謎その3 なぜ竜宮城は栄えているのか
竜宮城に入ると、十人程の女性たちに出迎えられた。
「ようこそいらっしゃいました、浦島太郎様。お待ちしていました。私はこの竜宮城を預かる姫の、『乙姫』でございます」
高く透き通る声と、そして礼節の行き届いたお辞儀。
挨拶をしたのは、その中心に居る天女のような豪奢で神秘的な装いの人物である。
いつの時代も身分が高い者は相応の装いをする。紅白の十二単のように質感のある和装は、それだけの労力をかけるべき人物ということを示す。幼さが残っているものの整った顔立ちで、気品を感じさせる立ち居振る舞いが板に付いている。
「招いてもらってありがとう、乙姫さん。大したこともしてないのだが、お出迎えしてもらって恐縮してしまうよ」
俺はあくまで社交辞令モードで振る舞う。
女神から本来の浦島の竜宮城での過ごし方について「すごく警戒してて、全然楽しそうじゃなかったわ。警戒するのも無理はないけどね。結局何も訊きだせなかったし、得策ではないかもしれないわ」とは聴いていた。
なので、駄目で元々かもしれないが、俺は反対に紳士的に振る舞ってみるのだ。
「あらあら、大したことをしてないなんて、ご謙遜を。亀を助けてもらったことだけでなく、こちらの海を荒らす幾多の魔物を懲らしめて下さっていることも聞いていますよ。その感謝も込めて、心尽くしの持て成しを用意しているのです」
乙姫は司会が進行を読み上げるように流暢に、俺への称賛と歓迎の意を並べた。
――企みがあって底が知れない、というようには見えない。俺は乙姫が『諸悪の根源で亀を使い魔として使役する魔女』である可能性を想定していたが、拍子抜けしている。
むしろ、よく訓練された案内役のようだ。一流企業の受付嬢というのが印象に近いだろうか。そこに邪気は感じられず、ただ使命を果たそうとする高潔さが伝わってくる。
「さあ、歓待の席にご案内しますわ。こちらにどうぞ」
乙姫が礼をして奥の方を見やる。さて、ここからは宴席かな。『破魔退魔心得』の必要のない穏やかな席だといいんだが。
おっと奥に向かう前に、こいつのことも労っておこうか。
「亀さん、お出迎えありがとう。楽しい道中だったよ。帰りも送ってくれるのかい?」
俺は案外本心でそう思っていた。業務とはいえ安全かつ充実した海の旅だったし、亀との雑談は予想外に楽しめて、心底悪い奴には思えなくなっていたからだ。
「こちらこそ、どういたしまして。道中、気に掛けてもらって嬉しかったです。勿論帰りもお送りします。だから、『契約』はそのままです。我が城の歓待を心行くまでお楽しみください」
俺は微笑んで右手をかざす。亀は長い前脚を振って返す。敵同士かもしれないが友情を感じたっていいだろう。旅の道ずれとはいえ、過ごした時間は嘘じゃない。
さて、感傷的になっちゃったな。乙姫の案内に従おう。
案内の道すがらで「それにしてもすごい宮殿だ、どうやって建てたんだろう」と月並みな質問を姫に投げかけると「ふふっ、住んでいる私も驚かされています。ちょっと私はどうやって建てたかは知りませんが、海の功労者を歓待するために贅沢を極めたという風に聞いてますわ」と、もやっとした返答をされる。
なんとなく納得しそうでいて、何も分からない回答である。うーん、こりゃあ想定問答集とかがありそうだな。それを乙姫は見事に暗記してそうだ。こりゃあ矢継ぎ早に質問していかないと、荒が出そうにないぞ。
