17話
全く書く暇が無いので、手慰みに書いていたのを投稿中
「勇者はまだ見つからぬかッ!」
その金切り声は、広過ぎる石の間に甲高く響き渡った。
まるで癇癪を起こした幼子のように顔を紅潮させ唾を飛ばす様に、居並ぶ大人たちが、気づかれないほどの微かな吐息と共に、そっと視線を落とす。
他より一段高くなった部屋の最奥、そこに朱塗金張の重厚な椅子はある。
絢爛豪華な金銀彫刻がひじ掛け部分から背凭れを取り囲み、その椅子後ろで交差する二振りの旗に刻まれた紋様は、肇国より変わらぬ二本の剣。
遥か壇上より権威と権原を表象するその椅子は、まごう事無き玉座である。
しかし歴史を紐解き、豪奢な金細工に滲む褪せた鈍色を見た時、その威光に平伏せずにはいられないとまで言わしめる玉座も、今はそこらの劇団の出来の悪い大道具にしか見えなかった。
「魔導長官は何をしている! 勇者召喚の儀に介入した者は判明したのか! すぐに勇者を見つけ出すと申していたではないか!」
玉座に座するのはせいぜい10かそこらの子供だ。
背凭れに背を預ける事も出来ず、肘掛けに置かれた両手はほとんど肩の高さと変わらず、そしてどっしりと構えるはずの足は床に届いてすらいない。
足をバタつかせ喚き散らすだけで本来在るべき権威が霧散していくような気さえする。それでも謁見の間に集う者達がそれを態度に出さないのは、未熟な皇子よりも遥かに強大な権力者が右に控えているからだ。
「畏れながら申し上げます殿下。儀式に介入した敵性勢力は判明しておりませんが勇者が召喚された地点は特定いたしました」
皇国武力の全権を握り、皇子戴冠までの後見役として宮中を掌握する男、ザグロブ元帥である。
ザグロブの上申に皇子が身を乗り出す。
「そ、それはまことかザグロブ元帥!?」
「はッ 既に捜索を開始し、いくつか手を打っております」
「おお、さすがは余の騎士じゃ。見事な差配よ!」
「勿体無き御言葉にございます」
恭しく傅くザグロブを忌々しそうに見つめるのは、皇子の斜め後ろに控える宰相だ。
本来、元帥は皇王の代理人にもなる宰相より地位が下である。苦言の一つ口にしたところで咎められる立場ではないのだが、宰相は憮然とした表情をしているだけ。
地位が上だからといって地位相応の振る舞いが許されるわけではない。武力を司るという事はそれだけ重い意味を持つ。皇子からの全幅の信頼まで付いてくるとなれば猶更だ。
「勇者さえ押さえれば此度の戦争の勝利は揺るがぬ。そなたに全て任せたぞザグロブ元帥」
「ハッ 御意にッ」
茶番だ。
忠義無き権威に見世物以上の価値は無い。
かといって見世物小屋を取り壊すのは戦争という状況が許さない。
「…………前皇陛下の御身がご健勝であれば」
思わず本音が口から零れてしまうのを止められない。
目だけで他の参列者を窺うと、同じような憤りや憂いを顔に浮かべている者がいた。文官、武官問わずだ。
皇国は帝国との戦争で劣勢に立たされているというのに、この国難にあって呑気に政治に勤しむ軍のトップとそれを信じて疑わない最高権威者。これで危機感を覚えるなという方が無理な話である。
「ん? 何か申したか宰相」
有能で思慮深く、忠義に厚かった宮廷魔導士長とその側近は、勇者召喚失策の責めを負わされ鋼鉄された。彼らの助力を得られない事が何よりも痛い。
勇者召喚は出所も怪しい神話やカビの生えたおとぎ話にしか登場しない伝説の大魔導だ。
そもそもは宮廷魔導士の信用と発言力を疎ましく思った元帥が、彼らに押し付けた無理難題であり、成功させてしまうなど誰も夢にも思わなかった。
しかし、儀式はまさかの成功。だが召喚直前に何者かの介入により、皇城より遥か遠くの地点に召喚陣が形成され勇者の行方は不明。
そして元帥は儀式成功の手柄を我が物とし、警備の不行届きを魔導士長に押し付けた。
