第182話 魔界と精霊について②
「僕の身体は、見ての通り半分以上機械によって補われている。…いや、半分どころでは無いか。実際、完全に生身の部分なんて殆ど残されていないからね。正直、本当に人族と言って良いのかも怪しい状態だ」
そう言って、稲沢は脱いだ上着を羽織るように着直す。
ボタンを止めるその動きにはぎこちなさなど一切なく、とても機械の動きには思えない。
見た目こそロボットのようだが、人間としての動きの再現度はかなり高いようだ。
「私の身体も、博士に比べれば生体素材が多いですが、基本的には機械で出来ています。だから、ちょっと人の温もりが恋しくて…。ついトーヤさんの身体を堪能してしまいました♪」
ついって何だよ…
「ってあれ? じゃあ、もしかして俺の身体は、生身のままなのか…?」
「ああ、その通りだよ。先程も言った通り、胎児だった君は最初から精霊を宿していた。だから我々のように、外部から魔力を取り込む仕組みは一切必要なかったんだ」
…成る程。
つまり、先程見た大掛かりな機械パーツは、魔力を取り込む機能を内蔵しているというわけか。
もしかしたら、俺の中身も稲沢のように機械仕掛けなのか? とも思ったが、あの機械部分が魔力を取り込む為に存在しているのであれば、最初から精霊を宿す俺には不要と言っても良さそうだ。
まあ、あくまで稲沢達の話を全面的に信用すれば、ではあるがな…
今更そんな事で嘘をつくとも思えないけど。
「君達精霊を宿す者の存在は、私やファルナ君のような精霊を宿せない者達にとっては希望そのものだった。そして君達を研究することで、私達はこうして生き長らえてこられた。つまり、トーヤ君は私達の命の恩人とも言える存在なんだよ」
そんな事を言われても、正直反応に困ってしまう。
実感などまるで無いのだがら当然だ。
話を聞く限り、俺は偶々胎児だったため、精霊を宿していたに過ぎない存在なのである。
何もしていないのに感謝の念を抱かれるのは、中々に心地悪いものだ…
…いや、待てよ?
それだと腑に落ちない点が多いぞ?
「待ってくれ。俺が命の恩人だと言うのなら、どうしてあんな場所に放置されていたんだ?」
俺は改めて、自分が目覚めたときのことを思い出す。
あの時俺は、レイフの森の東端付近で倒れているところを、ライに発見された。
ライ曰く、夜から朝にかけての犯行との事だったが、その話の通りであれば、俺は夜中にあの場所に放置されたということである。
自分が命の恩人などという気持ちはまるで無いのだが、稲沢達の行為も恩人に対するものだとは思えない。
「ああ、確かにあれについては、印象が悪かったかもしれないね…。こちらとしては細心の注意を払っていたんだが、対外的に見れば放置、あるいは廃棄されたとしか思えない状況だものな。一応、ファルナ君の案ではあったのだが…」
「物語の始まり方としてはポピュラーな状況を選んだつもりでしたが、お気に召しませんでしたか?」
物語…?