「へぇー、じゃあ乙姫さんは接待ばかりで、いつもお疲れじゃないのかね」と日頃のことを訊きだそうとすると、「いえいえ、一人ずつお招きするので、そうでもありませんわ。むしろ素晴らしい方ばかりで、こちらも楽しませてもらって恐縮なんです」と、少しは『竜宮城方式』の概要を思わせる情報が引き出せた。
「いやー、しかし乙姫さんは接客上手だ、もう何人くらいお相手したんだい?」と突っ込んでみれば「実は、私は浦島太郎様が初めてなんですよ」と意外な返答が返ってくる。
ん、どういうことなんだ。こんなに慣れた風なのに。『一人ずつお招き』しているってことは、何人も代わる代わる相手してきたってことじゃないのか。慣れてない生娘の方が喜ばれるみたいな発想で、初心だと主張することになっているのか。
待てよ。となると、『乙姫』は個人名でなく職名ってことになるのか。
「俺が初めてなのかい? あれ、じゃあ毎回、客人一人につき一人ずつ別の『乙姫』さんが付き添うってことなのかな」と確認すると、「ええ、そうなんです。だから私は、浦島太郎さん以外の男性を知らないんですよ」と上目遣いに見上げて近くに寄り添う。
うわー、これはドキドキする。実際に可愛いし色っぽいし、本当なら喜ぶべき状況なんだよ。もう疑似恋愛であっても、とことん楽しみたくなってくる。
しかし、乙姫は交代制だったのか。となると、乙姫は首謀者の線から外れそうな気もする。いや、でも毎回招待者を爺さんにして老衰させてるなら、同一人物が務めていても確認しようがないよな。
うーむ、この真偽は不明としておこう。
乙姫に質問を繰り返してうちに、宴席の部屋が見えてきた。
しまった。乙姫から探るのに熱中してて、あまり道を覚えていないぞ。まぁ全部案内してくれそうだから、何とかなるか。
上座の席まで案内され、そこには既に豪華絢爛な料理と酒が用意されていた。俺とお酌する乙姫の分の、二人分である。
「さあ、心行くまで一緒に楽しみましょう」
乙姫は歌うように始まりを告げ、俺の歓迎の宴が催されることとなる。
雛壇のお内裏様とお雛様のように並んで、俺と乙姫は会食することとなった。目の前には小上がりになった舞台があって、これから舞やら演奏やらが行われるのだろうなぁと予測させる。
でも、あんまり興味ないんだよね。というか、現代人で興味ある若者って珍しいんじゃないかな。まぁ綺麗で華やかで五月蠅くなければ、それで邪魔にはならないんだけどさ。
「では、いただきます」と習慣的に手を合わせると、乙姫は珍しそうな顔をして「なんだかその挨拶、いいですね」と微笑みながら真似して「いただきます」と言った。
ああ、この時代に『いただきます』は馴染みがなかったのかもしれない。
さて、ということで何よりも楽しめそうなのは料理である。お膳に上がった数々の料理や盛り付けは、まさに超一流旅館を思わせる揃い踏みである。食器も博物館に飾られそうなくらい鮮やかで豪華な塗りが施されている。
脂が乗った刺身は見たことない程キラキラしている。醤油はないようなので、塩を一撮みして箸で頂くと、舌に触れた瞬間に蕩けるではないか。しかも溶けだした旨みは深みがあって実に良い。
その余韻を存分に口の中に広めてから酒を流し込むと、これまたその酒が旨い。苦味がなく透き通るように呑みやすい辛口で、脂の乗った刺身とこの上ない相性なのだ。酒が体に染みて、臓器の奥からふわりと熱が昇ってくる。
