第203話 蛮との戦い①
「決闘、だと?」
紫の表情が少し険しくなる。
何やら案を持ち掛けようとしていた相手が、いきなり決闘を始めるなどと聞けば、その反応も仕方ないと言える。
「このアジトに関する情報と引き換えに、蛮と戦うことを約束してしまったんですよ…」
俺が心底嫌そうな顔をして答えると、紫は少し思案してから、やれやれといった感じで首を横に振る。
「成程な。愚弟の言い出しそうな事だ。しかし、そうなると色々と困るな。お前に何かあると、私の提案が実行できない可能性が出てくるぞ?」
当然の懸念だろう。
仮にもしここで俺が死ねば、彼女の言う『良い案』とやらが実行できなくなる可能性があるからだ。
『良い案』の内容を聞いてないから確証は無いが、わざわざ得体のしれない俺に持ち掛けてきた事を考えると、少なくとも単騎で実行するにはリスクが高いプランなのだと思う。
「…まあ、そうならないように努力はしますよ」
「…ならせめて、もう少し自信のある顔を見せてはどうだ。それでは全く安心できんぞ?」
「…それは失礼」
多分大丈夫だとは思うのだが、自信があるかと言われるとな…
この二年でそれなりに鍛えた実感はあるのだが、根拠が無い自信を持てるほど俺は楽観的ではない。
いや、単純に憶病なだけなんだけど、こればかりは性分だからな…
まあそれでも、ここはなるべく自信のありそうな表情を作っておくことにしようか。
◇
大部屋のある場所からさらに降りていくと、少し開けた場所に出る。
やや薄暗いが、あちこちに魔光石が設置されていた為、すぐにここが何のために用意された場所か理解することが出来た。
(脱出口、の予定地だったんだろうな…)
このアジトには内部に脱出口が無かった。
しかし、作るつもりはあったらしい。
このアジトは、使い始めてまだそんなに年月は経っていないようだし、あの男の言う通り制作が間に合っていなかったのだろう。
(あとは人材の問題か)
恐らくだが、奴隷達を労働力としてこき使っていたのは間違いない。
しかし、さっき見た感じでは肉体労働向けの奴隷はあまり居ないように思える。
そこから考察するに、この場所に集められた奴隷達は商品としての価値は余り無いのかもしれない。
(ダークエルフがいることも踏まえると、”消耗品”の保管庫兼、実験施設って所か…)
なんとも胸糞悪い話である。
女が多い割に、あまり綺麗所がいないのもそのせいか…
「おい、愚弟」
「あ? なんだよ姉貴」
足場や障害物の配置を頭に入れていると、後ろから姉貴に呼びかけられる。
(そういや、姉貴に関してはさっきの考えに当てはまらないな…)
姉貴はまあ、魔族の中ではかなりの美人と言っていいだろう。
それに、人材的価値も相当なものだ。
恐らくだが、他に居た従者も含め、ここに捕らえられていた理由は、単純にこの場所が姉貴の管轄都市に近いからなのだろう。
「…おい、なんだその目は? 姉を品定めすると良い度胸だな?」
「そんなんじゃねぇよ! メンドクセェ事言ってねぇで、さっさと用件を言いやがれ!」
「…ふん、まあいい。私から言いたいことは一つだ。あの男は、殺すなよ?」
はん! まあそんなこったろうと思ったがな…
しかし、理由があるにしろ、姉貴がこんな事を言い出すとは非常に珍しい事である。
自分で手に入れたもの以外、身内すら信用しないような人だったんだがな…
余程あの男を気に入ったのだろうか?
「そいつぁ約束できねぇよ。少なくとも、手を抜くつもりはねぇ…」
「…頑固者め。では、余りにも一方的だったり、危険だと感じたら止めさせてもらうぞ?」
どうやら、姉貴の中ではあの男の戦闘力に関しては、まるで期待していないらしい。
だったら何故、ここまであの男の身を案じるのだろうか?
俺には理解できないが、姉貴がそれで納得するのなら別に構わないか…
「勝手にしろよ。…まあ、要らん心配だと思うがな」
「?」
「俺は一度、アイツに不覚を取ってんだよ。だから、姉貴の出番は無いかもしれないぜ?」
「!?」
そう、あの男は見た目に反してかなり強いのである。
不意打ちとはいえ、俺を一撃で気絶させられる程の技も持っている。
決して手を抜ける手合いではないのだ。
◇
「一応決め事として、お互いの命は奪わないという事で構わないか?」
「決めるのはいいが、守れるとは限らねぇぞ」
「それはお互い様だ。ただ、最初から殺す気満々では、この戦いの意味合いが変わってしまうからな」
律儀な奴である。
戦闘が始まってしまえば、こんな決め事など気にしている余裕は無いだろうに…
「…それで構わねぇよ。とっとと始めようぜ?」
俺が構えると、この男、トーヤも合わせて構えを取る。
見た事の無い構えだが、今更驚きはしない。
この男は、出会った時から未知の存在であった。
想定外の事態に一々動揺しては、まともに戦う事もままならないだろう。
「俺はいつでも構わない。始めよう」
「そうかい、じゃあ…、行くぜ!」
言うと同時に俺は『朔』を使用する。
狙いは正面からの直突きである。
初手については、随分前からコレと決めていたのだ。
この男は、『朔』と似た移動術を使用する。
それに加え、反応も良い為、速度でのかく乱は効果的では無さそうだった。
頭も良さそうだし、小細工の類は対応される可能性がある。
それ故に、俺は初手に真正面からの攻撃を選んだ。
この手の手合いは何度か手合わせしたことがあるが、意外にも正攻法に弱い面がある。
馬鹿正直に真っすぐに突っ込んでくる事を、あまり想定していないからだ。
もちろん、想定から完全に排除してはいないだろうが、可能性は低いと読んでいるのだろう。
実際、俺だってそのように予測する。
(捉えた!)
俺の拳が触れる瞬間、トーヤの表情には驚きが浮かんでいた。
確実に裏をかいた。
そう思った、が…
「っ!?」
拳が触れたと思った瞬間、得られるはずの手ごたえが拳に伝わってこなかった。
そしてほぼ同時に、俺の目の前には奴の拳が迫っていた。
「クッ!?」
俺はそれを視認するや否や、即座に身をひねって拳を回避する。
完全には回避しきれず、拳が側頭部をかすったが、戦闘に支障はない。
「驚いたな。今のを躱すか…」
「手前ぇ…」
どういうカラクリかはわからないが、俺の拳は奴に当たる寸前で文字通り滑った。
しかも、奴の攻撃の動作が全く見えなかった。
動揺すまいと誓ったつもりだが、想定外の事が一度におき過ぎて、その誓いは早くも破れてしまう。
「一つだけ断っておくが、さっき俺は、アンナより弱いと言っただろう?」
「…?」
なんだ? 今更そんな事を言われなくとも…
「けどな…、もし実戦であれば、俺はアンナにも負けないよ」