第241話 亜人領境界 防衛戦⑪
現在、先頭で指揮を執っているトウジ将軍の隊は、魔族達の軍勢の中ほどまで切り込む事に成功していた。
(想定していたよりも進軍が早い…)
こちらの行動が崩の想定外であった事は間違いないだろうが、それを踏まえても早過ぎる。
恐らくだが、敵軍で何かあったのだろう。
「リンカ様、新手のようです」
「っ! …そのようだな」
ボタンが言うのとほぼ同時に、私も新手の気配を感じ取っていた。
先程から相手にしている雑兵共とは、明らかに異なる強い威圧感…
精鋭部隊の登場、といった所か。
「陣形を組みなおす! 盾持ちは前に出て『剛体』で備えろ! 突撃してくるぞ!」
精鋭部隊と思われる者達が、凄まじい速度で近づいてくる。
味方すらも蹴散らすその姿は、兵士というよりも蛮族の類に見えた。
「あれは…、魔獣か!」
奴等が駆るのは馬では無かった。
馬の倍近い体躯に狂暴な顔つき、そしてその頭部からは太く頑丈そうな角が二本生えていた。
「『破砦牛』ですね…。厄介な…」
『破砦牛』とは、群れで暮らす牛系統の魔獣である。
通常の牛と同様に草食であり、基本的には害の無い獣なのだが、それでも魔獣である以上性格は狂暴だ。
より近い魔獣としては『復讐者』が挙げられるだろう。
『復讐者』は、自身になんらかの攻撃を加えた生物に対し、その生物が息絶えるまで執拗に狙い続ける性質を持つが、『破砦牛』は群れで怒りを共有しており、その怒りが治まるまで止まらないという性質を持っている。
しかも、何に対して怒りだすかは個体差があり、その突進上にあるものは無差別に踏み荒らしていく為、ある意味『復讐者』以上に厄介な魔獣であった。
…少なくとも、決して飼いならせるような存在では無い。
「やはり、リンカ様の想像通り、敵軍に強力な魔獣使いがいるようですね…」
「だろうな…」
そうでなければ、あのような魔獣に騎乗するなど不可能である。
幸い他の魔獣の気配は感じないが、油断は出来ない。
「お前ら! 気合入れて受け止めろよ!」
「「「「おう!!」」」」
サンジ達体格の良い獣人が盾を構え、それをオーク達が支える。
それに対し、『破砦牛』を駆る魔族達が激しく激突する。
「ぐっ…、ぬ…」
サンジ達から苦悶の声が漏れるが、なんとか『破砦牛』の突進を受け止める事に成功している。
砦をも打ち破ると言われる事からその名がついた『破砦牛』の突進だが、群れでも無く、しかも上に騎手を乗せている状態では本来の突進力を発揮できないのかもしれない。
「ほう…、『破砦牛』の突進を止めるとは、中々頑丈だな」
「けっ! この程度の突進なら、ウチのトロール達の攻撃の方が余程激しいぜ!」
「ふむ、であれば直接我々が直接相手をしてやろう。なに、『破砦牛』の突進より手応えがある事は保証しよう」
そう言って男は『破砦牛』から降りる。
男の雰囲気からは、その言葉が決して大口でない事を感じ取れる。
「サンジ下がれ! その男は私が相手をする! 他の者はそれぞれ別の敵兵を討て! 術士は援護を!」
あの男と他の隊士を戦わせるのは危険だ。
正直、私でも危ういかもしれない。
「お前が崩様のお気に入りか。可能であれば生け捕りたい所だが、中々活きの良さそうな女だな」
男はそう言って嗜虐的な笑みを浮かべる。
どうやら、この男も崩と同類であるらしい。
「ふん、どうやら貴様も奴と同じ下種のようだな。全く…、楽になって助かるぞ」
「…ほう、私を相手にするのが楽だと? 相手の実力を見誤るほど愚かには見えないが、何をもってそう判断したのだ?」
「愚問だな。貴様のような外道が相手であれば、情けをかける必要が無いからだ!」
言うと同時に、最高速度で男の首を取りに行く。
当然のように男は反応するが、これは囮だ。
男の反応に合わせて私は『疾駆』で空を蹴り、男の背後に回り込む。
…魔族は『剛体』を使えない。
つまり、死角からの攻撃を防ぐ手段は無いという事だ。
しかし男は、必殺をも言えるその一撃を難なく防いで見せた。
「中々に速いな。しかし、残念だが私に死角はないぞ」
男は放たれた『獣爪』を剣で捌き、私に向き直る。
「名乗っていなかったな。私は崩様直属の精鋭部隊『甲牙隊』隊長の甲だ。貴殿を負かす者の名くらい、は覚えておくと良い』
「…ふんっ、残念だが、私は物覚えが悪くてな。しかしまあ、今回はその必要も無かろう。何せ、負けるのは貴様だからな!」
先程と同様、私は最高速度で甲に迫る。
そして、今度は真っ向から『獣爪』を叩き込む。
馬鹿正直な正面からの攻撃を、甲は容易く防いで見せるが、即座に繰り出された蹴りに一瞬目を見開く。
「器用な真似をする…」
獣神流、『乱牙』。
この技はあらゆる角度から放たれる、神速の乱打である。
本来であれば体制を崩すような角度からの攻撃を、『疾駆』と同様に空壁を利用する事で可能とし、途切れることの無い連打を成立させているのだ。
縦横無尽に繰り出される乱撃に、甲は防戦一方となる。
「死角が無かろうと、反応出来ねば一緒だろう!」
甲の言う通り、本当に死角が無いのであれば『紫電』のような奥義でも仕留める事は困難だろう。
しかし、『乱牙』であれば死角が無かろうと関係は無い。
「ちっ…」
少しずつだが、こちらの攻撃が通り始める。
徐々に反応が追い付かなくなり始めているのだ。
攻撃と同様、防御する際にも守りにくい部位というのは必ず存在する。
甲の場合、私より体格が優れている事が災いし、その箇所は必然的に多くなる。
このまま連打を続ければ、いずれは…
「っ!?」
瞬間、背後に発生した気配に対し、咄嗟に体を仰け反らせ、距離を取る。
「ほう、こちらも完全に死角を突いた筈だが、よく躱したな」
私が先程まで居た位置には、赤い槍のようなものが存在していた。
あれは…、何かの術だろうか?
「…生憎だったな。私にも死角は無いのだ」
私は強がってみせるが、内心では焦りを感じていた。
私の『無想』は、完璧ではないからである。
もしそれを悟られれば、次の攻撃を躱す事は出来ないだろう…