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3話

 戦線は安定していた。目の前に広がる光景からもそれはうかがい知れる。

 戦場では滅多に振舞われない酒が樽でテーブルを占拠し、ならず者共が大隊長の合図と共に樽に向かって突進する。

 普段は飯時でも交代制で周囲を警戒する魔導アーマー(ヴァイヲン)が無防備にコクピットを晒し、馬鹿デカい昆虫の抜け殻みたいになっているのもそうだ。


 かき集めた青葉を食む馬の嘶き。雑談と罵倒と武勇伝と哀悼が混じり合った喧騒。


 勝ち戦の時の雰囲気だ。依頼人がくたばったとしても戦利品だけでそこそこにはなる。

 交渉担当の団員たちは今日の成果を目録に、随行商人が満面の笑みで算盤を弾く。丸太の杭に繋がれた捕虜たちは死んだ魚のような目で査定を待っていた。


 そこらで焚火がなされ、その周りで団員たちが炊き出しのスープだか煮物だかわからないごった煮が入った椀と、濁った安酒が入ったカップ片手にくつろぎ、そんな彼らの周りをミツバチのように飛び交うのは飴売りや煙草売り、そして春売りだ。


 商人たちの天幕から聞こえる水音は、今宵の戦に備えたちょっとお高めの娼婦たちが身を清めているのだろう。

 まるで申し合わせたように、勝ち戦には必ずやってくる商人たちの嗅覚は空恐ろしいものがある。まるで蜜に群がる蟻の群れだ。



「だいたいテメェは突撃すら遅れるじゃねえか! チンタラ走りやがてこのウスノロが!」


「んだと!? そういうテメェは今回もやられてずっと寝てたらしいな、玉無しめ!」



 少し離れたところから怒声が上がる。

 傭兵団では力を示さない者に価値はない。既に酒が入り、気の大きくなった連中が戦果の発表会をおっ始め、引くに引けなくなって罵り合い。そして最終的には取っ組み合いと教科書通りの展開だ。



「ぶっ殺してやる!」


「やってみろよカマ野郎がっ!」



 囃し立てる歓声と無責任な口笛が高らかに響いた。

 馬鹿二人が存分に殴り合えるよう、こういう事だけには気を使える団員たちが素早く距離をとる。

 早速胴元を買って出たお調子者が慣れた様子で賭け金を回収し回っていた。あまりに見慣れた光景で実に安心する。

 肉が肉を打つ音が鳴るたび、歓声と怒号と野次が飛び交う。完全にお祭り騒ぎだ。


 ここに法は無い。だが不文の規律が存在し、秩序があった。

 今、殴り合いをしている馬鹿二人だって、鼻の骨くらいは折るかもしれないが致命的な怪我の心配はないし、ましてや命にかかわるような真似はしない。

 こすっからい商人の足元見た吹っ掛けに対しても、腕の1本で我慢できる慈悲深い奴らばかりだし、随行娼婦に変態的プレイをするならば追加料金を支払う良識を持っている。捕虜に小便をかける奴もいるが、クソを食わすまでのことはしない。やってよい事の選別と、程度の線引きがきちんと行われているのだ。


 エージも当初は前世の感覚で何度も閉口してきたが、21年もこの世界で暮らすうちに綺麗さっぱり考えを改めた。

 戦争という極限状態に身を置いていると、人は容易に獣へと変貌する。だからこそエージは確信をもって言える。

 たとえまだ毛も生えそろわない少年を林に連れ込んで犯しても、そこらでとっ捕まえたガキを売り飛ばそうとも、それでも野盗や賊軍どころか貴族軍、いや、下手したら正規軍よりも遥かにマシで人道的な規範の下、この傭兵団は運営されている。


 清廉・誠実・精強という『3S』がモットーの傭兵団―――【黒の大剣】は、カネ次第できっちり仕事をこなすプロ集団だ。略奪もしなけりゃ虐殺もしない。

 戦場では使い勝手の良い駒はいつだって品薄で、お偉いさんも多少のケツの軽さは多めに見てくれる。



「だから出張娼婦のみなさんもキレイどころ揃いだしケツもデカくて良い感じだ」



 リスクを冒して荒くれ者どもの輪に飛び込んでくるのだ。壊されるのが分かり切っていたら誰だって高い商品()を投入しようとは思わない。 

 それもこれも、団長(フェス)の手腕によるところが大きい事は分かり切っていた。

 何しろ総勢100名そこそこながら、15機もの魔導アーマー(ヴァイヲン)を所有し、これらを十分に運用する技術と人材を抱えている非正規部隊など、大陸広しといえども数えるほどしか存在しない。



