1話 プロローグ
躯 躯 躯
小高い丘に挟まれた窪地は、見渡す限り死体の海だ。
転がる腕、潰れた頭部。欠損なんて生易しい状態ではない。流れ出した体液と脳漿で出来た水たまりは猛烈な異臭を放ち、パチパチと脂の弾ける音が鼓膜にへばりつく。
そこかしこで焼けた肉の煙が狼煙のように立ち上り、それを目当てにすでに集まり始めた鳥やら蟲やら魔獣が互いのナワバリを主張して睨み合っていた。
地獄と現世の境界線は酷く曖昧だ。
熱釜も針山も業火も毒蛇も全て人が為し得る厄災で、実際に為し得たからこそ今この惨状が広がっている。夢か現実か、そのどちらであるかを答えられる者などいない。
「まあ、見慣れたモンだけどな……」
そう吐き捨ててエージは、ずんぐりとした緑色の作業用機体を駆る。
赤茶けた肉の海を見まわすと、エージ達と同じように静まり返った戦場を行きかうグループがちらほら見えた。
戦場での取り分は早い者勝ちだ。そしてあまり欲張らない事が長生きするためのコツでもある。
視覚デバイスを通じて目に入ってくるのは夥しい数の死体と、その絨毯の中にポツポツと転がっている金属製の物体。
戦闘用機体、魔導アーマーだ。
すると、黄土色をベースにカラーリングされた作業用機体が、つまんでいた死体を放り投げてエージの横に並ぶ。
「なんか言ったかエージ?」
「何でもねえよ。それより仕事だ。俺は魔導アーマーのリアクター。お前は仏さんの装備品。一つでも金目のものを持って帰らないと団長にどやされる。ただでさえパトロンが見事にくたばったおかげで報酬無しなんだ」
「パトロン? ああ、ええと…… あれだ、カルヴィ…………」
「カルヴィックス伯」
「そう! それだエージ! カルヴィ…………なんとかって鼻が曲がるくらい息の臭いデブだ。今度会ったらクソを食ってるのか聞いてみようと思ってたんだが、くたばったんだな。残念だよ。クソッカス伯のために祈ろう」
「一文字も合ってねえよ。ともかく、無報酬のおかげで砂時計みたいなけしからん体つきの娼婦のケツだけを拝んで安酒を煽るしかない。とても残念だ」
「エージ、残念な出来事があったからこそ高い酒を飲むべきだ。真面目に仕事してりゃきっと良い事があるし、そのための投資だって必要だ。俺たちの献身を神様だってきっとご覧になってる」
歩くたびに、ひざ関節部の衝撃吸収部材が軋み、むき出しのアクチュエーターが痙攣するように震える。そろそろ本格的な修理をしなければならない事は明白で、その出費を考えてエージはため息をついた。
「人殺してナンボの傭兵に神もクソも無ぇだろうよ」
「何て事を言うんだ、教養を疑うぞエージ。神は全てご覧になっているし、俺たちの過ちを赦し給う。誰でも知ってる大切な事だ」
「まあ言いたいことはわかる。神の怒りよりは団長の癇癪の方がよっぽど恐ろしい」
「そうじゃない。そうじゃないんだエージ。本当は誰にも言うつもりは無かったんだが、お前のために告白するよ。実はな……」
さっさと目的のブツを回収したかったエージだが、やけに真剣な口調で話しだす仲間―――ベルトランを尊重して足を止める。
作業用アーマー越しで互いの顔は見えず、外部音声に頼ったやりとりだけでも相手の表情を想像する事は出来る。
おそらくは神妙な面持ちであろうベルトランにエージは向き合った。
「実は一昨日がそうだった。とっ捕まえた敵の少年兵を林に連れ込んで色々ブチ込んだ時の話だ。不幸な誤解があった。ソイツは誘うように俺を見ていたし、俺は乗り気じゃなかったがソイツが望んでいると思っていた。夢中で腰を振りたくって我に返った時、ソイツは目とケツを真っ赤に腫らして、親の仇のように俺を睨んでいた。俺は残念な結果に同情を示したが、ソイツは絶対に許さないと言った。だがそんな俺達の前に神は現れ、優しく微笑んでこう言った。『あなたを赦しましょう』ってな。俺は涙を流して讃美歌を歌ったよ。全ては神の思し召しだったんだ」
「ああ知ってるさ。お前が毛も生えそろわないオスガキが大好きな最低の変態だってことも知ってるし、クスリをキメまくった挙句、枯れ木に讃美歌を聞かせてキスした事も知ってる。もちろん、そのガキが一生クソに困る体になるまで無茶したこともだ」
話は終わりだとエージは踵を返す。なかなか最悪な話だと思うが胸倉掴んで正すような事でもない。そこらじゅうに転がる死体と同じようにありふれた出来事の一つでしかなかった。
まだ話は終わってないと引き止めるロクでもない相棒を無視して再度前進を開始した。
死体を避けて歩くにも限度がある。高さ3.5mの鉄の巨人が歩くだけで、人体などいとも簡単に壊れてしまう。
鋼鉄の足を伝って肉を踏みつぶす感触が伝わり、魚のすり身とさして違いの無い肉団子が、装甲にべちゃりと張り付いては剥がれていく。
最初は心が痛み、悪夢にうなされ罪悪感に苦しんだ行為も、今では機体の汚れの方がよっぽど気になる。死体は物だと割り切れるようになるまでさして時間はかからなかった。
「神は全てをご覧になっている、ね……」
「なんだってエージ?」
「何でもねえよ」
完全に活動を停止した敵勢力の魔導アーマーを見下ろし、次は自分の番かもなと独りごちる。
