第226話 同盟
「…ふむ」
現在亜人領は、魔族から侵攻を受けている。
それを紫に教える事は、かなりのリスクがあった。
勿論、俺達の身柄を利用される可能性があるからだ。
紫は俺達の身の安全を保障すると言っていたが、状況が変わってくれば当然話も変わってくる。
もし紫が、彼女の兄達と同様、亜人領の侵攻を支持するのであれば、俺達は間違いなく捕縛されるだろう。
しかし、先程の話の流れや、紫の考え方を踏まえると、恐らくそうはならないと思う。
…まあ、前向きに考えるのであれば、だが。
「…中々に大層な情報だな? よく私に直接言えたものだ」
俺の話を聞き終え、暫し考え込むようにしていた紫は、口角を上げて笑みを作る。
しかし、彼女の目はそれと対照的に、鋭い光を帯びていた。
「…今ここで言わなくとも、いずれわかる事ですからね」
「まあ、そうだろうな。確かに、後々私に知られて、嵌められるよりも良い、という所か…」
紫はそう言って、優雅に足を組み替える。
その直後――
「しかしそれを聞いて、私がお前達を手放すと思っているのか?」
放たれた凍り付くような殺気に、一瞬体が強張る。
俺は慌ててアンナが飛び出さないよう押さえこんだが、どうやらその必要は無かったようだ。
「アンナ、大丈夫だ…。俺が何もさせないよ」
震えるアンナを安心させるよう、抱き寄せて頭を撫でてやる。
それでもアンナは、未だに怯えたように肩を震わせていた。
…無理もない、それ程に紫の殺気は、凄まじかった。
その凍てつくような鋭い殺気は、あの炎の放つもの以上と言っても過言では無い。
「何もさせない、か。私も随分と甘く見られたようだ」
「…甘くは見てませんよ。むしろ、貴方を評価しているからこそ、そう言ってるんです」
俺は真っすぐ彼女の目を見据え、そう言い放つ。
こればかりは嘘偽りない俺の気持ちだ、紫もそれ位はわかっている筈。
確かに、後々彼女に情報が伝わった場合、俺達は罠に嵌められる可能性がある。
しかし俺達にも、機を見て途中で姿をくらませるという選択は残されていた。
紫の支援を受け、安全に亜人領に戻るという事は出来なくなるが、それでも後ろから刺されたり、一服盛られるよりはマシだろう。
他にも色々と方法は思いつくが、恐らくそれが一番無難な選択だった筈。
それでも尚、俺がそうしなかったのは、敢えてそうしなかったという俺の真意を、紫なら見抜くと信じていたからだ。
「………くっくっく。やはり、お前は面白いな、トーヤよ。増々お前が欲しくなったぞ?」
紫はそう言うと、凍てつくような殺気を鎮め、再び妖艶な気配を纏う。
「しかし惜しいな…、今後の事を考えれば、どうやらお前を配下に加えるのは、最善では無いらしい」
実に愉快そうに笑みを深めながら、紫は席を立つ。
「…ついて来いトーヤ。特別だ…、お前には、私の手の内を見せてやろう」
◇
紫華街を奪還してから、一週間が過ぎようとしていた。
客人扱いである俺達を他所に、紫の配下達は忙しなく城中を駆け回っている。
狼が取り決めたという法…、と言うより街の規則は、それはもう酷いモノであった。
よくもまあ、自分達に都合の良い事ばかり並べるものだと、逆に感心してしまったくらいだ。
住民も当然それには不満を持っていたらしく、既に暴動を起こす寸前まで来ていたらしい。
紫が義火に捕らえられたのが二ヶ月程前だと言うから、良く我慢した方なのかもしれないが…
その悪法を制定した張本人である狼は、現在街の中央で首を曝されている。
一応は血の繋がりもあるので、命までは取らないのかと思ったが、流石にそれは無かった。
紫自身はどうでも良さげにしていたが、やはりああしなければ、住民達に示しがつかないという事だろう。
他にも、収容所に待機させられていた奴隷達の受け入れや、仮住まいの準備などやる事は目白押しという感じであった。
そんな中、俺達は俺達で暇を持て余していたワケでは無い。
亜人領への帰還に向け、様々な打ち合わせを紫達と行っていたのである。
もっとも、ただ帰還するだけであれば、それ程様々な打ち合わせは必要無かったのだが…
「…くどいとは思いますが、本当にこの道順で行くのですか?」
「ああ、無論だ。心配は要らないぞ? どの拠点も、規模で言えばこの紫華街の一割にも満たないからな」
(そういう意味で言ったのではないんだけどなぁ…)
俺はもう一度、机の上に広げられた地図を見下ろす。
魔族領の全体が記された地図…、そこにはジグザグと目立つ線が引かれていた。
そのジグザグの線こそが、俺達が亜人領へ帰還する為の行軍ルートである。
「…トーヤ様、申し訳ありません。私が、不甲斐ないばかりに…」
「いや、アンナは何も悪くないよ。悪いのは全部俺だからね」
まあ、真の元凶は目の前でニヤニヤと笑う女王様なのだが…
「ふふん、トーヤ達と盟を結ぶ以上、当然安全は保障するぞ? まあ勿論、しっかり働いても貰うがな」
…とはいえ、所詮は口約束のレベルである。
盟を結ぶと言っても、俺と紫との間の事だけであって、決して魔族と亜人が手を組むワケでは無いのだ。
本当にこんな事をしても、大丈夫なのだろうか…
最悪、亜人領から裏切り者として扱われないか、心配でならない。
「…一応約束をした以上、言われた通り協力しますが、あくまで亜人領に戻るまでの話ですからね? それ以降の事は、ウチの王様達と直接やり取りして下さいよ…?」
「ああ、そのつもりだ。もちろん、お前にも相席してもらうがな?」
まあ、俺の立場上それは不可避だろう。
今から想像するだけで、胃が痛くなってくる…
俺が諦めたように頷くと、紫は満足そうに笑みを深め、前へ歩み出る。
そして俺達を含め、集められた全員に伝えるよう声を張り上げた。
「改めて言おう! 我々は、このトーヤ達亜人領の者達と、同盟関係を結ぶことを宣言する!」
風邪で寝込んでいました…
次回は通常通り、月曜~火曜に更新予定です。