第186話 門出
「ふぁ…」
部屋に差し込む光に照らされ、俺の意識は覚醒する。
先日は結局、師匠のペースに巻き込まれてしまい、寝床に就くことなく事無く眠りについてしまったようだ。
(しかし、怪我人相手に酒まで飲ましてくるとは…)
師匠は普段寡黙そうに見えるのに、一度悪ノリを始めると手に負えない。
酒癖も悪いし、本当にまともに年を取ったのか疑いたくなるレベルだ。
「…あれ、そういえば師匠は?」
首を回して周囲を確認するが、師匠の姿はどこにもなかった。
師匠が座っていた向かいの座布団に触れてみたが、温かさは微塵も感じない。
師匠はここで座ったまま寝ていたはずだが、随分前にここを離れたようだ。
仕方ないので魔力の感知網を広げてみるも、どうやらこの家屋周辺にも居ないらしい。
(一応、朝には出るって言ったんだけどなぁ…)
腹を確認してみると、昨晩残っていた捻じれは完全に消えており元の状態に戻っていた。
中身の方も問題無さそうである。
相変わらず出鱈目な体だと思うが、ここに来てからはもっと酷い傷を負うこともあったので、慣れてしまった。
(傷の方も問題なし。元々荷物なんて持ってきてないし、あとは…)
◇
俺は簡単に身支度を済ませ、扉を閉める。
この小屋は、俺が住むために自作したものだ。
ソクの術を真似てみたのだが、やはりソクのようには上手くいかず、完成したのは随分とみすぼらしい作りの小屋であった。
俺は最後に、この小屋を元の更地に戻そうと思ったのだが、いざ実行としようとすると急に躊躇いが生まれてしまった。
不出来とはいえ、二年も住んでいれば自然と愛着も沸く。結局俺は、小屋は解体せず、そのままにしておく事にした。
(師匠なら気にしないと思うけど、まあ壊されたら壊されたで構わないさ…)
残しはしたものの、結果的に壊れるのであれば、それは仕方のないことだ。
なんとなく俺自身が手を下しなくなかっただけで、絶対に小屋を残しておきたいという気持ちがあったわけでもない。
(今の俺であれば、あんなもの位すぐに作り直すことが出来るしな…)
果たしてそんな機会があるかはわからないが、いつかはもう一度、この場所を訪れたい。
そんな気持ちを胸に抱きながら、俺は歩き出す。
結局、最後まで師匠を見つけることは出来なかった。
師匠はたまにこうして姿を消すことがあったが、何も今日じゃなくても…、と思う。
別にきちんと送り出してほしいわけでは無いが、せめてあいさつ位はさせて欲しかった。
(まあ、師匠らしいと言えば師匠らしいけどな…)
山を下り、麓の神社へと向かう。
あの神社は、この山と外とを繋ぐ唯一の出入り口なのだが、俺はまだ一度も通ったことは無い。
俺はこの山に上空から侵入したため、入るときにすら使用していないのだ。
あの時はそれでえらい目にあったのだが、今となっては懐かしい思い出である。
俺は神社の裏手の扉を開き、中に入る。
「へぇ…、こんな作りになっているのか」
神社の内部はひんやりとした空気をしており、どこか神聖さを感じさせる雰囲気があった。
静謐な、和を感じさせる空間。日本の寺や神社もこんな雰囲気なのだろうか?
「師に黙って出て行こうとするとは、中々に不敬な弟子だな」
薄明りの中、色々と内装を確認していると、奥の方から声が響いてくる。
「師匠!? こんな所にいたのですか!?」
「儂をなんだと思っている。弟子の門出を見送るくらい、するに決まっているだろうが」
声に導かれ奥に向かうと、師匠が何やら薄汚い布を持って立っていた。
「一応、探したんですよ? 挨拶もしたかったですし。でも、まさかここにいるとは…」
「出口はここしか無いんだから、ここで待っているのは当然だろうが」
それはそうなんだが、何も言わずにこんな所で待っているのもどうなのだろうか…
まあ、最後に会えたことは素直に嬉しい。
「…師匠。今までお世話になりました」
「…ふん、世話したつもりなど無いわ。勝手に色々と吸収していったくせに、良く言いおる」
「いえいえ、ちゃんと吸収し易く手ほどきしてくれたじゃありませんか」
「そうしないとすぐ壊れるからだろうが? 全く、まだまだ組手相手としても張り合いが無いというのに…、半端もいいところだぞ」
吐き捨てるように言い放つ師匠に、俺は申し訳なくなる。
確かに、師匠から見れば俺は中途半端であり、遊び相手としては全然物足りないのであろう。
それでいてここを去ろうとしているのだから、不義理もいいところである。
「…まあ、この件に関しちゃ儂が認めたんだ。これ以上は言うまい。それより、これは選別だ…。持っていけ」
そう言って、師匠は持っていた薄汚い布を寄こしてくる。
選別…、しかし、こんな布を何故…?
