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腕はないけどスゴい奴。

 ざし――ざし――。


 町と町を繋ぐ交易路を踏みしめるように歩く人影ひとつ。


 ざし――ざし――。


 交易路と言っても、ここは大きな町からは外れた場所であり、野盗なりギルド指定の特定危険種族モンスターなりも多い。


 護衛を引き連れた大規模な商隊キャラバンならいざ知らず、こんな場所を一人で歩く物好きは少ない。


 ざし――ざし――。


 どうやら、やや離れた砂漠地域を渡ってきたのだろうか。


 人影が足を踏み出すごとにブーツの内側で砂が擦れる音がし、身に纏っているボロ布のようなマントに張り付いた砂がこぼれ落ちていく。


「はぁ――」


 広大で危険な、砂だらけの荒野を渡ってきたということをさっぴいても……。


『男』の身なりは薄汚く汚れていた。


 そう、男であることは察せられる。


 砂漠地域の寒暖を超えてきた為もあるのか、体中に半ば巻きつけるように纏っているマントからのぞく面積は多くはないが……。


 控えめに覗く首筋……喉仏を砂混じりの汗が伝い落ちる。


 踏みしめるブーツの足は、筋骨隆々とまではいかないが、それなりの逞しさも備えているようには見えた。


「ヤバいなァ、こりゃ……」


 足取りが止まる。


 そして、ぐらぐらと全身が揺らいだかと思えば……。


 どさっ。


 そのまま、前のめりうつぶせに倒れてしまった。


 倒れたまま、ぴくりとも動かない男。


 その口元から……。


「……腹ァ……減った……」


 ひどく情けない(口調も言ってる内容も)言葉が漏れ出た。


 それっきり男はぴくりとも動かず、一言も――。


 ぐううぅぅ……。


 ……もとい、腹の音以外は何も発さなかった。



※        ※        ※



 カカッ、カカッ……。


 男が倒れ伏している場所に馬のひずめの音が近づいてくる。


 馬上に居るのは銀色の鎧を纏った騎士らしき者。


 先刻までは急ぎの用向きで馬を疾走はしらせていたが……。


 馬の体力を鑑み手綱を緩めていたのが幸いした。


 でなければ、先の男はあっさり踏まれていただろうと思う。


「……行き倒れか」


 馬上の騎士――流麗な銀髪をたたえた女騎士は、倒れ伏した男に気づいて馬の足を止める。


 彼女がほんの数分前……馬への気遣いを思い出した直前まで思い悩んでいた案件の重さを考えれば、下手をすると緩めた速度のまま、うっかり踏まれてしまった可能性もあるのだから、倒れていた男は運がいいと言えるだろう。


