14話
抜けるような青空だ。
夏と秋の間を目まぐるしく行き交う風が肌を炙っては冷やしていく。夢見る乙女の恋心よりも移ろいやすい天気も、ここ最近でようやく本命を射止めたらしい。
見上げる先から視線を落とすと、どこまでも続く青い空に対抗するように緑と黄色の海が広がり、その海のド真ん中を貫く茶色い街道の上を、人が列を成して歩いている。彼らは難民だ。
越境してきた帝国軍に追い立てられ、行き場を無くしてガヤに逃げ込み、危機は去ったとして今度は追い返される。
権力と暴力の狭間で翻弄される悲しい人々の姿は決して珍しいものではなかった。権利という名の夢物語は、この世界ではまだ語られてすらいない。
「ちょっとアンタ、何ボーっとしてるのよ」
突然割って入った少女の声に、エージはハッと我に返った。
今は任務中だ。たとえ気の乗らない仕事も金さえ積まれれば喜んでこなす。金払いの良いお客様たっての依頼となればなおの事である。
エージの所属する傭兵団 【黒の大剣】は今、ガヤ領主による難民の護送の依頼を受けて遠征中だった。
「ねえ、聞いてるの!?」
「あん? ああ、何でもない。何となく昔の事を考えてた」
「うわっ なんかスカしてる! キモいっ」
礼儀のなってないガキもまたこの世界ではありふれている。
無礼な言動にいちいち目くじらを立てるほど子供ではないが、黄色い通学帽を被ったガキに言われっぱなしも面白くない。なのでとりあえず軽く拳骨を落としておいた。
「痛ァっ! な、なにすんのよッ!」
「舐めた口きくガキに躾をしてやってんのさ」
「サイテーッ!」
イーッ! と精一杯の抗議をしてみても、少女がエージから離れようとはしない。自身の安全を誰が守ってくれているかを理解できる程度には大人だからだ。
虫みたいにせわしなく飛び跳ねる少女の頭をグリグリと捏ねつつ、豆粒くらいの大きさにしか見えない集団の先頭に目を向ける。
「しかし見事に予想通り何も起きねぇな。今日の俺は働き過ぎた。勤労の尊さを語りながら一杯引っかけたい」
「何一つ働いてないでしょ! ていうか何か危険な事でも起きると思ってたってワケ?」
「ンなはず無ぇだろ。あれを見ろよ」
エージが顎をしゃくると、少女は素直に従って視線を向けた。
そこにいるのは難民たちを先導する歩兵と、街道を挟むようにして歩くのはヴァイヲンだ。
今回の任務はたかだか1000人に満たない非武装勢力の護送に4機ものヴァイヲンを投入し万全を期す体制で進行している。
さらに街道を行く一団の先頭には歩兵10人と、その先には常に数人が先行し警戒に当たっており、最後尾にも10名ほどの武装兵が配置されている。エージたちは最後尾の武装兵たちとがのんびり歩いている状況だ。
そもそも1000人もの非戦闘員が呑気に外を歩くなんて、そこらに転がる野盗からすればお祭りである。
しかし、この物々しい戦力相手に何か仕掛けてくる野盗がいたとしたらご愁傷様としか言いようが無いし、野生動物なんかは相当イカれてない限り近づいてくることも無い。
そして魔獣が出るにしては魔素が薄すぎるとなれば、最初から何も起きようがないのだ。
「ねえ、前から思ってたけど、あのロボって何なの……?」
「ヴァイヲンだ」
「そんな事聞いてないわよ! あんなの地球でも見たこと無いわ! 蒸気機関があるか無いかわかんない世界なのにどうなってんのよ!」
エージは黙って肩をすくめた。
ここ最近、少女は平気な顔で元の世界の話を聞かせてくる。鼻息荒く故郷の事を語る時の彼女の顔は誇らし気で、帰りたいという想いがありありと伺えた。
水はタダでお菓子が腹いっぱい食べれた。
鋼鉄の車が道路を行き交い、何十階建てものビルが数限りなく存在した。
王様はいない代わりにソーリダイジンが存在し、国民の清き1票でソーリを選んでいた。
曰く、治安はすこぶる良いため女が一人で出歩いても危険は無いし、女の子の前でエッチな事を言うとセクハラなの。アンタは特にセクハラに注意して。
少女は最終的にこう締めくくった。
―――それが『地球』よ!
