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16話



 難民

 その言葉は大多数の日本人にとって、テレビや新聞でしか見たことの無い絵空事だろう。対岸の火事なのだ。

 他でもない、波多野英二もそんな大多数の一人に過ぎなかった。

 この手のニュースが流れると有識者達は、他人に対する興味や思いやりが失われつつあると嘆き、それらは社会の発展と経済成長、技術の進歩による弊害なのだと、さも深刻そうな様子で語ったあと、最終的には資本主義と政府に矛先を向けてドヤ顔で締めくくるのが常だ。

 深い知識は無くとも、大抵のニュースをいなせる万能手法でもあるのだが、それは違うのではないかとエージは思う。


 住処を失い、行く当ても無く彷徨う無数の人々。涙を流して自身の不遇を訴える母。やせ細り、寝転がったままハエを払う気力も無いほど衰弱した子供。

 そんなショッキングな映像を液晶越しに眺めて心を痛め、拳を振り上げる程度の熱はある。コンビニレジ横の募金箱に余った小銭を放り込むくらいの良心もあれば、SNSで慈善活動の拡散を手伝うくらいの興味もある。

 顔も名も知らぬ人達のために痛める心はある。ただ、知らないだけだ。難民という現実を。


 情報媒体は継ぎ接ぎだらけの貼り絵と同じだ。

 伝える側は見せたいことだけを、受け取る側は見たいものだけを欲する。その結果、難民という架空の物語が生まれる。

 そして日本は難民を援助はしても、頑なに受け入れを拒んできた。いわばほとんどの現代日本人は難民という名の物語を見ているに過ぎない。

 そもそもの前提からして違うのだ。モノが無いという事、食べ物が無いという事を知らない豊かな国の人々が、どうして彼らを真に理解する事ができようか。


 圧倒的理不尽がそこにある。今の世界に転生し、戦場を渡り歩いたエージはそれ見てきた。

 彼らは芳醇な土だ。その滋味溢れる土壌に地獄という名の種が撒かれ、時折芽吹く。

 人道支援なんてものは余裕があって初めて生まれる概念だ。余裕が無ければそもそも思いつきすらしない。


 この世界で、振り返るとまるで影のように忍び寄ってくるのは『魔境』の存在だった。

 じわりじわりと広がる不可生存領域と、真綿で首を絞めるように窄まっていく人類の版図

 帝国も皇国も成り立ちは似たようなものである。殺し、奪い、呑み込み、そうして膨れ上がってきた。

 そうした一つの結果として、皇国西部戦線があり、戦線より3周りも内側にガヤとその周辺領がある。今回護送している難民たちは、そのガヤから徒歩数日の街に住んでいた者たちだ。



「あの丘を越えたら目的地が見えるんでしょ?」

「ああ、そうだ」



 少女が嬉しそうにそう言うと、エージはあえて平坦な声で返した。

 1000人もの戦争難民と彼らを護衛する【黒の大剣】は、行軍ならば3日で進む距離を、たっぷり6日かけてようやく目的地に到着しようとしている。



―――ママ! 丘が見えてきたよ! 行こう、早くッ!

―――こ、こら、走ると危ないわよ!



