第264話 会談の日取り
二日ほどかけて、書類仕事もようやくひと段落付いた。
書類の内容は人事に関するものと、レイフの森の住む住人の陳情が主だったが、積もりに積もって500件以上もの数があった。
人事についてはほぼ事後承認という状態であり、ハンコを押すだけのものだったが、単調な作業というのはどうにも集中力を保つのが難しい。内容に目を通さないワケにもいかないので、久しぶりに疲れ目になってしまった。
(この二年は、書き物に目を通すなんてことなかったからなぁ……)
師匠は書物の類を持っていなかったから読書もしていないし、修行以外のことは家事全般と将棋くらいしかしていなかった。
家事全般だけでも半日くらいは消えるので気にしたこともなかったが、随分と禁欲的な生活をしていたものである。
まさか、魔界で主婦(夫)の偉大さを知ることになるとは思わなかったが。
(それにしても、俺がいない間に随分と住民が増えたものだ……)
この二年で、集落に住む者の人数が千人近く増えていた。
元々の規模を考えると、十倍近い増員である。
移住者のリストを見ると、ほとんどが知らない名前ばかりだったが、中には知った名前もいくつか見かけた。
軍医志望で転属してきたカンナに、競技大会でセシアと戦ったハイオークのバーグ君、そしてイーナと戦った魔獣使いのキリル君辺りは、二年の空白があったとはいえしっかりと名前を覚えていた。
志望理由は三人共バラバラだが、全員共通して競技大会がきっかけとなっている。
これは三人に限った話ではなく、他の移住者達も競技大会での俺達の活躍を目にしてという理由が最も多かった。
セシアや俺、スイセンの戦いを見て闘仙流に興味を持った者も多く、門下生の数も数十倍に膨れ上がっている。
(これについても、今後のことを考える必要があるな)
闘仙流が発展するのは嬉しいことだが、指導方法については人数に応じて変えていく必要があるだろう。
今まではスイセン達が分担してなんとか指導をしてくれていたようだが、彼女達には俺の二年の修行の成果も伝えたい。
個別に指導員の育成も考えていく必要がある。
やはり、やることは満載であった。
「トーヤ様、失礼します」
腕を組んでウンウンと唸っていると、ノックとともにツバキが部屋に入ってくる。
「『荒神』から使者の方が見えております」
「ああ、通してくれ」
「失礼します」
そう言って入ってきたのは、犬か狼系統と思しき獣人の青年だ。
恐らくソウガの部下なのだろうけど、中々に鍛えられた戦士に見える。
「お疲れ様です。今日はどのようなご用件で?」
「ハッ、私はソウガ様の隠密部隊所属のキソウと申します。この度はソウガ様より言伝と、こちらを渡すように命を受け馳せ参じました」
(……隠密部隊、ねぇ)
そんな部隊に所属した者を、こんな使いっぱしりのように使って良いのだろうか……と思うが、まあ信頼を置けるものに命じたということなのだろう。
俺はキソウから手渡された封書を解き、中身に目を通す。
内容は予想通り、紫との会談の日程についてだった。
(紫にしては随分と遅いアクションだと思ったが、引き伸ばしたのは恐らくソウガの方だろうな……)
紫はとにかく決断、実行までの時間が早い。それでいて考え無しというワケではないところが恐ろしいところである。
対してソウガは頭は良いが慎重な男だ。
タイガや隠居している文官達と、状況に応じた対応などを何パターンも検討した上で会談の日付を決定したことが予想できる。
「……それで、言伝というのは?」
「ハッ、会談の日程については一週間後となりますが、トーヤ様にはそれよりも早く、できれば三日前までには『荒神』に来ていて欲しいとのことです」
まあ、それはそうだろうな。
事前の打ち合わせは必要だろうし、俺の方もソウガ達と意識合わせをしておきたかった。