「おい、生きているのか」


 倒れた男に歩み寄り、声をかけると……。


「ん……どうかな」


 ボロボロのマントの内側からすぐに返事が返ってきた。


「死ぬほどに腹が減ってるってことは……生きちゃいるよな、うん」



※        ※       ※



「ふはぁ……! 助かったァ……」


「大した食いっぷりだな」


 差し出した食料の全てを、乱暴なまでに胃袋に詰め込んだ男を見て、女騎士は目を丸くした。


「ありがたい、これでどうにか……ひと心地ついたってトコだ」


「ひと心地か? まだ3日分はあったのだがな」


 呆れを通り越して、苦笑するしかない。


「あ……すまん! どーにも出されたメシは残さん主義なんだ」


「いい、いい。どうせ目的地はすぐそこだ。残るくらいならば……そうまで気持ちよく食された方が、食料も幸せだろう」


 実際、彼女は男のあまりの食べっぷりに感心しながら見ていた程だったのだ。


「すまんついでに……いま、持ち合わせがないんだが」


「構わん。行き倒れに声をかけ施しをするのに、金銭を期待している者があるものかよ」


「いや、それはダメだ。良くない。絶対によろしくないぞ」


「いいと言うのに……律儀な事だな。この程度の施し、私は気に留めない――」


「いーや、違う。メシには相応の対価を支払うべきと言うのが家訓だ。でないと明日のメシが美味くない。この際、アンタについてはどーでもいい。俺にとって都合が悪いんだ」


「……成る程」


 遠慮のつもりかもしれないが、もうちょっと言い方があるんじゃないか……と、女騎士は少し嫌な顔をした。


 しかし、当の男はそんな彼女の事はいまや眼中になく、ただただ『自分の明日の食事が美味くなるか不味くなるか』について、腕組みして真剣に悩んでいるようだった。


「確かアンタ、目的地は近いと言ったな? って事は……町があるんだな?」


「ん? ああ……あるには、あるが」


「さらにスマンついでになるが、そこまで案内してくれるか? そんなに多くはないが、金に替えられるモノならあるんだ」


 男の提案を聞いた女騎士は……。


「あ、いや――」


 一瞬だけ、表情を曇らせた。


 いま、その町は『それどこではない』状況ではあったが……。


 どの道、先の町に続く交易路は、その先からしか分岐していない。


 見れば男は申しわけ程度の装備――マントの下になめし革の鎧などを身に着けているものの、目ぼしい武器も見てとれない。


 せいぜいが持っていて短剣くらいなものか……これでよくここまで空腹以外に命の危険に遭遇しなかったと感心する。


 この有様では下手するとくだんの町にたどり着く前に野犬か何かに襲われる可能性さえあるだろう。


 女騎士はむしろ彼を慮る形で……。


「わかった、同道しよう」


 そう、承諾した。


「そうか、助かる」


「まぁ、正直食事の代金にはあまり期待していないがな」


 大方、砂漠地帯に点在する旧暦時代の遺跡めあての盗掘者かなにかか……。


 どうあれ、この近辺の目ぼしい遺跡はあらかた荒らされ尽くされているのだ。


 そんな場所で見つかるガラクタなど、全て売り払っても一晩の宿代にもなるのかどうか怪しい。


 これもなにがしかの縁。場合によっては開いた部屋にでも泊めてやらねばならないかも……と、そこまで考えかけていたのだが……。


「いーや、そこはちゃんと期待していてくれ!代金をきちんと払わないとだな……!」


「わかったわかった。明日の食事が美味くないのだな」


 男のあくまで真剣な物言いの様子に、また苦笑させられてしまう。


 ここ最近の状況から、ささくれだっていた神経が緩んだように思え、彼女はこの行き倒れの男に多少の好感を持ったりもしていたのだ。


「では日が暮れる前に行くか。まだ体調が優れないのなら、馬に乗っても構わないが」


 彼女は腰をあげ、男に右手を差し伸べるが……。


「……女を歩かせて自分が馬で楽するってのは、主義に合わない」


 男は彼女の手も取らず、そんな風に言った。


「前時代的な物言いだな? それにしたって……差し伸べた手くらい取っても主義には反すまい」


「ん? あ、いや……それは勘違いだ。手を引かれる程には弱ってないつもりだったんでね」


 男が笑いつつ纏っていたマントを肌蹴てみせると……。


「……! お前、その腕は……」


 男には右腕が無かった。


