第202話 奴隷達の扱いについて③
紫は、この魔龍荒野を抜けた先にある紫煙と呼ばれる都市の長だったらしい。
都市といってもかなり広範囲の地域を支配しているらしく、国と言っても差し支えないくらいには大規模なんだとか。
彼女の傲慢ともとれる振る舞いや言動は、どうやらそういった背景から来ているようだ。
しかし、初めはリンカに似ているなとも思ったが、いざ会話をしてみると大分違うな…
「成程、ではお前達は本当に少人数でここを落としたという事か…。大した手腕だな。それに、この大量の食糧は一体どこで?」
「ちょっと事情があって、先程大量に魔獣を狩ったんです。その中に大量にシシ豚がいましたので、材料には困りませんでした」
「シシ豚だと!? まさか、この肉はシシ豚の肉だと言うのか!?」
これまで冷静に話を聞いていた紫が、初めて動揺らしい動揺を見せる。
俺達にとってみれば、こんな事で驚かれる方が意外だったのだが、もちろんそれにも理由があった。
「いや、マジなんだよ姉貴、俺も実際解体してるとこ見なきゃ信じられなかったが…」
どうやら、シシ豚を食べるという習慣は魔族には無かったらしい。
いや、それどころか、亜人領にすらそんな食習慣はほぼ無いのだそうだ。
「俺達もレイフの森に流れ着くまでは知りませんでした。魔獣は基本的に食べられないというのが常識だったので…」
コルト達も、レイフの森に流れ着くまでは魔獣の肉を口にした事は無かったという。
魔獣の肉は魔素に侵されている為、食えば最悪死に至る…、それが幼少の頃に誰もが教わる知識であり、常識だからである。
餓えに悩まされていたコルト達ですら、小人族から肉のとり方を学ぶまでは、魔獣の肉には決して手を出さなかったのだという。
「全ての魔獣に共通しているわけではありませんが、一部の魔獣は魔素に侵されていない部位が存在するんですよ」
「…まさか、そんな部位が存在していたとは…」
レイフの森の住人にとっては、シシ豚の解体は基礎技術の一つである。
森での生活を始めた頃、俺はライから真っ先にこの解体方法を教わったくらいだ。
俺にとってシシ豚の肉は、魔界で初めて口にした肉であり、もっとも多く口にした肉でもあった。
「それが本当であれば、ちょっとした事件だぞこれは。シシ豚は魔族領のあちこちに生息しているし、住人達の食糧事情がかなり改善される…」
以前ソウガから、魔族領は食糧事情が厳しいという話を聞いたことがある。
動植物が軒並み魔素の浸食を受けている事がその原因らしいのだが、正直俺は、それを聞いても余りピンと来なかった。
というのも、侵略目的でなければ他領の出入りには制限されていないし、一部の魔獣を食べれば十分に補える筈と思っていたからである。
しかし、魔獣を食料としていなかったのであれば話は別だ。
俺が思った以上に、魔族領の食糧事情は深刻だったらしい。
「そうだったのか…。てっきり俺は魔族領では魔獣食が基本だと思っていたのだが、これは盲点だったな…」
やはり現場を直接見てみないとわからない事は多い。
山を出て1日ほどしか経っていないのに、既に俺の魔族領に対する認識は大分違うものになっていた。
「魔族とて魔獣を食うのは非常に危険だ。ほとんどの者は魔素の増加によって狂い死ぬか、廃人になる。だからこそ、手を出すのは自殺志願者くらいだったのだが…。まさか、食す方法を確立した者達がいるとは思いもしなかった。これも死中に活を求めた結果というヤツなのだろうか?」
俺も細かい事情は知らないが、レイフの森にはごく稀に肉屋と呼ばれる者が現れるらしい。
森の住人達は、魔獣の解体技術などをその者から学んだと言っていたが、俺はまだ出会ったことがなかった。
もしその技術を開発したのが、その肉屋と呼ばれる者なのであれば、実に興味深い話である。
「しかし、何故いきなり食事なのだ?」
「美味くて暖かい食事は、心にも潤いや安心感をもたらす。基本でしょう?」
「………ふふ、本当に面白い男だな。お前は」
ほぅ…、こんな表情もできるのか…
紫は少しきつい感じの美人だが、今のように穏やかな笑顔をすると、その魅力が倍になるようであった。
その表情にしばし目を奪われたが、アンナの掴む力が強くなったので慌てて視線を外す。
全く、美貌に目が奪われるという点では、ある意味アンナに対してが一番多いくらいなんだがな…
「しかし、ここで奴隷達の信頼を得たとしても、解放となるとそう上手くは行かないだろう? 何か考えがあるのか?」
「…いや、実は何も考えていないんだ」
俺がそう言うと、今度は物凄く拍子抜けしたような顔をされる。
(意外に表情豊かだな、この人…)
「クッ…、アッハッハッハッハッ! 本当に面白い男だ! こんなに笑わされたのは久しぶりだぞ!」
紫は文字通り腹を抱えて大笑いしている。
他の奴隷達はそれを見て少し動揺していたが、目の前の料理の方が優先度が高いらしく、すぐに食事を再開した。
「クックッ…、ならば一つ良い案があるぞ? 乗らないか?」
「乗るかどうかはともかく、それは是非聞いてみたいですね」
「何、悪い話では無いぞ? お前達も奴隷達も、そしてもちろん私も得をする素晴らしい話だ」
そう言われると、なんだかうさん臭さが増してくるんだがな…
しかし、現状これといって良い案が無い以上、聞くしか無いんだけど…
「おい待て! その前にこっちの要件を済ませてからにしろ!」
蛮が凄まじい剣幕で俺と紫の間に割り込んでくる。
ああ、やっぱ無かったことには出来ないか…
「おい愚弟、私の前に立つとはどういう了見だ?」
「あん? 姉貴こそ奴隷の分際で何様のつもりだよ? こっちが先約なんだ、すっこんでろ!」
「…良い度胸だ。久しぶりに躾てやろうか?」
俺の目の前で火花を散らす姉弟。
この血の気の多さは姉弟故なのか、それとも魔族の性質故なのか…
いずれにしてもさらに面倒ごとが増しそうなので、俺は仕方なく二人の間に割り込む。
「え~っと、紫さん、確かに俺は蛮と先約があるんです。お話はその後でも宜しいでしょうか?」
「…それは構わないが、一体何をするつもりだ?」
「…組手、ですかね?」
「ちげぇ! 決闘だろうが!?」
やれやれ、この弟はもう少し姉を見習って落ち着きを覚えて欲しいものだな…