13話
「つまるところ政治ですよミス・エルヴンスカイ」
その優男は、まるで悲劇的物語に共感する文学青年のような表情でゆっくりと首を振る。
さも申し訳ないといった言動にちっとも誠意を感じないのは、きっとこれっぽっちも罪悪感が無いからだろう。
場所は都市外縁部に設営された宿営地。来客を想定してちょっとした椅子と机があるだけの物寂しい簡易天幕の中だ。当初予定していた会合場所から急遽変更になった割にはまとな部類だろう。地べたに座る事にならなかっただけマシというところか。
中央に置かれた円卓に向かい合うのは、オルガと優男。そしてオルガの後方少し離れた場所に立つ3人の男女は彼女の護衛。エージはその護衛の一人だ。
この場にいる5人のうち、実に4人が【黒の大剣】のメンバーだというのに、優男が怯む様子は無かった。さすがは丸腰で敵陣に飛び込む事もある諜報部隊の武官なだけはある。
「あなた方の戦績は本職の部隊以上に輝かしいものだ。これを頼もしく思う者以上に疎ましく思う者もいるという事です。勘違いなさらないでいただきたい。もちろん私は前者ですとも」
そう言ってわざとらしく溜息すらついて見せる優男は笑みすら浮かべ、面白くなさそうに顔を顰めた護衛達を冷徹に観察していた。
隙だらけのように見えて時折見せる鋭い眼光には一分の隙も無い。薄く開かれた瞳は冷血動物のソレを思い起こさせる。こういうタイプは敵に回さない方がいい。エージは直感的にそう思った。
「ザイン・マークガイ准将」
「ザインとお呼びくださいミス・エルヴンスカイ。私も親しみを込めてオーリャとお呼びしても?」
「評価頂き光栄だ。私は敬意を込めて尊称でお呼びするよマークガイ准将殿」
慇懃な態度で言い放ったオルガを咎める様子も無く、ザインはただ肩をすくめるだけ。
オルガは不敵な笑みを浮かべたまま続けた。
「稼ぎ時に指を咥えているしかない我々には、相応の報酬を要求する権利がある」
「前回提示した額では不服ですか?」
「金で忠誠心は買えないが、職業的道義心を煽ることは出来る。鉄の鎖より金の鎖の方がより我々の行動を効率的に縛るだろうな」
平たく言うと報酬上乗せの要求である。
煮詰まりかけたスープに隠し味を投入するかのようなタイミングだ。
話はほとんど決まっている所に、更に吹っ掛けているのだから皇国側としてはたまらないだろう。
しかし、それでも条件を飲まざるを得ない状況なのはわかりきっていた。それほど深刻な戦力不足なのだ。
弱みに付け込むようで心苦しくとも、ここは足元見る場面である。稼げる時に稼がないと傭兵稼業なんてあっという間に廃業なのだから。
「はあ…… 吹っ掛けられるとは思っていましたが、まあ仕方がないでしょう。報酬3割上乗せ、皇都での滞在費はこちらで持ちましょう」
「5割だ」
オルガが冷徹に言い放つと、ザインの頬が引き攣った。
「勘弁していただけませんかオーリャ。そんな契約持ち帰ったら私のボーナスがカットされてしまいます」
「そういえば北の海ではエビが大漁だと言っていたな。捕れたばかりのエビの身にむしゃぶりついてミソを啜ると震えるくらい美味いという話だが……ああ、ちくしょうめ。なんとしても食いたくなってきた。そのためには国境を越えなければいけないが些細なことだ。そう思うだろうマークガイ准将殿? 国が残っているといいな」
そこまで言われて優男は観念したようだった。
ヴァイヲン15機を運用する武装勢力に、条件を呑まなければ北の戦線を超え帝国に入ると暗に脅されれば誰だってそうなる。たとえそれがブラフであったとしてもだ。
傭兵業ほど相場の変動が激しい職種も珍しい。青天井の報酬とドン底で泣きを見るリスクは表裏一体だ。だからこそ今でなければ鼻で笑われるような条件を吹っ掛けるし、それが許される。
「わかりました…… 5割上乗せを呑みましょう。耄碌した老害共が何て言うか…… 全く災難ですよ」
「本当に災難だったな。同情するよ閣下」
「あなたのせいですけどね」
