第199話 義火討滅⑤
翡翠が十数人を切り裂いた段階で、ほとんどの敵兵士達は逃亡を開始していた。
蛮とヒナゲシはまだ戦闘を続けていたが、彼らの役目は遊撃である為、もう暫くは戦闘状態が続くだろう。
「アンネ、そろそろいいぞ」
「え? でも、まだ強い反応が残って…」
「いいんだ。出てきたら出てきたで儲けものだが、そいつらは恐らく出てこないだろう」
義火が組織である以上、幹部がノコノコと顔を出すとは思えない。
余程腕に覚えがあるか、血の気の多い奴ならば出てくる可能性もあるが、そんな奴がこんな僻地にいると可能性は低いだろう。
仮に出てきたとしても、この状況ではただの的にしかならないし、文字通り儲けものである。
「…では、逃がすんですか?」
「いや、逃がす気は無いよ。その為にさっき仕掛けをしたのさ」
ここに陣取る前、俺はこの地の脱出経路についてあらかた目星は付けており、手は打っておいたのだ。
といっても、天然の断崖を利用したこのアジトでは退路など一つしか無いワケであった、俺は別に大したことはしていない。
「ああ、それで先程裏側まで見に行ってたんですね」
「そうだ。この形状の地域では、俺達がここに陣取っている以上、逆側にしか逃げ道は無い。崖をよじ登るって手はあるけど、それこそいい的だしな」
まあ、穴を掘られている可能性もあったが、山をくり貫くような作業は相当な労力が必要だ。
加えて、魔族は外精法が苦手であるらしく、やるにしても膨大な時間と人材を必要となってくる為、現実的ではない。
「…確かに、反応は徐々に後退しているようですね」
俺と接触して常に感覚を共有しているアンネには、俺が言わずとも状況が伝わっている。
アンネの言う通り、確かに大きめの反応が後退しているのだが、動きが遅いな…
何か運んでいるのだろうか?
「親父殿、戻りました」
「戻ったか。丁度いい…、どうした? 何かあったのか?」
「…いえ、それよりも、こちらの追い込みは成功したので、そろそろ…」
戻ってきたコルトは、僅かながら険のある表情をしていた。
間違いなく、何かあったのだろう。
…いや、想像はできる。というか、想定はしていたことだ。
恐らく、コルト達は捕らえられていた者達の惨状を見てしまったのだろう。
「…そうだな。準備にかかろう。…ただ、これだけは言わせてくれ。こんな役回りを押し付けて、済まなかったな、二人とも」
「いえ、親父殿に任せて頂いて、俺は光栄ですよ」
この作戦において、コルトとアンナは最重要の役割を持っていた。
見取り図の作成、そして幹部らしき者たちのあぶり出しなど、内部に入り込む為、俺達よりも格段に危険性の高い任務である。
それを任せたのは、俺がアンナの戦闘力と、コルトの冷静さに期待していた事に他ならない。
彼らは間違いなく成長していたし、能力的にもここにいる敵兵士程度であれば問題無いだろう、と。
しかし、精神面がまだまだ未熟である事くらい当然承知していたし、後ろめたさだってあった。
俺はそこに目をつぶり、期待するという気持ちで誤魔化したのである。
「トーヤ様、どうか気に病まないで下さい。私達は本当に、トーヤ様に頼られて嬉しかったんですから。…まあ、私は出来ればアンネの立場が良かったですけど」
そう言って、アンナは俺の肩に座り込んでいるアンネに流し目を送る。
その視線で、アンネは慌てて俺の肩を飛び降りる。
「こ、こ、こ、これはですね!?」
「いいんですよ。事情はわかっていますし、アンネであれば全く問題ありません」
アンナはそう言っているが、その表情は全然問題が無いようには思えないものであった。
それ以前に、アンネじゃなかったら問題あるって言うのもどうかと思うけど…
ただ…、恐らくアンナは本気でアンネを責めているワケではない筈だ。
俺達が深く考えすぎないように、場を和ませる為にわざわざ冗談を言ったのだろう。
本当に、優しい子である。
「親父殿、俺の方は準備整いました」
「あ、ああ、俺もいつでも大丈夫だよ。じゃあ、俺が合図するから同時に術を開始しようか」
「はい」
コルトの表情を見ると、既に先程の険は無くなっていた。
『縁』からの感情も読み取れないし、本当に器用な子だ。
しかし、感情を隠すのが上手いというのは良い事ばかりではない。
今の年齢からこうでは、やはり将来が少し危うく思えてしまう…
(俺がしっかりと支えてやらないとな…)
気持ちを切り替え、俺も術に集中する。
進行速度からして、恐らくあと数秒で奴らは脱出経路に到達するだろう。
そこを狙って、一気に崩す…
「コルト、奴らの先頭が脱出経路に到達した。合図に合わせて術を起動してくれ」
コルトが頷くのを確認し、俺は秒読みを開始する。
「3…、2…、1…、今だ!」
合図と同時に、俺とコルトは術を起動する。
その瞬間、俺達とは逆側に位置する場所から、凄まじい音と煙が上がる。
「良し、成功だ。確認に向かおう」
◇
現場に向かうと、それはもう酷い有様だった。
両脇の岸壁は見事に崩れ落ち、最早道があったかどうかさえわからない状態だ。
魔力反応を確認するとまだ持ち堪えている者もいるようだが、この質量の前では程なくして力尽きるだろう。
「さて、流石に崩落から免れた者達も多いようだが、どうしたものかね」
「ま、待ってくれ! 抵抗はしないから、殺さないでくれ!」
俺達が近づくと、真っ先に命乞いをしてくる者がいる。
魔力の反応や恰好から見て恐らく義火の幹部だろうが、随分と情けない有様だ。
それなりの実力者だったのだろうが、もう暫く戦いに身を置いていないのか、かなりの衰えを感じさせる。
「ひとまず、殺しはしないさ。ただ、今後の処遇については俺達の知るところではない」
そう言って、俺は男の頭に軽く触れる。
男はそれだけで意識を失い、その場に倒れこんだ。
その光景に他の者達は息をのみ、後ずさりを始める。
「安心しろ、とは言わないが眠らせただけだ。お前達も抵抗しなきゃ殺しはしないから、大人しくしている事だ」
出来る限り冷徹な雰囲気を出して魔族達に言い放つ。
正直、こういった威圧的なやり方は好きじゃないが、この者達には情状酌量の余地は無いと思っている。
アンナの視点で捉えた彼らの色はどれもどす黒く、腐臭が臭ってくるようであった。
一人くらいはまともな者がいるかと思ったが、どうやらそれは甘い期待だったらしい。
「親父殿、こいつらは結局、どうするつもりですか?」
「ひとまず、眠らせた上でどこかの部屋に放り込んでおく。あとの事は、相談してからだな」
俺の答えに満足がいかないのか、コルトが珍しく不服そうな顔をする。
「親父殿、差し出がましいようですが、俺はコイツらを生かしておくのは反対です。生かしておけば、コイツらはきっと…」
苦々し気に言うコルトの頭をポンポンと叩きながら、俺は少し困ったような表情を作る。
「コルトの気持ちはわかるよ。でも、何をするにしても確認は必要だし、意見も聞かなきゃいけないからね」
「意見…? あの蛮という者にですか?」
「…いいや、違うよ」
そこで一旦言葉を切り、俺は出来る限り感情を面に出さないよう心掛ける。
「捕らえられ、虐げられていた者達に、さ」