「とはいっても、今からその団長に報告に行かなくてはならない事を考えるとな……」



 一言で言うと気が重い。理由は語るまでもないだろう。

 素性もわからない小学生のガキを拾った挙句、何を血迷ったか面倒を見る宣言をしてしまったからだ。

 何の前触れも無く前世世界の小学生と思しきガキが目の前に現れたのだ。おそらく冷静な判断が出来なくなっていたに違いない。とエージは誰に向けるでもなく言い訳をする。



「今からでも時間を巻き戻したい…… ちょっとでも考えればわかり切った事だったのに……」



 さっきからすれ違う野郎共は、「味見はしたのか?」だの「お前と趣味が合いそうだ」だの「小便を売ってくれ、いやマジで」だの、ろくでもないセリフばかりを吐いてくる。

 さらに、そう多くはないくせに何かと強い女どもの、クソでも見るような冷たい視線で針のむしろだ。

そして極めつけはアホ共にいらん事を吹き込まれたらしい団長。彼女の機嫌を損ねたらしいことを、既に何人もの団員が面白おかしく吹聴している。

 目の前の専用天幕に団長はいる。一人で寝泊まりするには大きすぎるが、作戦会議室も兼ねている上に、来賓に足元見られても面白くない。最低限の見栄えというものは必要だ。



団長(フェス)、入るぞ」



 何度目になるかわからない溜息をつきながら天幕に入った瞬間、何かが耳元を通り過ぎ、背後でズドンッと音を立てる。おそるおそる後ろを振り返ると、入口の木枠に根元までナイフが刺さっていた。滝のような汗が背中から噴き出す。



「おい団長(フェス)! 当たったらどうすんだ!」


「当てようとしたんだエージ。歳は取りたくねぇモンだなァ。腕が鈍る」



 寿命切れ寸前の魔導灯に照らされた天幕内。奥からのっそりと姿を現したのは、隻眼、隻腕のダークエルフ。

 薄ぼんやりとした光のもとでなお輝く銀髪と、この過酷な環境でも荒れ知らずの艶やかな褐色肌は種族的特性なのだろう。そして、この世の理不尽を具現化したように整い過ぎた顔もまた、美し過ぎて同性の嫉妬を一身に集めるエルフという種の特徴でもある。

 これでスタイルまで完璧だというのだから神は不平等だ。巨大な果実を二つも押し込めた胸元は今にも弾け飛びそうで、露出の少ない大人し目の夜着をここまで凶器に変えられるものかと感心する。



団長(フェス)、俺の話を―――」


「そこに座れ。いちいち言葉に気をつけろ。今から少しでも間違ったらお前は体中がケツの穴になる」



 恐ろしいセリフを吐いて恐ろしい笑みを浮かべる長身のダークエルフ。

 どこからどう見ても20代半ばから後半にしか見えない褐色女性の名は、オルガ・エルヴンスカイ。匂い立つような妙齢の美女、【黒の大剣】の団長その人だ。

 オルガは床に座らされたエージの前で、遠い過去に想いを馳せるように、その芸術的な瞳を細めた。



「16年前の事を思い出していた。生まれたての子鹿みたいにブルブル震えながらお前が初めてここに連れてこられた時の話だ」


「団長、昔話はいいから俺の話を―――」


「いいから聞きやがれエージ。あの頃のお前は素直だったし、あたしの事を『おふくろ』と呼ぶ愛嬌があった。あたしはお前をとても可愛がったし、まるでお貴族様がドラ息子を溺愛するような底なしの愛情をお前に注いだ。蝶よ花よと大事にだ。お前もそう思うだろう? オラ、何か言いやがれアホたれめ」


