」
「お頭、コイツ……どうしやす?」
男の一人が、ひときわいかつい面相の男――頭目のグリドラの指示を仰ぐ。
「まぁ、せっかく生かして捕まえたんだ。次の町で売り飛ばしちまうか。大したゼニにゃあならんだろうが……」
これでいい――。
ジルコは本心からそう思っていた。
『アイツ』は孤児の自分にも分け隔てなく友達として付き合ってくれた。
その、幸福な時間をくれた友達のためだったら、自分のことなんか――。
「それより、捕まえてるガキのほうは問題ねぇんだろうな? 日の出まではあと少しだぞ、不手際なんかあっちゃたまんねぇ」
グリドラは誘拐された子供の居るテントに向けて呼びかける。
「……悪いけど、見張りには寝ててもらってるぜ」
テントから出てきたのは……デク、そして彼に連れられた少年。
「あ、あんちゃん!? なんで……!?」
「……言われたとおり、友達を助け出しはしたぞ」
「ジルコ……!」
少年が押さえつけられているジルコを見て、心配そうな声を上げた。
「助け出したって……! なんでそのまま逃げねーんだよ!」
「逃げたら今度はお前を助け出さなきゃならんだろ。そんな二度手間はゴメンだ」
「お、オレは……オレはいーんだよっ! そいつが……友達が助かれば、オレは――!」
「……良かぁないだろ」
「でも……!」
「何があっても友達を守ってやるんだろ? 二度も約束を破るつもりか?」
「あんちゃん……」
「繋いだ手は……二度と離すな」
デクはそのまま、グリドラの方に歩み寄る。
「……こいつと一緒にガキを助け出しに来た傭兵か? にしちゃあ……お粗末なやり口だな?」
一旦は突然の新たな闖入者にざわついたグリドルを始めとする賊たちだが、すぐに余裕を取り戻す。
「もしかして近くに仲間でも控えてやがんのか?」
「いいや? その子に依頼されたのは俺一人だ」
「……ますますアタマ湧いてやがんな。この状況で、なんでそんなヨユーかましてられんだ?」
「……一騎打ちの法を申し込む」
「は……?」
一騎打ちの法――。
全ての揉め事を互いの代表者同士の一対一の決闘で決着を付ける、この国での法――。
その決着は全ての法の上に存在し、これを覆す事は裏社会においても最大級に卑怯な行為と蔑まれる――。
……が。
どっと、周囲の賊が嗤う。
それはあくまでも建前上のこと。今では堂々とその法を無視するものも少なくはない。
おまけにこんな敵の巣窟……ギルドからの審判員さえも居ない状況で、どんな法が成立するというのか。
いや、それ以前に武器も携えていないこの男がグリドラに敵うはずもない……。
「ククク……。いいだろう、受けてやるよ。前祝いの余興にしちゃ面白れぇ」
グリドラは余裕の表情で腰に差した二振りの刀――ククリナイフを抜き放つ。
「好きなだけ切り刻んでやるぜ?」
シャシャ……ッ。まるで両手の延長のように自在に操り、鋭い風切りを立てながら振り回してみせる。
傍で見ていたジルコにさえ、その手の動きそのものが全く見えないほど……。
「なるほど速いな」
「早くも怖気づいたかい? はやくお前も武器を取るといい」
「うーん、ちょうどいいのが出るといいんだが……」
デクはマントをはだけ、肘から先のない腕を露出させる。
一瞬、オマケに片腕かよ……と、ますます弛緩し嘲笑をする雰囲気が賊たちの間に湧き上がったが……。
「ここ、狭いもんなぁ。あんまりデカいのに来られても……」
肘の先に生じる魔法陣。デクはそこにぐいっと腕を突き込むような所作をする。
「おっ、なんか軽めなのと繋がったな」
ずいっ、と右腕を引き抜く――。
「たまにゃあコッチの都合に合わせてくれてるってコトかな?」
ズズズ……と魔法陣から引き出されていく右腕。
「……ま、単なる偶然だろうなぁ。願って思い通りの腕につながるなら、とっくに俺本来の腕が戻ってきてるだろうし」
銀色の靭やかな獣毛に覆われた筋肉質の腕……。
「おっ、コイツだったか。こりゃちょうどいい」