確かに作為的な何かを感じてはいたし、現にあの状況は意図して生み出されたようだが、目的がわからない。
「…物語っていうのはどういう事だ? あんた達は、俺に一体何をさせたいんだ?」
「あ~、それを説明する前に、脱線した話を本筋に戻そうか」
本筋…、ああ、そういえば元々は魔界が崩壊するって話だったか。
ファルナが魔王だという発言に、俺が思わず割り込んでしまったの事で話が逸れていってしまったようだ。
「先程も言ったように、この魔界は崩壊の危機に瀕している。そしてその原因は、魔王達の激しい戦闘によるものだった。だから我々はまずそれを止めるべく、第一手として九番目の魔王を生み出した。それが鉱族王であるファルナ君だ。ここまではいいね?」
「ああ。しかし、それが何故魔王達の戦いを止める要素になったんだ?」
「それは、彼らが皆、魔界の危機に感づいていたからだよ。大きな力を持つ彼らは、自分達の力の危険性を十分に理解していたのさ。しかし、戦いの放棄は自らの死にも繋がる。故に彼らは止まれずにいた。止まるためには、何か切っ掛けが必要だった」
稲沢の話によると、元々魔王などという存在は魔界に存在しなかったらしい。
全ての始まりは、強い力を持つ者同士の喧嘩が発端だったそうだ。
それがやがて戦火を生み、徐々に広がることで新たな敵を生み、いつしか魔界全土を巻き込む大喧嘩となった。
そして、特に力の強い者達はその戦いの中で魔王と呼ばれるようになり、種族の代表の用に祭り上げられていったという。
「彼らは特に意識合わせをするでもなく、次に自分達と同じような存在が現れた場合、戦いを止めると考えていたそうだ。我々はそれを利用し戦いに介入した」
「…戦いを止めた理由についてはわかったが、何故その考えを知り得たんだ?」
「それは魔王に直接聞いたからだ。…いや、又聞きなので間接か。まあ、真偽はともかく、我々はそれに縋るしか無かったし、実際に戦いは止まった。あの時の私達にとっては、それだけで十分だった」
随分な綱渡りだな、と思う。
まあ、聞く限り余裕など無かったのだろうから、それも仕方ないとは思うが…
俺はひとまず、その事についてはこれ以上掘り下げないことにした。
色々と納得の行かない部分もあるし、気になる点も無いわけではない。
特に、戦いを止めた理由については、正直かなり疑問が残っている。
しかし、それを確認しようにも事実は稲沢達ですら知らない可能性があるのだ。
であれば今聞くより、あとでキバ様辺りに確認する方が効率が良いし、信用性も高いだろう。
「その後は結界を設置したり、聖域のシステムを構築したりと色々な手を打ってきたよ。…しかしね、結局のところ、我々のした事は延命処置でしかなかったんだ」
それは、まあわかる。
確かに、魔王同士の戦いを止めることは出来ただろう。
しかし、この対策は魔王の戦闘を永久に止めるような内容ではない。
現にキバ様は、俺達との戦いを含め、戦闘自体は自由に行っているようであった。
他の魔王達も、戦闘には何も制限がかかっていないと思ったほうが良いだろう。
…つまり、今は平和でも、今後魔界に影響を及ぼす様な戦いが発生しないとは言い切れないのである。
ある程度危機感を持って戦いを止めたとはいえ、自身が危機にさらされれば魔王達は迷わずその力を振るうだろう。
キバ様なんかは、このくらいなら平気だろ! とか言いながら気軽に力を解放しそうな気もする。
他の魔王がいつ本気で他領を侵略開始しだすかだって、正直わからないし…
「それで結論を言うと、我々は魔界の崩壊に関しては諦めてしまったんだよ」
そう言って、稲沢はボタン操作でスクリーンを引き上げる。
「精霊により細胞の劣化を克服した我々は、不老に近い体となり悠久の時を手に入れた。時間という武器を手に入れたんだ。そして、それから数百年の間、私達は魔界の崩壊を防ぐために色々な手を打ってきたよ。…しかし、画期的な打開策は生まれること無く、ただただ時間だけが過ぎていった…」
そして稲沢は、懐からパスケースのようなものを取り出し、テーブルに置く。
パスケーズには、稲沢の他に数人の研究者らしき者達が写された写真が収まっていた。
「彼らは、この地で一緒に研究を続けた仲間達だ。皆、既に亡くなっているがね」
「っ!?」
「不老となったのに、何故?と思っただろう? でもね、いくら時間があっても、心は疲弊していくものなんだよ…。何の成果も得られないまま過ごす数百年は、本当に苦痛だったんだ…。だから他の皆は、一人、また一人と、自ら命を断っていった」
稲沢は乾いた口を潤すように、一度言葉を切り日本茶をゆっくりとすする。
「しかし、私だけは彼らに続くことが出来なかった。この研究室の長である責任感と、君という存在を、ただ飼い殺そうとしていることの罪悪感から、ね」
「…だから、俺をここまで育て、魔界に解き放ったと?」
俺の問いかけに対し稲沢は無言で頷く。
「トーヤ君、君にはせめて、この魔界で残りの人生を謳歌してもらおうと色々な処置を施している。その為のバックアップも最大限行うつもりだった。しかし君の存在は、我々にもう一つの可能性を…、希望を見出させたんだ…」
稲沢は俺の手を取り、懇願するように頭を下げる。
「トーヤ君、君にこんな事を頼むのは正直おかしなことだとは思っている。しかし、私達は君に、希望を見てしまったんだ…。だからどうか、この魔界を救ってくれないだろうか」