 肘の少し先くらいで途切れており、包帯が巻かれている。


 確かにこれでは……彼女の差し出した右腕は取れない。


「す、すまない……」


「気にしないでくれ、ちょっとだけある事情で迷子になっててね。いま探してる最中なんだ」


 それは男のジョークと思えた。恐らくは気まずさを覚えた自分を気遣って……。


『探している』というのは、義手の事だろうか。


「……小さい町だが、義手工の伝手ツテならばあるが」


 女騎士は改めて左手を差し伸べる。


「ん……せっかくだが遠慮しとくよ。ちょっと事情が事情でね」


 今度は男も思う所あってか素直に左手を伸ばした。


「プラティナ・グレイリィアードだ」


「よろしく、プラティナ」


 手を握り、腰を上げる。


「そちらの名前も教えておいてくれるか? 町まではそう遠くはないが、道すがら名無しでは不便だ」


「俺か?」


 男はなぜだか少し困った顔をしたが。


「俺は……木偶でくぼうだ」


 それでもすぐに、そう返した。


「デクノボー? 聞いた事のない響きの名だな……」


 家名を継ぐために、様々な異国の言葉を覚えたプラティナも、知らない国の言葉と思えた。


 それほど特異なイントネーションであり、正直、発音しにくいとも思ったが、もちろんそれは言わない。


「……だろうな。俺が少し前に住んでいた場所で……大事な者にんな風に呼ばれていた」


「ふむ……」


 男の言葉の『大事な者』には、どこか特別な響きが感じられたように思う。


「デクでいい。それなら言いやすいだろう?」


「了解だ、デク。それでは行こうか」


 プラティナは馬を引き、男と共に町へと歩き出していった。



※        ※        ※



「領主様!」


「よくぞご無事でお戻りを!」


 同道し目指していたアケナの町に到着すると、町の人間全てが集まっているかのような群衆に迎えられる。


 もちろんそれはプラティナに対する出迎えである。デクは空気を察し、遠巻きに離れてその様子を見やった。


「それでプラティナ様、連中はなんと……?」


 中でも少し身なりのいい初老の男に問われ、プラティナが苦渋の表情を浮かべた。


「……すまない、皆。交渉は決裂した。連中は……赤い血の兄弟団はこの町すべての資源を略奪する意志だ」」


「そ、そうですか……」


 周囲の人間は一様に落胆する。


 しかし……それでも僅かに反応が鈍いのは、プラティナの持ち戻った結果を半ば予想していた、諦めの所為というようにも見える。


「明日の明朝……頭目のドルデとの一騎打ちで決着を付ける事になった」


「な、なんですと!?」


 その答えは予想の外だったのか、今度こそ本気のざわめきが広がった。


「む、無茶ですっ! ドルデの恐ろしさはプラティナ様も重々にご存知で……!」


「……判っている。しかし……私もこのアケナを任された、グレイリィアード家の者。そう易々と負けるつもりなど、ない」


「し、しかし……!」


「案ずるな! この町と、この町で暮らす皆の命は……必ずこの私が守ってみせる!」


 プラティナは意気高く言ってみせたが……町の人間たちの動揺は、最後まで収まることはなかったのだ。



※        ※        ※



「まさか領主サマだったとはな」


「フフ……。あれは町の皆がそう呼んでいるだけだ」


 日が落ち、夕食の席でプラティナは少し困ったような、はにかんだような笑みで言う。


「私は……グレイリィアード領内の南端にあるこの町を一時的に任されているだけだ。いずれ家名を継ぐ日の為にな」


「慕われているんだな」


「どうかな。そう受け止めてはいるが……」


 町の中がひどく騒がしいのは、この館の中からでも察せられる。


 夜のうちに町を捨てて出ていこうと……そう考える者は少なくないのだろう。


「……砂漠に近いこの痩せた地では、ロクな作物は育たない。唯一、砂漠で狩猟できる砂蟲サンドワームと、それから採取できる赤鉱石が唯一にして無二の資源だ」


 赤鉱石シャンパニ――。


 砂漠地域の砂中に存在する微細な希少鉱物をサンドワームが砂粒と一緒に摂取し……。


 その体内に蓄積することで生み出される赤い色の石。


 様々な武器や防具等の素材としても、魔法の触媒としても、そして状態によっては天然の美術品としても取り扱われるそれは、サンドワームの大きさにもよってまちまちではあるが、総じて高額で取り引きされている。