それどこの地球? というツッコミはあえてしなかった。
総理大臣は国民が選ぶわけじゃないと諭したりもしない。
「『ミンシュシュギ』って言うの。学校で習ったわ!」と、嬉しそうに語る少女に、大人げない事を言って何になるというのか。
エージが日本で暮らしていた頃でも、日本を一歩出ると、この世界と大して変わらない超ハードモードの地域など腐るほどあった。日本ですら危険な場所はあったし、貧困や犯罪もあった。
それらに目を瞑り、少女の話を鵜呑みにするならば、なるほどそこは楽園だろう。夢のような話だ。
しかしそんな話は、日本という国が本当に存在する事を知っている俺ですら眉を顰めるのに、知らない人からすれば頭のおかしい人の妄言だと半笑いを返されて終わりだ。
それで済めばいいが、もし下手な宗教と勘違いされたら、3度のメシより神が好きな変態共に縛り首にされるのがオチだし、一番最悪なのは中途半端な馬鹿が話を信じてしまう事である。
面倒ごとに巻き込まれるのはごめんだ。
「その話はやめろと言っただろ」
「なんでよ! 本当の話なんだからッ!」
大きな声を出した少女に対し、周囲にいた団員たちが何事かと目を向ける。
すると、むさくるしい大男どもの視線に怯えた少女は、小さく悲鳴を上げて声を落とした。
「絶対おかしい。技術レベルが無茶苦茶なのよ……」
エージは口を開きかけて、喉元までせり上がって来た同意の言葉を飲み下した。
やはり少女は同郷の者なのだと強く認識すると同時に、小学生のくせにそこに気付くのかと少しだけ感心する。頭の悪いガキだと思っていたが、比較的頭が悪いだけのガキらしかった。
転生して21年。今でも拭えない違和感の一つも、この世界では当たり前過ぎて「お前は何を言ってるんだ?」と返されて終わりだ。
今ここで少女に同意してどうするのか。少女から共感や信頼を得たところで何もならないし、理解者だと思われてこれ以上距離を詰められたくない。
「さあな、俺たちには当たり前のことだからわかんねえよ。別におかしい話でもないだろう?」
「…………」
返答が無いので少女に顔を向けると、少女は何とも言えない表情でエージを見上げていた。その瞳には理知的な光が浮かんでいる。相手が何を言っているのか理解しようとしている顔だ。
すっとぼけた表情を崩さないエージに対し自己完結したのだろうか、少女は諦めたようにため息をついて肩を落とした。
「何か言いたそうな顔だな」
「別に…… 何でもないわよ。それよりアンタ、こんなとこにいていいの? あのロボのパイロットなんでしょ?」
「俺は交代要員だからそのうち乗るさ。兵器の運用ってのはそういうもんだ」
遠征で4機ものヴァイヲンを運用するならば、最低でも1.5倍の操縦士を帯同させるのが普通だ。移動だけではなく歩哨、警戒、そして戦闘、さらには休息まで考えた時、交代要員がいなければ作戦などものの2日で崩壊する。
今回は4機に対して操縦士は6名。ギリギリの人数だが、危険度の低さを考えるとまあ妥当だろう。
アニメや漫画だと専用機が持て囃されがちだが、現実的有用性を突き詰めると汎用性が何より重要で、 ヒトも兵器も摩耗するものという前提に立った時、専属が死んだら動けないヴァイヲンなどただの鉄屑である。
もちろん得手不得手はあるだろうが兵器を選ぶ操縦士は2流だし、大抵の場合、操縦士を選ぶ兵器は2級品だと言えるだろう。
「え、アンタ補欠なの?」
「似たようなものだがその表現は受け入れられない。訂正しろクソガキ」
「だってそうじゃない」
「無知なクソガキのために操縦士の予備が居なかった時の話をしよう。そうだな、ドンパチおっ始まりそうなのに膀胱が破裂しそうになった淑女の話さ。彼女はゆっくりお花摘みにも行けず、そこらのごろつき共と一緒に立ちションをした後、そいつらと一緒に空を仰ぎながらケツを痙攣させることになる。水気を切るのは大切な事だし、もし大きい方にもなればきっと嫌な上司のマグカップが大活躍する事になるだろう」
「セクハラよ!」