「いや、アンタに毎日ボコボコにされた記憶しか無い」


「うるせぇ、黙ってろッ! 黙って頷いてりゃいいンだ!」




 オルガが派手に唾を飛ばしながら怒鳴った。

 酷い話だと思うが文句を言うことはしない。いつもの事なのでただ軽く肩を竦めると、オルガが大袈裟に天を仰ぐ。



「それが今やどうだ。毛が生えてるかすら怪しいションベンガキ拾って、しかもボーナス代わりに寄越せと来やがった。ああ、ちくしょう神様! ウチの馬鹿息子はガキに欲情するようなクソったれの病気になっちまった。全部アンタのせいだ。祈ってやった恩を忘れやがって!」



 【黒の大剣】において、彼女は神だ。

 よく訓練された操縦士(ストライカー)、経験豊富な整備士や、頭の回る輜重兵。命知らずの突撃兵に、怖いもの知らずの斥候兵、さらには献身的な医療班。

 性質も違えば性格もまるで異なる無法者たちは、有象無象の言葉に耳を傾けたりしない。相手が正規の軍団長だろうが大貴族様だろうがお構いなしだ。

 そんな底抜けの馬鹿共をオルガはただの一言で完璧に統率する。


 団を率いながらも自ら魔導アーマー(ヴァイヲン)を駆り、先陣を切る女傑として広く勇名を馳せたが、7年前の戦闘で左腕と左目を失い、後方からの指揮に徹するようになった。

 そして幸か不幸か、彼女には指揮官の才があった。前線から身を引いた今となっても彼女のカリスマが色褪せることは無く、前線に出たいと駄々をこねる彼女を押しとどめるのはいつもエージの役割だ。


 彼女の身を案じていた団員たちはホッと胸を撫で下ろしているし、それはエージも同じである。

 鍛え上げた筋肉の上に薄く脂が乗り、むっちりとしたはずの太ももが、今では随分とか細く、女らしくなってしまっている。まるで淑女の御御足だ。



「勘弁してくれよ団長(フェス)。アンタはアホ共に騙されてんだ」


「二人きりの時は『おふくろ』と呼べっつっただろうが!! ああッ!?」


「んなこっ恥ずかしい真似できるかよ。もうすぐ俺も22だぞ……」


「生意気言ってんじゃねェクソガキ!」



 床に座るエージの目線に合わせるように、歯を剥き出しのオルガが前かがみになる。

 その拍子に、たっぷり重量感のある褐色の双丘が、マヌケな効果音を伴って深い谷間を作った。

 エージは思わずごくりと唾を呑む。

 母親代わりと言ったところで赤の他人で絶世の美女。しかもエージは前世の記憶を持つ転生者で、オルガが親であるという感覚が薄い。目の前に乳がぶら下がっていたら目が行ってしまうのもまた道理。

エージの視線に気づいたオルガが、フフンとどこか嬉しそうに鼻を鳴らした。



「ふん、まあいい。ガキの身柄は好きにしな。身の回りの世話させるも良し、働かせて給金かっぱらうもよし。もちろん売っ払うのも自由だ」


「最低な提案ありがとう。感謝するよ団長(フェス)。アンタ、ガキだった俺をよく育てようと思ったな」


「さあな。とにかく好きにすりゃいいが団内で盛るのだけはやめとけ。あたしはお前がロリコンに走るのを決して許さないし、他のアホ共が勘違いして規律が緩んでも困る。溜まってるならガキ売った金で女を買え。きっとみんなが幸せになれる」



 褐色美女が、鼻先が触れ合うくらいの距離で獰猛に笑う。そのまま唇を奪ってやったらどんな顔をするだろうか、少しだけ試したくなった。



「ああ、とても有益なアドバイスだ」



 3ケタを軽く超える年齢のオルガも、見た目だけでいえばエージの好みど真ん中だ。世話になった自覚も恩もある。情だって湧く。

 ちっとも有益だとは思っていないが、皮肉の一つでも言ってないと雰囲気に流されそうな気がして軽口を叩いた。


 弛んだ笑みで商売女のケツを掴むことは出来ても、真顔で恩人に触れる事は出来そうにない。それは前世を含めて何事にも本気になった事のない男が獲得した心の鎧だ。

 そしてオルガは見透かしたように苦笑するのだ。



「せいぜい英気を養えよエージ。おそらくすぐに転戦依頼が来る。そしたらまた戦争(ドンパチ)だ」

 


 その台詞に応えることなく、エージは立ち上がると肩を竦めた。



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