 特に『女王』と呼ばれる巨大サンドワームから採取される拳大のものに至っては、それだけで町ひとつ丸ごと買えてしまう程の価値になるとさえ言われていた。


「こんな厳しい立地でも町が栄える事ができる理由でもあるが……」


「それだけに良からぬ連中に狙われることも多いわけだ」


 デクが固いパンを食いちぎるように食べつつ、言う。


「これまではギルドに依頼して護衛を雇用することでどうにかなってきたがな……」


「赤い血の……なんちゃら団は一筋縄では行かなかったか」


「……悔しいが連中は強大だ。既に何度も雇用した傭兵隊が丸ごと返り討ちに合っている。ギルドも新たな雇用に難色を示し始めたところで……連中が総力を上げてきた」


 デクもこの館に招き入れられるまでの道すがら、その破壊と略奪の痕跡をいくつも目にしていた。


「その時はどうにか追い返す事には成功したが……それで完全にサンドワームの狩猟地帯を封鎖されてしまった……」


 赤鉱石だけが資源の町では、早晩干上がってしまうのは言うまでもないということだろう。


「それでなくとも昨今のサンドワームどもはとみに手強くなってきている。成熟期から採取できる石ころ大のものが月に取れれば良いほうだ」


 それでもこの小さな町ならば飢えることなくやっていける。それ程に希少なものではあるのだ。


「しかしなぁ。あんたは仮にも領主の娘さんなんだろう? だったら親元に助けを乞えばいいんじゃないか」


「簡単に言ってはくれるがな」


 プラティナは僅かに眉を寄せて続ける。


「赤鉱石は確かに希少だが……それを採取する町はここだけではない。そうそう積極的に動いてはくれんよ」


「そうは言ってもな――」


 まるっきり放置と言う事もありえまい。ましてや娘が任されている場所ともなれば……と、デクは言いかけだが。


「それに……!」


 プラティナは手にしていたグラスをテーブルに叩きつけるようにして、声をあげる。


「それに……私は父上にここを任されたのだ。途中で音を上げ、助けを乞うような真似はできん……!」


「……………………」


「す、すまない……声を荒げてしまって」


「……アンタにも色々あるんだろうな。それは解るよ」


「……ああ」


「それで、一騎打ちの法、か」


 一騎打ちの法――。


 この国では各種の揉め事を収める為のルールとして、互いの代表が一対一の決闘を行う事で解決する、という法がある。


 これによる決着は全ての法に勝り、これを破ることは最大の恥辱とされる。


 高貴な身分の者はもとより、無法者やゴロツキの類でさえ、このルールを破ったことが広まれば暗黒街や盗賊ギルド等でも程度を低く見られることから、遵守されているとされている。


「それに赤い血の兄弟団は頭目であるドルデの力とカリスマで成立している。それを討ち取れば……組織としても瓦解するだろう」


「ついでに、そんな大物を討ち取った噂が広まれば、当分はこの町を襲うような輩も出てこない……か?」


「ああ……」


「しかし、強いんだろう? そのドルデだか何だかってのは」


「ああ、強い。これまでに返り討ちになった傭兵も、ほぼあやつ一人に倒されたようなものだ」


「勝てるのか?」


「勝てる……ではない。勝つ、のだ」


 そのプラティナの表情には自信よりも、むしろ悲壮があった。


「あの父上より賜った剣……私の誇りにかけてな」


 言って、壁にかけられたバスタードソードを見遣る。


 彼女の鎧と同じく白銀に輝くその剣は、燭台の灯りを受けて煌めいて見える。


「……なるほど、分かった。分かったが……」」


「……?」


「さっき言ってたアンタの通さなくちゃならん意地……。それに付き合って被害を被るのは、アンタが大事にしてる町の人間なんだぜ」


「そ、それは……!」


 判っているが――と、プラティナは唇を噛み、うつむいてしまう。


「……すまん、別にアンタを苛めたい訳じゃない。だがな、これは覚えていていいと思う」


「なんだ……?」


「ギリギリまで頑張って努力して……それでもどうにもならないって時に、誰かに助けを乞うってのは、別に恥ずかしいことじゃないと、俺は思うがね」


「……そうか」


 プラティナはデクの言葉に頷くことも無かったが、否定する素振りも見せなかった。



※        ※        ※



 翌日――。


 プラティナは一騎打ちの場として選ばれた平原で頭目のドルデと対峙していた。


「グフフ……」


 不敵な笑みを称えるドルデという男は……彼女の体躯の倍はあろうかと言う巨漢。


 板金を繋ぎ合わせた鎧を纏い、僅かに露出した肌には無数の傷が刻まれている。


「まさか一騎打ちの法に頼ってくるたァな。もう後がねェってことかい? 女騎士さんよォ」


 獲物である、身長ほどの長さのハルバードアクスを手に、不敵な笑みを崩さない。


「……黙れ」


 対するプラティナは銀色の鎧に身を纏い、愛用のバスタードソードを手にそれを迎える。


 ドルデの部下なり、町の人間なりは、一騎打ちの法に乗っ取り手出しのできない距離で遠巻きにそれを見守っている。


 決闘の場に居るのは、二人の他は……法に則った形でギルドから派遣された燕尾服の審判員……。


 そして立会人として相互に選ばれた者だけである。


「……すまないな、客人のお前にこんなことを任せてしまい……」


 プラティナ側の立会人は、デク。


「俺がそうしてくれと言い出した事だ、気にするな」


 今朝方、彼に『立会人をさせてほしい』と言い出された時、プラティナは困惑した。本来なら早い内に町を出ていったほうがいい、と言おうとしていた矢先だった。


 もしかしたら食料の事を気にかけての事か……と問いただすと『それもある』とだけ言う。


 しかし、それ以上を問いただしても何も言わない。時間も迫っていたこともあり、結局は彼女が折れた。


 いや――。


(なんだろう……。私は……この男を気にかけている……?)