宮廷内警備の最高責任者が警備の不備の責任を追及するという喜劇はしかし、もっともらしく脚色され、今ではそれが真実であったかのよう。
この苦境に国内領主たちの離反を招いていないのは、宰相とその部下が東奔西走しているからだ。
「宰相、殿下の御前であるぞ。答えられよ」
今この国に必要なのは決して責任放棄の勇者召喚などではない。
何とかしなければ。
このままではこの国は帝国に飲み込まれる。
故国を守るためにはどうしたらよいか。
あらん限りの方策を頭に思い浮かべては視線を落とす。
未だ答えは……見つからない。
「なんでも御座いませぬ」
「そうか、ならばよい。祖国に忠誠を」
皇子が無邪気に言う。
ザグロブが値踏みするような視線を向けてきている。
暗澹たる気持ちに襲われながら、宰相はひり出すようにして呟いた。
「忠誠を」
#
街の外苑部から団の仮宿場への帰り道だ。右手には外壁に頭を隠した夕日が見える。
たかが自然現象と言えど、朱く燃える空は雄大でいてどこかロマンチックでもある。
そばかすの残る朴訥な娘に愛を語らうには最高のシチュエーションだが、最悪な事に、隣で切なそうにエージを見つめるのはむさ苦しい大男だ。
「おいエージ。そう睨まないでくれよ。俺は悪くない。本当だ」
足取りが重い。疲れが出ている。楽し気に行き交う人々に呪いの言葉を吐きたい。
本来する必要のなかった労働のせいで心が荒んでいた。
今は通りに漂う香ばしく焼けた脂の匂いもエージを苛立たせる。
「だったらなんで官憲に捕まってたんだスヴェン。駐屯中の街の市民から悪感情を持たれるのは避けるべきなのは知ってるだろう。アンタ一体何をやらかしたんだ」
「お前まであのいけ好かない官憲と同じ事を言うのかエージ。俺たちの友情はどうしちまったんだ?」
大仰なジェスチャーで、落胆を露わにするスヴェン。ショックを受けたようによろけて見せるが、この瞬間に足払いをかけたとしてもビクともしない事をエージは知っている。
エージは極めて冷淡に言い放った。
「俺たちの友情は先日、酒瓶一本で砕け散ったよスヴェン。覚えてないとは言わさないぜ」
「俺は友人に不誠実な態度をとったりはしない。きっと誰かと間違えてるのさ」
今更断るまでも無く、傭兵というロクでもない職に就くロクでなし共は血の気が多い。
そしてこれも今更だが、そのロクでなし共が街で揉め事を起こすことは珍しくも無く、傭兵団としても特に口出しはしない。
その辺は個人の責任で何とかしろというのが団の方針だし、その結果任務に支障を来す様な救いようの無いアホはそもそも戦場で生き残れないので基本的に放置だ。
といっても、駐屯する地域住民との関係を拗らせても良い事など一つも無いので、団としても駐屯中の街で深刻な犯罪を犯したクズを容赦なく粛清したり、街のゴロツキに喧嘩で負けて帰ってきたタマ無しをボコボコにする程度の風紀は保っている。
問題は、時折官憲のご厄介になるアホタレがいて、そのアホタレを屯所まで引き取りに行くのが大抵の場合エージであるという事だ
「とにかく、アンタはまた何をやらかしたんだ?」
「それだ。聞いてくれエージ。俺は差別主義者を叩きのめしただけなのに、官憲は俺を悪人扱いしたんだ。まるで休日のお父さんを見る古女房のような目をしていた」
この髭モジャの大男が街中で揉め事を起こして屯所にぶち込まれたという知らせを受けたのは昼過ぎだ。
そしてすぐにオルガはエージを捕まえて「あのアホタレを引き取ってこい」と面倒ごとを押し付けた。
その理由は大体想像がつく。ちょっとしたお使いを頼まれてもエージが『駄賃を寄こせ』とは言わないからだ。
団員達もそれを知っていて、エージが来ると迷子センターで親を見つけたガキみたいな顔になる。戦闘部隊の隊長格であるスヴェンですら例に同じだ。
「何だよ差別主義者って。髭が鬱陶しいとでも言われたのか」
