最後の謎 なぜ幸せな結末が望めないのか
空を飛び漆黒の暗雲を突き抜けたその先で、竜は大空を覆って浮遊していた。波打つ胴体は両腕を広げた程の大きさで、その長さは何里あるのか計り切れない。赤い目が俺を射抜くように見つめ、開いた大きな口には涎の糸が引いていた。
竜の体には時折電流が迸っていて、溢れんばかりの魔力を感じる。恐らくは、望めばどんな願いでも叶えられるような力を持っているんだろう。
「人の身で我が元に来るのはお前が初めてだ、浦島太郎」
空を震わす声で、竜は人語を操った。
「そいつは光栄だ」と称賛を受け止めるが、俺にこいつとの会話を楽しむ気はない。さっさと本題を切り出す。
「竜宮城の出発前夜という丁度の頃合いに、乙姫に悪夢を見させたんだ。お前は俺たちの行動をずっと観察していたんだろう。
だったら、俺がここに何をしに来たのかも分かるよな」
「ああ、分かるとも。人の身で我を滅ぼそうと望むとは、お主も酔狂な奴よな」
「酔狂なのはお前だろう。あんな大掛かりなことをわざわざ仕組んで人を蹴落とそうとするなんて何を考えているんだ」
「ふはははは! 我の凝った筋書きに感心してくれたか?」
「何を笑ってやがる。逆だ逆。悪趣味で気味が悪すぎて、身震いがするわ」
それにこいつが笑う度に、空気が轟々と振動して気持ち悪いんだ。こいつと話すのは、精神的にも肉体的にも不快でたまらない。
「はははは! そいつは嬉しいな。お主らが一番嫌がるように、できる限りの趣向を凝らしたつもりだったからな。満足の行く反応だぞ、浦島太郎よ」
「褒められても嬉しくねーよ!」と思わず突っ込んでしまう。このクソ竜、話せば話すほど腹立たしいぞ。わざとおちょくってるのか、性悪野郎め!
「一体何のためにこんなことをしやがる! お前の狙いは何だ!」
「狙い? 狙いなど明白であろう。さっきから我は満喫しているぞ」
「はあ!? さっきから笑ってるだけじゃねーか。とぼけやがって!」
「この『笑い』自体が目的なのだよ。分からんかね?
お主ら人間はあらゆる生物の中でも、一つ一つの出来事に最も過敏に表情豊かに反応する愉快な者達だ。それを手を変え品を変え弄び、その一喜一憂を鑑賞して楽しんでいるわけだよ」
「楽しんでいるだけ……だと……」
「ああ、そうだ。中でも己の栄華を確信した者が全てを奪われ打ちひしがれる姿は、実に味わいが深い! お主もそうなるはずだったのだが、よもや我が想像を飛び越えてここまで来るとは思わなかったぞ! いやぁ、長生きもしてみるものだな」
「この野郎……っ!」
「さっきからお主は怒っているばかりだが、思ったより狭量な男なのだなぁ。むしろお主ら玩具は殊勝に喜ぶべきではないかね?」
「俺たちが喜ぶべきとはどういうことだよ?」
「玩具にとって気にかけてもらえて、楽しんでもらえるのは最高の悦びであろう? お主はもっと歓喜に打ち震えても良いのだぞ」
竜は無茶苦茶な持論を展開して、再び轟々と笑い出した。
――もう、我慢ならない。
嫌悪感を抑え込んで、何とかこいつの意図を訊き出したが、訊けば訊くほど、大上段からの愉悦論を展開してくれるじゃねーか! 勿論のこと聴く価値は皆無だ!
こんな奴に嘲笑われていると知っただけでも、飯が不味くなるというものだ。
こいつはぶっ倒さないと気が済まない。これ以上新しい浦島太郎も乙姫も生み出さないためにも。そして俺の寝覚めを良くするためにも。
俺は両腕を広げて、力を集中させる。右腕には全てを貫き通す電流を、左腕には全てを押し潰す水流を。『八百万乃御力』を集中させ、腕に渦の層を巻き立たせていく。
「ほう、話は終わりか。直接話すのは滅多にない機会でな。もっとお主と語らいたいのだが、随分とご立腹のようだな」
「ああ、その通りだ。俺はお前を打ち倒したくて仕方がない!
