第237話 亜人領境界 防衛戦⑦
「…さてと、そろそろ仕上げとしますか」
欠伸をかみ殺しつつ、寝床から這い出る。
昨夜の行為の名残でべたつく体をサッと拭い、服と鎧を着こむ。
「っ!? 崩様、どちらへ向かわれるのですか!」
天幕を出ると、見張りをしていた配下が即座に声をかけてくる。
「ん? そんなの決まってるだろ。南門だよ。南門」
「南門、ですか?」
「…いいから、お前さんは甲達を集めてこい。至急な」
「は、はい!」
疑問に一々答えてやるつもりは無い。
無能に構うのは時間の無駄というものだろう。
「崩様」
駆けだして行った見張りと入れ替わるように、側近の景が姿を現す。
「景か、早いな」
「はっ、崩様でしたらこの時間に動き出すかと」
流石に景はわかっている。
やはり配下は優秀な者に限るな。
「ふむ、なら各部隊への連絡は済んでいると思って良いな?」
「はい。既に伝令は放っています」
「よしよし。それでこそ景だ。んじゃ、俺は甲達連れて先行ってるから、後は頼んだぞ~」
「はっ」
景は現れた時と同様、音もなく姿を消す。
実際は隠形で気配を絶って移動しただけなのだが、俺の目には本当に消えたようにしか見えなかった。
今度はあの技能を活かして暗殺でもさせてみるか…?
「崩様!」
「来たか、甲」
次々と忙しないが、呼びつけたのは自分なので文句は言えない。
ただ、景とは違ってこいつ等うるせぇんだよなぁ…
「はっ! 我ら甲牙隊、全員揃っております!」
「お、おう」
張り上げられた大声にうんざりしつつ、軽く返事を返す。
この甲牙隊は俺の配下の中でも精鋭揃いの優秀な戦力なのだが、どうにも暑苦しい。
「…いよいよ攻め込むという事で、宜しいでしょうか!」
「いや、宜しくねぇよ…。はぁ、結局説明しなきゃなんねぇのか…」
圧倒的有利な状況で、わざわざこっちから攻める必要なんかねぇって事くらい、普通わかると思うんだがなぁ…
「まぁいいや、向かいながら説明してやるよ」
ため息を吐きながら順に説明していく。
まず、現在のアチラさんの状況についてだ。
「はぁ、確かに、奴らは兵糧をほとんど持ち込めなかったようですが、街の中にはまだ幾分かあったでしょう?」
「阿保か! そんなもん処分したに決まってんだろ!」
「おお! 成程!」
成程! じゃねぇだろ、この低能共が…
当然ながら、街内部の備蓄はほぼ処理済である。
敢えて全て処理しなかったのは、残した食料に毒を盛った為だ。
まあ、アレに手を出す程奴らも愚かでは無いだろうがねぇ…
「って事で、奴らの兵糧はもう既に尽きてる。つまり、このまま籠城しても緩やかに死んでいくだけって事だ」
「……………はっ!? つまり、奴らは玉砕覚悟で突破をしてくると?」
「…ちゃんと頭回るんじぇねぇか。そういう事だよ」
これがただの籠城戦であればそうはならないのだが、状況がそれを許さない。
本来籠城戦はある程度の兵糧の蓄えがあって成り立つものだが、その兵糧が既に尽きている為、長期戦は不可能なのだ。
しかも、城郭には攻められやすいように細工が施してある為、突破されるのも時間の問題と来ている。
つまり、奴等に残された道は、何もせずに死ぬか、玉砕覚悟で突破を図るしかないのである。
そして、獣人共の気性から考えれば、何もせず死ぬ道を選ぶことはまず無い。
「しかし、何故南門なのでしょう?」
「そりゃ普通に考えればわかるだろ? 東は仮に突破出来たとしても、待ち構えているのはエルフの領域だ。奴らは魔族だろうが他の亜人だろうが、侵入者には容赦しない。んで、西と北は俺達の軍が待ち構えている。となりゃ南しか突破口は無いって事だ」
「おお、成程!」
より厳密に言えば、北にはそもそも逃げ道は無いし、西と東は、仮に突破出来たとしても正面が敵地である以上、必ず南に下る事になる。つまり、南に兵を厚く構えていれば逃げ場は無くなるという事だ。
「という事は、こんな陽も上がらぬうちから動くのは…」
「闇に乗じるなんて馬鹿な真似はしないだろうからな。仕掛けてくるなら、一番成功率の高そうなこの時間帯を狙うだろ」
獣人達も夜戦は得意な部類だが、魔族に比べれば明らかに劣っている。
主力であろうトロールの突破力も、夜では大した力を発揮できない。
だからこそ、陽が上る直前というこの時間に、奴等は仕掛けてくる可能性が高い。
「この辺でいいだろ。俺達はなんとか突破して疲弊している所を、ゆっくり料理するだけだ」
前方には既に、各部隊から派遣されてきた兵士達が集結していた。
兵力差を考えれば、奴らではまず抜ける事は不可能だろう。
しかし、奴らも決死の覚悟でこの戦いに臨む筈…
抜けてくることも十分にあり得る話だ。
それを美味しく頂く為、甲牙隊と俺がいるんだがな…
(唯一の心配は、あの生意気そうな女将軍が死んでしまわないかだな…。一応殺さないように指示をだしてあるが…)
他にも、めぼしい女には予め指示を出して殺さないように命じていたのだが、半分近くはその命を守れずに殺してしまっていた。
まあ戦場である以上仕方が無いのだが、本命くらいはしっかりと残してくれないと困る。
こんな戦場にわざわざ出てきたのもそれが目当てだというのに、それが無くなっては一気にやる気が失われてしまう…
「崩様」
「お、景か。どうした?」
景には東部隊の指揮を任せている。
それがここに居るという事は、何かあったのか?
「それが、少々妙な事が…」
景が言葉を濁す。
この男にしては珍しい反応だ。
「念の為確認いたしますが、崩様は援軍を呼ばれたでしょうか?」
「…? 呼ぶわけ無いだろ。何を言っているんだ?」
この状況で援軍を呼ぶ理由などある筈が無い。
景ならばそのくらいの事理解していると思うが…
「失礼しました。ただ、そうであればやはり妙です。先程境界より、魔族達の軍勢がこちらに向かっているとの報がありました」
「…はぁ? そりゃ、どういう…」
「で、伝令!」
っそ! 今度は一体なんだ!?
「き、北門に、獣人達が集結して…」
伝令の言葉とほぼ同時に、北の方角から喊声が上がる。
対してこちら側には、一切敵兵が出てくる様子は無い。
まさか奴ら、南門を放棄して北から突破を仕掛けるつもりか…?
「くそ! 一体どうなってやがる!」