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2話

 波多野英二は世の中を特に不満に思ったことは無かった。

 イケメンとは言い難いが、不細工でもない。背が高いわけでもないが低いわけでもない。

 自分で頭が良いと思ったことは無い一方で、試験と名のつくものでそれほど苦労した記憶も無かった。運動神経もまあ同じようなものだろう。


 小中高と、特に目立つ事も無く無難に過ごし、そこそこの大学を経てそこそこの企業に就職。

 思い出らしい思い出も無い代わりに、嫌な思い出というのもほとんど無い。


 開発系の職種だったので、少しばかり給料は貰っていたし、昔気質の面倒臭い上司が肩をいからせるような空気でもなかった。仕事柄デスマーチは珍しくなかったが、ブラックかと言われれば首を傾げる程度のものだ。

 システム設計に従って目の前の仕事をこなしていれば、ある程度評価もされた。


 ただ毎日電車に揺られ、一日中机に向かってPCと睨めっこし、月に2度くらいは同僚の飲みの誘いに付き合って気付くと一か月が終わっている。

 幸せかと聞かれたら首を傾げるかもしれないが、不幸かと聞かれたら首を横に振るだろう。上を見ても下を見てもキリがない。

 何の山も谷も無い平々凡々とした毎日を、それほど退屈とも思わなかった。


 そんなつまんない生き方して楽しいの?


 生涯で一度だけ付き合った事のある女性から別れ際に、そう吐き捨てられたことがある。

 それなりに楽しいと答えて、盛大なビンタを食らったのはいつの事だっただろう。一時は将来を誓い合うまでの仲だったというのに、終わりはこんなにもあっけない。


 別れの悲しみを分かち合う仲間もいなければ、そもそも悲しいとも思わない。なんとなく、自分が結婚に向かない人間である事を理解しつつあったし、本心からそれもまあ良いかと思いつつあった。


 社会問題になり始めていた孤独死のニュースを見るたびに、大変だなあと他人事にボヤきながら半分本気で将来を心配する。きっと自分が死ぬとき、周りに家族はいないだろう。

 就職で東京に出てきてから実家には数えるほどしか帰っていない。顔を合わせる度に孫の顔がみたいとぼやく母親が疎ましかったし、酒を飲んで管を巻く父親が面倒臭かった。


 イイ女にもイイ車にも興味が無い。目ん玉が飛び出るくらい値の張る高級料理にも、風呂桶を満たす札束の山にもそれほど心が動かされない。

 強いて言えば、通勤時間に流し見るネット小説がささやかな楽しみだろうか。星の数ほどに膨れ上がり、更に加速度的に生み出され続けるテンプレ作品群を見ていると、平凡な自分が承認されているようで少しだけ気が軽くなる。


 自分が異常なのかとネットを泳いでみれば、同世代では大して珍しい事でもないという。

たったそれだけの事で小さな安寧を得て、何の根拠も無い安心感を片手に布団に潜り込む。

 漫然と過ぎ去る日々の中で、もしも自分が異世界に転生したら、と寝る前に想像して苦笑するのが日課になりつつあった。気が付けばもうすぐ30歳。

 それが波多野英二という男だった。



 そう―――だった(・ ・ ・)のだ。








「ようエージ。なかなかの収穫だったみてぇだなオイ」


 宿営地に帰投して数十分。荷物の受け渡しと軽い点検の後、報告に向かっていたエージに声をかけてきた男がいる。

 その男は2m近い巨躯で、どこぞの原住民のように鬱蒼と茂る髭と、右の口元から三日月形の刀傷が厳めしい凶悪な面構えだというのに、どこか柔和で人を安心させる雰囲気を纏っている。

 傭兵団の荒くれ者ばかりが揃う戦闘部隊の小隊長、スヴェン・ブリエストだ。



お宝(リアクター)以外に愛らしい小鹿(バンビ)ちゃんを連れてきたらしいな。団長(フェス)も頭の血管が切れるほど喜んでいたよ。『エージは今までよくやった。だからせめてこの手でブチ殺してやる』ってな」



 スヴェンが団長(フェス)の口調を真似て言う。

 全く似ていないと指摘してもよかったが、傭兵団でも指折りの魔導アーマー(ヴァイヲン)乗りに機嫌を損ねられても面白くない。

 エージはまいったとばかりに肩を竦めた。



「なあスヴェン、俺はアンタを友人だと思っているし、戦場で背中を預け合うほど信頼もしている。もちろんアンタは貴重な友人である俺のためにフォローをしておいてくれたんだろ?」