だから、一瞬で決着させてやる!!」
浦島の成せる最終奥義。奥義とは即ち技能を組み合わせて繰り出される絶技。その中でも秘奥義と位置づけられるこの技こそ、本来の浦島がその全生涯を通じて体得した自然の摂理にして真理。天候と海流を知り尽くした者にのみ繰り出せる怒涛。
それぞれの螺旋を形成した両腕を重ね、その秘奥義を詠唱する。
この世界に降り立った時には理解できなかった言語。だが必死で生き延びて、俺には本来の浦島の全てが理解できている。だから、今ならば繰り出せる――!
「いくぞ、秘奥義『鸞翔鳳集雷轟海嘯』!!!」
両腕から解き放たれた奔流は互いの勢いを増幅させながら、竜の顔目掛けて迫っていく。『天空乃諒解者』と『深海乃制覇者』を極めた者のみが閃く融合奥義。千鶴とも合一した今の俺にとって、これが最大火力のはずだ。
激しい雷光と飛沫の音を伴い、たちまちに竜に直撃。両腕を構え引き続き奔流を推進させるよう力を送り続ける。この一撃なら貫通して突き抜けるはず。
だが実に硬い。流石は竜か。この流れに耐えるか。一向に身じろがない。困るよな。これって秘奥義なんだ。最強技だぞ。そいつに耐えれるなんて、そんなことあると、ちょっと参るんだが。
「――効かぬよ! 破っ!!」
竜は一喝し、爪を繰り出し、流れを両断。俺の技は方向性が乱れ、力が霧散する。散り散りの雷光が水飛沫に反射し、煌々と輝く。竜の鋭く赤い双眸を照らし出す。そして、その口元は愉悦に歪み笑っていた。
「我とて天雷を司り、大海を支配する者。どちらの技も無効だ。
ははは! 皮肉なものだな! お主の極めてきた技能は、どちらも幸運なことに我の最も得意な属性でしかない! これほど、これほど滑稽なことがあろうか!!
絶対に倒す! そう意気込んでおったのに、どうじゃ! お主の絶望! 最高に気持ちがいいぞ! ふははははは!!」
「くぅ――っ!」
歯ぎしりをして、悔しさを噛み締める。まだだ。他の技なら通じるかもしれない。浦島の『能力値』を思い出せ。まだ使える何かが――。
「さあ、こちらからも反撃だ。我を楽しませてくれよ、お返しにこいつらだ!」
竜は余裕綽々《よゆうしゃくしゃく》で指を鳴らす。すると雷鳴が巻き起こる。本能的に身を捩り回避。するとそこを天雷が通り抜ける。やり過ごしたと安堵すれば、何やら水の音。眼下には黒雲より放たれる水流。再び紙一重で翼はためかせ躱す。
こっちは生身の人間だ。あんな自然の驚異が直撃したら一瞬で終わりだ。浦島が十八番の回復特技で『再生の霧』を纏わせているものの、一撃でやられたなら抵抗の余地もない。
しかし、こんな間一髪のやり取りなど続けていられるものか。
「『魔槍招来』!」
俺に残された攻撃手段は槍術のみ。だがあの巨躯長躯に突き刺したところで、どれほどの痛手を喰らわせられるか。思案しつつも飛来する『魔槍 煤瞑徒・銛』を手に取る。
あーあ、こいつを再び手にしたくはなかったな。呪われた武器に意識を持ってかれている場合じゃないんだが。
受け取った直後、竜の爪が眼前に迫り、すんでのところを銛で受け止める。爪と銛の硬さは互角。両者欠けずに拮抗。
だが、俺と竜の体重差は歴然。強い衝撃が伝導する。まともに受けると体が壊れる。反動にそのまま身を任せ、翼で後ろに退避して空中の受け身を成立させる。
吹き飛ばされて距離が出来たのはいい。だが、雷と水流の遠隔攻撃、爪と体当たりの近接攻撃を併せ持つ竜とどう戦えばいいのか。
竜に対峙して銛を身構えつつも、五感を研ぎ澄ませて遠隔攻撃の不意打ちに備える。竜もこちらの様子を窺っているようだ。
――呵呵、浦島よ。久々に呼ばれたかと思えば、随分な大物だな。
魔槍が話しかけてくる。今はお前と話してる場合じゃねーんだよ!