 はやる気持ちを抑えきれなかったのだろう。

 行軍で散々疲弊しているはずなのに、ひび割れた赤土と岩石に覆われた丘を人々は駆け上り始めた。丘の頂点から故郷を見下ろし、帰ってきたことを実感したいのだ。

 多くの人々が稜線を超えたあたりで立ち止まり、目を見開いた。

 膝から崩れ落ち体を震わせる老人。

 母親にしがみついて見上げる子供。



「みんな言葉も出ないくらい喜んでいるみたい。よかったわね!」

「だといいな」



 人々は一言も言葉を発する事無く、眼下の光景を呆然と眺めている。



「なんだ……これ……」



 その呟きは誰のものだったのだろうか。

 ポツリポツリと漏れた呟きが瞬く間に伝播し、どよめきに変わる。何だろうと首を傾げるのは未だその光景を見てない人々と、黒の大剣では少女だけだ。



「まあ、そうだろうとは思ってたよ」

「え? え? 何よ、どういう事!? そうだろうって何よ!?」

「見たらわかるさ」



 不穏な空気に戸惑いを隠せない少女に対し、黒の大剣の野郎どもは心配する態度を見せた。

 彼らはいくつもの戦場を渡り歩いてきた経験から、今この瞬間人々の瞳に映っているであろう光景を想像できる。

 人々は後列に追い立てられるように稜線を超えていき、最後尾の護衛機が丘の頂点に達するころ、どよめきは嘆きになり、そして悲鳴へを変わろうとしていた。



「うそよ……なによ……これ……」



 街は、崩壊していた。

 崩れ落ちた外壁。倒壊した家々。炭化した材木。

 そこら中で家の骨格となる柱や梁が、死骸の背骨のように剥き出しになって黒ずんでいた。

 外に目を向けると、破壊された外壁の外で黄金色に輝いていたであろう麦帆の海は、見るも無残に焼け落ちている。

 微かに感じる焦げ臭さはおそらく錯覚だろう。明らかに火が放たれた廃墟を前に、情報を補完しようと脳が勝手に記憶をあさっているのだ。


 街路に転がる人型の物体は、炭化した遺体に違いなかった。火は相当長い時間燃え続けたらしく、腐敗臭も無ければ、食い散らかされてもいない

 略奪、放火、そして殺戮。

 誰が見てもわかる。生存者は0だ。何一つ残ってやいない



「こりゃすげえな。帝国のお貴族様の脳みそはチーズで出来てるに違ぇねぇ。そう思うだろエージ?」

「ああ。兵站を切らしときながらここまで入念に焼くなんて、よっぽど頭のおかしい指揮官だったんだろうな。部下に同情するよ」



 戦線が膠着する長期戦では、内側まで侵攻した機動部隊が村落や施設の破壊を行う事がある。敵軍の兵站と国力を削るのが目的で、戦場では有名人の不倫話よりも珍しくもない光景だ。

 雪崩のように領土を侵す勝ち戦とは違い敵の支配領域のど真ん中。

 略奪・調達はある程度余裕があれば行われるし、強姦や殺戮は敵地でバカンスを取る勇気があれば行われる。

 

「職務熱心な事には敬意を表するが、きっと俺ならもう少し上手くやれる。油だってタダじゃねえし、後続部隊が来るって可能性もあった。徴発前に畑まで焼くなんざ実入りと労力が釣り合って無ぇ。奴らはそんなに暇だったのか?」

「ヴァイヲンが15機もあればロクでもない事を考えるアホはいる。軍事行動中における効率的な徴発より戦意高揚を狙ったのかもな。圧倒的な戦力差は人の獣性に火をつける。『蹂躙』ってやつだ」


 そこら中で泣き崩れる人々。

 彼らは敵が来る前に着の身着のまま逃げ出したため、この悲惨な場面を見ていない。

 ここまで町が破壊されているとは思ってもいなかっただろうし、残った人々が一人残らず殺されているなど夢にも思わなかっただろう。

 気が重くなる話ではあるがしかし、それだけの事でもある。いちいち気にしていたら戦争なんて出来やしない。

 

 チラリと横目で見た少女はうつむき加減で震えてる。

 エージはやっぱりこうなったかとばかりに頭を掻いた。



「ちょっと…… アンタら、こうなってるって知ってたの……?

「知ってはいない。だが予想はしていた」

 