 そんな、よく分からない曖昧な気持ちも、あったが……。


 どうあれ、ここまで来ては何を思っても仕方のないことだ。


「……時間です」


 審判員が告げ、開始の合図の為に腕をあげる。


 プラティナ、ドルデ、双方が武器を構え……。


「一騎打ちの法に基づき、決闘を開始します……はじめっ!」


 審判員が腕を振り下ろし、開始を告げた。



※        ※        ※



「うおりゃああぁぁぁっ!」


 ブン……! ハルバードの刃先が空を切る。


「ちっ! ちょこまかと!」


 ドルデの表情に、焦りと僅かな疲労の色が浮かぶ。


(いける……!)


 対してプラティナにも相応の疲労が見えるものの……表情には確信めいたものが浮かんでいた。


 既に小一時間ほどは戦い続けているが……。


 ドルデの大振りの攻撃は一度も彼女にダメージを与えていない。


 彼女の纏った鎧と剣には魔力が付与されており、その重量を軽減している。


 ドルデにしてみれば、一撃でも与え得れば致命傷を与えられる……という予想が当初にはあったろうが……。


 現実問題として、ダメージを与えられているのは一方的にドルデの方のみなのだ。


 プラティナの剣には重量軽減以外の魔法は付与されておらず、与えられたダメージもドルデにすれば手傷レベルのものでしかないが……。


「思ったよりやりやがるな、女騎士さんよ……」


 何よりも『傷を与えた』という現実は、精神的な優位差を生み出すものなのだ。


 プラティナが勝利を確信し、ドルデに敗色の焦りが浮かび始めるのは当然なこと――。


「グフッ」


(な―――?)


 ドルデがそれまでの焦りの表情から一変、うす気味の悪い笑みを覗かせてみせた。


 プラティナがその意味を考えようとした刹那――。


 ドッ―――――!


「…………ッ!?」


 彼女の肩に重い衝撃が走り、声を上げる間もなく地面を転げる。


「これは……魔法のマジックミサイル……!?」


 撃ち抜かれた肩には矢の痕跡はない。そもそもたかが遠方からの矢ではこの鎧は撃ち抜けない筈。


 衝撃の余韻で覚束おぼつかない視線でどうにかドルデ側の陣営を見ると……ローブを纏った魔法使い然とした男が、更に魔法を放つ瞬間だった。


「ぎゃあっ!」


 次の刹那、狼狽していたギルドの審判員が胸を撃ち抜かれて絶命した。


「……俺が一騎打ちの法なんてお行儀のいい作法を守るとでも思ってたかい? お嬢サマ」


 ドルデが笑みを湛えたまま、歩み寄ってくる……。


「く、くそっ」


 右肩は骨まで砕けたか、完全に動かない。剣を取ろうと左腕を伸ばすが……。


「おっとっと、おイタはいけねェな」


 ドガッ、とその左腕を踏みつけられる。


「あぐっ……!」


 今のでもしかしたら手首までやられてしまったかもしれない……。


 そんな絶望的な状況でも、気丈にドルデを睨みつけるプラティナではあるが……。


「グフフ……。どんな法でもな、それを破ったことを知られなきゃ……意味ねぇんだぜ」


「き、貴様……っ!」


「お前と……町の連中、全員を皆殺しにすりゃ、なーんも問題ねぇってコトだ」


「卑劣な……ッ!」


 言うや否や……。


 ゴッ!