ほら、そうこうしていうるうちに竜がまた突撃してきた。目の前に爪、同時に横薙ぎに鋭い鱗の胴体。こんなの受け止めてられるか。もう翼で退避するしかない。その逃げ場に雷が来るのは分かってるからそこを回避しつつって、もう無茶苦茶だ。
――浦島よ、随分と強くなったな。ずっと呼ばれぬから忘却されたかと思っていたが、いやはや人間の限界を軽く突破しているではないか。
感心している場合じゃねーよ! お前を呼んだのは、目の前の竜に対抗するためなんだ。お前もなんか倒す方法を考えろ!
――竜に対抗? 十分に対抗しているではないか?
ああ?! やっとで躱しているだけだろう! こんなの戦闘と呼べるか!
――いや、竜は焦っておるぞ。攻撃が徐々に間断なく早まっているのが分からんか。
何? 避けるだけの相手に何を焦っていると言うんだ?
――浦島よ、竜の攻撃を悉く回避できるのが尋常ではないのだ。それがお前の今の最強の武器だ。
俺の最強の武器?
――今のお前の最強の武器は、その翼だ。あらゆる危機を察知する鋭敏な感覚を有し、咄嗟に回避する敏捷を併せ持つ。その翼の疾風怒濤の速さを攻撃に転じてみせよ。今のお前の最強の攻撃はそれだな。
そうか、全速前進でこの銛を振えば、あの竜の果てなき胴体の何里に渡っても切り裂き、致命傷を負わせられる。
ならばと、構える。次に竜が迫ってきたとき。その懐に飛び込み、口から尾までを断ち切り続ける。
迎撃に備える俺に、魔槍はさらに語りかける。
――それにのう、浦島よ。随分と強い意志を持つようになったな。今のお前は儂には操れぬ。あらゆる局面を切り拓く思考の翼。それこそがお前をここまで導いた。見えない最強の武器だ。お前の機転の数々が、その最強の翼を生み出したのだ。
俺は誇らしげに翼を広げる。死を司るメメント・モリにここまで誉められるとは、どうにも俺は随分と人並外れてしまったらしい。そんなに大した発想はしてない。ただ必死でこの物語を何とかしたかっただけさ。
今この憎き竜を倒せるのなら、何だっていい。俺は使えるものは何でも使うだけだ。
「おのれ、ちょこまかと。もう逃がさんぞ、大人しく我が生贄となれ!!」
竜は今度は噛み砕こうと真正面から向かってくる。今この時こそ反撃の好機。
前傾して低所で攻撃を回避。そして顎目掛け串刺しに。耳を劈く竜の悲鳴。突き刺したまま首に胴に向かい全力で飛翔。竜の果てなく続く腹に裂け目を刻む。無我夢中で翼を操り、竜の胴の軌道を辿る。
長い竜の胴体を、永い時間切り裂き続ける。天が揺れ、空気は振動し続ける。鳴動に逆らい竜の腹をなぞる。魔槍は歓喜に打ち震え、時折雄叫びを上げている。俺にも戦闘を楽しめる神経があればなぁ。
「おのれ、おのれえええ! 人間の分際で、我を、わ……れ………を……」
もはや遠い後方から竜の断末魔が聞こえる。息も絶え絶え、終点は近いだろう。頭から尾まで両断されれば、いくら竜でも生きていられまい。
竜の意識がなくなる前に、少しくらいは言ってやろう。
「人間を馬鹿にするな。俺達はお前の玩具じゃない。俺達の物語は、俺達自身の手で納得いくものに仕上げてやるさ」
例えばこの『浦島太郎』という物語が今本当の終わりを迎えるように。諦めない限り、俺達の物語はもっと良いものに生まれ変わっていく。
やっと暗雲の終わりが見え、銛は尾に到達して空を切った。
