SS:眠れない夜 ー朱音ー
……プロポーズ、しちゃった。
夜、朱音は布団を強く握りしめた。そのまま布団を持ち上げて顔を隠すと、逆に足が出る。それが冷たくて身体を丸めると、落ち着かなくて手足がもぞもぞ動く。
朱音は布団の中で何度も姿勢を変えて、やがて勢い良く身体を起こした。
「…………どうしよう」
あの時は勢いに任せて口が動いてくれたけれど、時間が経って熱が冷めた今、激しい後悔に襲われている。
「何であんなこと言っちゃったんだろ……」
あの言葉に嘘は無い。
あの女と龍誠が話しているのを見て、龍誠が手の届かない所に行ってしまうような気がした。それが嫌で、堪らなくなって、気が付いたらあんな話になっていた。
龍誠と一緒に遊べるのは嬉しい。だけど今度の約束は遊ぶ約束じゃなくて、結婚を前提にデートしてくれというもので……そう思うと、途端に顔が熱くなる。
「頷いてくれたってことは、その気があるってことなのかな?」
そしたらどうしよう。そのまま結婚しちゃうのかな。結婚ってなんだろ、どういうことなんだろ。というか、そもそも次の、で、デートで、失敗とかしたらどうしよう。つうかデートって何すればいいんだ? 服とか場所とか、話とか……いつも通りでいいのかな? でもそれじゃデートとは違うっていうか、なんかもっとイメージ的には特別な――
「……」
朱音はキュっと唇を結んで、スマホを手に取った。そのままポチポチ操作して、いつも使っているアプリを起動する。それから、この時間も起きていて、かつ恋愛経験が豊富そうな知り合いに向けて短いメッセージを送った。
相談がある。
その僅か五秒後。
着信、あり。
「……こわ」
自分から連絡しておいて、あまりの反応の早さに恐怖する朱音。
軽く息を吐いて、頬を叩く。それから電話に出た。
「……もしもし?」
「姉さんこんばんは! 相談って何すか?」
「うん、大したことじゃないんだけど……今って平気か?」
「全然平気っすよ。ネジ眺めてただけなんで」
ほんとにネジ好きだな。
心の中で呟いて、どういう質問をしようか考える。
出来れば遠回しに聞きたい。
でもちゃんと伝わらなきゃ意味ないし、どうせ隠してもバレる。
それならいっそストレートに聞いてしまおう。
「あのさ、デートって何すればいいの?」
「え、え、え?」
「……だから、デートって何すればいいの?」
「ちょ、待ってください。もうちょい詳しく教えてください」
「なんつうか……プロポーズ、しちゃった」
「……」
電話の向こうで絶句しているのが分かる。
「で、今度の土曜にデートすることになった」
「……マジっすか?」
「マジ」
「……マジなんすか?」
「マジ」
「マァジっすか!? マジなんすか!?」
声でかい。
朱音は少し音量を下げて、もう一度。
「マジ」
「いいいぃぃぃぃぃぃやっほぉぉぉぉおおおおおおぅ! 流石姉さんっす! ぱねぇ! マジぱねぇ!」
スマホから鳴り響く大音量。
朱音はビクリと身を引いて、電話を切った。
直後、着信。
「ちょ何で切るんすか」
「声でかい。壁薄いから、隣のヤツに聞こえる」
「隣って松木と竹下じゃないっすか。むしろ聞かせてやりましょうよ! この華麗なる勝利宣言を!」
「やだ。恥ずかしいじゃん」
「これからもっと恥ずかしいことする人が何言ってんすか!」
「そんな、恥ずかしいこととか、しないし」
朱音は限界まで音量を下げて、会話を続ける。
「それで、何すればいいのかとか、分かるか?」
「そっすねぇ……手っ取り早く既成事実を作っちゃうのがいいんじゃないすか?」
「既成事実?」
「はい!」
朱音は目を閉じて自分の記憶に語りかける。
「それって、その……手を繋ぐとか?」
「……はい?」
「だってほら、恋人って、なんか、みんな手を繋いでるだろ?」
電話の向こうで、朱音の相談相手である茶髪のしーちゃんは絶句した。
これギャグ?
それともマジ?
姉さんピュアだけど、流石にここまでピュアってことは……いやでも姉さん小学校もまともに行ってなかったらしいし、ガチで天然モノって可能性も……。
「そこに気が付くとは……流石姉さんです」
果たして彼女は可能性に賭けた。
「ですが、姉さんは世のカップル達がどうして手を繋ぐか知っていますか?」
「知らない」
「それはですね、実は……子供を作ってるんすよ」
「こ、子供!?」
思わず大きな声を出した後、朱音はハッとして口を手で塞ぐ。
「……それ、マジなのか?」
その言葉を聞いて、しーちゃんの目は煌めいた。
「はい、マジです」
「……そう、なんだ」
衝撃の事実(嘘)に困惑する朱音。
一方で無垢な大人に嘘を吹き込んでいる汚い大人は、悪い笑顔で話を続ける。
「姉さん。これから言うことをよ〜く聞いてください」
「……分かった」
それから日が昇るまでの間、二人は話し続けた。
龍誠は、誰かに好かれた経験が殆ど無い。
もちろん誰かに恋をしたことも無い。
それは彼に好意を寄せる三人も同じで、誰にとっても初めての経験だ。
朱音は自分の感情に任せて行動した。
結衣は理詰めで考えて、想定外の出来事に悶えた。
檀は悩み、不安と恐怖から感情を押し殺してしまっている。
どうするのが正解かなんて、きっと神様にだって分からない。だから誰もが不安を抱え、ひとつひとつの出来事に一喜一憂する。とにかく手探りで、真っ暗な世界で綱渡りでもしているかのように。
どこかに答えが書いてあったらどれだけ気持ちが楽になるだろう。
どこかで練習出来たら、どれだけ不安を自信で塗り替えられるだろう。
もちろん答えなど存在しなくて、練習も出来ない。
だってこれは、世界でたったひとつの、人生で一度きりの、初恋なのだから。






