18話
「エメラダお嬢様、この店は鳥の丸焼きが名物とのことでございます」
カウンターの奥では赤々と炭が燃え、その上を鉄杭で貫かれた少なくない数の鳥がグルグル回っている。
皮から滴る脂が弾けて火が上がり、皮がパリパリになるまで炙っていく。
頃合いになると、粘度の高い黒いソースがまんべんなく塗りたくられ、焦げる寸前で火から離され、という作業が何度も繰り返されていた。
店員が言うには、鳥は広い平屋で放し飼いにされ、自由に土をほじくり返し、たっぷりの穀物餌と青草をついばみ、ストレスフリーでオーガニックに仕上がっている。
職人の手により血抜きされ、手作業で毛を毟られ、傷つかないよう丁寧に内臓を抜かれた新鮮な鳥肉を毎朝仕入れ、丹精込めて丸焼きにしている。
秘伝のタレは創業より継ぎ足しの一子相伝で、別売りもしているので是非お土産にどうぞ。
エメラダが重々しく頷くと、ライラは躊躇なく注文した。しがない操縦士の懐に対する配慮など微塵も無い。
エメラダさえ良ければ他はどうでも良いというライラの言動は入団時より一貫しているが、奢らされるエージとしては溜息の一つもつきたくなる。
店は酒気と喧噪と熱気に満ちていて、空気を吸っているだけで雰囲気に酔いそうだ。
スヴェンが上機嫌にジョッキをテーブルに叩きつけ、ルールーが一気にエールを煽って奇声を上げた。
「うぉふ! そこの猫耳のおねーさん! エールおかわりですぅ!」
「はっはっ ケツみたいな胸したねーちゃん! 俺もおかわりだ。樽ごと持ってきてもいいぜ!」
テーブルには所狭しと空のジョッキが並び、エメラダの前には散々食い散らかした大皿が堆く積もっている。
スヴェンとルールーが運ばれてきたジョッキを45度に傾けて喉を鳴らし、エメラダがもちゃもちゃと鳥の丸焼きを食べ、ライラが甲斐甲斐しく世話を焼いた。
エージは呻きながら財布の中身を確かめる。気が遠くなりそうだ。
「財布が軽すぎて宙に浮きそうだ。お前らいい加減に……」
「ところで、わたくし共が雌オーガという話についてですが」
「猫耳のねーちゃん! 我らのお嬢様が肉が足りないと仰せだ、とびっきりのやつをお持ちしろ! クリームとナッツがたっぷりのパンケーキも忘れるな!ASAP! 」
「おいスヴェン」
「うはぁっ タダ酒は最高ですぅ!」
いい加減、呂律の回らなくなってきたルールーの頭をガシリと掴む。
硬い瓶詰の蓋を捻るように無理矢理こっちに顔を向かせ、とびきり低い声で言ってやった
「……お前に奢るとは一言も言ってねぇ」
すると、ルールーがこの世の終わりみたいな顔で叫ぶ。
「ふあぁっ!? ルールーはもうお金持ってないですぅ!」
「はぁ!? 一昨日、臨時報酬があったばかりだろうが!」
「そんなのとっくにスりました! むしろマイナスですぅ!」
「ギャンブルに使う金があったら頭の病院に行ってこい!」
ギャンブルに手を出す傭兵は多い。
血気盛んで刹那的な生き方を貴ぶ愛すべきアホ共は、大金を握りしめて賭場に乗り込んでは頭を抱えて出てくるのだが、驚くことに大抵の奴が『引き際』というものを心得ている。
いつも死と隣り合わせの戦場を生きているからか、ほとんどの連中が『致命的な負け』を回避するのだ。
だが、中には脳のスイッチが逆方向に振り切れてしまう奴もいる。生物としての極限状態を知っているがため、多少の刺激では満足出来なくなってしまうらしい。
そうなると見事に1か100しかないギャンブル廃人の出来上がりだ。
ルールーはどの戦闘部隊でも喉から手が出るほど貴重な情報分析特化型アーマーの専用操縦士。二十歳そこそこながら、当然高給取りである。
濃緑の髪にエメラルドグリーンの瞳。手も足も腰も細く、尻と胸は絶壁。色気は一かけらも無い。