コチラの状況を踏まえた上で、「できれば」などと前打ってくれたようだが、ソウガの気持ちとして事情を一番把握している俺にはすぐにでも来てもらいたいところだろう。
「わかった。ソウガ殿には三日以内にそちらに出向くと伝えておいてくれ」
「ハッ、承知いたしました。それから、もう一点ですが、『荒神』に来る際にクソテングダケというものを仕入れたいと……」
「クソテングダケを……? わかった。用意しておこう」
一瞬何故? と思ったが、恐らく紫をもてなす料理の材料として使いたいということなのだろう。
クソテングダケは臭いがとてもキツイが味は最高級で、この森の特産品と言ってもいい食材である。
ソウガもここで暮らす中で、クソテングダケの美味さにハマったのかもしれない。
「それでは、私はこれにて」
そう言い残し、キソウは慌ただしく部屋を出て行った。
この時間ならば陽が明るい間に『荒神』の戻ることも可能なので、急いで戻るつもりなのだろう
忙しないことだが、ソウガも同じようなことをしていたので、そういう風に訓練を受けているのかもしれないな……
「……あの、トーヤ様」
キソウが退室したあと、そのまま部屋に残っていたツバキが、何故かもじもじとした様子で俺に声をかけてくる。
「ん? どうしたツバキ」
「トーヤ様は、その、またお出かけになるのでしょうか?」
「ああ。でも、今回はそう長くはならないと思う」
「そう、ですか。あの、それでは失礼します」
ツバキはそう言って、少し嬉しそうな顔を浮かべながら部屋を出て行った。
「……うーむ」
あの態度は、やはりそういうことなのだろうか……
しかし何がきっかけで?
彼女達にはなるべく優しくし接していたとは思うが、少なくとも二年は関りがなかったワケで、だというのに何故ああも好感度が高くなっているのか。全くの謎である。
「なんでだと思う?」
「……そんなこと僕に聞かれても、わかんないよ」
椅子の上で丸くなっていた翡翠に聞いてみるが、解答は得られなかった。
まあ、その内本人に直接聞いてみようか……
――二日後の早朝。
準備や調整、その他諸々の仕事を片付け、いよいよ今から『荒神』に向けて出発する。
ここから荒神までは馬で四時間ほどであるため、午後には到着する予定だ。
俺と共に荒神に向かうのは、近衛であるライとスイセン、そして俺が戻ったことで正式に近衛となったイオ、それに加え新たに俺の近衛となったアンナ達四人である。
彼らの任務は俺の護衛だが、『荒神』からも別途警護がつくのでそこまで警戒をしているワケではない。
むしろ顔見せの意味合いの方が強いと言えるだろう。
「トーヤ様、くれぐれもご注意を」
アンナが俺の服のすそを掴み、凄い剣幕で告げてくる。
「いや、もちろん注意はするけど、今回は別に当事者じゃないからな?」
今回の会談は、あくまで紫と『荒神』との同盟に関する会談である。
俺は橋渡し役として参加するが、会談の主役となるのは紫とタイガ、そしてソウガになるハズだ(キバ様は役に立たないだろうからな)。
「それでも、ご注意を。あの女は何を言い出すかわかりません」
グルルルと犬のように唸るアンナ。
それを見てアンネ達三人が苦笑いを浮かべた。
「アンナがこれ程警戒するとは、その紫という人物はどういう人なのでしょうか?」
その反応を見てスイセンが興味深そうに尋ねてくる。
「……なんと言うか、とんでもない人だよ。何もないとは思うけど、呑まれないように注意してくれ。あと、イオは絶対に喧嘩を売らないように」
「……その者は、強いのですか?」
「強いよ」
「ほぅ、それは興味深いですね」
「絶っっ対に喧嘩売るなよ!」
これだからイオは連れてきたくなかったのだが、一人だけ置いていくこともできないからな……
不安は拭えないが、何事も起こらないことを祈るばかりである。