その逞しい拳には、グリドラのククリナイフの刀身よりも大きな爪が伸びていた。
「て、てめぇ……何だ、そりゃ……」
絶句しかけたグリドラの言葉は、デクの行った一連の行動を指したものであったろうが……。
「これか? 銀狼の爪腕。確か……神の遣わした人狼が備えていた右腕だったかな。もちろんこの世界の神話じゃあないけどな」
ブン……と軽くその右腕を振る。
「うっ……!?」
ゴッ……! と、デクの周囲に猛烈な突風のようなものが吹き、その拍子にジルコを捕らえていた賊の一人がよろめいて倒れた。
「アルク……!」
その隙に飛び出したジルコは、捕まっていた少年に走りより、その手をぎゅっと掴んだ。
「ジルコ、どうして……?」
「言ったろ、オレは何があってもお前を守るって!」
二人をちらりと見て、軽く笑みを浮かべたデクは……。
「……そのまま俺の後ろにいろ。俺の近くなら、この右腕の影響を受けずに済む」
「う、うん……!」
ジルコは素直に頷き、少年を庇うようにしながら彼の背に隠れる。
「さて、一騎打ちを始めようか?」
「くっ……! どんな魔術の類かしらねぇが……!」
我に返ったグリドラが両手のナイフを振りかぶり、走り込んでくる。
「切り刻んじまえば……問題ねぇっ!」
さっきの比ではない速さで切りかかってくるが――。
「そうだな」
キン……!
「なっ……」
デクは巨大な爪で器用にもその二刀を受け止めていた。
「切り刻めれば、な」
ビシッ……と凍結した刀身に無数の亀裂が走り、そのままバラバラと砕け崩れる。
「ばかな――」
驚愕の表情を浮かべたグリドラの額に、狼の爪がちょこんと触れる。
「………………!」
刹那、グリドラの目がぐるりと白目に裏返り、その場に昏倒した。
「お頭ぁっ!?」
「逃げ――」
頭目がよく分からないまま倒されたのを見て、周囲の賊が慌てて逃走しようとするが……。
「……厳寒の化身たる狼の爪は全てのモノを凍らせる」
ざぁっ……と、デクが爪を全周に振り回すようにしてみせると……。
どさどさっ。
逃げ出そうとしていた賊の全てが、グリドラと同じように白目を剥いてその場に倒れ伏す。
「人の意識さえもな」
※ ※ ※
「もう行っちまうのか?」
誘拐された少年の家族と、彼らが昏倒した誘拐団を見つけて慌てて呼んだ保安官詰め所の衛士たち……。
それらを避けるようにして鉱山を後にしようとしたデクを、追いかけてきたジルコが呼び止める。
「……あんまり目立ちたくないんだ。ついこの間、結構な騒動を起こしたばかりでね」
デクは気恥ずかしそうに言い、マントで身を包み、帽子を目深に被り直す。
そのまま片手を上げて行ってしまいそうになるが……。
「あ、ありがとう……!」
消え入りそうな声で、恥ずかしそうに言うジルコの声に立ち止まり、向き直る。
「い、言ってなかった……からさっ」
「気にするな。俺はメシの分、働いただけだ。あの子を救い出したのは、結局のところ……お前さんの勇気だよ」
「でも……でも、たかが弁当だけで、あんなことまで……」
「たかが、じゃあない」
腰をかがめ、ジルコの頭に掌を乗せて撫でる。
「すげぇ美味い弁当、だ」
「あんちゃん……」
「あんだけ美味いメシが作れるんだ、お前はきっと――」
言いかけたところで……。
「ジルコ!」
ジルコを探しに来たのだろうか、誘拐されていた少年が駆け寄ってくる。
「アルク……」
彼はジルコの手をぎゅっと握り、デクに深々とお辞儀をしてみせた。
「……ん」
そんな二人を、どこか眩しいものでも見るように目を細めて笑みを浮かべた。
「……お前は、きっと……いい嫁さんになれるよ」
もう一度、『彼女』の頭を撫でてやった。
「あ、あんちゃん……」
顔を赤らめ、見つめ合う二人を背に、デクは今度こそ歩きだす。
「もう、その手を離すなよ」
お前たちはな――。
そう、小さく呟いた。
「ありがとう、あんちゃーんっ!」
「ありがとうございましたー!」
子どもたちの声に、デクは左手を上げて応え……再び歩み出していく。