第211話 紫の側近
所長に案内されたのは、地下の収容施設であった。
まさに地下監獄といった雰囲気だが、暴れたり叫んだりする囚人はいないようであった。
「…随分と大人しい囚人が多いみたいですが、本当にここは監獄なのですか?」
「もちろん、監獄だ。ただし、この地下に収容されているのは、ワケ有りばかりだがな」
「ワケ有り…?」
「…まあ、冤罪だったり情状酌量の余地がある者達だな。それより所長よ、私をここに連れてくるという事は、私に会わせたい者がいるという事だろう?」
はぐらかされたような感じだが、俺としてもそこまで興味があるワケではないので、深くは追及しない。
それよりも、わざわざ紫を連れてこなければいけない人物というのが気になる。
余程の地位の者か、あるいは手の付けられない程のならず者だろうか…?
「紫様の良く知る人物ですよ。直接その目で見るまでは、絶対に動かないと仰ってまして…」
そう言って、所長は一つの扉の前で立ち止まる。
他の牢屋とは違い、完全に密封された扉…
これが牢屋と同じ役割なのであれば、相当に厳重な扉である。
「…トーヤ様」
アンナが、不安と警戒の入り混じったような目線で訴えてくる。
「ああ、わかっているよ…。コルトも、気を引き締めておいた方がいい…」
コルトは俺の言葉に黙って頷く。
コルトもアンナ程ではないが、この扉から嫌な気配を感じ取っていたのだろう。
俺が言うまでもなく、いつでも退避できるよう集中しているようであった。
「クック…、この気配、懐かしいな…。所長、私はこの中に誰がいるかわかったぞ?」
「お察しの通りでございます。あの方は我々の手には負えません…。どうか紫様から、あの物騒な気を放つのを止めて頂くよう、言って貰えないでしょうか? 他の囚人たちにも影響が出始めていますので…」
「わかった」
紫が頷くのを確認し、所長は扉の鍵を開け、そのままゆっくりと扉を開いた。
「っっっっ!?」
その瞬間、凄まじい威圧感が扉の向こうから叩きつけられる。
殺気なのは間違いない。
しかし、これはそれよりももっと破壊的で、暴力的な気配であった。
例えるなら、巨大な津波や、竜巻などの自然災害を目前としたような絶望感が近いかもしれない…
「トーヤ様! 危険です!」
そう言って、アンナが俺を庇うように前に出る。
俺はそれを、抱き寄せ、逆に庇うように外套で包み込みこんでしまう。
「トーヤ様!?」
「…大丈夫だ、このくらいの殺気なら慣れている」
この二年間で、師匠の凄まじい気当たりに慣らされた俺は、この程度の殺気であれば行動に支障を来すことは無い。
そして同時に、この殺気が持つ意味も理解出来ている。
「…私を前にして一切表情を崩さない、か。どうやら、偽者ではないようですね」
「ふん、この私の美貌を真似られる者などいるものか」
紫は、あの殺気を真正面から受けながら、浮かべた笑みを一切崩さなかった。
半信半疑だったが、蛮の言っていた内容に真実味が増してきたな…
「…失礼しました。姫様、ご無事で何よりで御座います」
「…お前は、満身創痍だな。苦労をかけたようだ」
男は、紫が偽者かどうかを、殺気を放つことで確認したらしい。
随分と荒々しい確認の仕方だが、手足を拘束され、鎖に繋がれた状態では、あのような方法しか無かったのかもしれない。
「…コルト、立てるか?」
「…はい」
俺が手を差し伸べると、コルトは悔しそうな表情を浮かべて俺の手を掴んだ。
肌の色が濃いのでわかりにくいが、コルトの顔からは血の気が引いている。
アンナも、気丈に振舞ってこそいたが、その表情は青ざめていた。
「二人とも気に病むなよ。アレは威嚇の類だが、一種の技でもある。何の対策もしていなければ防げないのは当然だ」
「…でも、俺は、こんな無様な…」
何も出来ず尻餅を付いたコルトは、今の事が余程ショックだったようだ。
どんな理由があろうとも、戦いにおいて隙をさらす事は、すなわち死を意味する。
今のコルトは、文字通り死んだような気分なのだろう…
「コルト、俺もアレを最初に受けた時は腰を抜かしたよ。その俺が慣れたんだから、コルトも絶対耐えられるようになる。だから、今は前を向け」
「…わかりました、親父殿」
偉そうな事を言ったが、俺が初めてアレを喰らった時は、ついでに小便まで漏らしている。
敢えて言うつもりは無いが…
「トーヤ様…」
「アンナも怖かったろうに、ありがとうな」
恐怖で震えるアンナの頭を、優しく撫でてやる。
アンナから伝わってくる心の状態は、とてもでは無いがまともに戦える状態ではない。
そんな状態で、アンナは気丈にも俺を庇おうと前に出たのである。
本当に、強い娘だ…
そんな俺達のやり取りを待っていたのかはわからないが、タイミング良く紫から声がかかる。
「トーヤ、紹介しよう。この男は私の側近で、炎という。見ての通り、愚弟などよりも遥かに優秀な戦士だ。…全く、本当に私は運がいい。これで、我が城を取り戻す障害は無くなったと言ってもいいぞ」
障害ねぇ…
仮に、この男を相手にする事がその障害に含まれていたのだとしたら、とんでもない話である。
この男の実力は恐らく、軽く見積もっても月光クラスだぞ…
「炎だ。姫様を救ってくれたそうだな。感謝する」
そう言って、炎は俺の前で深々と頭を下げる。
俺はそれに対して、苦笑いで返すのが精一杯であった。