「…………っ!? これって!?」
「ふふん、やっと気づいたか。相変わらず愚鈍な奴め」
愚鈍、と言われても仕方ないだろう。
俺はこれを目の前にして初めて、今までの出来事に合点がいったのだから。
「かくれんぼのカラクリはこれだ。…お前は少し考えすぎだ。世の中、意外とシンプルなことも多いぞ? 考えすぎれば、ドツボに嵌まる事もある。…ついでに覚えておけ」
「し、しかし、良いのですか? これって確か、相当貴重なものの筈ですが…」
この布、正確には布の性質には覚えがある。
これは、かつて影華が使用していた外套と同種の物に違いない。
竜塵布…、だったか? 魔力を通さぬこの布を、影華は確か宝具と言っていたが…
「儂は物の価値など知らん。それも便利だから使ってただけだ。…それに、勘違いするなよ? それは儂の持ってる中でも一番のお古だ。長いこと使いこんで汚れてるし、ただの処分ついでだと思え」
その反応は、俺の知識に存在するツンデレそのもので、思わず笑いそうになってしまう。
俺はそれをなんとか堪え、平静を装う。
これで吹き出しでもしたら、何をされるかわからないからな…
「…わかりました。その忠告と共に、有難く頂戴いたします」
俺は布を受け取り、その言葉をしっかりと胸に刻み込む。
「…辛気臭い顔をしおって。儂はそういうのは性に合わん。もうさっさと行け」
そう言って師匠は、俺の背中を押してから、シッシッと追い払うように手を振る。
薄暗くて顔色まではわからないが、恐らく照れ隠しなのだと思う。
「…では、行ってまいります。また必ず会いに来ますので、その時は将棋の続きを指しましょう」
「当たり前だ。次の一手で、度肝を抜いてやるわ」
「楽しみにしています」
そう言って俺は、師匠に背を向け歩き出す。
振り返りはしない。振り返れば、余計な事を言ってしまいそうだからだ。
本当は、「師匠も一緒に来ませんか」、そう声をかけたかった。
しかし、それが出来ない事は十分に承知している。
師匠はこの山に縛られている。契約だと言っていたが、恐らくは呪縛に近いものだろう。
それが解除されない限り、師匠は一生この山を出ることは出来ないのだ。
本人は気にしている様子が無かったが、俺はそれに納得したわけではない。
いつか必ず、師匠を外の世界に連れ出してみせる。
俺は密かにもう一つの誓いを立て、外への扉を開け放つ。
薄暗い山での生活に慣れた俺には、外の光は少しまぶしく感じた。
◇
『彼は行きましたか?』
「その声は…、なんだ、斬り捨てられに来たのか?」
『いえいえ、そうされては困りますので、音声だけ飛ばしています』
相変わらずいけ好かない男だ。
昔から、どうにもこの男とは合わない。だからこそ決別したのだが。
『こうして話すのも何百年ぶりでしょうかね…』
「辛気臭い話をしに来たのなら、ここから島ごと叩き斬るぞ?」
『それは怖い…。貴方なら本当にやりかねないですからね…』
馬鹿が…、そんな事が出来たらとっくにやっているわ。
『さて、こちらでも一応モニタはしていましたが…、彼は平気そうでしょうか?』
「…知らん。ただ、お前の差し金って事はわかっていたからな。何度か本気で潰してやろうかと思ったが…、存外しぶとかった。まあ、丈夫さだけなら及第点だろう」
実際に、トーヤの奴が初めて現れた時や生意気なことを言った時には、本気で叩き斬るつもりで攻撃を行っている。
昨日の稽古でも、儂は結構本気で潰しに行ったのだが、アイツは最後まで生き残って見せた。
それどころか、ついには一矢報いるまでに成長していた。
まだまだ未熟ではあるが、しぶとさにかけては、一応及第点をやっても良いと思っている。
『そうですか…。貴方がそう言うのであれば、少し安心しました』
「…話は終わりか? 儂は忙しいんだ、もう行くぞ?」
これからは再び、自分だけでの生活となる。
水汲みやらの雑用は全部トーヤに任せていたが、それも全て自分でやる必要があるのだ。
……やはり、行かせたのは失敗だったか?
『はい。僕も久しぶりに貴方と話せて良かった。それでは、失礼します』
そう言って、稲沢の声を飛ばしていたらしきドローンが上昇して行こうとする。
「おい」
『…? どうしましたか?』
「一つだけ言っておく。儂はお前の事が嫌いだが、トーヤを解放した事については、褒めておいてやる」
『っ! …ありがとうございます。それでは…』
今度こそドローンはそのまま上昇し、空の彼方へと消えていった。
「…ふん」
つい余計なことを言ってしまった。
それもこれも、全部トーヤのせいである。
…雑用は後回しにして、まずは手紙でも書くか。