第220話 第七十八番地区 奪還作戦⑧
「ば、化け物め…」
この子供を目の前にしたとき、すぐに理解した。
自分は選択を誤った、と…
(こんな事であれば、あのまま真っすぐ向かって…、は駄目だな…)
最初に感じた殺気は、間違いなく将軍格が放つものだった。
あのまま向かっていたら、ここよりももっと危険だった可能性が高い…
「…子供だの化け物だの、随分と失礼な人ですね」
俺が化け物発言したのが勘に触ったのか、目の前の子供から溢れ出す殺気が強まる。
目の前で剣呑な殺気を放たれて、俺を含む残り二名はすっかり萎縮してしまっていた。
この子供から放たれる殺気は先程のような規模も無ければ威圧感も無いというのに、恐ろしく鋭かった。
まるで首筋に刃を当てられたような緊張感…
とてもではないが、こんな子供が放つものとは思えない。
「あ、謝る! 化け物と言った事も、子供と言った事も訂正する! だから、命だけは助けてくれ!」
俺は膝と両手をつき、額を地面に擦り付けながら懇願する。
魔族における、謝罪の意を表す中でも最上位のものがこの姿勢だ。
普通であれば、大人が子供相手に取る姿勢ではない。
その証拠に、他の二人は俺の対応に狼狽えているようであった。
(冗談ではない…! こんな所で死んでたまるか…)
俺は下らない感情に振り回される愚か者ではない。
頭を下げれば許されるのなら、いくらでも下げてやる!
俺は今までだって、そうやって生きてきたのだ。
上の者には媚びへつらい、仕事だって嫌な顔一つせず真面目にやってきた。
謝って済む事なら、恥じらいもなく頭を地面に擦り付けたし、舐めろと言われたら足だって舐めてきた。
そうして甘い汁を啜り、今の副所長という地位にまで昇って来たのである。
子供相手に情けない? 知った事か! 生き残った者こそ勝者なのだ!
「…先程までとは打って変わって、随分と殊勝な態度を取るのですね」
僅かだが、子供から放たれる殺気が弱まるのを感じる。
(…イケるか? …いや、まだわからんな)
だが、少なくとも交渉の余地は生まれたように思う。
相手は所詮子供だ、同情を誘い、キレイ事を並べれば、簡単に言いくるめられる筈…
「ふ、副隊長! 賊に対して命乞いなど、恥ずかしくないのですか!」
「…なんとでも言え! 元々俺は、今の街のやり方には疑問を持っていた! 命を投げ打ってまで、街の為に戦うつもりなどあるものか! お前達だって隊長のやり方や、上層部のやり方には納得して無かっただろう? 命を張ってまで、街の為に戦う価値があると思うか!?」
俺は、自分がこの街のやり方を良く思っていない事を強調する。
そんな事は露とも思っていないが、この子供にそれを確認する手段は無いからな…
嘘でも何でも、いくらでも吐いてやる…
「…貴方がた守衛は、ここにも見張りを立てていたと思いますが、望んでやった事では無いと言う事ですか?」
「…ああ、ここには俺が世話になった人達も曝されている。少なくとも俺は、こんな場所の警備なんて、やりたくなかった!」
迫真の演技で、俺は自分の慟哭を表現する。
こればかりは嘘は言っていないし、演技にも興が乗るというものだ。
…まあ、悪い意味で世話になった者達の首なぞ、警備する価値も無いと思っただけなのだがな。
さて、今の演技に対する、この子供の反応はどうだろうか?
恐らくだが、この子供は街の政権交代により処刑された者達の縁者か何かだろう。
だとすれば、俺が自分達寄りの考えを持っていると印象付けられれば、敵意を向ける対象にはならない筈…
或いは、このまま演技を信じ込ませさえすれば、命が助かるどころか、隙だって曝してくれるかもしれない。
そうなれば、賊を討ち取った事で報酬を得られる可能性すら見えてくる…
「頼む! 亡骸を弔いたいのなら、協力したっていい! だから俺を…、いや、俺達を見逃してくれないか!」
俺は二人の返事を待たずして、俺だけでなく全員の命乞いをする。
ここで俺だけ命乞いをするのは、あまり印象が良くないだろうからだ。
「「お、お願いします! どうか、命だけは!」」
二人が俺に倣い、額を地面に擦り付ける。
(ようやく乗って来たか…。ノロマ共め…)
この二人は俺と同じ、甘い汁を啜っていた側だ。
つい先程までも女達を犯して愉しんでいたし、曝された者達の処刑にも携わっている。
だからこそ俺の言葉に疑問を持っていたようだが、ようやく俺の意図に気づいたようだ。
正直、この二人の事などどうでも良いのだが、賊がもう一人いる以上、討ち取るには手が足りない。
頭が悪く愚鈍この上ないが、盾役くらいにはなってもらわねば…
「…はぁ、ここまで屑だと、逆に清々しい気分になりますね」
「「「…は?」」」
俺達三人は揃って間抜けな声を上げる。
二人と同じ反応をしてしまったのは癪だが、意味不明なのだから仕方がない。
俺がわからないのだから、この二人がわかる筈も無いしな…
「…この三人を残したのは、三人共…、特に副隊長だというお前から悍ましい気配を感じたからです。案の定、お前の言葉には嘘と悪意しか無かった…。お前ほどの屑であれば、命を奪う事に何の躊躇いもない」
子供から放たれる殺気が、再び強さを増す。
刺すような鋭い殺気は、最早首筋に刃を当てられているなどという半端なものでは無く、既に首が落ちてると錯覚する程の濃密な気配をともなっていた。
実際、殺気に触れた他の二人は、白目を剥いて気絶してしまっている。
しかし、二人はむしろ幸せだったかもしれない。
誰だって、猛獣の咢が迫ってくるのを見ながら死にたくは無いだろうからな…
◇
「アンナ…、全員、殺したの?」
「…ううん、そうしたいのは山々だったけど、やめておいた」
「…なんで?」
「私は…、いたぶって殺すのが、苦手だから」
「そう…」
松明の火に照らされながらも、深々と装束を被っているアンナの表情は見えない。
ただ、正直な所それで良かったのかもしれない。
今のアンナの顔は、なんとなく見るのが憚られた。
「…それより、始まるみたいだよ?」
アンナが言うと同時に、門の方からけたたましい歓声が上がる。
予定通り、紫という女が正面から堂々と入ってきたのだろう。
「…コイツらを縛り上げて、撤収しようか」
「そうね…。痛めつけ、処刑するのはあの女に任せるとしましょう」
アンナは、刺すような視線を浴びせながら、転がる守衛達を乱暴に引きずって来る。
俺はため息を吐きながら、集められた彼らを縄で縛っていった。