「違う、奴は俺を薄汚い間男だと罵った。酷く侮蔑的な言葉で何度も侮辱した。この街を救うために命がけで戦った俺に向かってだ。とてもショックを受けたよ。確かに俺達は余所者だがもう少し配慮されるべきだ。そう思わないか?」
深い悲しみを込めて俯くスヴェン。
エージは無表情で言った。
「アンタまた人妻に手を出したのか」
「誤解を招くような言い方はよせエージ。愛だ。やましい事など何一つ無い。そこを履き違えるな」
「間男じゃねえか」
つまり、人妻に手を出したのがバレて、旦那に罵られてムカついたから半殺しにした、と。
そして身内が迎えに行っただけであっさり釈放。
不誠実極まりない身勝手な傷害事件でお咎め無しである。官憲の行き届いた配慮を感じた。
なおも熱弁を振るって純愛を語るスヴェンだが、不倫の時点で話は終わっている。
右から左へと話をスムーズに流しながら歩いていると、いつの間にか宿営地にほど近くの飲み屋街に差し掛かる。
物流が回復し、景気が戻ってきたこの街の飲み屋はいつも盛況だ。
通りを抉るように外まで張り出したテラス席は、様々な職種の人たちによって今日も埋め尽くされていた。人々はエールのジョッキを掲げて笑い合い、豪快にソーセージにかぶりついては、指についた脂とトマトソースを指ごとしゃぶる。
跳ねる脂の音と、甘辛いソースが焦げる香りが胃を刺激する。ジワリと唾液が口内に沸いてくる。
ロクでもない同僚の不倫騒ぎのおかげで尊い休日が潰れた。ロクでもない労働の疲れを癒せるのは、キンキンに冷えたエールだけだ。
最近の事を考えるとスヴェンに一杯奢らせる場面である。
「スヴェン、どうせだから1杯引っかけていかないか? 俺に借りを返すチャンスをアンタに与えてやりたい」
「全く身に覚えのない話だが……いいぜ。同僚の話に耳を傾けるのも俺の仕事だ。お前が妙齢の美女ならばなお良かったんだがな」
「だったら団の綺麗ドコロでも揃えようか色男? なかなか粒ぞろいだと専らの評判らしいぞ」
「ああ、ああ、そうだとも。確かに粒ぞろいだが……他所の連中は知らないんだ。ウチの気高く可憐でか弱い女神サマたちは、タマを蹴り上げるのが何よりお好きなサディスティック・レディであらせられる。誓って言うが暴れ馬よりも足癖が悪い」
スヴェンが股を押さえて大げさに震えあがる。
エージは苦笑しながらスヴェンの背を軽く叩いた。
「おいやめてくれスヴェン。もしウチの雌オーガ共に聞かれたらどうするんだ。俺もただじゃ済まねぇだろ」
「何をビビッてるんだエージ。あいつらなら今頃、仮宿の飯場でバケツでメシ食ってるだろうさ」
二人が冗談を言い合い、肩を叩き合いながら店をチョイスしていた、その時だった。
「ほう、妾が暴れ馬とな……?」
「る、ルールーはバケツでご飯なんて食べないですぅ!」
突然の声に凍り付いたように固まる二人。
エージは恐る恐る振り返った先に仁王立ちする人物を見て呻き声を上げた。
「え、エメラダ……って事はライラも……」
そう呟いた瞬間、耳元に生暖かい吐息を吹きかけられる。
「もちろん控えておりますとも」
突然、真横で感じた気配と囁きに背筋が凍った。
咄嗟に距離を取ろうと足に体重を乗せたところで首筋にひんやりとした指先をピトリと当てられる。
「ルールーもいますぅ!」
逃げられない事を悟り、いつの間にかいなくなったスヴェンを目だけで探す。
状況判断に優れるヴァイヲン小隊の指揮官殿は、何もなかったかのように店のスタッフと交渉し5人分の席を確保していた。
さらに彼は恭しくテーブルの椅子を引き、満面の笑みで体毛だらけの両手を大仰に広げた。
「や、や、こちらへどうぞヴァイヲン小隊が誇る美しき花よ。なに、遠慮する事はないさ。ちょうどエージが君たちに御馳走したいと言っていたところだ」
ーーーーーーーーーー