そして焼き魚に箸を入れ、沸き立つ湯気の中の白身を掬って口に運ぶ。ホクホクで柔らかく蕩け、その熱気と旨みが口から鼻先までを満たす。
目を閉じてその幸せな感覚に浸り、続けざまにお吸い物を口元にやると、磯の香りが鼻腔を突き抜け、俺は思わず再び目を閉じる。そっと口づけて流し込めば、潮の香の溶けた出汁がたまらない。
俺まで蕩けてしまいそうな味わいの数々だ。
ああ、いかんいかん。感激しすぎて、本筋から逸れてしまう。しかし、それだけ旨かったのだ。この感動を分かって欲しい。
魚の素材の良さで勝負して、その味わいの余韻を高める酒と吸い物と藻類と。派手な鯛の頭付きの鍋に、真っ赤で巨大な蟹まで鎮座して。調和の取れた海産物中心の和食膳は、もう一生味わえないであろう最高の御馳走だったのだ。
「あらあら、浦島太郎様、美味しそうに食べますのね」と乙姫が笑いかけるから、「いやあ、本当に美味しくて」と心から返す。
「ああ、俺のことは浦島と呼んでよ。堅苦しくて敵わないわ」とつい話してしまい、「ではお言葉に甘えて、浦島さんと呼びますわ」と会食の場も和んできた。
食事に夢中になっている間に舞台の用意が整い、美しき舞い手達の歌と踊りが始まった。食べ物と違ってその良さが詳しくは分からないが、高くて綺麗な声が響き、軽やかに優雅な舞が繰り広げられると、ぼんやりと酒を呑みながら見入ってしまう。
それにしても、この体は酒に強い。呑んでも気分が良くなるだけで、意識が変な感じにならない。心なしか舌も回っている気がするのは、本来の浦島の素が出てきているからだろうか。
食事も舞台も一段落したので、乙姫に「なあ、この宮殿を見て周りたいんだが、案内してくれないか」と誘いかけると、「はい、喜んで。ご案内しますわ」とデートに応じてくれた。
乙姫とゆったりと歩いていた。
豪勢な宮殿だから見所は枚挙に暇がない。四季を題材とした庭園だとか、立派な鯉やら深海魚の泳ぐ生け簀だとか、色取り取りの珊瑚の庭園だとか。それらを見かけるたびに、乙姫は説明してくれた。
俺は「うんうん」と聴いていたけれど、乙姫が何だか忙しそうで可哀想だった。
俺は一緒にのんびりと散歩したかっただけなのにな。
「乙姫さん、初めての客の相手は緊張するかい」
「いいえ、浦島さんが優しい方だから、お陰様で楽しく過ごさせてもらってます」と笑顔を添えて、模範的に返してくる。
ああ、どうすればこの子の素に迫れるんだろう。思った以上に鉄壁で、酒漬けの頭では冴えたやり方が思い浮かばぬ。なんか今の俺って遊女と親しくなろうと必死な中年親父みたいだな。
「しかし、興味本位で聴くのだが、どんな風に育てられれば、乙姫さんみたいに礼儀正しく振舞えるのだろうなぁ」
もう苦し紛れに何とか身の上話に持っていこうとするしかないのだ。来歴の話ならば、恐らくは誤魔化すまい。
「『大事なお客さんをちゃんと迎えなさい』と言い聞かされて、いつも様々なことを学んできましたから。それだけのことです」と事も無げに返す。もちろん笑顔を添えるのも忘れない。
「ははぁ、ご両親はさぞかし立派に育てたんだなぁ。そんな窮屈な接遇研修の毎日だなんて、普通だったら投げ出してしまうんじゃないかなぁ」
「両親……? 私は侍女長の方々に教わったんですが……」
んん? 聞き慣れない単語が出てきた上に、両親について首を傾げる?