愛嬌のある顔立ちは笑うとくしゃくしゃになり、それを可愛いと言う奴と、ブサイクだと言う奴は半々だった。
稼ぎはある。色気は無いがまあ顔は可愛らしく愛嬌もある。
酒場で悩ましい溜息の一つでも吐けば寄ってくる男はいるだろうに、未だ男の陰すら見えないのはいつも最初のデートでドン引きされる生粋のギャンブル狂だからだ。
何より団でも一、二を争う高給取りのくせに、金を持っているところを見たことが無い。
「も、もう少しだったんです!」
「脳みそが肥溜めで出来てるお前に良い事を教えてやろうルールー。博打で負ける奴は一人残らずそう言うもんだ。そして次にのたまうセリフは『次こそは絶対に』 だ」
「昨日のルールーはツイていて、最後の大勝負で借金も返せるはずだったのに…… それなのにあのディーラー、い、イカサマをッ」
「話を聞けよ」
「絶対あれはイカサマです! タネも仕掛けも全然わからないけどイカサマに違いないです! なので奢ってください猫耳のおねーさんエールおかわりッ!」
「犯すぞこのアマ」
体で払ってもらうべきか本気で思案してエージは首を振った。肉の薄い生娘を抱いても楽しい事なんて無い。
次善の策は『売り飛ばす』だが、一応これでも戦術部隊の司令塔だからややこしい。
「まあ良いではないか」
「あン?」
大皿の山からヒョイと顔を出したのは、重砲撃特化型アーマー『トールハンマー』の操縦士、エメラダである。
桃色がかった金髪が二房、馬の尻尾の様に揺れていた。口周りをテカテカに光らせご機嫌に鼻歌など歌っている。いつも強気に跳ね上げられた眉の角度は浅く、猛禽類のような鋭い目がへにゃりと緩んでいた。
黙っていれば威圧感すら感じるとんでもない美形なのだが、食事を与えると途端に残念になるのが特徴だ。
「我らのような見目麗しい淑女に囲まれ満更でもなかろう」
「少なくとも俺の知ってる淑女はズンドコ重火器ぶっ放したり丸鶏を8つも食ったりしない。もちろん鶏脂でスキンケアするなんて以ての外だ」
「何処のバーバリアンの話ぞ?」
「お前の話だ」
美女、と呼ぶにはまだ早く、美少女と呼ぶのがしっくりくる。しかも出るとこはしっかり出ているという変態受けの良いアンバランスなガキだ。
「ともかく、タダ飯ほど美味いものは無いからの。おかわり」
「そこの犬耳の店員さん、お嬢様におかわりをお持ちしなさい。ASAP」
「勘弁してくれ」
尊大な物言いに腹が立ったが、抗議するに留める。腕力に訴えたら暴力で返ってくるからだ。
黒の大剣の女どもは、千の言葉よりも愛と平和と筋肉を信じていて、まるで息をするように文化的ではない行為に及び、沈痛な面持ちで正当防衛を主張する。
「お嬢様、ほっぺにソースがついてございますよ」
ライラが前掛けのポケットからハンカチを取り出し、エメラダの頬を嬉しそうに拭った。口周りの脂は放置でいいのかと思ったが口には出さない。
エメラダお嬢様に付きっ切りのこの女には特に注意が必要だ。
隆起の激しい肉体をクラシカルなメイド服で包む侍従は、ひとたびヴァイヲンに乗れば縦横無尽に戦場を駆け巡り、敵のケツに大穴を開けまくるガチガチの武闘派である。
生身の戦闘訓練でも無類の強さを誇り、記憶の及ぶ限りで一度も勝てたためしがない。
「ああ、もう諦めるよ。俺の持ち金はこれだけだ。これ以上は自分たちでなんとかしろ。信じられないならこの場で何度かジャンプしてもいい。俺の故郷では恐喝被害者がとる防衛行動さ」
いい加減諦めたエージは、盛大な溜息と共になけなしの銀貨をテーブルに叩きつけた。
勘定が足りるかどうかは微妙なところだ。女三人の視線は自然とスヴェンに向く。
スヴェンは視線から逃れるように後ろを向いて店員を呼び、軽くセクハラを挟んでエールを注文した。
「ところでエージ、小鹿ちゃんの様子はどうなんだ?」