「俺を疑うのかエージ。もちろん団長に言っておいたさ。『エージはそういう病気なんだ』ってな」

「ありがとうスヴェン。心の底からくたばっちまえと思った。アンタの友情に感謝するよ」 

「いいんだエージ。気にするな」



 スヴェンはにこやかにエージの肩を叩く。

 エージがその手を払うとスヴェンは「おお怖っ」とお道化ながら飯場へと歩いていった。

 このくらいで目くじらを立てていたら傭兵家業はやっていられない。戦争を飯の種にするヤツなんざどこか頭のネジが飛んでいるし、傭兵などその中でもとびっきりぶっ飛んだ連中の吹き溜まりだ。

 飯場から立ち上る炊き出しの蒸気をぼんやり眺めながら、エージは思う。


 ここは日本ではない。異世界だ。


 白刃煌き、魔法飛び交い、血煙舞う。

 中世の街並みを人々が行き交い、鍛冶場でドワーフが槌を振るい、森でエルフが獣を狩る。

 恐ろしい魔物が地上を席巻し、凶暴な翼竜が大空を滑空し、巨大な海獣が海を占領する。

 そんな化け物を討伐して一獲千金を狙う命知らずの冒険者たちが今日も魔境へと繰り出し、日々英雄が生まれては死んでいく。


 年頃の男なら誰もが焦がれる、そんな夢の世界。

 胸沸き踊る冒険の日々と、美少女たちに囲まれたハーレム生活が待っている―――はずだった。

 少なくとも4歳の時に前世の記憶を取り戻したエージはそう思っていたのだ。


 確かに違和感はあった。

 ネット小説では大抵の場合、貴族の三男坊あたりに生まれるはずなのにエージの家は貧しかった。集落は絵に描いたような限界村落で、右を見ても左を見ても食うや食わず。

 麦を育てては領主にむしり取られ、商人に流しては足元見られ、這い上がるキッカケすらないまま、緩やかな死への歩みを止める事が出来ない。知識チートをするための知識も余裕も無かった。


 考えてみれば無い無い尽くしだ。

 この世界に来る前、白い部屋で目を覚ますことも無かったし、神様に土下座されるような事もなかった。何より、死んだときの記憶がない。


 ならばと励んだ魔法の練習も全く身にならなかった。

 酸素を取り入れて青い炎を発現させては、伝説の魔法と崇められるイメージは完璧なのに、そもそもただの炎すら操れないのだからどうしようもない。


 誰もいない事を入念に確認した原っぱで、何度も「サーチ」と叫んでみたし、石ころに向かって重々しく「鑑定」と呟いてもみた。虎の子の「ステータスオープン」に至っては100回は試しただろう。

 しかし、ついぞエージが『チート』を手に入れる事は出来なかった。


 集落が戦禍に呑まれ今の傭兵団に売られて初めて、この世界の魔法の素養は9割9分を才能が占める事を知る。幼少からの訓練などクソの役にも立たない事を同時に知った。

 チートも何もない。魔法の才も無い。


 異世界転生俺TUEEEEE!! のはずが、とっ捕まって売っ払われたあげく傭兵団の下っ端仕事。そして気付けば魔導アーマー(ヴァイヲン)乗りとして、『殺すKAKUGO』イベントもこなさないまま戦場に放り出され、死体漁りにも何の抵抗も無い立派なロクでなし(グロッグ)だ。



「挙句に突然女子小学生が降ってきた、か……。自分で言ってても意味わかんねえ」



 殺し過ぎたし殺され過ぎた。

 今更自分が特別な存在などと思っちゃいない。前世でいくらでも替えの利く社会の歯車は、異世界に転生しても歯車のまま。

 糧を得るために仕事をする。それは傭兵家業も同じことだ。

 誇りや倫理や道徳といった高尚な言葉は全部クソと一緒にひり出したし、金にならない同情ほど厄介なものは無い事を知っている。



「売っぱらっちまうか、あのガキ」



 考えてみれば、なぜすぐにそうしなかったか。

 頭の痛い厄介事よりも数枚の金貨のほうが良いに決まっている。首根っこ捕まえて、発火するほど手もみをする人買いに突き出せば、少なくとも今日は喉が焼け付くほど上物の酒を飲めていたはずだ。


 年端もいかないガキだからか。それとも同郷の出身だからか。

 らしくない。やけに感傷的になっていた。

 夢で見る事すら無くなってきた追憶に価値はない。あの頃に戻りたいと言ったところで、肝心の『あの頃』がもう胸の中から消えている。

 焦燥感にも似た感情を持て余して、エージは現実に馴染ませるように、夕焼けに目を細めた。





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