第239話 亜人領境界 防衛戦⑨
「全軍! 全ての力を出し切れ! 何としても突破をするぞ!」
「「「「「「おおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!!!」」」」」」
先陣を切るトウジ将軍の声が戦場に響き渡り、それに応じるように全軍が咆える。
トーヤ殿がトウジ将軍の『声』をとても褒めていたが、確かにあの人の声は戦場にあっても良く通る。
声が通るという事は、それだけで味方を活気づける事になるし、場合によっては敵兵への威嚇にもなり得るからだ。
これも戦における、立派な才能と言えるだろう。
「リンカ様! 左右から敵軍が!」
「…殿は私の隊が務める! 他の者達は構わず突破だけを考えろ!」
「なっ!? 危険です! 殿でしたら私が…」
エイガ将軍が名乗りを上げようとするが、私は首を振って拒否を示す。
「エイガ将軍、悪いがこれは命令だ。其方の軍もトウジ将軍に続いてくれ」
仮とはいえ、現在の指揮権は私にある。
その命令とあれば、エイガ将軍は従うしかないだろう。
「……わかりました。ご武運を!」
エイガ将軍はそれでも何か言おうと口を開いたが、それをかみ殺し、前線へと向かってくれた。
そんなエイガ将軍に少し申し訳ない気持ちになりつつも、私は部隊を率いて後方へ下がる。
その私を囲うように、長らく近衛を務めてくれていた仲間達が集う。
「…すまんな、お前達」
「今更、何を謝っているんですか…。俺達はリンカ様の近衛ですよ? 例えどんな状況になろうとも、貴方について行くに決まってるじゃないですか!」
そう言ってサンジが気楽そうに笑う。
他の者も、サンジと同様に笑みを浮かべていた。
「それに、最初から死ぬ気などないのでしょう?」
「…当然だ。しかし、生き残れる可能性が限りなく低いぞ」
全軍で突破を図る以上、当然だが北以外の敵兵にも背を討たれるかたちになる。
殿はそれを阻止する役目を果たす必要があるが、前線よりも多くの敵を相手にする事になる為、相当に厳しい戦いになるだろう。
下がる事も逃げる事も許されない、まさに死地である。
だからこそ、そんな場所に隊員達を付き合わせる事を、心苦しく思う。
「ま、そうでしょうが、そもそもウチじゃなきゃ生き残る事自体無理でしょうからねぇ…」
そう、この戦いの殿に求められるのは、追撃を退けられる戦力と、前線に離されないよう立ち回れる機動力なのだ。
エイガ将軍の部隊も、シュウの部隊も、ガウ将軍の部隊も、戦力的には申し分ないのだが、機動力という点では我々に劣る。
その条件に当てはまる部隊は、現状では我々しかいないのである。
「最悪の場合、リンカ様だけであれば、離脱も可能でしょう。…まあ、どうせしないとは思いますが」
ボタンは諦めたような顔をして首を振る。
流石に長い付き合いなだけあり、良くわかっている。
「当然だ。私だけ離脱するなど、あり得ん」
「指揮官がそれじゃ困るんですけどね…」
当然、それはわかっている。
しかし、もうその役目を私が果たす必要は無い…
「…話は終わりだ。私に文句があるのであれば…、この戦いが終わってからにしてくれ」
「「「「「「了解!!!」」」」」」
◇
戦場において、自分の思い通りにならない事くらい、何度も経験してきた。
しかし、完全に想定外の行動に出られる事は久しく経験していなかった。
(ったく、面倒な事しやがる…)
心の中で舌打ちしつつも、頭の中では冷静に状況把握を進める。
(いくら北が手薄とはいえ、今の奴らじゃそう簡単には抜けねぇ筈…。西と東に伝令も飛ばしたし、追撃は間に合ってるだろ…)
奴らの行動は想定外であったが、元々包囲は完全だったし、突破される可能性は低い。
確かに北は他と比べれば手薄ではあるが、それでも奴らの倍以上の兵力があるからだ。
仮にいくらか食い込まれたとしても、それはそれで背を討つかたちとなる為、こちらの有利は変わらない。
唯一気がかりがあるとすれば、境界からこちらに向かっているという援軍の存在だが…
「崩様、奴らの殿が見えました」
「…思ったよりも食い込んでるな」
自軍の不甲斐なさに苛立ちが募る。
「まあ、奴らも必死なんでしょう」
そんな事はわかっている。
しかしそうだとしても、この速度は異常だ。
(…何かあったのか?)
良く見ると、戦場よりも後方で土煙とは異なる煙が上がっているのが確認できる。
それも、複数個所にだ。
「…甲牙隊、お前らが行って殿を崩してこい! この際、あの女も殺して構わねぇ!」
「はっ! 甲牙隊、出るぞ!」
雄叫びを上げ、甲牙隊が凄まじい勢いで突撃を開始する。
味方さえ気にせず突っ込んでいく姿は、まるで猛獣の群れのようであった。
(あれじゃ、どっちが獣人かわからねぇな…)
甲牙隊は戦力としては申し分無いが、見た目通り加減が効くような連中じゃない。
だから極力、獲物に対しては使わないようにしていたのだが…
(どうにも嫌な予感がしやがる…)
想定外の事態が発生した時は、経験上必ず他にも何かが起こる。
先程の確認した火の手といい、既にそれは始まっているように思えた。
…こういった時は、きっかけとなった出来事から順に考えていくべきだろう。
何故奴らは、わざわざ北から突破を図ろうとしたのか。
例え突破出来たとしても、そこは魔族の領域だというのに、だ。
ただ単に、包囲が手薄だったから…?
否、そんなワケはない。
必ず何か、理由がある筈である。
「………ん?」
その時、僅かに顔を出した陽が、戦場の奥を照らし出す。
そこに見えたのは、魔族達の軍勢であった。
あれが景から報告のあった、援軍なのだろう。
しかし、俺はそれを見て一気に血の気が引く。
「紫紺の戦旗…、だと…!?」