第242話 亜人領境界 防衛戦⑫
崩の精鋭部隊と思われる『甲牙隊』と交戦を開始して、もう数刻の時が過ぎていた。
私の部隊は、既に本体からは切り離されるかたちになっており、完全に敵兵に包囲された状態になっている。
そんな状態で何とか持ちこたえられているのは、残念ながらこちらが奮戦しているからというワケではない。
…いや、皆が奮戦している事自体は間違いないのだが、それが決定的な要因では無いのだ。
「貴様…、我々を愚弄する気か!?」
「愚弄? 何の事だ?」
「とぼけるな!」
私達が何とか持ちこたえられている最大の要因は、奴らが明らかに手を抜いているからであった。
「別に、とぼけてなどおらぬぞ? 私はお前の事も、その配下の者達の事も評価しているつもりだ。だから愚弄するなどという事は決してない」
「…ならば、何故他の兵に攻撃をさせないのだ」
現在この包囲の中には、私の元近衛兵である数名と、術士であるオーク達しか残されていない。
そして、その全員でなんとか『甲牙隊』を抑え込めているという状態であった。
つまり、周囲を囲む他の兵士達が攻撃を開始すれば、それだけで私達は詰むのである。
だというのに、この男はそれをさせる様子が無いのだ。
「なんだ、そんな事か」
「そんな事、だと?」
「ああ、そんな事だとも。私の隊に与えられた命令は、お前達の殿を崩す事だ。そして、それは既に終わっている。わざわざこれ以上の犠牲を出す必要もあるまい」
「………」
甲の言った通り命令が下っているのであれば、確かに間違った判断とは言えないだろう。
しかし、トーヤ殿との『繋がり』を経て研ぎ澄まされた私の感覚が、それを嘘と見抜く。
「嘘だな。いや、建前という所か。お前がそんな殊勝な男には到底見えんぞ」
そう言うと、甲は少し意外そうな顔をしてから、暗い笑みを作っていく。
「クック…、本当に面白い女だ。崩様が生かして連れてこいというのも頷ける。そうだとも。最初から私達は、他の兵の犠牲の事など考えてはいない。考えているのは、目先の楽しみだけだ!」
甲は、これまでよりも一段早い速度で剣を振り下ろしてくる。
虚を突かれるかたちになったが、それでも躱せない速度ではない。
しかし、
「くっ…」
躱した先に、狙いすますように赤い槍が精製され、脇腹をかすめていく。
「素晴らしい反応速度、と言いたい所だが、今のは少し反応が遅れたな」
甲は再び速度を上げ、上段から剣を振り下ろす。
しかし、いくら速度を上げようとも、同じ攻撃であれば捌くのは容易だ。
私は最小限の動きで剣を払い、反撃を――、しかける寸前で半身を捻る。
「やはりか!」
甲は獲物の弱みを見つけたとばかりに、下卑た笑みを深めていく。
(不味いな…。見抜かれたか)
私は軽くえぐられた脇腹を押さえながら、内心で舌を打つ。
一撃目に続き、私の脇腹をかすめたのは、やはりあの赤い槍である。
正確に私の死角を突いてくるあの槍は、使用するたびに位置や角度を変えていた。
恐らくそうする事で、私の反応を探っていたのだろう。
「お前は先程、私にも死角は無いと言ったが、恐らく見ているのではなく、何らかの方法で感じ取っているのだろう? そして、その感覚の鋭さは位置により異なっている。一番反応の遅い所で、大体こぶし二つ分程度と見た」
全く、大した観察力である。
私の『無想』による感知範囲を、ほんの数回の探りで見抜いてみせるとは…
下種にしておくには勿体ない程の、優秀な戦士だ。
『無想』は、闘仙流における奥義の一つである。
『剛体』の派生とも言える技であり、『剛体』で生成される魔力の膜を、自身の周囲一定距離まで広げる技術が必要になる。
緻密な魔力操作が必要になるが、これにより自身の知覚領域を拡張し、反射の速度を上げる…、との事だ。
正直説明された所で私には理解できなかったが、中々に便利そうな技だった為、スイセンから習ったのである。
とはいえ、私は闘仙流の門下では無いし、軽くたしなむ程度にしか学ばなかったのだが、それが仇となってしまったようだ。
「…そう思うのは勝手だが、それで痛い目を見ても文句は言うなよ?」
私はあえて不敵そうな笑みを作る。
どこまで効果があるかはわからないが、少しでも迷いを生じさせる為である。
恐らく甲は、私の死角について絶対の確信をもっているワケでは無い。
でなければ、わざわざ自分が見抜いている事を説明する必要など無いからだ。
あえて説明してみれたのは、私の動揺を誘い、確信を得る為だろう。
「今度はこちらから行くぞ!」
そして、確信を得ようとしたのにも、恐らく理由がある。
奴同様、私にも確信があるワケでは無いが…
「流石は獣人、まだここまで動けるか!」
甲はこちらの攻撃に対し、心底楽しそうに応える。
大した反応速度だが、私の予想通り、奴は赤い槍を使ってこなかった。
『無想』の距離を正確に見切っているのであれば、ここで使わない理由は無い筈。
つまり、使えないか、使いたくない理由がある筈なのだ。
…考えられるのは、使用するのに何か条件があるか、制限があるかだろう。
「恐れ知らずな事だな! 使えないとでも思ったか!?」
瞬間、攻撃の気配を感じ取る。
躱す余裕は無い、が…
「小賢しい!」
私はそれを、広範囲の『剛体』で受ける。
魔力消費は多くなるが、この方法であれば反応速度の遅さを補うことが可能だ。
「っ!? ほう…、そういう事か」
私の防御方法を瞬時に見抜いたのか、甲が面白そうに笑う。
次の瞬間、目の前に数本の赤いトゲが生成された為、一旦距離を取る。
「どうやら、これの性質を見抜いたようだな」
「…これだけ見せられればな」
甲が使うあの赤い攻撃は、恐らく魔素によるものだ。
かつて魔王ゾットがそのような攻撃をしたと伝わってはいるが、どうやら一部の魔族も同じような真似が出来るらしい。
そんな情報は荒神に伝わっていなかったが、魔族達が秘匿していたのだろう。
「まあ、流石に気づくか。そう、これは魔素だ」
そう言って、甲は手のひらに赤い球体を作り出す。
「知っての通り、魔素とは俺達魔族や魔獣の血に宿る代物だ。それを操る事で、こんな風に武器にしたり盾にしたりも出来る」
甲は赤い球体色々な形状に変化させて見せる。
「この技は魔族でも一部しか使えないし、伝えられていない。秘匿技術というものだ」
「…それを、何故私に教える」
「この戦で、情報の解禁が許可されたからだ。でなければ、こんなに堂々と見せはしない。そして…」
甲はそう言うと、赤い球体を手のひらに吸い込ませるように吸収する。
「見ての通り、この血は回収可能だ。いくらかは使い捨てたが、当然まだまだ余裕はある。…さて、お前の魔力と私の魔素、どちらが長くもつだろうな?」