そのヴァイヲンのコクピットハッチは冗談みたいにひしゃげていて、隙間から操縦席で圧死するパイロットが見える。少年と青年の狭間を彷徨う年頃の青二才に見覚えがあった。
以前、別の戦場で味方として一緒に戦った覚えがある。名前は知らないが傭兵には珍しく先輩を立てる事を知っている出来たガキだった。
戦場で死神は人数分だけ存在する。死神の鎌を避けるのに必要なのは技術ではなく運だ。そしてこのガキはその運が無かった。それだけの事。
感傷に囚われるのは一瞬だけ。
エージは力任せにハッチをこじ開け、名も知らぬ少年を引きずり出して脇に放る。
出力重視の作業用機体のアームを突っ込み、力任せに内部パーテーションを引きちぎる。配線がブチブチと音を立て、弾けたケーブルから飛び出すオイルがやけに生々しい。
何度か他人の作業を眺めたことがあるが、死体の腹から内臓を引きずり出しているようで良い気分はしなかった。やってる事は大差ない。そして普段は自分もやっている事なので物申せる立場ではない。
殆ど手探りの荒っぽい作業に見えても勘所は押さえている。フルーツと一緒だ。食べれない外皮を強引に剥がしつつ、内皮を優しく丁寧に剥いていく。
そうして作業を進めて数分。無数のケーブルと隔壁に包まれるようにしてソレはあった。
ちょうど人の頭くらいの大きさの球体。配線やら何やらが垂れ下がり本当に生首のようにも見える。
魔導反応炉だ。
装甲もデバイスも魔導回路も復元できるが、リアクターだけは魔導国しか作る事が出来ないため回収は必須だ。何より金になる。
いくら立派な装甲があろうとも、リアクターが無ければ|魔導アーマーなどただの飾り、逆に言えばリアクターさえあればどうにでもなるのだ。
他のハイエナグループと軋轢を生まないギリギリのラインを模索しつつ回収したリアクターは4個。大漁と言って良いが、死体の数を考えると多いか少ないかは微妙なところだ。
気付くと既に日は傾き始め、血のように真っ赤な夕焼けが、血で染まる大地をより朱く染め上げる。夥しい数の躯と眩い夕日とのコントラストが、視覚デバイス越しの網膜に焼き付いた。
胸のあたりからこみ上げる何かを飲み下して、エージはポツリと呟く。
「戦争、いつまで続くんだろうな……」
「らしくねえなエージ。感傷か? 戦争のおかげで少年を抱けるし酒も飲める。俺たちは傭兵だぞ?」
「少年の話は聞きたくないが、そうだな。概ねお前の言う通りだよベルトラン」
ここが戦場だ。そしてここがエージの生きる世界だ。
尊厳などカケラもない惨劇の場、ふと見上げた朱く燃える丘は、酷く美しく荘厳ですらある。
尊い名を呼べば天使が降臨してもおかしくないほど賛美と怨念が渦巻く歪な丘で――――
―――《彼女》を見つけたのは偶然だった。
特に理由は無い。拠点に戻る前に取りこぼしは無いかと目を向けた先に、突如少女は現れた。
エージの瞳が限界まで見開かれる。心臓を握り潰されるような圧迫感に襲われる。
掠れた声が喉奥から洩れた。
「マジ、かよ……」
「おいどうしたエージ、何かあったのか――― なんだあのガキは。さっきまであんなところに誰もいなかったぞ」
ここは出来立てホヤホヤの戦場跡地だ。
よほど頭がおかしくない限り、近隣集落の食い詰め者だって戦場漁りがいる間は息を潜めて外に出てこない。ましてや戦場に足を運ぶなんてあり得なかった。見つかったらとっ捕まって売り飛ばされるのが目に見えているからだ。
だから普通に考えたらこんな場所に子供が一人で現れるなんてあり得ない。なのに少女は隠れる事も無く、ポカンと口を開き、突っ立っている。
「冗談だろ、なんでこんなところに……ッ」
「おいエージ、あのガキを知ってるのか!? まさか敵魔導士か!?」
夕焼けの丘で呆然と立ちすくむ少女の姿がデバイスに映る。
年の頃は11、2歳だろうか。夕日に照らされ朱く輝いている髪はおそらく黒。
漆黒の大きな瞳には隠しようも無い困惑と恐怖が滲み、引き攣った桜色の唇が小刻みに震えている。
驚くほど整った顔立ちを、今にも泣きだしそうなほど歪ませ、忙しなくあたりの様子を伺っていた。
「違う…… 敵、じゃない……」
それだけならば不運にも戦場に近隣の女の子が迷い込んだの一言で説明できた。その子の将来を考えれば同情はするし、無事に帰れることを祈ってもいい。
しかし、そうではなかった。エージが絶句する理由は他にあったのだ。
「なんだあの奇抜な恰好は…… もしかして魔導国の……ッ」
「違う、違うんだ…… あれは、あのガキは……」
酷い眩暈がする。うまく呼吸が出来ているだろうか。指先が痺れて動かなかった。
懐かしさを越えて、もはや戸惑いすら覚える黄色の通学帽。
精一杯の背伸びを感じるローファー。
膝上まで切り詰めたチェックのスカート。
紺のブラウスの左胸に誇らしげに下げられた名札。
そのどれもが、この異世界に存在するはずも無いものばかり。
そして極めつけは――――
「水色の……ランドセル……」
それは運命だった。
社会、文明、文化、価値観、倫理、生態。
何もかもが違う広すぎるこの異世界で
この日、この瞬間、エージは出会う
「あのガキは…… 日本の、小学生だ……」
朱一色で染められた大地に独り、やけに長く伸びた自身の影に怯えるように
その肩ひもをギュッと握りしめた少女が、ただただ茫然と立ちすくんでいた。
書き溜め中をフライング