「ぐぅっ!」


 プラティナの腹をドルデの足がしたたかに蹴りつける。


「あっ……! ぐっ……!」


 何度も地面を跳ね、転げる。


「はぁっ……! はぁっ……!」


 血混じりの吐息が漏れ出た。骨の何本かは折れてしまったかもしれない……。


「おおっと、あんまり傷ものにはできねぇな。おめぇは上玉だし殺すにゃ惜しい。仕込んで売り飛ばすほうが良さそうだしなぁ」


 ドルデの野卑な声に、部下たちが笑い声を重ねた。その近さからすれば……連中はもう一騎打ちなど完全に無視し、距離を詰めてきているに違いない。



 大の字に転げた彼女の視界に、立会人のデクがかろうじて映った。


「……いくら暗黒街でも尊重される法とはいえ、本気で破るつもりの悪党相手じゃ、法は法の役割を成さない」


 デクが腰をかがめ、彼女の顔を覗き込むようにして、言う。


「そんな……曖昧で頼りない法に、自分だけじゃなく町の人間全員の命運を賭けるってのは……やっぱりあんた、甘ちゃんだ」


「うっ……うぅっ……」


 プラティナのまなじりに、涙があふれる。甘さを指摘された事だけではなく……自分の非力さに。


 何もできない無力さに。


「に……」


「……………………」


「逃げ……ろ……」


「……………………」


「そして……がはっ……ま、町の……者を……逃して……」


「……そうじゃないだろ」


「……な、に……?」


「お前が言うべきなのは……その言葉じゃあ、ない」


「え――?」


『ギリギリまで頑張って努力して……それでもどうにもならないって時に――』


 昨晩の言葉が蘇ってくる。


『誰かに助けを乞うってのは、別に恥ずかしいことじゃないと、俺は思うがね――』


 蘇りはするが……。


 誰に――?


 目の前の男に――?


 片腕のない――さして強そうにさえも見えない男に――?


 ましてこの男は武器らしいものさえ携えてもいない――。


「た――」


 しかし――。


「助けて……!」


 プラティナは、そう口にした。


 生まれて初めての、誰かに頼る、その言葉を。


「……ん、よしよし」


 涙で歪んだ視界の中で、デクがニッ、と笑った。


「……さーて」


 ドルデと、圧倒的な数の部下の前に立つ。


「なんだぁ……?」


 あまりの突飛な行動に、ドルデらも思わず足を止めた。


 命乞いでもするのか、とニヤつく者も多い。


「選手交代だ。アンタらもルールを破ったんだから、そのくらい許してくれるよな」


 一瞬の、間……。


「どわっはっはっは!」


 ドルデのみならず、全員が爆笑した。


「おまえが!? おまえが……俺の相手をするってぇ!?」


「そのつもりだ」


 マントを翻すと……肘から先のない腕が露出する。


 それを見るにつけ、ますます笑いは激しくなる。中には腹を抱え、転げる者さえも。


「おいおい! これ以上笑わせるなって! 片腕のないお前が俺の相手だってェ!?」


「いやぁ、無いわけじゃないんだ。ちょっと……いまどこかに出かけててな、俺も困ってる。探してる最中なんだが……」


 デクは本気で困ったような表情を浮かべ、それがますます目の前の連中の笑いを誘ってしまう。


「それより、交代を認めてくれるのか?」


「わかったわかった! 認めてやるからよ……ククク、はやく武器を持てって!」


 ドルデは笑いながら、転がっているプラティナの剣を指す。


「武器を用意する時間もくれるのか? なんだ、思ってたより優しいんだな」


「やるやる! そんな時間くらいやる! なんなら……一発二発なら先に攻撃させてやってもいいんだぜ! まぁ、なまじな剣なら、こいつで受け止めちまうと思うがな!」


 ハルバードを構えてみせ、ちょっとした余興でも楽しむように尚も爆笑し続けるドルデたち。


 その彼らの前で……。


「サービスいいんだな。だけど、その剣は彼女の大事な『誇り』なんでね。俺みたいな木偶の坊がそうそう気軽に手にはできないモンなんだ」


 デクは右腕の包帯を解き始める。


「武器についちゃ、自前のをいま……呼ぶ」


 はらり……と包帯が開け、彼の肘の先が露わになるが……。


(魔法陣……?)