 優しい価値観しか知らない少女を刺激しないよう、可能な限り平坦な口調を心がけてエージが言う。

 しかし、その気遣いが逆に彼女の心を逆撫でてしまったらしい。少女は真っ赤に腫らした目でエージを睨みつけて激昂した。 



「知ってたらなんで言わないのよッ! こんな残酷な事、よく出来るわねッ!! こんな酷い光景を何でみんなに見せる必要があるのッ!?」

「見せる必要は無い。だが連れてくる必要はあった」

「なんでよ!? 知ってたらみんなガヤって街に留まったかもしれないじゃないッ!」


 少女の言う通りだ。

 このえげつない世界の住民は、自身と厄災との距離が限りなく近い事を知っている。

 街が滅びたことを知れば、根性逞しい彼らは難民区域から目を見張る速さで姿を消していただろう。



「そうなったら困るから言わなかったんだ」

「…………え?」



 頭から蒸気すら噴いていた少女はエージのセリフに固まった。

 思いもよらない言葉に思考が追い付かないのだろう。

 まだ小学生のガキが他人の心の痛みを思いやれるだけ十分に聡い。だが大人の、しかも異世界の政治力学を理解しろというのが無理な話だ。

 だからエージは飾る事無くシンプルな言葉を選んだ。



「ガヤとしては難民を追い出す事が目的だったんだよ」

「そんなッ」



 帝国軍の侵攻に追われる形で逃げてきた彼らは皇国民だ。

 国家同士の軍事衝突で被害を被った以上、多少の配慮があって然るべきである。通常ならば、難民となった彼らを一時的に保護し、計画的に街に返すか、移住計画が提示される。

 いくら非情な世界といえどもそのくらいの優しさはある。もっとも倫理観というより治安維持が主な目的という点がシビアだとは思わないでもないが。

 難民たちに運が無かったとすれば……



「どうして追い出すのよッ!?」

「彼らがお隣のナントカ領の住民だからだ」



 この世界における地方領地はほぼ国家だ。絶大な裁量権を持つ領主は領地において王と何も変わらない。

 統治機構すら有する領主達は、同じ国家に属しているにも拘わらず、一たび争えば武力衝突すら起こりうる。


 そして領民はそんな領主の財産だ。従って形式的に見ればガヤは他領主の財産を懐に入れている状態である。しかも持ち主の許可無くだ。

 もちろん戦争という不可抗力要素があるので、一時的な保護ならば人道的行為として認容されるが、返せと言われたら返すしかない。

 国に訴えられれば当たり前のように負けるだろうし、最悪、紛争の名目にすらなる。

 眩暈がするほど人権を無視したロジックだが、そもそも人権なんてものが無いのだから仕方がない。

 ご近所さん同士うまくやっていればそんな事にならないのだろう。しかし……



「戦闘が終了してすぐナントカ領のナントカ領主様の使者が遺憾の意をお届けにガヤにいらっしゃった。ガヤのご領主様は戦場に作業用機体(サーベージュ)で先陣切るほど義に溢れたイノシシ娘であらせられるが、幸いにも直参達は聡明で忠義に厚かった。ご領主様のお耳に悲劇が届かないよう、内々に処理せよという事で俺たちに依頼が来たんだ」



 難民たちが自領を頼るでもなく他領であるガヤに逃げ出した事で、メンツを潰されたお隣さんが猿みたいに真っ赤になってるらしい。

 物流を押さえられたらどうにもならない都市自治領であるガヤとしては、他に取りうる方法は無いのだ。


 怒り狂った領主。廃墟となった街。悲嘆に暮れる人々。

 楽しい話になる要素なんて一つも無い。

 


「さて、帰るか」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! こんなところにみんな放置して……」

「俺達の任務は難民を護衛してここまで送り届ける。それだけだ」

「それだけって何よ! この人たちどうすんのよ!!」

「それを考えるのは俺たちの仕事じゃない」

「よ、よくも、そんな事を……ッ」



 完全に頭に血が上った少女が無謀にも掴みかかってくる。

 エージが軽く払うように少女を押すと、少女は足をもつれさせて尻餅をついた。

 少女が親の仇を見る様な目でエージを見上げ、エージは少女を冷たく見下ろした。

 ここ数日で近づいた距離が、一瞬で地平の彼方まで離れてしまったような気がする。いや、逆だろう。近づいてしまったものが離れただけだ。


 これでいいんだとエージは独り言ちる。少女は現実を知るべきだし、これは必要な儀式だ。

 心は……痛まない。そう思い込む。

 エージは言い知れぬ息苦しさを無視して、あえて冷たく吐き捨てる。



「お前は分を弁えろ。そもそもお前は俺たちに意見できるような立場にない。今この瞬間に売っ払ってもいいし、ここに置いていってもいい。自分の意思を尊重して欲しければそれに値する力をつけろ。それが出来なければお前は一生誰からも尊重されない。今目の前で泣いている彼らのように」


 少女が声を震わせる。



「彼らを泣かせたのは……アンタたちじゃない……ッ」

「ああそうだ。それが俺たちの仕事だ」

 


 情など持たないようにするのが互いのためだ。情が移れば目が曇る。直視できなくなる。

 無意識的に視界に入れるのを避けていたのは、丘の頂で呆然と膝を着く名も知らぬいやらしい体つきの女。

 公衆浴場で言葉を交わし、ほんの少し触れ合っただけでこんなにも痛みを感じてしまう。

 戦場でこんな事に罪悪感を感じていたら次の瞬間に蜂の巣だ。生きるためにはそんな要素など排除しなければならない。



「アンタを軽蔑するわ」



 傭兵は殺していくらの人殺し稼業。尊敬されるほうが想像つかない。軽蔑されてナンボだ。



「ありがとう。最高の誉め言葉だ」



 エージは少女に背を向けると、帰途のヴァイヲン搭乗を申し出るため、指揮官の下に向かった











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