勢い余って飛びすぎ、やっとで静止して振り返ると、竜の体には電流が無秩序に閃いていた。恐らくは行き場を失った魔力が暴走している。
間もなく爆発。飛び引いて、それが収まるのを見届ける。
黒煙が消えると、そこには何も残ってなかった。
やっとで、竜を倒したのだ。
……これで悪夢は終わり。元の村に戻るとしよう。メメント・モリに礼を言って、そのまま虚空へと返した。帰途に着こうとして、翼をはためかせる。
そのときに眩暈がした。闘いの疲れかと思ったが、翼はそのまま動き続ける。どうにも意識だけが曖昧になっていく。
(お勤め、お疲れ様)と女神の声が脳内に響いた。
(この物語の結末は固定されたわ。竜以上の脅威は存在しない。このまま村に戻って、あなたは乙姫と幸せに暮らして終わり。波風のない平和な生活を送るの。
だから、ここであなたの憑依も終わりよ。見応えのある物語だったわ)
あーそうかー、『結末の固定』とかって、最初に言っていたもんな。
でもさあ、働くだけ働かせて勝ち得た報酬も実感できないなんて酷いなぁ。これから乙姫との愛に満ちた暮らしが始まるんだろう。世間に疎いけど可愛くて気立ての良い嫁を温かく見守る新婚生活……。いいよなぁ、これが俺の本当の人生だったらなあ。
(あなたなら、現実でもきっとうまくやっていけるわ)
そうかねぇ……。現実は一人身でネットがお友達の寂しい暮らしなんだぜ。
(大丈夫よ。こんな高難易度な物語を大団円で締めくくったんだから、あなたの力は現実でも認められるはずよ)
まぁ自信は付いたかもしれない。この体験を元に創作してみるのも良いかもしれないな。
ああ、本当に意識が薄れゆく。酷いなぁ。せめて乙姫が泣きながら俺を出迎える辺りまでは過ごさせてよ。
(温情としては、そうしたいところだけどね。あなたのためにも駄目よ。特に物語をうまく収めた人ほど残りたがるの。でも、残れば残るほど何もかもが大事に思えて、区切りが着かなくなるのよ。だから、ここで終わり)
意識は遠ざかり、暗転していく。女神の声が微かに聞こえる。
(実は本来の浦島はずっとあなたの中にいて、その行動を見ていたの。結構感心してたのよ。だから、乙姫もちゃんと任せろ!って言ってたわ。
だから、安心してあなたの生活に戻ってね。
じゃあ、さようなら。良い物語をありがとう)
<おさらい>
最後の謎 なぜ幸せな結末が望めないのか
その真相 竜が人の隆盛を失墜させることを悦び、全てを仕組んでいたから。
でも何とか倒した。
これで幸せな結末だよな。
~めでたしめでたし~
――そして目が覚めた。
日付を確かめると、あの世界に行った晩の翌朝だった。完全に夢オチのような結末だ。
でも、あの世界のことは鮮明に覚えている。近いうちに『浦島太郎』の物語は書き換えられるだろう。子供向けでは描写できないことばかりやらかした気がするが、女神さんが何とか調整してくれるはずだ。
何の変哲もない朝が再び始まる。そう思ってしまえば、変わらずに過ごすこともできるんだろう。
でも、いろいろ考えて頑張ったから、あの世界では凄いことになったんだよな。
『浦島太郎』の世界にて起こった出来事で胸を一杯にする。
――そういえばあの世界では何かを変えようと必死だったけど、普段は新しく変えてやろうって過ごしたことはあまりなかったよな。
自分の現実の生活の中にも、新しい物語の芽はあるのだろう。俺は今までやりたかったことの一つ一つを思い出しつつ、仕事に出掛ける準備を始めた。