そう言ってザインは疲れたようにため息を落とす。が、相当無茶な条件を突き付けられた割には憤っている様子も無く、飄々とした雰囲気が崩れることは無いし、薄笑いの奥で相変わらず感情の籠らない目がエージたちを値踏みしている。
いけすかねえ野郎だ。隣に立つスヴェンが小声でそうつぶやいた。
「ところで、出立までの2週間はどうされるので?」
魔導士移送任務は、お互いの準備の関係で2週間後に出立という事になっている。中途半端な期間だ。
本格的な遠征には足りず、日頃の献身を労う為に休日を与えても、派手に有り金を散在した馬鹿共が「早く仕事を」とせっつき始める程度には長い。
「ガヤから避難民の護送の依頼が来ている。金払い良い領主様に敬意を表して『格安』で引き受ける事にしたよ。なに、小銭稼ぎさ。貧乏暇なしとはよく言ったものだ」
「ははは。『有事にしては格安』の間違いでは?」
「解釈の余地は否定しない。それはお客様がお決めになる事だ」
「口出しはしませんよ。とにかくこの時期に避難民を傭兵団に移送させるという事はまあ…… そういう・ ・ ・ ・事なんでしょう?」
「ああ、そういう事だ」
「なんというか…… ご苦労様です」
ザインは全て理解したといった風に頷いた。後味のよろしくない仕事になることを見抜いたのだろう。
皇都のエリートは政治に感けて地方の力学には疎いと言われているが、ザインは例外に当たるらしい。流石は諜報稼業の幹部なだけはある。
「領軍があるのに割高な傭兵団にお使いを依頼する…… ガヤ領主はああ見えてなかなかやり手ですな」
「さあな。畏れ多くもヴァイヲン相手に作業用機体で突撃あそばされた猪娘ガッパー様だ。お利口な狸が裏に控えてんだろうさ。ともかく商談は終わりだ。お開きにしよう。諜報武官様も暇ではないんだろう?」
「おっしゃる通りです。ところで私は美しいあなたと個人的な友好を深めたかったのですが…… どうです、この後食事でも?」
「あいにく今からウチの狼どもに餌やりをしなければならないんだ。腹を空かせた狼にタマを食い千切られてもいいなら存分に相手をしてやるぜ色男さん」
それは恐ろしい、と言っておきながら怖がる素振りも無く優男ザインは肩をすくめる。
薄い笑みを浮かべ、さも面白そうに細められた目はその実、全く笑っていなかった。オルガの無礼な物言いに腹を立てているわけでもなく、ただ冷徹で無機質な瞳がオルガやその護衛達の挙動を機械的に観察している。
「ははは、振られてしまったようで…… 残念です」
そう言うとザインは優雅に席を立ち、余裕たっぷりにオルガとその護衛たちに会釈をした。
嫌な予感。
一瞬、エージの胸に渦巻く漠然とした感覚を表現するならば、まさしくその一言に尽きるだろう。
戦場でこういう目をした奴と鉢合った場合、エージは特に気を付けるようにしていた。ちっとも残念そうに見えない相手に余裕をかましてロクな目にあったことが無いし、そういう奴はたいてい隠し玉を持っている。
まさか強硬手段に出るような真似をするはずが無いが、国とは巨大な暴力そのものだ。万が一と言えどもリスクに鈍感でいられるほど傭兵稼業は甘くない。
すると、ザインは天幕から出る寸前、何かを思い出したようにゆっくりと振り返った。
「そうそう、一つ聞き忘れていたことがありました。実は人を探しておりまして……」
胡散臭いツラだ。一体何を企んでやがる。エージはそう小さく毒づいてザインを油断無く見据えると、小さな舌打ちが聞こえる。チラリとそちらに目を向けると巨漢の髭ダルマ、スヴェンも細めた目をギラつかせていた。
ゆっくりと足を組み替えたオルガが余裕たっぷりの笑みで先を促すと……
「ここ、ガヤに来る前の北東の戦線での事なのですが……」
ザインが笑う。
それは薄い笑みだった。捕食寸前の爬虫類を思い起こさせる、のっぺりとした笑みだった。
二股の舌先が零れるのではと錯覚するほど、グニャリと口角が上がる。
ザインは訝し気に眉を顰めたオルガから視線を外し、そしてなぜかエージの目を覗き込むように見据えたまま、オルガに向かって言い放った。
「見慣れない恰好の異邦人を目撃したり、しませんでしたか?」