第244話 亜人領境界 防衛戦⑭
「トーヤ…、殿…? 本当に…?」
そう口にしてしまったのは、何も偽者だと疑ったからではない。
『繋がり』を通して伝わるこの感覚は、彼が紛れもなく本物である事を証明している。
それでも我が目を疑ってしまったのは、別人と見紛う程に、彼から感じる凄みが増していたからである。
「本当だよ。リンカも、俺がいる事がわかったからこそ、こんな無謀な作戦に出たんだろ?」
「そ、そうだが…」
確かに私は、『繋がり』からトーヤ殿の存在を感じ取り、今回の作戦に踏み切った。
しかし、こんな状況になる事まで見えていたワケではない。
いや…、はっきり言ってしまえば、トーヤ殿と合流出来るなどとは露とも思っていなかったのである。
トーヤ殿は、何らかの方法で魔族の軍に潜り込むことに成功したのだろう。
その上で、我々の今の状況を知り、駆け付けてくれたのだ。
しかし、万に迫る軍勢に対し、単騎で出来る事などたかが知れている。
仮にアンナ達と合流が出来ていたのだとしても、出来る事などほとんど無いに等しい。
もし出来ることがあるとすれば、精々が包囲を抜けて来た少数の兵士の脱出を幇助する事くらいだろう。
…だから私は、殿を受け持った時点で、もうトーヤ殿と再会する事は無いと思っていた。
「一体、どうやって…?」
「それは勿論、協力者がいたからだよ。そうじゃなきゃ、こうも簡単にあの軍勢は突破出来ない」
協力者…?
それはまさか、魔族を味方につけたとでも…?
「疑問はもっともだと思うけどな。ただ、今は時間が惜しい。まずはここから脱出するぞ」
「し、しかし、私の隊員がまだ…」
「それは大丈夫だ。既に全員救出済だよ」
そう言って、トーヤ殿は親指で背後を指す。
そこには、先程まで捕らわれていた私の隊員達を担ぐ、コルトとロニーの姿があった。
「…は、はは、駄目だ。まるで理解が追い付かない。やはり私は、夢を見ているのでは無いか?」
「いやいや、勿論現実だぞ?」
そう言われても、私からすれば幻でも見ているとしか思えない状況であった。
実はもう既に私は倒されていて、夢でも見ているのかもしれない。
「ふむ、確かにまるで夢か幻でも見ているかのようだな。一体、どんな奇術を使ったのだね?」
暫しの間沈黙を保っていた甲が、軽い口調で割り込んでくる。
しかし、軽い口調とは裏腹に、その目は油断なくトーヤ殿を見据えていた。
「奇術の種を自ら明かす奇術師はいないだろう?」
「道理だな。しかし、脱出劇まで見届けてやる義理も無い。悪いが、仕掛け諸共蹴破らせて貰うぞ?」
そう言うと同時に、甲が凄まじい速度で接近してくる。
その速度は先程までの比ではなかった。
(やはり、実力を隠していたか…!)
私は慌ててトーヤ殿の前に出ようとするが、トーヤ殿はそれを手で制してきた。
それとほぼ同時に、甲が急停止し剣を振るう。
「ほう…、あれを防ぐか。やはり相当な手練れのようだな」
「これは…、矢か!」
甲の足元には数本の矢が転がっていた。
その矢に、私は見覚えがあった。
「あれは、アンネの…?」
「そうだ。甲とやら、お前達は今、ウチの射手の射程範囲内にいる。迂闊に動かない方が良いぞ」
アンネの姿を見ないと思ったが、どうやら彼女は射撃手としてこちらを狙っているようだ。
しかし、一体どこから…
「…ふむ、この私が間合いに入るまで矢を感知出来ないとはな。隠形の一種、といった所か?」
あれが、隠形…?
確かにアンナ達姉妹は隠形術に長けていたが、矢に対する隠形など聞いた事も無い。
しかし実際に、私ですら甲が防ぐまで矢の存在を感じ取れなかった。
何かしらの隠蔽が行われた事に間違いは無いだろう。
「見えない射手に、見えない矢か…。実に厄介だ。…しかし、それ故に大きな威力は出せぬと見た。ならば無理やり押し通らせて貰おう」
甲はそう言って、全身に赤い皮膜を纏う。
恐らくは、魔素により生成された鎧だろう。
どれ程の防御力を持つかは不明だが、先程まで出していた槍と同程度の硬度があるのであれば、矢で貫通する事は難しいかもしれない。
「ふむ…。そこまで魔素を操れるなら、普通の攻撃を通すのは難しそうだな」
「…どこで魔素の事を知ったかは知らぬが、知っているのであれば理解も出来るだろう。小賢しい弓矢ごときで、私は止まらんぞ!」
再びこちらに向かってくる甲に対し、同じように見えない矢が複数回放たれる。
しかし、その全てが魔素の鎧に弾かれてしまう。
「面倒な事はわかったよ。だから、逃げさせてもらう」
「っ!? トーヤ殿!?」
そう言うや否や、トーヤ殿が私の体を肩に担ぎ上げ、背を向けて走り出す。
いきなりの行為に私は取り乱すが、状況としてはそれどころではない。
あの男の速度であれば、すぐに追い付かれてもおかしくないのだ。
「トーヤ殿! 駄目だ! 追い付かれるぞ!? せめて私を降ろしてくれ!」
「大丈夫だ。手は打ってある」
トーヤ殿は全く焦った様子を見せず、むしろ余裕そうに笑って答える。
それと同時に、トーヤ殿の背後――つまり私の目の前で異変が発生した。
大地が、甲達敵兵諸共、陥没したのである。
「なっ!? これは一体!?」
「おあつらえ向きに、地中に丁度良い感じの空洞が出来ていたからな。それを利用させて貰った」
地中に、空洞………!?
そうか! 奴らが地中に掘った、脱出口か!
「前にリンカもハマった罠だ。懐かしいだろ? 落とし穴は俺の得意技なんだ」
確かに、思い当たる節はあるが、あれとこれとではまるで規模が違う。
決して落とし穴などという可愛げのあるものでは無い…
「…………くっくっく」
「ど、どうした、急に笑い出して?」
これが笑わずにいられるものか。
トーヤ殿は、やはりトーヤ殿であった。
成長し、凄みが増したかと思えば、その本質は全く変わった様子が無いではないか。
その事実が、私にえも言われぬ安心感と、興奮を与えてくれたのであった。
すいません。少し遅れました。
理由は月末進行なせいと、その疲れで寝落ちが続いたせいです(言い訳