「『侍女長の方々に』ってことは、教育係が何人かいたってこと?」
「ええ、私たちは物心付いた頃から一緒に暮らして、いつも侍女長の方々の指導を受けていましたわ。そして、浦島さんのような海の英雄たちの話を聴いて、いつかご奉仕したいと常々思って、日々の研鑽に励んでいたのです」
……『私たち』ねぇ。なるほど、つまり全寮制の乙姫養成機関があって、その優等生が『乙姫』として俺たちの歓待役に見事抜擢されるってわけか。
「だから、――ですね」艶っぽく俺の手を取り、乙姫はまっすぐに見つめて語らいかける。
「ずっとお慕い申し上げているんです、浦島さんのことを」
――その潤んだ瞳は、紅潮した頬は、物欲しがる唇は――。
揺ぎ無く透き通り、疑うことを知らなくて。それは演技や嘘ではなく、心からのものだと理解できた。
俺はこの恐ろしい可能性を考慮していなかった。演技かどうか見抜こうと必死だったが、そもそもの前提が間違っていたのだ。乙姫にとっては、演技めいたこの歓待こそが全てで、素の自分そのものなのだ。それ以外のことを――娯楽も、恋愛も、果ては両親のことさえも――知らないのだ。
つまり俺らを完璧に歓待して心から慕うように造られた存在、それが『乙姫』たちなのだ。一種の洗脳教育機関まで設立して、それはもう壮大に計画されたことなのだ。
両親の記憶すらないということは、まさか物心付く前に深海に攫われてきたんじゃあないだろうな。
気味が悪い。いや、乙姫に罪はないんだ。むしろ被害者でさえある。
問題は、何のためにこんな多大な手間隙をかけるかだ。最初から企みとして想定していたのは、英雄を誘い込んで、その隙に村を襲うであろうという筋書きだった。その略奪の成果を資金源として、亀ら刺客やら軍勢を雇っていると思っていた。
だが、ここまで豪勢に俺たちを歓待する必要はまったくない。
まして教育機関を整備して十数年掛かりで専属の接待役を仕上げる必要もない。そんな個人の人生を捻じ曲げてまで、首謀者は何をしたいんだ。そもそもこんな奇妙な計画を実現させるだなんて、一体どれほどの力を以って皆を従わせているんだ。
「浦島さん、どうしてそんな険しい顔をしているのです? 私のことがお嫌いですか?」
俺はいたたまれなくなって、――乙姫に唇を重ね、腕を腰に回して抱き締める。
乙姫は目を閉じて、俺に身体を預けた。やっと結ばれると心底から感じ入るように、俺を抱き返してくる。
せめて俺と結ばれなければ、この子の人生は報われない。今までずっとそれだけのために生きてきて、その願いさえ海の藻屑となり消えてしまうなんて、そうはさせられない。
「ああ、浦島さん。私幸せです」
泡沫の夢でもかなえてあげられるように。
――俺はこの晩、乙姫と結ばれた。
そして、翌日からも同じように歓待は続く。合間の時間には広大な竜宮城の案内がされ、水族館の催し事のように時間ごとに魚たちの舞が披露された。
「ずっとここでお前と暮らしていいのか?」と傍らの乙姫に語りかければ、「ええ、浦島さんの望む限り、いつまでも心行くままに」とうっとりと返し、俺たちは寄り添う夫婦のようだ。
俺と結ばれても、乙姫は変わらない丁寧な調子のままだった。俺が傍にいるだけでも幸せそうで、気遣うと殊更嬉しそうにする。
でもこれって俺の人格を知って全面的に信頼して慕っているわけではないんだよね。俺が待望していた浦島として来たから惚れているわけなんだ。雛鳥が親鳥を一瞬で刷り込むようなものかな。色恋の経験がある人なら、乙姫の恋慕の異質さに気付くだろう。
でも俺はそのことを知った上でも、乙姫がこの子なりに一生懸命にやっていることを分かっているし、愛おしいと思う。
だから愛し合う。ずっと一緒にいるつもりだ。
いつまでもここで過ごすこともできるのだろう。しかし、俺は誰かの筋書きの上で躍らせられるつもりはない。この竜宮城方式を仕組んでいる奴を突き止めなければ気が済まない。
ここに居てもこれ以上の情報は得られないだろうし、力技を行使するにも一度村に戻る必要がある。竜宮城で数日を過ごして、俺は乙姫に切り出した。
「なあ、一度村に戻ってもいいだろうか」
「そんな! 私との一緒にはいられないということですか!?」
「少しでも離れるのが嫌なら、一緒に着いて来てもいいぞ。俺はお前とずっと一緒にいるつもりだ」
だって、そうだろう。愛し合う二人が引き離されては、それは幸せな結末とは言えない。しかし、俺の殺し文句を聞いても、乙姫は上の空で何かを思い出しているようだった。
「一晩、出発を待ってくださいませんか?」と神妙な面持ちで許しを請う。
別に一晩くらいなら構わないだろう。俺は頷きつつも、乙姫が俺を引き止める理由が分からなかった。
<おさらい>
謎その3 なぜ竜宮城は栄えているのか
その真相 竜宮城に招いた客人の財産の強奪によるもの。
しかし、手間と成果が釣り合うか、疑問も多い。