 プラティナが目にしたのは、彼の肘の先に浮かぶ、淡い光で描かれた魔法陣……。


 彼の腕は、その魔法陣に飲み込まれるようにして、途切れていた。


「ふんっ……!」


 デクが控えめな気合の声と共に……右腕を何もない空間に突き込むような動作をしてみせたる


「な……なんだァ?」


 ドルデも笑いを止め、その……目の前のひ弱な男の異常な行動を見ていた。


「ぐ……ぐぐっ……! んぐぐっ……!」


 デクは魔法陣越しに尚も腕をねじ込み……いまや額に青筋を立て、その顔は真っ赤になっている。


 やがて……。


「よぉ……しっ!」


 ガシューッ! 魔法陣から凄まじい噴煙が立ち上る。


「あった……が」


 デクが汗みずくの顔に、困ったような表情を浮かべる。


「……また違ったか」


 落胆の顔になりつつ、今度はその右腕を引くような動作を取りはじめる。


 ズ……ズズッ……。


 響き渡る重いものを引きずるような音……。


「あらら、よりにもよってコレかぁ……。えーと、ドルデだっけ? アンタら、よっぽど運がないな……」


 魔法陣を通って引きずり出されていくのは……黒い甲冑をまとった腕……。


「な……なっ……!?」


 問題はその大きさ。


 既に魔法陣を通過している肘のあたりまででも、ドルデのものよりも格段に太い――。


 いや、当のデク自身の胴回り以上もある、巨大な腕が、何もない空間から少しづつ引きずり出されていく……。


「なんだ……ありゃあっ!?」


 既に腕は拳のあたりまで引きずり出されているが……そこに握られているのは、その腕相応の巨大な剣。


 巨漢の戦士が用いる両手剣ツーハンデッドソードよりも遥かに大きい――刀身の幅でさえ、ドルデの巨漢を更に超えるほどの異常な大きさの剣が、今まさに引きずり出されようとしている……。


「バ、バカ野朗! 何をぼーっと見てやがるッ! 撃てっ! 魔法でも矢でも……とにかく撃てっ!」


 どうにか正気に戻ったドルデが叫び、その声で魔法使いや弓兵がそれぞれに準備をするが……。


「……あれ? 一発二発は当てさせてくれるんじゃなかったっけ」


「う、うるせぇっ! いいから……アイツを殺せーっ!」


 一斉に放たれる、魔法の矢と現実の矢。


「うっ……!」


 プラティナは半ば覚悟を決めてそれを迎えるが……。


 ジジッ……! バシッ! ジジジジッ!


 デクやプラティナに着弾する遥か手前で、放たれた矢は雷鳴に打たれたかのような輝きと共に消し炭と化し、魔法の矢すらも尽く弾けて霧散していった。


「な、なんだとォッ!?」


「……この腕は魔神たちが己の世界での決闘の際に使ってたモンでな。それを邪魔するような飛び道具の類をすごく嫌うんだよ」


 ズズ……ズッ……!


 一気にひきだされる、巨大な刀身。既に5メートル……10メートル……。


 もう剣とは呼べないレベルまで引きずり出されているのだが、まだ先端は見えない。


「あ……あわっ……あわわ……」


『巨大なもの』というのはそれだけで畏怖を呼び起こす。いまやドルデもその配下連中も、青ざめた形でその剣――らしきものの全貌を見守るのみ。


 ズゥッ!


「ふぅ……」


 ようやく引きずり出された剣は、おおよそ20メートル。既にバランスとしては、巨大な剣とそれを支える腕に、デクがちょろっと生えている……くらいなものだ。


「ホントはあんたら程度の集団に使うモンでもないんだがなぁ……つくづく運がないな、同情するぜ」


 しかし、現実に……デクはその巨大な腕と剣を、自らの体で保持しているのだ。絵的には冗談としか思えない。


「でもな、男が一度口にした言葉は守って貰わなくちゃな。約束通り、最低でも一発は……食らってもらう」


 ズオ……。軽々とそれを持ち上げると……まるで急に夜にでもなったかのように、ドルデ――赤い血の兄弟団全てを覆いつくす程の影が落ちる。


「に、逃げっ――!」


 正気に戻ったドルデが後ろも見ずに逃げ出そうとするが……。


「おいおい、つれないじゃないか。受け止めてみせてくれよ、その爪楊枝で」


 ゴッ……! そのまま、高くそびえた巨大剣を振り下ろしていく。


「ひ……ひぃっ……!?」


 一団は急速に濃さを増していく影から逃れることもできない。


 そして、そのまま――。


 ズドオオオォォォッ!


