第217話 第七十八番地区 奪還作戦⑤
詰所の最奥、恐らく所長室と思われる部屋は、凡そソレとは思えぬ有様であった。
事務用の机は全て端に追いやられ、その代わりに、部屋にそぐわぬ程豪勢な寝床が敷かれていた。
その中心には、所長と思われる男が、今なお行為に及んでいる最中である。
「解放、ねぇ…」
男は俺の事を意識に入れながらも、視線すら向けてこない。
油断している、というワケでは無いだろう。
ただ、この男にとっては、俺の侵入など取るに足らない些事に過ぎないのだ。
その自信を裏付けるだけの武の気配が、男からは滲み出ていた。
「お前さん、魔族じゃ、ないな?」
っ!?
男は依然として、俺に視線を向けてはいない。
だというのに、俺が魔族でないことを看破してきた。
一体、どうやって…?
「ふん、別に驚くことじゃ、ねぇぞ? お前さんからは、魔族特有の陰気さが、感じられなかった、ってぇだけの話だ」
…どうやら、カマをかけられただけであったらしい。
俺はそれに、まんまと嵌まったのようである。
「…成程。それは今後の参考にさせてもらうとしよう」
魔族でないことくらい、別にバレても何も問題ないのだが、気が緩んでいたことは否めない。
相手の見た目で油断するなど、愚かしいにも程がある…
「んで、魔族でも無いお前さんが、なんで女共を助けようとしやがるんだ?」
「…それをお前に言う必要があると思うか?」
「…いや、ねえな。そもそも、聞く意味すらねぇ。しかし、まあ見ての、通り俺も女共も忙しいんで、な! ハイそうですか、と返すワケにもいかねぇ」
男は腰を振ることを止めることなく、ただ息継ぎのついでに会話するという状態だ。
ここまでまともに取り合われないと、流石に少し腹立たしいな…
「…お前の都合などどうでもいい。大人しく解放しないのであれば、強硬手段を取らせて貰うだけだ」
「あぁ? 強硬手段だぁ?」
男はここで初めて動きを止め、舐めるような視線で俺を見る。
全身をくまなく観察するようなその視線に、思わず身震いする。
「なんだぁ、優男じゃねぇか…。強硬手段とか抜かすから、さぞ腕自慢の屈強な男かと思いきや…、拍子抜けだぜ。そんなナリで俺をどうにかできるとでも思ってんのかぁ?」
「…期待外れで悪かったな。まあ、最初からお前の期待に応えるつもりは無いが」
俺はそう言って構えを取る。
この男との対話は無意味と判断したからである。
しかし、次の瞬間、男は思いもよらない行動に出る。
「ふん!」
四つん這いに押さえつけていた女の腕を引き、後ろから抱きかかえたのだ。
一瞬、盾にでもするつもりかと思ったが、男はそのまま俺目掛けて女を突き飛ばしてきた。
「っ!?」
突き飛ばすといっても、小突いたようなレベルでは無い。
まともに受ければ、間違いなく致命傷となる程の威力を持っているだろう。
俺は即座に回避行動に移ろうとしたが、一瞬、その動きに迷いが生じる。
このまま回避した場合、女が後ろの壁に叩きつけられるためである。
俺が避ければ、女は間違いなく絶命する…
(チッ…)
俺は心の中で舌打ちしつつ、結局受け止めることを選択する。
男の思惑に乗ることになってしまうが、このまま女を見殺しにすることはできない。
「くっ…」
柔らかい女の体とはいえ、50キロ近い肉の弾丸を叩きつけられたのである。
その威力は中々に凄まじい。
俺は可能な限りその威力を減衰しつつも、塞がった視界の向こうに意識を張り巡らせる。
男は案の定、俺が隙を作るのを見越して動き出していた。
「やっぱり甘ちゃんだなぁ! 優男!」
男は剣を構え、女ごしに突きを放ってくる。
下種のやり口ではあるが、『剛体』対策も兼ねた理にかなった攻撃だ。
しかし、動きが見えていれば対処は容易い。
俺は女の背に手を回し、剣の切っ先から女を庇う。
男は俺が反応したことに気づくも、構わず切っ先を突き入れてくる。
このまま押し切ることで、壁に押し込む狙いなのだろう。
しかし…
「なっ…!?」
次の瞬間、剣の切っ先は俺の腕を滑り、その軌道を大きく横に逸らした。
闘仙流の『流体』による防御である。
『流体』は『剛体』で発生する反発力を制御する事で、攻撃の軌道を逸らす技だ。
本来真正面にしか発生しない反発力を、斜めや横に発生させることにより、攻撃を防ぐのではなく、受け流すことに特化している。
男は切っ先を大きく逸らされ、体ごと流される。
俺はそれに合わせるように、男の腹目掛けて蹴りを放った。
「ぐおぉっ!?」
男は間抜けな声を上げながら吹き飛び、壁に背を打ち付ける。
手応えはあった…、が…
「ちっ…、どんなカラクリか知らねぇが、面白ぇ技を使うじゃねぇか…。だが、今のでわかったぜ。お前の攻撃じゃ、俺は倒せねぇってなぁ…」
そう、今の一撃は、男の隙に対し完璧に決まった蹴りであった。
俺が普通に出せる最大級の攻撃…
にも関わらず、男はそれ程ダメージを受けたように見えない。
つまり、俺の攻撃力では、男に対してまともにダメージを与えることができないというワケだ。
「…そうかもしれないが、やりようはある。こう見えて、タフな相手とはやり慣れているんでね」
「そりゃ面白れぇ。精々楽しませてもらうぜ? 俺は、男でもイケるくちだからなぁ…」
ゾクり
男の下卑た笑いの前に、再び怖気が走る。
まさか戦いに対する恐怖より、嫌悪感が勝るとことがあるとは‥‥
(勘弁してくれよ…)
男は隠しもせず、ギンギンにそそり立つ下半身を見せつけてくる。
(コイツはある意味、かつて無い程の難敵、だな…)