第227話 緩やかなる行軍
残業だったので少し遅れました…
「おじちゃん! おかわり頂戴!」
「コラ! 駄目に決まってるでしょ!?」
配給のおかわりをねだってくる少年の頭を、その母親らしき人物がはたく。
そして深々と何度もお辞儀してくるので、俺には苦笑いを浮かべながらそれを止めた。
「大丈夫ですよ。まだ、たくさんありますので。皆さんも! 遠慮はいらないので、おかわりが欲しければ言ってください!」
俺がそう言うと、遠巻きにこちらを伺っていた者達が次々に集まってくる。
案の定、遠慮をしていたようだ。
「…いいのか? ここまでして?」
それまで無言で手伝っていた炎が、ボソリと尋ねてくる。
そんな彼を見て、もしかしたら遠慮してたのではなく、彼を恐れて言えなかったのかなと思った。
「問題ありませんよ。基本的に、そこらの森で手に入れた食材が中心ですから」
俺もコルト達も、伊達に森暮らしをしていたワケじゃない。
森の食材には詳しいし、魔獣の調理法についてもしっかりと学んでいる。
「…では、これが魔獣を調理した料理という事か? …俄かには信じられんな」
やはり魔族領には魔獣を食べるという習慣が無いらしく、紫も含め、調理方法を知る者はいないようだった。
しかし、どうにもそれは妙な話だと思う。
何故ならば、亜人領には度々魔族の盗賊団が出稼ぎに来ている事が確認されているからだ。
別に亜人達は調理方法について秘匿しているワケでは無いし、そのくらいの情報いくらでも手に入れる事が可能な筈である。
さらに、間者の類だって侵入しているだろうから、ここまで認知されていないのは流石に不自然だ。
恐らくは、何らかの意図で情報が封鎖されているのだろうが…
「…トーヤ殿が考えている事は、恐らく間違っていない。そういった事を得意とする者を、私は知っている」
そういった事を得意とする者とは、十中八九、紫の兄である排という者の事だろう。
彼女の話では、情報の操作に長けた人物らしく、中々に厄介な存在である。
その男が情報の秘匿を行っているのだとしたら、これは中々に大掛かりな計画だったのかもしれない。
「…という事は、この情報は排って男にとっては結構重要だったり…?」
「…恐らくな。貴殿の存在は排にとって完全に想定外だと思われる。もし知られれば、確実に命を狙われるだろうな」
嫌な話を聞いてしまった…
俺はなんの他意もなく、ただ食事を提供しただけだというのに…
「安心するがいい。それをさせない為に、私がついているのだ」
「…頼みますよ」
炎は俺の護衛兼、部下という立場で俺に貸し出されている。
彼の実力を知っているだけに頼もしい限りなのだが、存在感が強過ぎて正直息が詰まりそうだった。
俺達は現在、魔族領内の集落や街を転々としながら、亜人領に向けて行軍中である。
わざわざそんなルートを通っているのは、紫の統治する拠点を増やしていくという目的があった。
拠点を増やす事で、情報伝達や戦力を送る為の経路を作るのである。
イメージとしては、戦略シミュレーションゲームなどで、領地を広めていく流れと一緒だ。
…まあ俺も、知識として植え付けられただけで、実際にプレイしたことなど無いから、結構内容は異なるのかもしれない。
今の所は攻め落としたり、襲撃したりといった事は無く、単に貧しい村々を援助してるだけしな…
当然と言えば当然だが、紫は一緒に来ていない。
あの紫といえども、騒動からまだ間もない状況で街を離れる事は出来ないようだ。
その代わりに、各拠点に早馬を用意し、何かあればすぐに連絡ができるよう準備を進めているのである。
その準備に俺達は関わっていないが、雀さん達は忙しなく行ったり来たりを繰り返しているようであった。
そんなに頻繁に動いて、排の間者に狙われないかが心配だったが、彼女達の護衛には精鋭部隊が付いている為、心配はないらしい。
それに、いくら排でも、遠地から部下に指示を出すには時間がかかるらしく、この短期間で何か行動を起こす可能性は低いそうだ。
俺達も確認はしているが、今の所間者が紛れ込んでいる様子は無い。
俺達の目を欺くほどの隠形の達人が潜んでいる可能性もあるだろうが、その可能性は限りなく低いだろう。
俺はともかく、アンナの目を初見で誤魔化せる者など、いるとは思えない。
食事を終え、皆は一様に満足した顔をしている。
不味しい生活を送っていた彼らにとって、今回の配給は久しぶりに口にするまともな食事だったそうだ。
その為かはわからないが、はっきり他種族とわかる俺にも、彼らは躊躇いなく頭を下げてきた。
亜人領の文献には、魔族は亜人を潜在的に憎んでいる為、決して相容れないなどと書かれていたんだがな…
「さて、満足して貰った所で、我々の話を聞いて貰おう」
「…あの、少し宜しいでしょうか」
「なんだ?」
「私は、この集落の長を任されている者です。この度は、我々に食料を提供して頂き、誠に感謝いたします。…ただ、既に口にしておいて申し訳無いのですが、この集落にはそれに見合う対価など…」
「その事を、これから説明するつもりだ」
炎がピシャリと言い放つと、集落の長は委縮して腰を抜かしてしまった。
他の者達も、炎の放つ威圧感に慄き、震えあがっているようだ。
「む…、そう怯えずとも良いのだが…」
炎は困ったような顔をしつつ、俺の方を見てくる。
俺は少し呆れかけたが、もう何度も見て来た光景なので、軽く頷いて前に出る。
「え~、皆さん、不安に思うのも無理はありませんが、今回の配給でこの集落に何かを強要するような事はありません。これは紫華街の代表である、紫様の意思です」
俺の言葉に対し、集まった者達がざわざわと騒ぎ始める。
紫華街、そして紫の知名度はそれなりに高く、こんな辺鄙な地にある集落でも知っている者は多数いるようだった。
「知っている人も多いようですが、紫様はこれまでも各地で貧困の民に手を差し伸べてきました。今回の配給も、その一環だと思って下さい」
「な、なんと…、それでは、本当に…」
「はい。提供した食料については、その対価を貰うつもりはありません。ただ、紫様はこの集落を自らの庇護下に入れる事を望んでいます。もちろん、強制するつもりはありませんが、皆さまはそれを受け入れる意思がありますか?」
「そ、それは、むしろこちらからお願いしたい程です!」
長の発言に、他の者達も続く。
まあ、なんの後ろ盾も無い彼らにとって、今回の話は手放しで飛びつくような内容かもしれない。
俺としてはもう少し警戒した方が良いんじゃとも思うが、彼らの貧困さから考えれば、藁にも縋るような思いなのだろう。
「ありがとうございます。それでは、早速ですが簡単に打ち合わせを行いたいのですが…」
「それでしたら、是非私の家へいらして下さい!」
こんな交渉とも言えないレベルのやり取りを繰り返していると、なんだか詐欺師にでもなったような気分になる。
本来ならこれは、紫に直接命を受けた炎の仕事の筈なのだが、いつのまにか俺が受け持つ事になっていた。
ほぼ間違いなく、これは紫の策略であった。
(何が、炎は不器用な男だからお前が手助けしてやってくれ、だ。俺にやらせる気満々だったんじゃないか…)
見ている限り、炎は交渉事というか、話し合いに全く向いていない。
紫なら当然その事はわかっている筈なので、最初から俺に任せる気だったのだろう。
結局、いいように使われているというワケだ。
(やれやれだな…)