 断末魔の悲鳴さえかき消され、振り下ろされた刀身の下に消されていった。


 数十メートルもの土煙を巻き上げる程の爆発的な破壊の力。


 しかし、デクはもとより、その背後に居たプラティナにはほとんど影響が無いようだった。


 やがてもうもうたる土煙が収まると……。


「こ、これは……」


 そこには赤い血の兄弟団の姿は欠片も見えなかった。


 そればかりか……地面は大きく抉りとられ、遥か遠方、砂漠地域に届くほどの谷間が出来上がってしまっていた。


 その余りの威力に言葉もないプラティナに……。


「……あー、すまん。ちょっと近所の地形を変えちまった」


 デクは頬をかきながら、申し訳なさそうに言う。


 既に巨大な腕も剣もなく、肘までとなった場所に包帯を巻きなおしながら。



※        ※        ※



「それじゃお前は、文字通り自分の腕を探して旅をしているのか」


 赤い血の兄弟団撃退に湧く町の様子を見ながら、プラティナはデクに聞く。


「ああ。俺のこの腕の魔法陣の先……繋がってる無数の異世界のどこかにあるはずなんだがなぁ」


 デクは町の人間が用意してくれた旅支度を確認しつつ、返す。


「魔法陣越しに引き抜くと、毎度毎度さっきみたいな物騒な腕が出てくるもんでね。それなら自分の足で手がかりを探したほうがいい。それに……」


「それに?」


「まぁ……探してるのは腕だけじゃあ無いんでね」


「あの時言っていた……大事な者、か?」


「……ん、まぁね」


 そのニュアンスは、やはり彼にとって言葉の響き以上に『大事な者』であることが察せられる。


 プラティナは、胸の奥がちくりと痛むのを感じた。


「さて、行くかな」


 言って、荷物を背負う。


「行くのか? 町の者も……礼をしたいと言っているが……」


 プラティナは少し言い淀んでから……。


「もちろん……私も、だ」


 少しだけ、頬を赤らめて言った。


「気持ちはありがたいが、そういうのはちょっと苦手でね。それに……あんたらはまだまだこれからが大変なんだろう?」


 確かに強盗団の危機は去ったかもしれないが……。


「……ああ。これから一丸となって町の復興に務めねばならない」


 これまでの略奪で町の財政はどん底にまで至っている。


 おまけにサンドワームを狩るための若者も減ってしまっていれば……ギルドで働き手を雇うなりしなくてはならないかもしれない……。


「……大変だな」


「ああ、大変だ……しかし、これからは……」


 プラティナはデクを真っ直ぐに見て、言う。


「これからは……誰かに助けを求めることも、きちんと視野に入れてやっていくことにする」


 彼女の眼差しに、それまでには無かった強さが加わっていることを、デクは判っていた。


「ああ、それがいい」


 デクはそのまま町を後にしようとするが……。


「あ、そうだ。肝心な事を忘れてたな。メシ代を払わなくちゃいかん」


「いや、そんなものはもう――」


「あいにく売って金に替える時間もないんで、そのまんまで悪いんだが……」


 言って、元々持っていたザックをひっくり返すようにすると……。


「こ、これは……!」


 ごとっ、ごとっ……と、こぶし大の赤鉱石が5,6個ほども転がり出てくる。


「砂漠を渡ってくる途中で襲われたんでね。こいつで足りるといいんだが」


「た、足りるどころか……! これだけの量があれば……」


「当座の働き手を探すには十分かな?」


「お、おまえ……」


 それどころか、町そのものが数年は何不自由なく生活ができるに値する。


 町全体、十分な立て直しができる余裕ができるだろう。


「それじゃあな」


 今度こそ、出発しようと背を向けるデク。


「デク……! お前は……お前はどうして……! どうしてここまでしてくれるんだ……!」


「……言ったろ、メシ代を払わないと、明日のメシが美味くないんだ」


「そ、それだけで……それだけのことでか……?」


「それだけとはなんだ。メシが美味いのは大事なことだぞ」


「い、いや……それは……それはわかるが……」


 困惑したままのプラティナに、デクはもう一度だけ振り返り、ニッと笑みを向ける。


「お前さんのメシ……っていうか、お前さんの施しにはそんだけの価値がある。これからはそっちの方も自分の誇りにするといい」


「デク……」


 デクは背を向け、軽く片手だけを上げて歩みゆく。


「いい領主さんになれるよう、祈ってるよ」


 その……であった時と然程変わらない、薄汚れてみすぼらしい背中を、プラティナは何時までも見送っていた。



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